第27話 これも狂気の片鱗(1)

 久しぶりの鐘塔は、前に来たときから何も変わっていなかった。

 アンリは好きなときに鍵を使っていいよって、特別寮室の応接間に置いていてくれていた。でも今日は寮には戻らずここに来たから、手元に鍵はない。なので鍵はヘアピンで開けて入る。


「ああもう! アンリが特別な人なのは知ってるわよ! 傍にいたらまずいことだって知ってるんだからーー! あーーーー! アアーーーー!」


 うん、やっぱり大声出すとちょっとすっきりする!

 心のもやもやが全部晴れるわけじゃないけど、ちょっとだけ軽くなる気がする。


「危険性を一番理解してるのは、私なの! これまでどれだけ危険な目に合ってきたと思ってるのーーー!」


 言ってから、でもちょっと説得力がないと自分で気付く。


「はあ……そうね、でもわかっていて離れなかったのが私よ」


 私は誰かと関係を深めてしまえば、危険な目に合う運命持ち。誰にも深入りせず、定期的に居場所を変えて対策するのが最善で第一。

 その主義は変わってないはずなのだ。

 だけど、期間限定だからと言い訳してアンリは例外にしてた。

 これまでの経験を活かして、彼の傍にいることで起こるトラブルを回避すればいい、とか。とりあえず様子見しながら貴族寮で過ごしてもいいか、とか。そんな風に思いながら。


 でもその期間限定の終わりが現実的になり、ようやく私は自分の中の矛盾した気持ちと向き合わなきゃいけなくなった。

 演奏旅行に出発すれば、アンリとは離れることになるだろう。パトロンとしては繋がっているかもしれないけど、傍にいる理由はなくなる。

 注目される彼の隣にいるのは危険。だから離れるのはいいことだ。

 でも本当は……離れたくない。

 私、自分で思っていたよりずっとアンリの傍にいたいって思うようになってた。それでさっき、レベッカ先輩にあんなことを叫んでしまった。


「はあああ……」


 大きなため息をついても、何もすっきりしない。もっと声を出したくて、私は歌う。


 苦しみも痛みも

 私の中に溶けて いつか消える

 あなたの抱える秘密

 そこにあるもの 誰も見えない

 形だけを 私が覚えているだろう――


 哀しいような、優しいような、切ないような……そんな歌。初めてアンリとここで出会ったときに歌っていたもの。

 あのときは、こうして歌い終わったところでアンリに声をかけられたんだっけ――。


「こんなに歌が上手かったんだね」

「……!?」


 びっくりした!

 思い出に浸りかけていたら、同じように現実でも声が聞こえてきた。


「えっ? トウリ先輩? どうしてここに」

「ああ、練習の邪魔をしてごめん。アンリが君を探していたから、ここかなと思ったんだ。少し前までここで二人が会ってたことは知っていたし」

「はあ……」


 生徒会の人達だけは知っていておかしくないけど……。でも、ここでアンリ以外の人と二人きりになるのは、落ち着かない気持ちになった。


「アンリがヴァイオリンを演奏していることは聞いてたけど、君が歌うとは、アンリは教えてくれなかったな。さっきの曲、ちゃんと聞いてみたいんだけど、もう一度歌ってもらってもいい?」

