第13話 なんか……甘すぎないですか?
放課後、自然と鐘塔に足が向いていた。
立ち入り禁止だけど、塔に置いている私物を回収するため……という言い訳で。
自分の胸元に視線を落とせば青色のネクタイ。昼休みのあと、ずっとそこにある。
結局私はアンリ様のウィンクルムになってしまった。避けられない流れだったとはいえ、後悔の念が少しもないわけじゃない。
どちらにしろ事件の調査でアンリ様には関わることにはなっていたけど……この青いネクタイがあるなしじゃあ周囲の反応は違うよね。
「はあ……」
せめて恋愛の絡まない関係なのが救い。ウィンクルムは、基本は不慣れな生徒の面倒を見るってためのものだもの。
これが例えば婚約するとか恋人になるとかいう意味だったら、今ごろなりふり構わず逃げ出していたと思う。私には、恋愛って警戒して距離をとるべきものだから。
そもそも、誰かに手放しで心を許すなんて一番やっちゃいけないことだしね。そういう関係を誰かと結びたいって気持ちも湧いたりしない。
「んー、雨が降らないといいけど」
窓から見えるのは曇り空だ。今日はあまり長居はできないかも……。
「――――」
一曲歌ったところで、小さく物音がした気がしてばっと振り向く。下に続く階段のところにアンリ様が立っていた。
「アンリ様!」
「姿が見えなかったから、ここかなと思って。相変わらず、素敵な歌声だね」
「すみません、ここ、生徒会以外立ち入り禁止でしたよね。置いていた私物を回収したら帰りますから」
「どうして? 君の使用は僕が許可したし、それに君はもう僕の指導生なんだから、そもそも立ち入り禁止の対象には入らないよ」
アンリ様は自分のネクタイをとんとんと指さした。
私の首元も同じ色が結ばれてる。生徒会長の指導生となれば、たしかに一般の生徒のくくりじゃなくなるのかも。
いいのかな。完全にアンリ様の好意に甘える形だけど……。
でも誰の視線も感じずに一人になれる場所があるのはすごく助かる。アンリ様の指導生になったことが周囲に知られてしまったなら余計に。
少しの間逡巡して、結局私は甘えることに決めた。
「じゃあ、ありがたく使わせてもらいます」
こうなれば思う存分使おう。
自分で言うのもなんだけど、決断したあとの切り替えは早いほう。引きずっていては何もできなくなると知ってる。
それにどうせ長いこと学園にはいないし、ね。たぶん。
アンリ様のケーキに盛られた毒の件を調べ終わったら、私は演奏旅行に出かけられるのだ。
「昼間の彼らには、また絡まれたりしなかった?」
「エドモンド達ですか? いいえ、全然!」
「あれが君が最初にパトロンを頼もうとしていた相手なんだよね」
「はい」
アンリ様に詳しくは説明していなけど、最初にここで愚痴を叫んでいたのを聞かれているし、大まかなことは察しているようだ。
「彼が断ってくれたおかげで、僕が君という有望な歌手のパトロンになれる」
「さすがにそれは買い被りすぎですってば……」
「ただ、彼らが君を傷つけたことは許せないな」
……ん?
変わらない温度感でさらりと言われて一瞬理解が遅れた。
「実家は子爵家だと言ってたっけ。君が望むように、どうとでも」
「いえ、なにもしなくて大丈夫です!」
「優しいね。僕は彼らに対していい感情は持てないけどな……」
「エドモンドのお母上であるロックウッド子爵には、親切にしてもらいましたし、歌を認められて自信もつきましたし! なのでアンリ様も気になさらないでください!」
私は慌ててアンリ様を止める。
エドモンドの仕打ちには確かに腹は立ったけど、実家を潰したいとまでは思ってない。この国で五本の指に入る名門貴族のクリフ家に睨まれたら、子爵家のひとつやふたつ、簡単に立ちいかなくなる。
「ふうん……」
「本当ですからね? 私もう、エドに対して何にも思ってませんから。アンリ様も、このことは忘れちゃってください」
「君がそう言うなら。それにしても、敬称は止めてって言ったのに止めてくれないね」
えっ、今度はそっち?
