第3話

 黒塗りのワンボックス車の中、その後部座席に、刀弥と観生は座っている。窓ガラスは外から中が見えないように加工されており、運転席に座るスーツ姿の男は、二人を校門前で出迎えてから一言も言葉を発していない。

 後部座席の二人は、それぞれ作業をしていた。

 刀弥は軍用の大きな拳銃、そのマガジンを確認し、装弾数を数え、懐に仕舞う。

 観生はノートパソコンを開き、忙しない指の動きでキーボードを叩き、黒いDOS画面に文字を打ち込んでいく。

「あと一〇分くらいだね」

 観生が指の動きを一切止めることなく言った。

「数は一、多分レベルC。変異も進んでるはずだよ。現場は結構な狭所になるけど」

「問題ない。むしろ好都合だ」

 拳銃にマガジンをカシン、と填め、スライドを引きながら刀弥は答えた。

「警察の到着は最速で一五分後、現場到着まではあと五分」

「三分あれば充分だ。処理班は?」

「すでに現場を包囲」

 刀弥と観生のやり取りはしばらく続き、最後にほんの一分後、キーボードを叩く音が止んだ。

「修正。警察到着までは、最速で一時間」

 ノートパソコンには、画面の最前列に黒猫のコスプレをした少女がにゃんにゃん、と招き猫のように振り、その下には大きく「I did it!」と文字が浮かんでいた。


 ビルとビルに挟まれた路地の通行を防ぐように、工事関係者が立っている。赤いコーンを立て、黄色と黒のバーを載せ、工事中につき通行禁止という立札。止めとばかりにブルーシートで目隠しされた路地は、誰も近寄ろうなどとは思わせない布陣が敷かれていた。

 刀弥はその工事中の表示があるブルーシートを潜る。ヘルメットを被った作業員は、それを止める様子もない。

『あー、あー、マイクテスト~、感度はバッチグー?』

「感度良好。ノイズも許容範囲だ」

 左耳に付けたインカムから届く癖のある少女の声に、刀弥は簡素に応じる。

『地図データ、衛星からの映像ゲーット。あー、でも室外機がサーモディスチャージャーの役割果たしちゃってるから熱紋で追うのは難しいね』

「光学映像に問題はないのだろう?」

『光学映像、はね。赤外線はあんましアテにならないし、電磁波も熱放射でいくらか信頼度は低下しちゃうから、ホントに光学映像「だけ」だよ』

 インカムから聞こえる少女の文句を聞きながら、刀弥は路地を進んでいく。

 右手には拳銃が握られ、左手は銃床に添える。

 一歩足を踏み出す度に、周囲を確認し、じりじりと路地の奥へと歩を進める。光学映像だけしかアテにならないということは、ちょっとした暗がりでも映像を確認できないということになる。

(ナビゲートには頼れない。五感のみが頼りか)

 刀弥は車内でノートパソコンと奮闘しているであろう観生に心中だけで目を向け、すぐに意識を正面に戻した。

 双璧として聳えるビルは、どちらも二〇階ほどはある。方角の問題から、太陽光が直接取り込めないために昼間だというのに薄暗い。目隠しのための工事用シートが、余計に光を遮っているため、小さな鼠くらいなら見逃してしまいそうだった。

「封鎖エリア外に出そうになったら報告を」

『おーらーい』

 せめて最低限のサポートだけを頼み、刀弥は奥へ奥へと進む。

 と、

 二〇メートルほど進んだところで、路地幅一杯を塞ぐように倒れているものがあった。

 それは人だった。服装から、一目でOLだとわかる。

 しかし、全く動く気配は見せず、呼吸による体の上下も確認できない。周囲にはOLを中心に黒い水溜りが出来上がり、ビルの壁には飛散した液体が凝固していた。

「被害者と思われるものを確認。大量の出血が見られる」

 すぐさま観生へ告げた。

 刀弥は爪先でOLの体を突付く。

 反応がないのを確認すると、そのまま爪先を体と地面の間に差し入れ、仰向けにひっくり返した。

 顔が半分なくなっていた。

 まず吐き気を催すであろう光景であるが、刀弥はただ一言、

「顔面欠損」

 状況を簡潔に伝えた。

『おーう、スプラッタだねー』

 それを聞いた観生のトーンも変わらない。そんなことにいちいち大袈裟なリアクションなど出していられないし、もう慣れてしまったのだから仕方がない。

 顔面欠損したOLの隣に膝をつき、首筋に人差し指と中指を当てた。そのとき、初めて喉が食い破られていることに気づいた。

「頸部破損。脈拍ゼロ。体温、平熱以下。死亡推定時刻を鑑みるに、『感染』の可能性は低いと考えられる」

 顔面を抉られていれば普通生きていないのだが、『感染』という単語が絡んでくると、刀弥の行動は至って普通の行動として、『事情を知る者』には認識される。

『ま、どっちにしろラボ送りだろうけどねー』

 淡々と状況を口にする刀弥とは対照的に、観生の発言はテンションの高いはしゃぎ声であることが多い。別に刀弥はそれを煩わしいとは思っておらず、思考の転換という良好な意味で、無闇やたらにテンションの高い声を迎合している。

