第20話 安心……する、しない、する
アンリの誘いを断ってしまった。
あれでよかったんだろうか。
彼は塔での時間を楽しみにしてるみたいだった。
私だって、何もなければすぐに頷いていた……。
あそこまでする必要ってあったかな。引っかかったのはたった一言だけだ。反応が過剰じゃなかった?
放課後の誘いを断った次の日。昨日は断る理由が頭を占めていたのに、一晩明けると今度は塔に行きたかったなって気持ちでいっぱいになっている。
自分の優柔不断さが嫌になる。
というか、こんな風に気を取られていていいのかな。
他にも気をつけるべきことがある気がするけど――
「そこで頭を冷やすといいわ。リサ・ヒース」
気をつけるべきことを思い出したのは、校舎の隅っこにある倉庫代わりの部屋の中に閉じ込められてからだった。
我ながら、さすがに油断がすぎる。
「運がよければ、すぐ見つけてもらえるわ」
「運がなければ、一晩ほど過ごして身の程を思い出せばいい」
突き飛ばされて床に転がっている間に扉の鍵が閉まる音がして、短い言葉だけ言い残されて足音が遠ざかっていく。
相手の顔は見えなかった。
「…………」
そうだ、私が一番気にすべきはこういうのだよね!
そうそう、この感じ!
私が関わった相手への異常な執着心を持つ者が、その相手に何か仕出かすときに巻き込まれたり、とばっちりな嫉妬で事件に巻き込まれたり。
いつもは全力で避けたいと思っているけど、今はよく知る出来事に遭遇して少しほっとしてしま……いやいや、駄目でしょ!
念のため扉を確認する。予想通り開かない。鍵を閉められている。
でも抜かりはない。私は持ち歩いていたヘアピンを曲げて、内側にもついていた鍵穴に差し込む。こんなときのために身に着けた鍵開け技術だ。この程度なら簡単に開けられる。
と、思ったのもつかの間、鍵は開いた音がしたけれど扉は開かなかった。
どうやら、向こう側で鍵以外に扉に細工をされているらしい……ついてない!
倒れたときに打った腕も痛い。あーあ。どうせ意地悪するんなら、私限定で毒でも盛ってくれればよかった。そのほうが私は無傷でやり過ごせるんだから。
やけっぱちな気分になりながら、私は窓側の壁際の床に座り直した。
他の壁には大きな棚が並んでいて、資料らしきものが乱雑に詰め込まれている。なんとなく今はあまり使っていないものをとりあえず保管する場所という感じだ。床にも溢れていて、ただでさえとても狭い部屋なので動ける範囲も狭い。
私は自分が持ってきた本が近くに落ちていたのに気付き、手に取って適当な本の山の上に乗せた。
廊下で偶然すれ違った先生に頼まれて本を戻しに来たんだけど、どのくらいで気付かれるだろうか。
室内は薄暗くて埃っぽい。そして時期的にちょっと蒸し暑い。ここじゃ、頭を冷やすより暑さで倒れるかも。
窓を開けようとしたけど、ほんのちょっとの隙間しか空かないように固定されていた。
「まさか、本気で一晩ここに放置はしないよね……?」
思わず独り言を漏らしてしまう。
窓から見えるのは人気のない裏庭。声をあげても無駄そう。
「アンリ……」
……今、口に出してたかな。出してたよね。
どうしてだろう。
助けを求める相手に、一番に彼の顔が思い浮かんでしまった。
「…………」
ただそこの扉を開けてもらうだけなら、通りすがりの名前も知らない生徒だって、よほど悪い人じゃなければ叶えてくれるはず。
私に親切な相手でいえば、クリスティーヌ達だっている。
でも咄嗟に思い浮かんだのはアンリだった。
……昨日、自分で誘いを断ったくせに。
「はあ……」
遠くでチャイムの音が聞こえる。
午前中の授業はあと二つ。さすがに昼休みには、不審に思ったクリスティーヌやアンリが探してくれるかな。
とりあえず体力を温存するため、私はできるだけ楽な体勢を探りながら、ぼんやりと時間が経つのを待つ。
…………。
……………………。
もうあれだ。ごちゃごちゃ考えても仕方ないんだ。
私の厄介な運命も、アンリのことだって。
そんなことを思い始めたのは、とうとう昼休みに入るチャイムが鳴ってしばらくしたころだった。
暑さのせいか、ちょっと思考が上手く回っていない。
そろそろなりふり構わず声を上げて助けを求めようかな、なんて立ち上がったところで――。
「……誰かそこにいます?」
「い、いるわ! 誰!?」
「リサ先輩! ミリアです!」
扉の向こうに人の気配がしたと思ったら、ミリアの声が聞こえてきた。知り合いだ、やった!
「ねえ、どうにかして扉を開けられないかしら。閉じ込められてしまったの」
「えーと、つっかえ棒がしてあるんですけど、きつい感じに固定されてて……。ちょっと待っててください。私が助けてあげますから!」
ぱたぱたと駆けていく音が聞こえてくる。先生を呼んできてくれるのかな。
私はほっと安堵の息を吐いた。これでここから出られる。と思ったけれど。
……戻ってこない。
随分と待った気がするけど、ミリアの声も、教師らしき人の声も聞こえてこない。
なにかあったのだろうか。
不安になりながら、扉近くで外の様子を窺っていると誰かが近づく気配がした。
「ミリア?」
「リサ! そこにいるの!?」
「アンリ……!」
助けてほしい、と説明するまでもなく、扉の向こうでがたがたと何かを動かす音がする。
そうかからず扉が開かれた。
「君、一体どうして――」
「ありがとう、助かった……」
外に出ようとしてふらついてしまう。すぐにアンリに支えられた。
「あ……」
目の前で倒れかけた相手を支える。たったそれだけのことをしてもらっただけ。
でもアンリに守るように腕を回されるのは、なんだかとてもほっとした。閉じ込められたってなんてことなかったはずだけど、彼が傍にいると、自覚していたよりずっと全身で警戒して緊張し続けてたってわかった。
うん。閉じ込められている間にも思ったけど、やっぱり私、アンリと――。
「大丈夫?」
「ええ。ごめんなさい、たぶん急に動いたから」
「無理しなくていい。君が昼食に来ないから探してたんだ」
アンリの表情が少し冷たいものへと変わった。
「閉じ込められた?」
「あー、これはおそらくちょっとした誤解があって」
「そう……」
さらに声もちょっと怖くなった。
「怖い目にあったね。もう午後の授業は出なくていいよ。そうだ、僕の寮においで。あそこに籠もっていれば誰にも手出しできないし安全だ。部屋には僕と使用人以外出入りできないようにするから――」
「え……」
……んん?
