第5話

 六時間目が終了し、ホームルームを終えると、刀弥はすぐに鞄を手にとって教室を出て行った。遅れて、その後ろに観生が駆け寄る。

「先に帰るなんてひどいぞー」

「どうせ家は別々だ」

 唇を尖らせる少女と、前を向いたままの少年とのやり取りは、いつもと変わらない。ただひたすらにテンションの高い観生と無感情に語る刀弥の会話は、仲が良さそうにも、ただ素っ気無いだけにも見える。

「そんなこと言って、今日はラボに行くんでしょ?」

「そのつもりだ」

「傷のこともあるもんねー」

「それに、どちらにしろ向かわなければならないようだしな」

 階段を下り、昇降口を抜けた先、校門の前に、黒塗りのワンボックスが待機していた。

 二人はそちらへまっすぐに向かっていき、校門に差し掛かろうかというタイミングで、車の運転席からスーツにサングラスといういかにもな男が現れた。

「ドクターカルーアからの招集だ」

 男はそれだけ告げて車内に戻った。

 刀弥と観生は後部座席へと乗り込み、スライドドアが閉まるのと同時に車は発進した。


 三○分後、車はとあるビルの地下駐車場へと入っていった。

 オフィス街真っ只中にあるそのビルは、完全に景色に溶け込み、ただの高層ビル群のひとつとしか見えない。

 車から降りてエレベータに乗り込み、地下三階へと向かう。その間、会話は一切ない。スーツ姿の男はここにはおらず、今は刀弥と観生だけだ。無表情とニコニコ顔の二つの仮面をつけたように錯覚するほど、二人の光景は異様に見えた。

 地下三階に着くと、コンクリートが剥き出しの、一辺五○メートル以上はあるんじゃないかという、広すぎる空間が広がっていた。

 その広さを無視し、二人はエレベータを降りてすぐ右に体を向け、まっすぐに歩き出す。壁に当たると、その壁に右手を押し付けた。

 何の音もなく、壁がスライドし、その奥に隠された光沢を放つ金属製の扉が現れた。すぐに金属の扉も開き、その奥にはガラス張りの扉と通路が現れた。

 ガラスの向こうに、妙齢の女性が立っていた。

 長い髪を後頭部で乱暴に纏めた、ノンフレームの眼鏡と右の泣き黒子が特徴的な、白衣を着た女性だった。もう一つ特徴的なのが、髪の色である。「赤毛」ではなく、「赤」なのだ。かなり不自然な赤は、しかし髪質がおかしく見えるわけでもなく、不自然で自然な赤などという説明し辛い感想を抱かせる。

 ガラスの扉が開くと、女性はニヤリと笑って大仰に両腕を広げ、

「やあ、お疲れさん。いいサンプルをありがとう」

 妙に高いテンションで刀弥たち二人を出迎えた。

「君たち自体も、直接会うのは久しぶりだねぇ。A一○八、S三五」

 そう呼ばれた二人は、特に反応を見せるでもなく、女性に歩み寄った。

「ドクターカルーア、メディカルチェックを依頼したい」

「わたしはわんちゃん見たいー」

 無愛想男と破顔女に言われ、「はいはい」と、母親のように返事をするドクターカルーア。

「一○八はいつもの場所ね。三五は第三ラボ行ってきな」

 言われ、二人はそれぞれカルーアの告げた場所へと移動した。


 MMMC――メディカルマシーン&メディスンコーポレーションは日本屈指の医療機器及び製薬メーカーである。

 昭和四八年に資本金一千万円で起業されてから業績を伸ばし、二〇一五年現在、年商五千億円を超え、世界にも進出している。

 その本社ビル内の地下ブロックは、通常の社員は入れない。

 PNDR――通称パンドラと呼ばれるその区画は、公式には存在しない。

「異常はなし。傷口からの感染や変異も一切なし」

 ドクターカルーアがどこか残念がっているように見える表情で、刀弥に告げた。

「あの『犬』は?」

「感染変異レベルCプラス。素体はドーベルマンだね。四キロ離れた豪邸の犬が逃げたって情報があったから、多分そいつだろう。変異前予測塩基配列と、提供された犬のそれが一致したしね」

 二人がいるのは八畳ほどの部屋で、パソコンが置かれたスチールデスク、薬品やらが置かれたスチールラック、それに今刀弥が腰掛けている簡易ベッドしかない。

 ドクターカルーアはといえば、パソコンに向かいながら、高速スクロールしているデータをぼんやりと眺めていた。

「変異はあれで最終だったみたいだねぇ……。レベルBへの変異兆候がない。RNA崩壊酵素の分泌も見られるし、ほっといてもあと三日ももたなかったはずだよ」

 普通の人間なら文字すら認識することが難しい状況で、膨大なデータを読み取るドクターカルーア。彼女は普通の人間のはずだが、思考経路と処理能力は観生のそれに近い。

 ピーピーピー、と別のパソコンが鳴った。薄いノートパソコンだ。

「おや、今日は大繁盛みたいだね」

 ドクターカルーアは刀弥に目配せし、刀弥はすぐに駆け出し、退室した。

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