第27話
無駄に栄養バランスの考えられた夕飯を食べ終え、就寝時間が近づく頃――
「あーちゃん!」
ノートPCから顔を上げて振り返る
白いTシャツに黒い伸縮素材のスラックス、長袖の紺のカットシャツを身に纏う。備え付けのクローゼットからホルスターを取り出して腰や肩に巻き付け、拳銃、予備弾倉、サバイバルナイフをシャツの内側など表から見えない部分に挿し込む。ポケットに鋼糸、
相棒から一言受けただけで、刀弥は全てを理解し、身支度を整えた。
「場所は?」
「例のキャンプ場」
そのやりとりを見て、天音はやっと何が起こったかに気づいた。
「わ、わたしも――」
「却下だ」
刀弥は天音の発言を遮って、玄関を飛び出していった。
慌てて刀弥に追従しようとするが、観生はその腕を掴み、
「ダ~メ~だ~よ~」
口角を上げて、天音の足を止めさせた。体格差で振り切ろうとするが、一〇センチ以上背の低い少女の腕は、椅子に座っているにも関わらず、振りほどけそうにない。
「なんで、わたしが囮になれば……」
「天音ちんの頭は鳥さんかな?」
観生の指摘は容赦がない。
「この前あーちゃんが言ってたでしょ。無策のままじゃ勝てない。このまま出向いても天音ちんが食べられちゃっておしまい、って。今は少しでもあのビッグわんちゃんの情報が欲しいの。だから、なんとかできるに越したことはないけど、夜ってこともあるし、今回は情報収集がメインかな」
そもそも、発見されたのが例の変異体とも限らない。
過去に複数の変異体が同一エリアに出現したことはないが、それはこれまで変異体出現の都度、一度で対処が完了していたこと。そして寿命が五日程度であることが理由として考えられている。
しかしあの変異体は通常の個体よりも寿命が延びている。その間に別の変異体が出現し、二正面作戦を強いられる可能性もある。
そんな状況下で、ふらふらと天音を出歩かせるわけにはいかない。
はっきり言って、この状況下では天音は『撒き餌』の価値よりも『刀弥の足枷』であることの方が強い。現に、初めて変異体に襲われた際は刀弥の袖を掴んで動きを鈍らせたこともあったのだから。
『迎えは?』
観生のノートPCから、刀弥の問いかけが届く。スピーカーにしているのは、天音への配慮、ではなく、観生の好みの問題だ。
「最寄りの待機所からはさっき出たみたいだから、合流まで一〇分ってところかな」
今回はたまたま観生が警戒網を張っていたお陰で、通信指令センターへの発報を掴むことができた。その内容は「大きな動物に襲われた」「とにかく急いで来て」というものだ。本当に熊か何かの可能性もあるが、このタイミングだ。変異体である可能性は高いだろう。
普段は常に網を張っているPNDRが先に検知し、観生を介して対処命令が下りるのだが、今回は先に観生が見つけたからこそ、相対的に輸送班の初動に遅れが出ていた。
『なら少し走った方が早い。それだけで数分稼げるだろう』
キャンプ場までは一〇キロある。
刀弥はジョーカーウィルスにより強化された体によって、筋収縮に使用されるエネルギー源であるアデノシン3リン酸の筋内貯蔵量が桁外れに多い。また、ミトコンドリアの代謝異常によって、筋収縮のエネルギー生成効率も異常なまでに高い為、結果的に常人よりも長時間無酸素運動(とみなせるくらいの筋収縮)を継続でき、全力疾走を数キロ単位で行うことができる。当然生物としての限界はあるので、限界まで走り続ければ疲弊することに変わりはないわけで、時間の意味でも体力の意味でも、車両による現地への移動は必須条件となっている。
「おっけ~!ナビるよ。……そのまままっすぐ
『了解』
すぐさま地図から刀弥と輸送班の位置を割り出し、輸送班に通話する。
「ナビゲーターより
『
低い男の声が応答し、簡潔にやり取りが完了する。
「さてさて~」
観生はどこかうきうきしたように、ノートPCの操作を開始する。
「あーちゃん、輸送班へのピックアップ連絡完了。合流予測、二七〇秒後」
『了解。衛星による観測は?』
「木が邪魔でぜーんぜん見えない。更に残念なことに、なんとあと四二分で観測できなくなっちゃうんだなー」
『クラッキングは?』
「今は指令センターからの所轄連絡誤魔化してるからちょい待って~。多分今なら
刀弥と会話しながら、観生は自身のタスク管理を頭の中でしつつ、高優先度のものから処理を進めていく。
『輸送班と合流した』
「お、予定よりも早いねー」
相変わらず、会話しながらでも手の動きが鈍らない。
刀弥もずっと走っているはずなのに、スピーカー越しに聞こえる声に息切れどころか吐息すら混じっていない。
天音は改めて、常人の域から外れている同級生二人の能力に息を呑み、同時に自身の無力感に歯噛みする。
今更ではあるが、自分に何かできることはないのだろうか。
考えても、固唾を呑んで待つことしかできないという結論に至り、拳を握り締めるだけに終わることとなった。
大型連休中とはいえ、二二時を回った夜間の道路は空いていた。そのお陰もあり、輸送班との合流から一〇分もしない内に、山の麓にある駐車場に到着した。
