第31話

 同時刻、刀弥とうやのマンションでは――

「ねぇ、朝桐君、大丈夫なの?」

 天音あまねは眉尻を下げて不安をありありと表したまま、観生みうに尋ねる。当然、遠く離れたキャンプ場で戦う刀弥のことについてだ。

「ん~~、ん~~」

 唸っているのか鼻歌なのかわからない声を上げながら、観生は相変わらずノートPCから視線を動かさずにキーボードを打ち続ける。天音の問いかけなどなかったかのように、視線を忙しなく移動させ、ディスプレイ上の情報を処理していく。

 天音は天音で、更問いをかけたい焦燥と邪魔をしてはいけない理性の天秤に揺らぎ、結局ぎゅっと拳を握り締めることしかできないでいた。

 観生の隣でディスプレイを覗き込んでいるものの、人工衛星から転送される毎秒一○コマの連続写真の見下ろし疑似動画からでは、いまいち状況がわからない。PCの画面には他にも複数の波形や更新され続ける数値、DOS画面など四つのウィンドウが表示され、テーブル上の拡張ディスプレイには、同じく四分割された数値と棒グラフが変動するウィンドウが並んでいる。観生はそれら全てに目を通しているが、天音にはせいぜい衛星画像くらいしか意味がわかりそうなものはない。

 たっぷり一○秒、天音にとってはひどく長く感じる時間を経て、観生は口を開く。


「わかんにゃい」

「…………え?」


 やっと聞けたと思った回答は、まさかの思考放棄発言だった。

 天音は初め呆け、そしてふざけているのかと思った。こっちは不安でしょうがないのに、「わかんにゃい」って、「にゃい」って何?と。

「戦闘はあーちゃんに任せてるし、わたしの仕事はあーちゃんの『目』を補うこと。あとは連絡役かな。ヨワヨワだからさ、わたしは戦闘のことはよくわからんのだー」

「そんな…!」

 投げやりにも聞こえる発言に、思わず身を乗り出す天音だったが、そこで自分の不安を払拭ふっしょくしたいが為に観生の邪魔をしていると思い至り、口をつぐんだ。

「ん~、まぁ、なんとかなるっしょ」

 そんな天音の心中を察してか、もしくはただの軽口か、観生は他人事ひとごとのように笑う。

「現地はみんな避難してるし、自分一人だけならあーちゃんも大丈夫だよ。誰かを守りながらとか、そういうシチュエーションにならなければ」

 天音は数日前の高校での騒動と、更にその前、河川敷で初めて変異体に襲われた時のことを思い出す。あの時は刀弥に助けられたわけだが、相当無理をさせていたのだろうと、少し反省する。

「だいたいね、今回は変異体に対処できればいいけど、基本は様子見のはずだったんだし。やばければ撤退も視野に入れてるからね、その辺はあーちゃんなら見誤らないよ」

 観生から滲んでいるのは、刀弥への信頼だった。

 少なくとも、天音にはそう見えた。

 昼間に気づいた、『互いに相手を人として見ていない』関係を思えば、二人の信頼関係は見ていて嬉しい。というよりも、安心する、というのが正しいかもしれない。

 同時に、蓮山天音は部外者だということを、強く実感してしまう。

 自分には何もできない。

 MMMCでカルーアから「変異体をおびき寄せる囮」になることを提案された。正確には手を貸せと言われたのだが、実際はだ。

 それを、その大前提を崩すように、刀弥と観生は天音を守ろうとしてくれている。

 理由はわからない。ただの気まぐれか、カルーアへの反抗心か、友達を守りたいとか、もしくは目の前で知り合いが死ぬのは寝覚めが悪いとか。

(朝桐君なら、最後のありそうかも)

 そう思いながらも、天音は河川敷で、自分を庇って傷ついて、腕から血を流す無感情同級生男子の姿を思い出す。

 何かしてあげたい。

 ただ守られるだけではなく、役立ちたい。

 与えられるだけではなく、何かを与える側になりたい。

「うん……」

 しかし、今の自分にはただ画面を見て祈るしかできないと、ここに来て何度目かもわからない事実を再確認して、天音は頷くことしかできなかった。

 




 夜のキャンプ場を支配するのは、獣の狂気と、それを正面から受け止める凶器である。


 ダンダン――!!

