第19話 意外とドライに見ているようです

「リサ先輩。なにが理解できないんですか?」


 急に話しかけられちょっとびくっとした。廊下の角からミリアがひょこっと顔を出している。


「ふふっ。驚かせちゃいました? 先輩、食堂でアンリ様と一緒だったと思ったのに。こんなところでなにしてるんです?」

「彼に聞いてほしい話があるって生徒が来たから、邪魔しないように先に撤収してきたの」

「ああ、なるほど。それで“理解しがたい”ですか」


 みなまで言わなくても、生徒がアンリのところに『祝福』を貰いに来たことは伝わったらしい。


「先輩はアンリ様から欲しいと思ったりしないんですか、『祝福』」

「私はいいかな……はは」


 神話の『祝福の授与』になぞらえた、この学園の生徒達がアンリに望む変わった行い。初めて温室で見たあの光景は、今も鮮明に思い出せる。

 彼の足元に跪き、頭を垂れ、靴に口づけしてまで敬愛を示す女子生徒。それを無表情で、いや少し冷えた目で眺めながら、請われるまま食べ物の乗った皿を差し出すアンリ。

 学校に飾ってある絵画を思い出させた、現実味のない美しいワンシーン。


 あんなのを見たら、誰だって彼を神様みたいだと思うだろうな。あのとき少しだけその行為について彼に尋ねたけど、その本音がどこにあるのかは今もわからないままだ。


「ああいう風に、誰かに傾倒するって行為は少し苦手だから……」


 これまでずっと誰かが誰かに傾倒している様を見てきた。あんまりよくない意味で。

 だから、温室での光景を前に見入ってはしまったけど、完全に魅入られはしない。心のどこかでブレ―キがかかってしまう。


「まあ、アンリ様もまったく相手に興味なさそうですしね」


 あっけらかんと言い放ったミリアに、「ええ?」とこちらもきょとんとしてしまった。


「先輩もそばにいたらわかるでしょ? アンリ様って基本的に群がってくるいろんな人達全員に無関心じゃないですか」

「それは……」

「あそこまで平等に無関心なのは、いっそすごいかなあ。みんな気付いてないのか、気にしてないのか知らないけど。そこがまた神様っぽくていいのかな? あっ、リサ先輩に対しては例外ですけどね!」


 当然のように私は特別扱いの相手だと語られると、やっぱり少し頭を抱えたくなる。

 だからといって、すっぱり関係を断ち切ることも私にはできないんだよね。


「気をつけてくださいね。油断したら、アンリ様に闇魔法かけられて取り込まれちゃうかもしれませんよ?」

「闇魔法? 彼が使うのは光魔法でしょう?」

「でも性格は闇魔法使いのイメージに近くありません? 慈悲があるようでない、優しいようで冷たい。何を考えているかわからない。怖くないです?」

「それは闇魔法を使える人への偏見だと思う……」


 一般的にそう思われているのは知っていますけどね。


「アンリ様がもし闇魔法を使える人で、みんなを魅了しているのだとしたら。先輩には特に強く魔法をかけて離れないようにしちゃうかもしれません」

「もう。怖い冗談を言うのはやめてよ」

「ふふ! 先輩が光魔法じゃなくて闇魔法を使える人だったら、心配はないんだけどなあ」

「な、なんで私が?」


 ミリアに他意はないんだろうけど、勝手にどきりとする。


「だって同じ属性の魔法を使う人には、その属性の魔法が効きにくいっていうじゃないですか。特に感情にまつわる闇魔法を使う人同士って相性が悪くて、かけようとしてもなかなか効かないらしいです」

「へえ、知らなかった」


 でも私の「毒を摂取すると、それを盛った相手の気持ちを感じ取れる」って魔法は、直接相手にかけるものではないからあまり関係ないな。

 そしてその理屈だと、私は闇魔法にかかりにくいんだ。

 魔法が使えることを公にしたら、そういうのを学ぶ機会も増えるのだろうか。そういえば私と同様に隠している叔母も、魔法全体の特徴とかについてはあまり詳しくなさそうだった。


 ミリアは私に近付いて、のぞきこむように顔を寄せる。


「私、ちょこっとだけ疑ってるんです。アンリ様って闇魔法を使える人なんじゃないかって。だから……気をつけてくださいね? 先輩っていい人だから騙されちゃうかも」

「そんな、大げさよ。大丈夫。彼はそんな魔法を使わないし……」


 使わないなら大丈夫なのか?

 そんな問いが浮かんでくるけど、いや、平気。問題ない……はず。


「ねえ。ミリアはアンリ……様を好きではないの?」


 少し前までは、ミリアは人前であからさまにアンリにアプローチみたいなことをしていたりしたんだよね。知り合ってからの彼女がそういう態度を私の前で見せないから、つい忘れそうになっていたけど。

 でもさっきのミリアの言い方って、アンリを好きっていうより少し距離のある感じだった。取りようによっては嫌いなのかな、とも思えるくらい。

 だから確かめてみたんだけど……。


「嫌いじゃないですよ! でも最近は前より興味が薄れちゃった。へへ」

「へえ……」


 珍しい相手だから構ってた、みたいな感じなんだろうか。

 この間の貴族棟での一件でも感じたけど、ミリアって――。


「じゃあ、先輩。明日で試験期間終わったら、ダンスパーティーの準備も佳境に入りますから、よろしくお願いしますね」

「うん、こちらこそよろしく」


 挨拶するとミリアは去っていく。

 そうだ、明日で試験期間は終わるんだ。この間から、ダンスパーティーの準備と試験の準備を言い訳に、放課後はアンリと会わないようにしていた。でも、その言い訳が半分なくなるということで。


 ――僕が君を手放すなんてありえない。


 一人になるとさっきの一言がどうしても気になってくる。アンリは冗談を言っている様子ではなかった。


 実は、これまでそういう言葉を吐く人を見たことは何度かある。もちろん、なにかしらの事件絡みだ。私の周囲で発せられた場合、それは危険な警戒すべき言葉として分類される。

 ……通常ならば。

 そういった言葉が私に向けられた経験がないから判断に迷う。変に勘違いしたら、あまりにアンリに対して失礼すぎない? 一言だけですべてを判断するのは早計すぎる気がする。

 と、思いつつも、あのとき働いた第六感みたいな感覚を無視していいのだろうかって迷いも消えず……。


 消えないまま、次の日になって午前中ですべての試験が終了してしまった。

 試験後は、貴族棟でアンリとの昼食だ。

 生徒会室には大きめの談話室と隣に小さな執務室のような部屋が割り当てられていて、その執務室のほうを生徒会長専用に使っているらしい。

 私達はいつもそこで食事をとっていた。


「リサ。今日は放課後は塔に行かない? 久しぶりに君の歌が聞きたい」

「あ……えっと……」

「一緒に演奏もしたいな」

「今日は……」


 ある程度は予想していた言葉だけど、私は答えに詰まった。昨晩考えたけど、答えを決められてなかったのだ。

 どうしよう? どうする?

 アンリは期待するようにこちらを見ている。久しぶりに演奏をしたいって心から思ってくれてる。それはわかるけど。でも……。


「ごめんなさい。今日はパーティーで振る舞う飲み物のリストを確認しなきゃいけないから、また今度で……」


 断ってしまった……。

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