第8話 面白いって……褒め言葉ですか?
ウィゼンズ学園には、特別エリアと呼ばれる場所がある。
生徒会室や自治委員室、専用の図書室や談話室等がある建物――通称「貴族棟」と、これまた「貴族寮」と呼ばれる特別な寮があり、隣接する一部の庭園も指定されている。
……あ、それから裏手にある森もだ。
鐘塔のあるところも特別エリアなんだって、昨日教えてもらいました。
使用できるのは生徒会、寮の自治委員や風紀委員、特定の分野に特化した特待生、といったいわゆる特別なネクタイを与えられた生徒と、彼らに招かれた者のみ。寮に関しては、基本は貴族のみだったかな?
創立されて間もないころに王族が入学したことがあって、警備がしやすい、人の出入りの制限された区画を作ったのが始まりらしい。といっても囲いなんかで区切ってあるわけではなく、あの建物と庭園のあのあたりまでは一般の生徒は使用できないよ、みたいな感じ。
学園に入学する貴族の子女は最初から何かしらの肩書をつけて色の違うネクタイを与えられて使用できるから、貴族エリア、なんて呼び方もされる。
「ここが温室……」
初めてやってきたガラス張りの建物を私は眺めた。
アンリ様との昼食をすっぽかした日の放課後、私は特別エリアの庭園にある温室の前にやってきていた。
そう大きくはないけれど、うまい具合に植物が配置されてあって、中の様子はあまり見えない。
ここは実質アンリ様専用の場所だ。
一人になるのが好きだというアンリ様は、自習時間や放課後、この温室で勉強や読書などをすることが多いという。
そしてここは、一般の生徒もこっそりと訪れることが目こぼしされている。
アンリ様を慕う生徒達のために自然とできたの特別ルールのようなものらしい。彼を敬う気持ちを持った生徒達が、人知れずその想いを彼に告げることができるようにということだ。
大きな扉をそっと押してみる。思ったよりすんなりと開いた。
周囲が静かなので、私も音をできるだけ立てないように中へと進む。
私はポケットの中に入っているネクタイをもう一度確かめた。
アンリ様に会ったら昼間のことを謝って、それからネクタイを返そう。どう考えてもあんな人のウィンクルムになるなんて無理だもの。
温室の中は思ったよりも細かく通路が作られていて、中には大きな木も植えてあったりと視界はひらけていない。とりあえず進むと、二股に分かれた道の片方の先で人の声が聞こえてきた。
「アンリ様、お慕いしております……! この気持ちをお伝えすることだけ、どうかお許しくださいませ」
咄嗟に私は樹木に隠れるようにしてかがんで様子を窺う。
そこは休憩用の広いスペースのようだ。丸テーブルと椅子、そして二人の人影があった。
一人はアンリ様。立っているだけで様になっている彼の前には、低く体を落として頭を垂れた女子生徒。
「ああ、いいよ」
了承するアンリ様の言葉には何の感情も乗っていない。
「ありがとうございます……!」
女生徒の嬉しそうな声とは対照的だ。
アンリ様は無表情のまま、ただ視線だけを一瞬落とし、その後はどこでもない場所を見る。その様子はとても……なんていうか目の前の相手に冷たく無関心に見えた。
だけど下を向いた女子生徒は気付いていない。彼女はさらに頭を低くして――。
「……っ!?」
一瞬、見てるこっちが声を上げそうだった。
嘘! 靴に口づけた……!?
そういう敬愛の示し方が存在するというのは知っているけど。実際に見たことなんてない。おとぎ話とか神話の中であったかも、くらいの行為だ。
でもアンリ様も女子生徒も全然動揺していない。驚いているのは見ている私だけ。
「アンリ様。祝福をいただけますか……」
顔をあげた女子生徒が弱々しく求める。
アンリ様はすぐ近くのテーブルから小さなお皿を取ると、受け取れというように差し出した。
そうか、これ……『祝福の授与』だ!
神話の中に、神が、その足に口づけて敬愛を示し祈りを捧げた人間に自分の食事を分け与えて祝福としたってシーンがある。
食べ物は本当は神様の体だとか力の一部を現した比喩なんだ、とかいろいろ言われて、よく絵画なんかのテーマにも使われるやつだ。
学園の玄関ホールに飾ってある絵の中にあった。まさに、あんな風に表情の読めない少し冷たい顔の神様が、足元にうずくまって縋った人間に食事中だった自分の皿の一つを差し出してる作品が……!