  ダンダン――!!

   ダン――!!ダン――!!


 全長一メートルの黒い犬の変異体と、向かってくる端から対処する刀弥の戦闘は、終わりの気配を見ることができない。

 トイレを背に、右手の調理場の白い光を頼りにして、唸りを上げながら地を駆け迫る複数の殺意を、銃弾が撃ち払う。

 だが、いくら撃ち抜いても数が減らない。

 いくらでも、巨大変異体からポコポコと手駒が湧いて出てくる。

 質量保存の法則はどうなっているのか。

 そんな疑問も、すぐに解決する。


 ガブ、グチャ、グチャ――ガゴリ、ガリガリ――


 巨大変異体は、あろうことか自分が生み出した存在を、刀弥が屠った先から噛み砕き、嚥下していた。立ち位置を変えながら戦闘しているが、変異体の死骸で足場が阻害されない理由が、死んだ端から喰われているからだ。よく見ると、全裸の女の遺体も消えている。恐らく全て変異体の腹の中だ。

 これで疑問解決、となるはずはないが、質量の帳尻は合っている。この現象について観生から何も言ってこないのは、画質の問題で気づいていないか、下手に騒いで天音を怯えさせることを避けているのか。

 後者はないだろう。職務上必要ならば空気を読まずに口に出す観生が、気遣いだけで情報の共有を怠るはずがない。変異体の死骸が消えているくらいは気づくかもしれないが、単純に捕食している状況を捉えられていないだけだろう。


 ダン――!!と銃弾が飛び掛かる変異体の頭蓋を吹き飛ばしたところで、拳銃のスライドが下がったままなことに気づく。

(素人じゃあるまいし――)

 顔に出さず、内心で自分の失態をなじる。

 弾切れだ。

 無駄なことに意識を裂き過ぎた。

 すぐにマガジンをリリース。マガジンポーチに入った予備弾倉を手に取る。

 ここに来て、既に二〇発近い弾を消費した。先が見えないこの戦闘で、このペースは危ない。巨大変異体は痩せこけていくことなく、自身の分身を生み出し続けている。いつか無理がたたるだろうが、そんな希望的観測を祈るほど、刀弥は楽観論者ではない。


 刀弥はすぐ隣の屋根付き調理場の枠に手をかけた。


 この調理場は高さ一三〇センチの木製の壁に囲われており、窓ガラスはない。調理で発生した煙などの換気は風を利用した自然頼りになっており、外壁沿いに二メートル置きにある太い柱で屋根を支える構造になっている。

 その調理場の中へ、刀弥は飛び込んだ。

 この中までは、あの巨体はすんなり入ってこれない。入ってきたとしても、かなり動きが制限されるはずだ。

 大型種は動かずに調理場の外に留まった。刀弥を追って突っ込んできてくれた方が都合がよかったが、少しは考える頭があるということだろうか。

 刀弥は蛇口の並ぶシンクごと飛び越え、着地する。

 すぐさまマガジンを挿し込んだ。

 この中ならば、あの大型はそのまま入っては来れない。

 小型種は入って来るだろうが、この中で仕留めてしまえばあの巨体は死骸をすんなりと口にできないはずだ。もし長い首を室内にねじ込んできたら、それこそその眼窩がんかへ銃弾を何発も撃ち込み、脳を破壊すればいい。表皮を貫けない以上、狙えるのはそこくらいしか思いつかない。

 もし無理に巨体が入り込んでくれば迎撃。来ないなら来ないで、増殖に対する補給の寸断を狙える。今考えられる策はこれくらいしかない。

 スライドを引き、初弾を装填。

 直後、小型の変異体がシンクを飛び越えて刀弥へと迫ってきた。

 三時方向。周辺視野で捉えた情報に合わせ、刀弥は回れ右。

 即座に照準する。

「—―っ」

 そして、気づく。


 シンクの陰に、隠れるように丸まっている、幼い少年と目が合った。

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