第1話
私立孝明館高校は、進学コース、特進コース、スポーツ・カルチャーコースを持つ、全校生徒三千人を誇る学校である。都市部にあるにしては随分と広いこの高校は、グラウンドとプール、バスケットコート三面を有する体育館があり、あまりの職員の多さに第一職員室と第二職員室があるくらいである。
その広い敷地の中を、紺のブレザーに赤いネクタイを締めた朝桐刀弥は歩いている。
現在八時三○分。ホームルームまであと一〇分という時間なので、周囲には同じ格好をした生徒たちが、わらわらと昇降口へ向かい、各々の教室へと向かっていく。
そんな日常的な光景を見て、刀弥は思った。
「みかんの選別みたいだな」
「バーカ言ってんじゃねー!」
呟いたとほぼ同時、刀弥の後頭部が叩かれた。
ガクン、と首を前方に曲げた後、後頭部を押さえながら振り返る。
が、誰もいない。
「怪奇現象か」
「わざとそゆことすんなよあーちゃん」
刀弥が声のした方向、斜め下方へ視線を下げると、そこには紺のブレザーを着た小学生のような少女がいた。もちろん、小学生ではない。
そんな見た目小学生が、身長一七七センチの同級生を見上げて口を尖らせる。
「いいかー、朝からみかんの選別とかそーゆー電波発言はNGだぞ」
先の何気ない呟きに対しての叱責に、しかし刀弥は大きな反論を示さなかった。
「数千人の人間を、コースと言う名のカテゴリーで大別し、成績の悪いやつは特別進学コースに送られる。やっていることは同じだろう」
反論というより、自分の中にある考えをそのまま述べる形となった。
この孝明館高校の特進コースとは、世間一般に考えられているものとは異なっている。高校の特別進学コースといえば、有名・難関大学を目指す成績優秀な学生がいるものだが、この高校のそれはその逆である。主に進学コースで規定単位の取れない生徒たちが集められた、いわゆる落ちこぼれ集団であり、影では掃溜めやら腐ったみかんなどと呼ばれている。そんな中にいれば、劣等感と周囲の仲間意識――朱に染まれば赤くなる理屈により、ガラの悪い人間が出来上がるのも当然の流れであろう。現に、特別進学コースの中は、まるで不良高そのものである。
「そんなこと言って、特進の人に睨まれても助けてあげないぞー?」
「人間相手に助けは必要ない」
ふざけた調子で言った観生は、刀弥の切り返しにうんざりしたような顔を作り、
「あんまお仕事に繋がるかんじの話すんなよー」
無表情に自分を見下ろしている刀弥を睨んだ。
「人に知られちゃマズイだろよー」
観生は大げさにぶんぶんと首を振って周囲を見回すが、周りを歩く生徒たちは関心を示した様子はなく、「騒がしいやつらがいる」程度の認識しかしていないようだった。
ほっと息をつく観生。そして隣にいる超長身(観生主観)の男に声をかけようとするが、
「いいかいあーちゃん――――っていねぇ!エスケープ?ランナウェイ!?」
当の刀弥はというと、すでに視界の端、階段へと右足を踏み出すところだった。
刀弥が自分の席に着いたとき、すでにクラスメイトたちはほとんど揃っていた。
男子一八人、女子一三人の三年七組。まだ四月も半ばだというのに、クラス替えを行ったばかりの生徒たちは和気藹々と朝の会話を楽しんでいる。
と、その喧騒に紛れるように鳴り始めたホームルームを知らせるチャイムが、急速にその喧騒を沈静化させた。これはもう学生の条件反射と呼んでもいい現象である。
そして、トドメを刺すように教室の前の引き戸が開き、担任教師の
小鹿野は三〇歳前半の、典型的なスポーツマンだ。肌は少し焼けているし、体つきが「いつも鍛えています」と言外に語っている。しかし、着ているのは典型的なジャージではなく、黒いスーツだった。ちなみに、担当しているのは体育ではなく数学Ⅲである。
朝の挨拶を経て、開口一番、小鹿野はやや硬い表情で話を始めた。