「えっと……」


 にこにこしてるけど、何とも言えない圧のようなものを感じる。いつもと違うトウリ先輩の雰囲気に、私は先ほどの歌をもう一度最初から歌い始めた。


 苦しみも痛みも

 どこか知らぬ場所に 消えればいい

 私の抱える秘密

 ここにあるもの 誰も見えない

 私もいつか 忘れてしまえばいい――


「…………」


 途中で歌うのを止め、私はトウリ先輩を見た。


「どうしたの?」

「すみません、ちょっと今日は調子が悪いみたいです。なのでここまでで」


 彼の値踏みするような視線が落ち着かなくて、これ以上は歌う気持ちになれない……。


「残念だな。それにしても今の歌詞は、さっき歌っていたものと違うの? 哀しい感じだね」

「今のは1番なんです。トウリ先輩は後半の、2番のところだけ聞いたんですよ。今のところは作曲した方がもともと作っていた歌詞で、2番は私が作って付け足したものです」

「そうだったのか」

「あの……こういう話をしに来たわけではないですよね?」


 歌い終わって体を緩めるふりをして、私は自分と階段の距離をちらりと確認する。

 考えすぎかもしれないけど、なんだか……嫌な感じがするんだよね。


「んー、まあね。俺がしたいのは、アンリは君をとても特別に思っていて、それはもう変えられそうにないんだなって話かな」


 トウリ先輩の口調は軽い。でも一方で、少し神経質な感じで視線を周囲に彷徨わせた。


「アンリにこんなにお気に入りの相手ができるなんて、すごく驚いてるんだよね」

「レベッカ先輩にも同じことを言われました」

「レベッカにはもう言われちゃったかあ。じゃあアンリと距離を置くようにってアドバイスもされたんじゃない?」


 トウリ先輩はなかなか直球だ。彼には、これまでこんな風に絡まれたことはなかった。どちらかというと、当たり障りない無難な会話しかしたことない。


「まあ、そういったことは言われましたけど……」

「あ、その反応だと断ったんだね?」

「…………」

「それだけ君もアンリに魅せられたってことかな。仕方のないことだけど、ちょっと残念でもあるなあ」

「残念、ですか?」

「うん。俺の個人的な事情なんだけどね。正攻法じゃ打つ手なさそうかなあと思って」


 ん……!

 私のこれまでの経験に基づく何かが警戒しろと言っている! うん。伊達に修羅場を何度もくぐってきたわけじゃないんですよね。


「レベッカのことは誤解しないでやってほしいんだ。彼女のアドバイスは、君のためを思ってのものだと思う。ずっと昔からレベッカはアンリを見てきたからね。わかることも多い」


 トウリ先輩が自然な感じで近づいてくる。自然とそれに合わせて私も後ずさるけど、このままだと背後は窓……。


「昔から見てきたのはトウリ先輩もですよね。前から家同士で交流があったって聞いてます。アンリ……様とトウリ先輩にレベッカ先輩は、学園に入る前から友人同士だと」


 もし私の直感が正しかったとして……なの?


「そうだね、俺も二人とは昔から交流があったから、二人のことをずっと見てきてる。だからわかるんだ。俺じゃだめだってね。俺は神様に勝負を挑むより、憧れる者に気を遣うほうが向いているんだ」


 そうか、彼はレベッカ先輩に……!


「だからこそ、俺は彼女のためにも君をアンリから――」

「トウリ先輩!」


 相手の言葉を遮るように私は叫んだ。


「人の想いってなかなか思い通りにはいきませんよね! 私も自分のことで色々と悩んでいるところでした!」

「へ? へえ、そうなんだ……?」

「それでですね、先ほどはレベッカ先輩のアドバイスにも上手く答えられなくて気にしてたんです! だからトウリ先輩からレベッカ先輩に話をしてくれませんか? 私が変な答え方しちゃって悩んでたって!」

「つまり君は、レベッカのアドバイスを受け入れなかったのを間違いだったと思ってるってこと?」

「少なくとも、もっとちゃんと話を聞いて検討すべきでした! だから後日また、話を聞きたいと思って! でも私からうまく話題を振れそうにないんです。でもトウリ先輩なら仲介できますよね!? 一番レベッカ先輩に近いのはトウリ先輩ですから!」

「まあそうかもしれないけど――」

「では今すぐ! 私とレベッカ先輩の架け橋をよろしくお願いします!」

「架け橋って……ええと、今すぐ?」

「はい。今すぐできるのはトウリ先輩しかいませんので!」


 鍛えた喉で発した声は、トウリ先輩の勢いを削いでくれたみたい。彼は明らかに引いた顔になっていた。

 ……大声で威嚇され続けて、気持ちが萎えたともいうかも。

 ともかく、今なら何かあっても彼の横をすり抜けて階段まで行けそう!


「そこまで言うならレベッカには話をしてみてもいいけど……。本当に君は――」

「二人して喧嘩でもしてるの?」


 不意に割り込んできた声に、私もトウリ先輩もびくりとした。


「リサがやけに声を張っていたようだけど」


 階段から姿を現したのはアンリだ……。

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