少し眉を下げたアンリ様にじっと見つめられて、私はたじろぐ。
ロックウッド子爵家のことから話題が逸れそうだけど、これはこれで困る話題だ。
「エドモンド・ロックウッドのことは愛称で呼ぶのに、僕はアンリと呼んではくれないの?」
「し、しかし、そう言われても、アンリ様は学園の――」
「また“様”がついてる……」
ううっ。
そうやって真正面から、その綺麗な顔で訴えられると……。
「アンリ……」
「うん。学園でもそう呼んでいいからね」
「努力してみます」
「そんな大層なことじゃないよ。同じ二年生なのに」
アンリ様は苦笑するけど、ものすごく大層なことですから!
ここ二ヶ月の間に生徒達が話すのを耳にした限り、同学年どころか、三年生だって様付けで基本呼んでいるし……。
一体どうしてこんなに気に入ってもらえたんだろう?
アンリ様は誰に請われてもウィンクルムは持たないでいたんだって、クリスティーヌ達が驚いてた。初めて持つ指導生だから、加減がわからないのかもしれない。
いや、でもすべてはケーキの調査が終わるまでの期間限定のことだから!
悩んでいても仕方ない、きっと!
「ところでケーキに毒が盛られた経緯ですが、どこから調べますか? 温室に運ばれる前までに、どのくらいの人の手を経たのか、どうやって運ばれたのか……そのあたりは確認しなくてはいけないと思うんですが」
「ああ、それならある程度はわかっているよ。特別エリア用につくられたケーキで、あの日は温室と、そしてサロンの二か所で提供されたものだった。毒が入っていたのは温室に運ばれたケーキだけだったようだ。運ぶ前、運んでいる最中、温室に運んだあとも、使用人が目を離した時間があったようだから、どのタイミングでも仕込むことはできるね」
すらすらと答えるアンリ様に、あれ、と思う。
「もしかして、調査って結構進んでいるんですか? 毒を仕込むことのできた人にも目星がついていたりします?」
「いや、まだ。とりあえず機会のあった使用人達を学園から一旦離れさせて、調べてもらってはいる」
「そうなんですね」
調査の手伝いを頼まれたけど、私の協力って必要なのだろうか。
疑問に思っていたら、アンリ様が察したように言う。
「ちゃんとリサにも手伝ってもらうから安心してね。それより今日は、歌の練習はもうしないの? また伴奏を弾かせてほしいな」
「えっ、あっ、それはもちろん、アンリ……がいいなら」
「君に歌ってもらうとよさそうな楽譜を持ってきたんだ」
私はアンリ様が差し出した数枚の紙を受け取って目を通した。
手書きの楽譜? 誰かが書き写したものか……それとも、作曲した人から直接もらったものだろうか。
アンリ様なら、いろんな人からいろんなものを献上されそうだ。
「切なそうな歌ですね」
「そう?」
「アンリ……はそうは思いませんか?」
「どうかな。僕は、この曲に込められた感情などないと思っていたからね。でもリサが歌えば少しは違うかもしれない気がしたんだ」
感情、込められてないかな?