さっきまで相当引いていた私も、息をつめて見つめてしまった。
光の差し込む温室。うずくまって見上げる女生徒に、人形のように整った顔のアンリ様が無表情で小さなケーキの乗った皿を足元に差し出しているところは、なんだか現実味がなくて絵画のようだった。
「ありがとうございます……!」
女子生徒の感極まったような言葉で我に返る。
彼女はアンリ様から皿を受け取ると、大事そうに手にしたまま走るように温室を出て行った。
隠れていた私のことには気付かなかったみたい。
「――まだ誰かいるの?」
だけど、アンリ様には気配を気付かれたらしい。
私は立ち上がって彼のいるほうへと進んでいった。
「あの……」
「リサ! 来てくれたんだね」
アンリ様は優しく笑ってこちらに近寄ってくる。
さっきまで見ていた光景との空気の落差に、ちょっと混乱しそう。
「嬉しいな。いつ来てくれるんだろうって待ってたんだ」
「お昼はすみません、あれはちょっと用事があって、ええと」
「そう怖がらないで。君を責めて困らせたいわけじゃないよ。せっかく来てくれたんだから、まずは一緒にお茶でもしよう」
そう言ってアンリ様は自然な動作で私をテーブルへとエスコートしようとする。
ちょっとだけ有無を言わさぬ強さを感じつつ、私は流されるまま椅子についた。
「座っていて。甘い物は平気? 紅茶でいいかな」
「ええっ!? 準備なら自分でします!」
「来てくれたのは君なんだから、僕がもてなすよ」
テーブルの横にはワゴンが置かれていて、そこに透明のカバーで覆われたケーキの乗った大皿や、キルト地の覆いが被されたおそらく紅茶ポット、それに取り皿や予備のカップも複数用意してあった。
「私、お邪魔してよかったんですか?」
「どうしてだい?」
「だって、そのケーキとかカップの数……。他にここに来られる予定の方がいるのでは?」
「ああ、これはいつものことだよ。君もさっき見ていただろう?」
「あ……祝福の……」
「ああ、そうだね。生徒の間では『祝福』って言われているんだっけ」
アンリ様の声が、さっき女生徒に向けていたときのような、どこか少し冷たい響きに一瞬戻った気がする。
「その『祝福』を見越した量だよ。ケーキも紅茶も。気をきかせた使用人が多めに用意してるんだ」
「ごめんなさい。盗み見するつもりはなかったんです」
「気にしなくていいよ。驚かせたかな」
「……変わったことをしているなとは思いました」
「誰が始めたのかは忘れたな。いつの間にか、ああいう流れができてね」
私のためにケーキと飲み物を準備してくれているアンリ様はこちらを向かないから、表情が読めない。
ああいう流れ――アンリ様の足元に跪き、口づけをし、食べ物をもらう。
そういえば神話の『祝福の授与』で神様が与えるのは、飲み物も含まれるって解釈もあるんだっけ。だからカップも複数あるのか。
「大変ですね」
「大変……? ふふっ、初めて言われたな」
「嫌ではないんですか?」
「さあ? ただ、望まれているようだから、応えておくほうが面倒が少ない」
さあ、ってなんだろう。アンリ様としては、別に嫌でも好きでもないってことかな。
なんだか深くは追及できず、そうしているうちに私の前に紅茶のカップとケーキの乗った皿が置かれた。
「アンリ様は食べないんですか?」
そのまま席につこうとしたアンリ様に尋ねる。
彼の前でひとりで黙々とケーキを食べることになるのだろうか。お茶とお菓子でのティータイムをするなら、一緒がいいんだけど……。
しかしアンリ様は静かに聞き返してきた。
「どうして?」
「だ、だって――」
「君も僕の『祝福』が欲しい?」
「えっ……私は人の食べかけはちょっと……」
私にとって誰かの食べ物や飲み物に口をつけるとき、それは「毒の疑いがあって緊急性があるので確認のためやむなく」の場合とイコールだ。これまでの記憶が頭をよぎり、ちょっと遠い目で答える。
そして一拍遅れで気付く。『祝福』で他人に食べ物を渡している相手にめちゃくちゃ失礼なことを言ってしまった!
「す、すみません、私」
「ふふっ、あはは!」
謝ろうとするのと同時に、アンリ様が声を上げて笑った。
「あ、あの」
「いやいいよ。そうだよね。わかるよ。それが『普通』だ。普通なら他人の食べかけなんて、食べるのも食べさせるのも吐き気がするよね」
「そこまでは言っていませんが!?」
「面白いな、リサは」
……それは褒め言葉?
「私はただ、一人だけで食べるのも寂しくて聞いただけで……」
「ああ、そういうこと。じゃあ一応もらおうかな」
なんだか機嫌のよくなったアンリ様が、自分の分のケーキを新しい皿に乗せてテーブルに置く。
席についた彼は、私を見て首を傾げた。
「食べないの?」
「あ、はい、いただきます」
そう言って一口。甘さ控えめのガトーショコラだ。
「甘すぎたりしない?」
「全然そんなことないですよ。食べてないんですか? だってさっき……」
あの女子生徒に渡したお皿にも同じケーキが乗っていたようだったけど。
「ああ、あれはまだ口をつける前だったからね。それより味は気に入った? もしリサの苦手な味だったら別のものを用意してもらうけど」
「いえ、とても美味しいです!」
どうしてこんなにアンリ様は私に気を遣ってくれるんだろう。不思議に思いながら、二口、三口とケーキを食べる。
そして、ふとその手を止めた。
体中をピリピリと針にさされたような不快な感覚が襲い始めている。
いけない、これは――!
弾けるように立ち上がった私は、体をのばしてアンリ様の右手首を掴む。
「どうした――」
「だめ。食べないで」
そう言ってふらついた私に、アンリ様が「リサ!?」と焦った声を上げた。
体全体に感じる、ピリピリとした不快な感覚が強くなる。
同時に湧き上がるのは――悲しみ?
「毒……さっきの生徒にも……注意を……!」
そこまで言って、私の世界は暗転していく。
意識を失う寸前、アンリ様ではない「おい、どうした」「アンリ、その子は」と驚く数名の男女の声が聞こえた気がした。
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