『早く終わんないかなー。あー、でもこれから戻って授業とかヤだなー』

 謂わば、これは暖房の効いている室内に入る、換気用の冷たい風、といった具合だ。締め切った室内で暖を取っているのは快適だが、換気をしなければ酸素濃度が下がり、空気が濁る。そのために窓を開けて外の風を取り入れるのだが、だからといっていつまでも窓を開けっぱなしにしていると風の冷たさが恨めしくなるのと同じで、ずっと観生のテンションに付き合っていると、居心地の悪くなるときも出てくる。

『ねーあーちゃーん、ビーフシチュー食べたーい』

 何の脈絡もなく飛び出した発言に、

「少し黙れ。聴覚に支障をきたす」

 常と変わらない、しかしどこか苛立ちのような感情を孕んだ声で、刀弥は告げた。

『わかったよー、お仕事するよー』

 拗ねた子供のような声を出しながら、スピーカー越しに微かではあるがキーボードを叩く音が聞こえた。

『あ、なんか動いた』

「位置は?」

 刀弥は前方に意識を、これまで以上に集中して向け、返答を待った。

『一二時方向、距離…………』

「―――っ!」

 言いかけた声を最後まで聞くことなく、刀弥はバックステップ。同時に拳銃を構える。

『ごめん。距離ゼロ』

 観生の声を、刀弥は聞き流した。

 なぜなら、言われるまでもなかったからである。

 正面、さっきまで自分がいたところに、大きな黒い犬がいた。肩までの高さは一メートルを優に超え、頭部が二つ、それぞれ唸り声を上げている。爪はまるでナイフをそのまま突き刺しているのではないかと思うほど、鋭く飛び出していた。

「ターゲットとエンゲージ。素体は恐らく犬。体長およそ二メートル」

 刀弥はすぐに外観を伝え、観生はスピーカーの向こうで「ほほう」と感心しつつ、データ入力を行っている。

 双頭の犬は四つの目を全て刀弥へと向け、腹に響くような唸り声を上げて威嚇する。

「頭部が二つ確認できる。前足しか確認できないが、ナイフ状の爪がある」

『おー、オルトロスさんじゃん』

 スピーカーから無邪気にはしゃぐ声が届く。その間も、刀弥は銃口を犬に固定する。

『ねーねー、後で写メ撮ってきて』

「事後の検証写真かラボに回された死骸でも眺めていろ」

 言い終えたと同時、犬が飛び掛かってきた。

 引き金を引くだけの動作よりも早く、犬は眼前に迫り、大きく口を開けていた。

(速い)

 それを、刀弥はバックステップしつつも拳銃を握る両手を跳ね上げる。

 頭の一つに銃身が激突し、犬は自身の舌を、ぎらりと並ぶ歯で噛み千切ってしまう。

 そこへ、高く蹴り上げた刀弥の右足が襲い掛かる。

 犬の、やや反り返った体勢の腹に、スニーカーが食い込んだ。そのまま後方へ二メートルほど飛ばされ、弧を描いた末に犬は背中を強打した。

 すかさず引き金を引き、拳銃から九ミリ弾を撃ち込む。

 ダンダンダン!!

 双頭の犬の胴体へ放たれた銃弾。

 しかし、犬は器用に体を反転させて回避し、三発全てが地面に銃創を刻む。

 刀弥の足が地面を強く蹴り出し、犬へ急迫する。懐から大きな軍用ナイフを取り出す。

 と、

 犬と目が合った。

 舌を噛み切ったことで真っ赤な血をだらだらと垂らしながら、生気は全く衰えていない。

 どうやら余計に凶暴性が増しているだけだと、刀弥は感じ取った。

 唸り声を上げて苦しそうにしてはいるが、あれはチンピラが「いてぇなチクショウ」と言っている程度の負傷でしかないと、インカム越しに観生も言った。

 刀弥は足裏に力を込めた。

 双頭の犬も飛びかかろうと体を起こして前傾姿勢になる。

 そして、

 両者が交錯した。

 壁に血の筋が描かれた。

 刀弥の左腕は肘の先がブレザーごと裂かれた。布は瞬時に赤く染まり、すぐに吸い切れなくなって手の甲へ伝っていく。さらに血の筋は手に握られたナイフへと伝わり、刃にこびりついた血へと合流した。

 跪く形で、刀弥はすぐに振り返った。

 双頭の犬は、すでに地に臥していた。

 腸を長々と、まるで嘔吐したように大きく裂かれた腹から垂れ流し、それを添えるソースのように、大量の血液が路地の幅いっぱいを埋め尽くしていた。

 しかし、普通なら死んでいる状況下で、犬は震える足取りで立ち上がろうとした。ごぽごぽと腹から血と臓物を零しながらも、豪爪を地面に食い込ませる。

 ダンダン!

 弾丸が、犬の眉間と右目を撃ち抜いた。どさりと倒れ、犬は今後こそ動かなくなった。

 刀弥は特に何の感情を見せることなくインカムへ告げた。

「対象を無力化。至急回収及び処理を要請する。出血が多い。排水溝にでも流れたら面倒だ」

『はいよー』

 刀弥は出血した腕を見て、ポケットを探る。バンドを取り出して、傷口より上を縛る。

「右腕を負傷。縫合処置が必要だ。血液の処理と共に対応を願う」

『おーらーい』

 刀弥は踵を返して元来た道を戻る。

 すぐに外界と路地とを遮断していたブルーシートが見えた。そこで、シートの合間を潜る、まるで宇宙服のような防護服を着た数名が、刀弥の横を通り過ぎていった。


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