第39話
昼下がりの公園で、
面積二〇平方メートルほどの、申し訳程度の広さ。二人掛けベンチが二つ並び、遊具は小さな滑り台があるだけの、人気のなさそうな公園だ。
午後二時三〇分、気温は二〇度。ベンチで座っている分には風が心地よい。
「早く来すぎたかな…」
天音は改めて自分の服装を見直す。
上は白いボリュームスリーブブラウス、下は紺のフロントボタンスカートと、普段着がワイシャツとジーパンという天音にしては気合が入っている。差し向けたのはずっとニヤニヤ笑っていた
なので、この服を着てからまだ二時間程度。切り取り忘れたタグがないか心配になる。
落ち着かない。
とにかく落ち着かない。
服装もそうだが、何より男子との待ち合わせなんて初めてだ。何のために刀弥が呼んだのかわからないが、昨夜から観生が連呼していた単語が何度も蘇る。
『天音ちん、これはデートですよデート』
なんなわけない。
あんな不愛想で人の言うこと聞かなくて自分勝手な同級生男子が、真面目なだけで普段から勉強ばかりしていて口うるい自分を……その……好きになった…?
あり得ない。だって自分はそんなにかわいくない。男の子に好かれるはずがない。
今日は、これもまた午前中に立ち寄った店内で、ゆるくふわりと纏められた一本の三つ編みを右肩から垂らし、先端を水色のレースのリボンで縛っている。前髪を少し流して、眼鏡はフレームを黒から赤に変えた。最後に透けた下着を差し出された時にはさすがにニヤニヤ顔の同級生の頭を引っ叩いたが。
これでは本当に、デートにおめかしして出てきた年頃の少女のようではないか。
「待たせた」
男の声に、天音の体がびくりと震える。
黒いスラックスに白いシャツ、紺のカットシャツ姿の同級生男子――
時刻は午後二時五五分。約束の五分前だ。
「あ、ううん、わたしも、今来たところだから」
自分で口にして、以前読んだ恋愛小説のフレーズそのままなことに気付く。
顔が熱い。
反射的に立ち上がり、待ち人と対峙する。
身長差から、天音の視線は刀弥の顎先と並ぶ。
少し見上げると、軽く結ばれた唇と、まっすぐ見つめてくる瞳。逆に下げるとシャツの間から覗く首から鎖骨のラインが目に留まる。
確実に意識してしまっている。心臓が高鳴っているのがわかる。
ここ数日ずっと顔を合わせているはずなのに、改めて見た刀弥の顔は、どこか違って見えた。
いつも不愛想だが、顔の造りは整っている方だ。体つきだって、細すぎるわけでも太っているわけでもなく、引き締まっている。そこまで思って、昨夜彼の下着一枚の姿を見てしまったことを思い出して、またも焦り、赤面する。
「行こう」
そんな天音の様子など気にすることなく、刀弥は歩き出す。
「…うん」
慌てて天音が駆け出す。
横に並んだ方がいいのか迷うが、踏み切れずに結局後ろを歩くことにした。
何も考えられない。
ただ、同級生男子の背中を追って歩くだけで精一杯だ。
後姿を見るだけで落ち着かない。自然と視線が足元に下がる。
かつて『吊り橋効果だ』と
これからどこに行くのだろうか。
映画?遊園地?どこかでお茶?買い物?
まずは駅に向かう?それとも歩いて行けるところ?
そこまで考えて、そういえばなぜ駅などではなくこんな街中の公園で待ち合わせだったのかという疑問が浮かんだ。
歩いて数分、刀弥の足が止まる。
こんな近くに何かあっただろうかと疑問に思い、顔を上げる。
「……え?」
片方が砕けだ門柱、そこに貼られた『立入禁止』のトラテープ。
二階建て住宅の玄関扉は外に向かって枠ごと破壊され、中からの爆発で
扉の奥も、ぐちゃぐちゃだ。
まるでそこだけ時が止まっているようだった。
天音の中の、数日前の記憶と重なる。
唯一違うのは、記憶の中の玄関は真っ赤に染まり、耐え難い臭いに満ちていたはずなのに、すっかりその痕跡が消えていたことだ。
「朝桐君……?」
門柱のトラテープを潜って中に入った刀弥に向けて、呼びかける。
表札の文字は『蓮山』。
ついこの間、蓮山天音に消し難い心の傷を負わせ、人生が一変した場所。
生まれてこのかた暮らしてきたはずの自宅が、とても遠い存在に思える。
公道と私有地。トラテープのこちらと向こう。
冷や水をかけられたように、先ほどまでの浮ついた感情が冷めていく。
刀弥が天音を呼んだ理由、その真意を察して、しかし落ち込んんだりはしなかった。ましてや感情的に刀弥を責めるつもりも、観生に文句を垂れるつもりもない。
「蓮山、中を見せてほしい」
いつも通りの声音。それが、向き合わなければならない現実への
「……わかった」
天音は刀弥に倣ってトラテープを潜る。
喰いつかれた母の姿と、巨大な犬の
一度足が止まる。
体が震える。あの日の恐怖に
それでも、無理やりに、天音は次の一歩を踏み出した。
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