この一帯には駐車場が六ケ所ある。なにせ整備エリアだけでも二〇〇ヘクタールの土地だ。運動公園エリア、登山エリア、そしてキャンプ場エリアと、複数の駐車場に分けなければ、目的地への移動だけで時間を取られてしまう。
そのうち、一番奥にあるキャンプ場エリアの駐車場には三〇台のSUVやワンボックスが駐車されている。定員の三〇組が埋まっているはずだが、駐車場の六割ほどしか車が駐車されていないのは、元々余裕を持たせたスペースを確保しているからだろう。
その駐車場の一角に滑り込むように停車した黒いワンボックスから、刀弥が跳び出す。
車内で状況の詳細は聞いている。
大きな動物に友人が食べられた。
その情報だけで、もし変異体ならば高確率で例の個体であると予想できた。そのため、携行している拳銃はH&K USPにフルメタルジャケット弾装填の、持ちうる限りの対装甲特別仕様だ。元々、携行性から使用しているグロック17から、二キロ近くあるデザートイーグルまで、大小様々な拳銃の訓練を受けている刀弥にとって、銃が変わることには大きな問題はない。照準や発砲時の反動、弾倉交換、安全装置の差など、PNDRから支給される拳銃八種であれば全て把握している。
問題は、それであの強固な体にダメージを与えられるかだが、試してみなければわからない。今回はそれを確認する意味もある。
有効ならそれで構わない。この機会に沈める。
大なり小なり、変異体への対処は
だから、天音を連れてくることなどできなかった。
彼女を『撒き餌』として割り切ることができるか。これまでは必要ならば『守る』などとは思わずに、淡々と対処してきたはずなのに、それができるのかと疑問に思ってしまう。天音が相手だからか?知り合いだからか?担任教師ならどうだ?前の席に座るクラスメートならどうだ?
色々考えるが、わからない。
もし、輸送班の運転手が襲われたら、助けようとするだろうか。処理班が変異体に跳びつかれたら、引き剥がそうとするだろうか。それともその上から迷わず銃弾を浴びせるだろうか。
刀弥には、ずっと後者の行動を求められてきた。
MMMCの―――PNDRの人間を変異体への直接戦闘に回さないのは、犠牲者を出さないためではなく、無暗に感染者を出さないためだ。研究に必要な検体は必要だが、パンデミックを誘発するような事態は避けたい。それが、刀弥たち被験者が変異体に対処している理由のひとつだ。
(俺は……)
そんなことを考えながら、刀弥はキャンプ場の敷地内に進入する。
時刻は二二時三○分。
手前にはオレンジ色の灯りを窓から漏らす、小さなログハウスが数棟。奥には大きなキャンプ用のテントが点在している。外に出ている人はいない。警戒で籠っているわけではなく、空気は弛緩している。
警察への通報は、観生が所轄への連絡をダミーへ流しているためしばらくは警官が来ることはない。被害者の関係者が通報しただけで、キャンプ場全体へと恐怖や混乱が伝播しているわけではない。
動きやすくて結構だと、刀弥は冷静に現状を分析する。
「なぁ、早く逃げようよ!」
「落ち着けって、警察呼んだし、救急車も――」
「もう大根先輩は死んだって言ってるだろ!こんなとこいたら俺らだって喰われちまうよ!」
「あんまり騒がないでよ。周りはもう寝てるかもなんだし」
「何悠長なこと…!」
更に奥へ進むと、数人の若い男女がテントの前で言い争っていた。慌てて喚き立てる男一人を、男女二人がなだめている。喚いている方の体は赤く染まり、なぜか腰に巻かれているバスタオルまで赤い。状況から、彼らが警察に連絡したのだろう。
インカム越しに、刀弥が報告する。
「現着した。キャンプ場内に混乱はなし。発報者と思われる三人組を確認。うち一名は返り血を浴びている。処理班で対処を」
『おーらい。今も向かってるよ。五分くらいで到着見込みねー』
耳に届く観生の声は、普段通りのお気楽そうな軽い返事だ。
『衛星画像見返したけど、二時方向五○メートル先にある調理場から飛び出した男がいたね。発報の二分前だから、多分ビンゴ。そっちに行けばなんかあるんじゃね?』
刀弥は視線を木々の間に佇む公衆トイレと、その先にある白色の照明に照らされた屋根付きの調理場へと向けた。
調理場の灯りやところどころに設置されているオレンジ色の街灯のお陰で真っ暗ではないが、その奥にある林の中までは見通せない。
調理場に向かって歩きながら、右手にホルスターから抜いた拳銃、左手には車内で渡された軍用マグライトを逆手に構える。
まだ、何も異常は見られない。
だが、そこで何かが起きていることに、数秒遅れて刀弥は気づく。
「了解。確認する」
鉄錆のようなにおいが、風に乗って鼻腔を刺激する。
濃密な血のにおいが、死の結界を作り上げるが如く、場の空気を重く張り詰めさせた。
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