「どうかした?」
「う、ううん。アンリったら『寮に籠る』だなんて、さすがに大げさだってば。しかもあなたの暮らす貴族寮なんて」
「大げさ、か。君が心配で変なことを言ったかな」
「あはは……ちょっと驚いちゃった。でも、助けてくれてありがとう! アンリがいてくれたおかげで私――ひぁっ!?」
彼が私の頬と首筋に手の甲を順に当てるから、言葉が途切れる。少し温度の低い彼の手が、ひんやりとして少し気持ちいい……けど。
「な、なに」
「少し熱がある気がする。保健室に行こう」
「そこまでしなくても」
「さっき、ふらついたばかりだ」
「そうだけど……って、え!?」
アンリが少しかがんだかと思えば、次の瞬間、私は横向きに抱き上げられた!
「嘘……」
「落ちないように掴まっておいて」
「ま、待って待って待って!!!」
抱きかかえられた状態で暴れるのはちょっと怖くて、私は言葉だけでとにかく彼を止めた。
「こんなところ他の人達に見られたら、余計に盛大に誤解されるから!」
「いいんじゃない、誤解させておけば」
あ、またアンリの声が冷たい。
「むしろ君が僕の特別だと全員に見せつけて回れば、今回のようなことは起きなくなるのかな」
そう呟くアンリは、とても面倒でとてもどうでもいいものを思い出しているような感じがあって、そしてとても冷めていた。
整った顔をした人の無表情に近い顔というのは、妙な怖さがある。
「アンリ……」
名を呼ぶと、私を見た彼はにこりと笑った。
「いや、でも君を見せて回るなんてもったいないか」
「もったい……ない??」
どこらへんが……?
「逆に誰にも会わなくてすむよう、手配してしまうほうがいいかもね」
「は……話が急すぎてよくわからないわ、アンリ」
「つまり、君の安全のために、君が僕以外に会わなくてすむよう学校に言って手配を――」
「それは何か危険なことの前触れな気がするからやめておいて!」
わかりにくいけど、もしかしてアンリはとても怒っている……?
というか、さっきから私にとっての要注意で危険な言葉がいっぱい飛び出しているんですが。
「リサ先輩! アンリ様!」
ぱたぱたという足音とともに、私たちを呼ぶ声が近づいてくる。ミリアだ。
抱きかかえられている私を見て、彼女は怪訝そうに眉を寄せた。
「どうして……」
「閉じ込められているのを僕が見つけて、助けたところなんだ」
「私も助けようとしてたのに」
アンリが少し首を傾げた気がしたので、私はミリアにも気付いてもらっていたことを簡単に説明した。
「ごめんなさい、リサ先輩。私、間に合いませんでした。頑張って扉を開ける道具を探してたんですけど」
「ううん、気にしないで」
「ミリア……君、さっき窓から中庭を眺めてなかった?」
「なっ、そんなことしませんよ! 大事な先輩を助けなきゃいけないんですから」
「そう。なら見間違えたみたいだね」
「そうですよ! 変なこと言わないでください」
喋っている途中でアンリが歩き出し、ミリアはくっつくように横に並びながら言う。
「誤解しないでくださいね、リサ先輩?」
「うん。……ねえ、それよりアンリ、あまり人に見られない廊下を通ってほしい」
「できるだけそうするね」
子供を宥めるみたいな感じで言われた。もうちょっと真剣さがほしい!
「あのぉ、アンリ様ってリサ先輩のこと気に入りすぎてません? 半月くらい前の二人って、まだ喋ったことだってほぼありませんでしたよね」
「彼女がそれくらい魅力的ってことだよ」
「……!?」
「ふーん……」
アンリは即答だった。反射的に私は心臓が跳ねて、体中がちょっとふわふわした心地になる。
たぶん……嬉しい。
出てくる言葉は危険で警戒すべきものばっかり。
だけど、彼のそばにいるのはすごくほっとする。
いや、でも何かあったら……。
ううん、さっきあの部屋の中で結論は出たじゃない。ごちゃごちゃ考えるのやめようって。
「ねえ、アンリ。今日の放課後は、いつもみたいに」
小さくそう告げたら、彼には伝わったみたいだ。
アンリはこれ以上なく優しく微笑んで私に答える。
「君の体調が戻ったら」
「すぐに回復するわ」
今の状況って過去の経験からすると、何かしらの危険をはらんでいる。
でも多少の危険なら、私の経験を活かして対処できると思うのだ。伊達に警戒しながら七年近くも生きてないし! ここで活かさなきゃ意味がない。
……暑さと混乱でだいぶん思考はまともじゃない。つまり冷静な判断はできてない。頭の隅でそう思う自分もいるんだけど。
それでも、あの部屋で一人きり、ずっと考えているうちに気付いたのだ。
なにより私は……アンリとの交流を失くしたくないんだって。
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