第26話 思っていたより、私も彼のことが……


「あの子がリサ・ヒース……」

「アンリ様のお気に入りでは飽き足らず……ミリア・シャロームに嫌がらせしているっていう」


 午後の授業で教室を移動していたら、そんなささやきが聞こえてきた。

 明らかに気になった顔をしたらしい。一緒にいたクリスティーヌ達がしまったという感じで顔を見合わせた。


「ねえ、今のって……」

「今朝言いかけてやめたことがあったでしょう。さっきの噂のことですの」

「リサが、ミリア・シャロームを陰でいじめているって噂してる人がいるんだ。アンリ様を独占するために」

「独占……嘘でしょ」


 この私が? 独占するために他人に害を与える?

 うん、一周回って面白い気がしてきた。


「言っておくけど、私、ミリアのことをいじめたりなんかしていないわ」

「わかっていますわよ!」

「噂っていっても、まだ本当に一部だけみたいなの。すぐに落ち着くといいんだけど……」


 シーラが気遣わし気にさっき話をしていた生徒達をちらりと振り向いた。


「リサがもう少し元気になってから教えるつもりだったんだけど……」

「一部だけと侮っていましたわ。本人の前で言うなんて」

「否定しに行く? 付き合うよ」


 ケイが握りこぶししてみせてくれるけど、私は首を振る。


「い、行かない。ミリアのことは完全に誤解だし!」


 キャサリンをいじめたって噂が流れたときは、キャサリン自身が言いふらしていたから厄介だった。

 でもミリアとの仲は悪くないし、誤解されるような行動をとった覚えもない。たぶん、本当に一部が勝手な想像で言っているのだろう。


「明後日のダンスパーティーでは協力して裏方の手伝いもするし、その様子を見ればこれ以上おかしなことは言われないと思う」

「そっか。それにしてもダンスパーティー、楽しみだよね」

「乾杯用のジュースはリサとミリアさんが用意してくれたんでしょう? 楽しみにしておくね」

「私、パーティー用にドレスを新調しましたわ」


 いい感じに話は逸れ、ミリアについての私の噂の話は終わった――と思ったのも束の間、放課後またその話をすることになった。


「ミリアをいじめているって噂が流れているみたいね」


 貴族棟に向かう途中の渡り廊下で、おそらく私を待っていたレベッカ先輩に言われたのだ。


「はい。根拠のないものですけれど」

「だけど、それを利用してあなたをもっと批判しようとする生徒が出てくるかもしれない。そういうこと、想像できている?」

「ああ、それはあり得ますよね。一応、明後日のダンスパーティーで変なイメージはいくらか払拭できると考えていますが……」


 思いっきり同意して見解を述べたら、レベッカ先輩は「わかっているならいいのよ」とやや驚いたように頷いてくれた。

 そして空気を変えるように「こほん」と咳払いする。


「あなた、特別寮室に寝泊まりしているのよね。アンリが自分から手配したと聞いたけど本当? あなたから頼んだわけではないの?」

「もともとはお医者様に勧められて……でも最後に決めたのは私です」


 先輩は大きなため息をついた。


「私が前に言ったこと、覚えているかしら」

「アンリ……様には、安易に近づかないようにって言われたことですよね」

「そう。ある程度は不可抗力だと思うけれど、ここまできたら、もう簡単には引き返せない。あなたちゃんと、その覚悟は持っている?」

「それはどういう……」

「『祝福』」


 強く言い聞かせるかのように、レベッカ先輩はその単語だけをゆっくりと発音した。


「知っているでしょう、あの特殊なやりとりを。いくら人を惹きつける力があるといっても、あそこまでの魅力がある者はそういない。そんな相手に気に入られるのは、ただ少し人気な相手と付き合うのとはわけが違うの」

「それは……わかっています」

「あなたを倉庫に閉じ込めた生徒は自主退学になったわ」

「えっ」

「やっぱり、アンリは言っていないのね」

「アンリが何かしたんでしょうか!?」


 クリスティーヌ先輩が小さく目を見開いた。しまった。つい、呼び捨てにしてしまった。

 でも今の問題はそこではないからか、そのまま話を続けられる。


「したといえばしたし、してないといえばしていない。ただ、生徒会長として直接厳重注意をしただけよ。一言、二言で済むくらいの。裏で手を回したわけでも、執拗に責任を取れと迫ったわけでもない。でもそれで十分なの。この学園でアンリに睨まれた以上、去るのが得策だと判断したんでしょう。変に噂になってしまったら、実家にも影響が出るから」


 そんなことがあってたなんて、知らなかった……。


「エドモンドとキャサリンのことにしたって同じよ。処罰は学園に任せるといったけど、一度アンリが彼らに不快感をはっきりと示した以上、どうやっても彼らに学園どころか社交界の居場所は作れないでしょうね」

「…………」

「自分がどれだけ特別な存在の相手をしているかわかった?」


 ……知っている、そんなこと。

 でもなんと答えるべきかわからず、私はレベッカ先輩をまっすぐ見つめ返せない。

 注目を浴びる人間と一緒にいる危険性はよくよくわかっている。普段から、他の人より警戒心を持って生活してるもの。

 そして、そう遠くないうちにどうせ演奏旅行に出発するから、彼とは離れる。だからそれまでなら一緒にいても短期間だしいいかなって思ってるだけだ。

 キャサリンが温室の毒入りケーキの犯人じゃない場合、真犯人を見つけるまではいたいから、多少長引くかもしれないけど……。


「アンリがこんなに誰かを気に入るのは見たことがない。誰にでも優しいけれど、同時に誰に対しても冷たいのが彼だったの」

「私のイメージもそんな感じでした」

「そう分析できるくらいには冷静なのね」


 レベッカ先輩の口調が少し柔らかくなった。


「彼と穏便に距離を置きたくなったなら、すぐに相談してね。私や……他にもトウリなら力になれる。あなたにもあなたの家にも影響が出ないようにするわ」

「そんなことができるんですか?」

「これでも、アンリとは昔から家同士で付き合いがあるくらいだしね。不可能じゃない。そうだわ、今なら夏季休暇に入るタイミングを使えるわ。今からでも、彼とどう距離を置いていくかの話し合いを――」

「え、嫌です!」


 遮るように叫ぶ。レベッカ先輩が眉間に皺を寄せたけど、気にしてはいられなかった。


「私……アンリと疎遠になるつもりはありません」

「あなた――」

「失礼します!」


 私は逃げるようにその場から走り去った。

 貴族棟ではなく、誰もいない森へ。あの鐘塔へ。一人きりで考えたくて。

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