「知っている人もいるだろうが、昨夜も野犬騒ぎがあった。毎度毎度言っているが、人気のない場所や夜遅くでの外出は、特別な用事がない限りしないように。特に、部活に参加していて帰りが遅くなる場合は独りで帰らず、複数で帰るように」
教室内が、僅かにざわめいた。ひそひそ話がそこら中で行われている。
今月に入り、都内だけで八件、全国で三一件の『野犬に襲われたとされる事故』が起こっている。そのうち死者二八名、生存者もショックでまともに口がきけない状態との報道だった。範囲が全国に広がっていることから、ペットブームの時に捨てられた飼い犬が野生化して繁殖していると、ワイドショーでも日々取り上げられている。
「おーい静かにしろ。連絡事項だ。部活の新入生勧誘についてだがな―――」
囁き合っている生徒たちを静めた後、担任の小鹿野は連絡事項を数点伝え、教室を去っていった。
昼休みになると、机を寄せたり椅子を並べたりと、いくつかのグループになって昼食を摂る光景が繰り広げられた。孝明館高校には学食がないため、弁当を持ってきたりコンビニで買ってきたりするのが一般的である。
例に漏れず、刀弥もバッグから昼食を取り出した。コンビニの袋ではなく、小さな保温バッグである。そこから取り出したのは、透明な蓋がされた白い容器―――つまりお弁当である。玉子焼きにウィンナー、生姜焼き、青菜のお浸しなど、周囲の弁当組のそれと比較しても遜色ない出来栄えだった。いつも無愛想に黙々と、必要最低限のことしか話さない、思考パターンの読めないやつだと周りから思われている刀弥なので、まさに意外なキャラクターであろう。
しかし、それを話題にしている者は誰もいない。
そもそも、刀弥の周りには誰もいない。独りで自分の席に座り、弁当箱を開き、黙々と食べ始めている。
はっきり言うと、友達がいない。その事実が、現象として如実に現れるのが昼休みという時間であった。
「おー、タコちゃんウィンナーじゃーん」
その孤独な昼食に、無駄にテンションの高い声が飛び込んだ。
最前列の席からやって来た相城観生である。
彼女は切れ目の入ったウィンナーをひょいと摘み上げて自分の口に放ると、持ってきたコンビニの袋を机の上に置いた。中からビニール包装されたオニギリを取り出すと、小柄な体に見合った小さな口でかぶりついた。
「うんうん、やっぱしシーマヨってキングオブオニギリだよね~」
オニギリにご満悦な観生は、さらに一言、
「ケーニッヒフォン―――オニギリッ!!」
両手をバッ、と挙げて叫んだ。
そこで、刀弥は箸を止めた。
チラリと横に座る観生を見ながら呟く。
「King of rice ball. Kenich von Kochk」
言い終えると、すぐに箸を動かした。
「んにゃ?」
観生は呟きに反応し、オニギリを咥えたまま刀弥を見上げた。
刀弥はそれに気づき、再び箸を止め、
「中途半端なボキャブラリーは恥をかくだけだ」
一言告げて、昼食を再開した。
「手厳しいなー、あーちゃんは―――ん?」
観生が何かに気づき、スカートのポケットに手を差し込む。
取り出したのは携帯電話だ。
しばしその画面を眺めていた観生は、いくつかの操作を済ませると、いつの間にか弁当を食べ終わっていた刀弥へ、ただ一言、
「あーちゃん、昨日の今日で悪いんだけどさー」
溜息混じりに、落胆した様子で告げた。
「詳細は?」
刀弥は特に表情を変えることなく、弁当箱を保温バッグに戻し、続いて通学バッグに押し込んだ。
「送迎車ん中で」
二人は言葉少なく言い終えると、それぞれの鞄を掴み、教室の外へと出て行った。
現在一二時五〇分。二人のことを気にしている者は、ほとんどいない。
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