第14話 距離が縮まったのはいいんだけど……


 温室で、アンリの食べ物に毒が盛られてから七日ほど経った。


「使用人達の取り調べは区切りがついたようだよ」

「学園長が指示して、先生達の一部と警察がこっそり調べていたのよね?」

「うん。少なくとも調べた使用人達のなかに犯人はいなそうだと判断されたらしい」


 気付けば、放課後に鐘塔でアンリと情報交換するのが日課になっていた。生徒会の仕事で遅れることもあるけど、必ずアンリは鐘塔にやってくる。休日は……温室で二人きりの昼食を取り、その後に鐘塔へという流れ。

 椅子代わりに持ちこんでいた木箱は何日目かに二個目が加わり、今は、その上に布をひいて私とアンリがそれぞれ座っている。


 水筒とおやつの入ったバスケットもある。

 これはアンリの暮らす貴族寮の厨房で作られたものらしい。なんでも、もとから貴族寮にはクリフ家から派遣された使用人がいて食事や世話をしているとか。毒入りケーキ事件以降、アンリの食べるものはすべて、そこで作られているらしい。

 さすが名門貴族で、この国でも有数の資産家の侯爵家の御子息。


「関係した使用人達からは、だいぶ厳しく聞き取りをしたようだけど、結局わかったのは、出来上がったケーキを厨房から温室に持ってくるまで、何度か使用人が目を離したタイミングがあったということだ。それ以上の情報は出なかった」

「となると、教師か生徒の中に犯人がいる?」

「そうだね。そして教師の可能性は低い。あの日は月に一度の会議の日だったし、遅れたり職員室に待機していた教師も、使用人が通った温室までのルートや時間を考えると、毒を盛るのは難しかった」

「生徒が怪しい、か。でも容疑者は全く絞り込めていないのよね。はあ」

「容疑者……リサって、たまに警察みたいな言い方をするよね」

「そ、そうかしら」


 この十日の間、私はアンリをよく思っていない生徒の噂を集め、あの日のアリバイを確認している。

 胸元にある青いネクタイの影響力と、これまで隣で見てきた叔母様の社交術を思い出し、なんとか片手の数よりは多い怪しい生徒については調べることができた。

 でもみんな、今のところアリバイがあって犯行は不可能。


「明らかに怪しい生徒は、逆に怪しくないんだわ」

「なに、どんな理屈?」

「普段からアンリをよく思っていない生徒が思い切ったのなら、もっと大胆に、その代わりもっと確実な手に出るんじゃないかってこと。毒が入っていたケーキは八個中二つだった。それって、絶対に人に見られないよう、こっそり行動することを優先した結果かもしれないじゃない?」

「慎重に動くことを選んだ結果、時間的にケーキ二つが限界だった」

「そう。そこまで慎重だったのは、姿を見られなければ絶対に自分に疑惑がいかないって自信を持っていたから……」

「表立っては僕を嫌ってない者が犯人だって、リサは疑ってるんだね」

「その線を考えてもいいかなって。もっと言えば、少しでも姿を見られたら、一転してすごく怪しく見え始める可能性を秘めているとか――」

「例えば?」

「うーん……」


 私はわざと答えをぼかした。

 下手な動きを見せた途端に急にすごく怪しく見える人間。それはアンリの近い場所にいる人のことを浮かべているから。

 無関係な人間よりも「どうしてその時間その場所に?」とみんなの注目が変に向きやすい人達。

 いやもちろん、厳密には状況によりけりではあるけど。そういう立場にいる犯人が、あえて最初に容疑者の中に入り、無実を主張しながら調査に協力し捜査をかく乱した事件もなくはなかったし――。


「それにしてもやっぱり、リサは言い方が警察みたいだな。なんだか慣れている感じがする」

「あ……あはは、えーと、ちょっとしたトラブル解決で警察に協力したことがあるからかしら?」

「トラブルって……」

「というか、これまでにわかったことをまとめてもあんまり進展がないわね。もっと生徒の調査を頑張らないと!」


 意気込んでみせると、アンリにじっと見つめられる。


「アンリ?」

「本当は、こんなことさせるつもりはなかったのに」

「事件の調査を頼んだのはアンリでしょ?」

「そうだよ。だけど……」


 アンリが口ごもる。

 彼が何を気にしているのか、たぶん、私には見当がついている。この十日間の間に、なんとなく感じるものがあったのだ。

 おそらく彼が調査の依頼をしてきたのは、パトロンになるという申し出を私が受けやすくするためなんじゃないかって。

 だから本当は、形だけの調査をちょこっとさせて終わらせるつもりだったんじゃないかな。


 気持ちはありがたいけど、さすがにまだそこまでの善意をタダ同然で受け取ることは難しい。遠慮もあるし……警戒心も湧く。

 ちゃんと調査の手伝いをして、きちんと交換条件を満たしたい。


「事件のことは私も気になるもの。できることはしたいわ」

「危ないことはしないで。本当は聞き込みに僕も同行したい」

「さすがにそれは……。私に任せて」


 アンリが横にいたら、相手を恐縮させ過ぎて聞けることも聞けなくなりそうだ。


「はあ、失敗した」

「何が?」

「調査のために別行動になる時間ができるのが寂しい」

「いやもう充分すぎるくらい一緒にいるじゃない」

「足りない」

「……!」


 アンリの手が伸びてきて、その長くてきれいな指が、優しく頬を撫でていった。

 え、ええと、こ、こういうのはなんて答えればいいの!?

 いや、黙って固まってるしかできないけど……!


 アンリはこういう困るようなことをたまにする。

 単に、気に入ってもらっているんだなと思っていればいいのかな。いいよね?

 毎回そう結論づけるしかないけど、心のどこかでひっかかってもいる。

 これまで、数多の「誰かに執着する者」を見てきた経験が、“そういう感じ”ではないかと私に囁くのだ。

 ううん、なんでもかんでも疑ってかかる癖がつきすぎだ。


「今日の報告はこれまでにして、そろそろ君の歌が聞きたいな。一昨日渡した楽譜の曲があったろう? あれに合わせた伴奏で、少し違うアレンジを思いついたんだ」

「本当!?」


 七日の間に、アンリは二度ほどまた手書きの楽譜を持ってきてくれた。最初のものも含め、知り合いの作曲家からよければ演奏してくれと彼に献上されたものだったらしい。


「君が歌ってくれるから、この曲は素敵に聞こえるんだ」

「だからそれは言い過ぎ……」


 私の歌を手放しでほめるところは相変わらず……。


「じゃあ、始めようか」

「うん」


 いまさらだけど、七日の間に変わったことが一つ。というより変わらざるを得なかったというか。

 この七日間、放課後はアンリと一緒に過ごし、休日も午後は基本的に一緒にいた。その間、私の言葉に悲し気な顔とか期待する顔とか、ごくごくたまに感情を失くした能面みたいな顔を見せられた結果、私はとうとう敬称なし・くだけた口調で会話するようになってしまったのだ。

 でもさすがに二人きりのときだけ。こればかりは譲れず、今のところアンリが譲歩してくれている。


 学園で神様と崇められている人に、こんな気安く接してもいいのだろうか。そういう思いはどうしても消えないけど。

 でもあと少し。少しでここを去るし!

 そうすればアンリとも離れることになるし、それできっと大丈夫……


 

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