第28話 これも狂気の片鱗(2)

 あ、助かった。彼を見て、まずそう思う。

 もしかしたら、トウリ先輩は私にとって危険かもしれない。けどアンリの登場で、少なくとも今ここでが起きる確率はほぼゼロになったはずだ。


「いや、喧嘩なんてしてない。ちょっとレベッカのことで話をしていただけだ」

「へえ……」


 アンリが、一瞬不機嫌そうになる。すぐに笑顔に戻ったけど。

 あれ? やっぱり、なんかあんまり助かったと言えない気がしてきた。背中がぞわぞわしてる。


「ねえ、トウリ。僕はリサを探してたんだけど、ふたりはここで約束でもしてた?」

「いや、そうじゃない! 悪い……お前が探してることを伝える前に、少し話してただけだ。すぐ退散するよ」


 焦った様子のトウリ先輩が「じゃ、じゃあ」と適当な挨拶だけして、アンリと入れ替わるように階段を降りて行こうとする。

 だけどそれを一瞬アンリが止め、何かを耳元で囁く。


「……?」


 何を言ったのかはわからないけど、トウリ先輩は眉間に皺を寄せつつ、諦めたように頷いてから降りていった。


「リサ、ここ来ていたんだね。先に寮の方に戻ったのかと思ったから、そっちを探してた。それでもいないから、また誰かに閉じ込められていたらと肝を冷やしたよ」

「ごめんなさい、心配させて。急にここで歌いたくなってしまって……はは」

「そうかもしれないと思ってここに来た。そうしたら君とトウリが興味深い話をしているのが聞こえてね」


 興味深い話って……あ! どこから聞いてた?

 レベッカ先輩のアドバイスを断ったことを後悔してるってところ? 

 まさかその前の、アンリと距離を置くべきだってアドバイスどうこうのところから全部じゃないよね?


 と素直には尋ねられず、代わりに私はまたも階段との距離を測った……。

 下手に聞いてしまったら、藪蛇になりそうな気がしたのだ。


「レベッカと何かあったの?」

「い、いいえ? 何もありませんでしたが」

「ふふ、口調がおかしくなってるよ」


 トウリ先輩は割と冷静に対処できたけど、アンリには無理だ。自分の中の気持ちを認めたばかりで、彼と向き合う準備がまだできてない。

 ここは穏便に、寮に戻る流れに持っていかないと――。


「ねえ、レベッカには僕の傍にいるとよくないって言われたんじゃないの?」

「……!」

「ここに来る前に彼女に言われたんだよね。君のために距離を置くべきだと。そして君もそれは理解していると。本当?」

「そ、それは……」


 口ごもると、アンリは綺麗な顔を悲し気に伏せる。


「君がどう考えているのか知りたかったけど……その様子じゃ、僕相手には直接答えづらいのかな。さっき、レベッカのアドバイスを受けなかったことを後悔していると叫んでいたものね」

「あれは! いろいろと事情が」


 悲しそうな彼の態度に妙な罪悪感を覚えそうになる……けど……。でも私は、彼の口角がほんの少し上がっていることに気付いてしまった。

 そう、それは色々と諦めてしまったような自嘲的な笑み。これまでに何度も見たことがあるもの。

 もう一度背中がぞわっとした。


「え、ええと、ごめん私、ちょっと急用を思い出した!」


 だめだ、このままここにいても、いい展開に持っていける気がしない! 一旦、退却! 撤退して仕切り直したい! せめてもっと人気のある場所で!!


「あっ、リサ」


 私は不意を突く形で彼の横をすり抜け、階段を駆け下りた。

 しかし――。


「え……?」


 外に出ようとしたけど鐘塔の扉は開かなかった。鍵がかかっている。


「どうして……」


 さっきトウリ先輩が出ていったはずだから、扉は開いているはずだよね?


「リサ」


 背後から私を呼ぶ声と、ゆっくりと階段を降りてくる足音がする。


「と……扉に鍵がかかっているの。どうしてかしら。誰も閉めてないはずよね?」

「いや、トウリが閉めたんだ。さっきそうするようにと鍵を渡したから」


 トウリ先輩に何か囁いていたのはそれ!?


「な、なんで」

「君とゆっくり話がしたかったから」


 彼はとても浮かない顔をしていた。


「逃げられたら困るからね。君は、僕から離れるべきと考えているようだから」


 ち、違う! 完全に盛大な誤解が生じてる!

 でも固まってしまった私は、近づいてくるアンリを見つめるしかできない。無意識に後ろに下がるが、すぐに背中が扉にぶつかる。

 目の前にはアンリが立っていて、もう逃げ場がない。


「閉じ込めたら君は怖がるだろうって予想はできたんだけどね。わかってて頼んだ。ごめんね」

「えーと、その……」

「君を怖がらせないよう頑張ろうとは思ったんだよ。でも学園に行くのを一日許しただけで、君はどこかへ去りそうになる。それは僕が耐えられない」

「あの……」

「神様に特別な相手はいるべきでない。そう望まれているのは知ってる。これまでそんな相手は作ったことがないし、僕も自分が誰かに心を動かされるなんて思ってなかった」


 彼は私の胸元にある、彼とお揃いのネクタイを確かめるようにゆっくりと撫でる。


「でも君は特別になってしまった。君が離れるべきと判断していようが、きっと僕は手放せないだろう……ごめんね」

「あ……」

「君以外は何もいらないんだ。だから逃がさない。先に言っておく、ごめ――」

「謝らないで! まだ!」


 私が何も言わないうちから!


「勝手に答えを出さないで! だいたい謝ったって、あなたはそこまで悪いと思ってない……!」

「……っ!」


 彼が動揺したのを感じた。それを利用するように、私は思いきりアンリを突き飛ばすと、さっき降りてきたばかりの階段を駆け上る。

 いやだって、この狭い塔の中で、逃げる先はそこしかないんだもの!

 先は行き止まりだけど、あとにも引けず私は上り続けた。いつも使っている物置部屋みたいなところについても、さらに上る。鐘の設置された一番上まで――!


「……わっ!?」


 さすがに一気に駆け上がりすぎて、息切れするし足は疲れてもつれる。私は階段の最後の段を上がり切れずに足をひっかけてしまった。

 だめ、倒れる――っ!


「リサっ!」


 顔から床に倒れそう!

 そう覚悟したけど、お腹の辺りを抱えられるような感じがして、次の瞬間にはぐるりと視界が変わっていた。


「え……?」


 倒れた瞬間は何が起こったかわからなかった。けど、遅れて、自分が誰かの――アンリの腕の中に抱えられるようにして床に倒れ込んでいることに気付く。

 ちょっと呆けてから、私はがばりと半身を起こした。


「アンリ、大丈夫!?」


 私を抱きかかえて庇うような態勢で床に転がったはずだ。彼は仰向けに寝転がったまま「いたた……」と小さく声を漏らした。


「け、怪我したの!?」

「いや、ちょっと背中を打っただけ……」

「頭は打ってない!?」


 仰向けの彼の頭の横に両手をつき、上からのぞき込むように様子を確かめる。

 じっと観察するけど、見た目ではおかしな感じはない。彼は私を見上げると眩しそうに目を細めてから、そのあと目を見開いた。


「アンリ? 本当に大丈夫?」

「ああ……」


 頷く彼はちょっと呆けてる感じがして、心配になる。


「君が、神様のように見えて……綺麗だなと」


 ……………………。


「アンリ、本当に、本っ当に大丈夫?」


 念入りに確認したのは、当然のことだったと思う。

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