ぱっと確認した限り、わかりやすく激情を表したって感じではないけれど、理性の中にそっと秘めた感情が垣間見えるような、そんな気がする。
あ、隅に書かれた短い文章は歌詞の候補としてメモ書きされたものかな。完成形の歌詞はついていないから、この言葉を参考にして私の方で言葉をあてていこう。
「それから、またあの歌も歌ってほしい」
「気に入ってますね。私も好きな歌ですけど」
彼が言っているのは、私は最初に歌っていた、あの途中までの作者不明の歌のことだ。とても気に入ったらしくて、一昨日も一番多く繰り返し歌った。
「あれを歌っているときの君の声が、一番胸に響いてくる気がするんだ。歌自体は、どういう曲なのか掴みづらいのだけど」
「そうですね……私は、切なくて孤独で、でもその中に純粋で綺麗なものが含まれているような歌だなって思ってます」
「君の声に乗せたから、そういう歌になったのかもしれないよ。作者はなんにも考えてないかもね。感情だってなにも込めてないかも」
「またそういう言い方して……。あの歌にも、ちゃんと作者の気持ちはこもってますよ。歌ってればわかります」
「そう?」
「歌詞だって、メモ書きされていた言葉を元にしているんですから」
あの曲の楽譜にも作詞途中のような言葉があって、足りない部分を私が補完したり、少しアレンジしたりした。
「じゃあ、君が付け足した言葉が素敵なんだ」
「褒めすぎです……!」
好意を示して親切にされて褒められることは、とてもありがたいし嬉しい。
でもここまでくるとちょっと不気味でもある。だってこんな風にされるほどのこと、私はまだ何もしてない。
それに……アンリ様の気遣い方は、少しだけ、ほんの少しだけだけど、上辺っぽいときがある。とにかく思いついた親切をしている、って感じに思えなくもない……ような。感覚だからなんとも言えないけど。
「あの、アンリは本当に私に親切ですよね」
思い切って聞いてみる。
「指導生に親切にするのは当然だろう?」
「もしかしたら、私が魔法で魅了しちゃってるからかもしれませんよ。魅了じゃなくたって、何か人をおかしくする魔法をかけているかも……なんて」
「おかしくする?」
「例えば、誰かへの執着心が異常に強くなったりする魔法とか……」
「それは闇魔法ってこと?」
怪訝そうに眉をひそめたアンリ様を見て、はっとした。
「すみません、変なこと言いました!」
「いやいいけど……僕がそんなものに惑わされることは絶対にないよ。もしかけられたって、僕の光魔法だと打ち消してしまうから」
「そうなんですか?」
「癒やしの力だけしか使えることを言っていないけど、ちょっとした他の光魔法も使えるんだ」
「もしかして隠してるんですか」
知らずに深刻そうな声になってしまい、気付いたアンリ様は違うよというように小さく首を振る。
「いや、僕に近い者は知っている。生徒だとレベッカやトウリなんかだね。ただすべてを正直に吹聴して回る必要もない。知られたところで、あれこれとうるさくなるだけだから」
微笑んでいるのにアンリ様の声は冷たい。
確かに、今でさえいろんな生徒達から崇められているのに、ここで他にも力がありますなんて明らかになれば、よりすごいことになりそうだ。
そういうの、本当はアンリ様は嫌なのかな。
それにしても、闇魔法を打ち消す力か。
そっか……。
「どうかした?」
「いえ、特別な力も悪いものばかりじゃないですね。闇魔法を打ち消す力なんてあったんだなって」
「その言い方だと、リサは自分の魔法が悪いものだと思っているのかな」
「だって魔法って面倒ごとが呼び寄せられるものってイメージが強くて……あっ! アンリ……の魔法は別にそういうものじゃないでしょうけど――」
「いや、わかるよ」
アンリ様は優しく頷いてくれる。
もしも私に自分でも知らない、人をおかしくする力があったとしても。
アンリ様自身は、絶対に惑わされない。どんなに関係を深めても、そこに魔法の力で歪められるものはなにもないんだ。
自分でも意外なくらい、その事実がとても嬉しかった。
叔母様や占い師のお婆さんは、私にそんな力はないって言ってくれたけど。それでも心のどこかで信じ切れずに気にしていた。私が周りの人をおかしくしているんじゃないかって可能性。
適度な距離を保って、長時間を一緒に過ごしてはだめ。心を許すほどに関係は築かないように。
そうしないと、相手がいつか……。
「リサ?」
「あっ、いえ……今日は雨が降り始めるかもしれませんし、その前にいっぱい歌いたいです。この新しい曲も、アンリに伴奏を頼んでいいですか?」
「もちろん」
二人で楽譜を覗く。
この時間が長く続けばいいのにな。
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