第4話 婚約してませんが

「ま、待ってよ。私、あなたと婚約なんてしていないわ」


 動揺した私は、思ったことをそのまま続けて口にしてしまう。


「婚約したいなんて、一度も思ったことないのに……」

「まあ! とっても失礼だわ! ねえ、エド。この人、とっても失礼よ!」

「キャシーの言う通りだ。君は性悪なうえにそんな無礼な口を利くのか」


 音楽家としての私のパトロンになってくれるはずだった、ロックウッド子爵。その子息、エドモンドの隣には少し幼げな顔をした金髪の可愛い女の子が寄り添っている。ガーデンパーティーでも彼の隣にいた生徒だ。

 彼女は私の言葉に憤慨したあと、エドモンドの腕に縋りつくように自分の腕を絡ませてこちらを睨んでいた。


「あの……。今さらなのだけど、彼女はあなたのウィンクルム、なのね?」


 女生徒の首元には、一般の生徒とは違う深緑のネクタイ。同じ色のものがエドモンドの首元にもあった。


 これはウィゼンズ学園の慣習だ。一部の生徒――生徒会だとか、寮の自治委員や風紀委員、特定の分野に特化した特待生など――のみ持つことのできる、特別な関係。

 自分が特定の生徒を個別に面倒を見ると公に示す制度だ。指名された側はウィンクルム、もしくは指導生と呼ばれることもある。ネクタイはその証として、指名する側から渡されるもの。


 深緑……そういえば、エドモンドは寮の自治委員の一人だったな。


 ウィンクルムは大抵、先輩後輩同士で、たまに同学年同士で指名されることもある。学年が上の相手を指名することも制度上はできないわけじゃないらしい。滅多にないらしいけど。

 指名の理由については、実家が繋がりがあるのでその関係でとか、同じ芸術分野を学ぶ者として頼ってほしいからとか、自分の持つ役職の後継者にする予定だからとか。そういった理由で性別に関係なく指名される。

 そして中には……。


「彼女はキャサリン・ムーア。ただのウィンクルムなんかじゃないぞ。僕の大事な恋人で、いずれ婚約者となる女性だ!」


 こうやって恋人同士で渡すこともたまにあるらしいと、クリスティーヌ達に教えてもらった。


「彼女が僕にすべて教えてくれた。君が、キャシーに嫉妬して裏で嫌がらせをしていたということをな!」

「い、嫌がらせ?」

「とぼける気か? 彼女の持ち物を隠したり捨てたり、階段で通りすがりざまに体をぶつけて落とそうとしたり……君がそんな幼稚なことをやる人間だとは思わなかった!」


 私だって、あなたが、そんな嘘を信じる人だとは思わなかったわ!


 どうやら私は彼の恋人である女性に嫌われているらしい。

 学園に来る前から始めていた、芸術家への支援をよく行う彼の家となんとか繋がりを作って売りこんで……という半年はかけた努力は、いま、まさに水泡に帰そうとしていた。


「キャシーへの嫌がらせは、君の真の目的が僕との婚約だからだろう!? 気に食わない恋敵を苦しめてやりたかったんだ!」

「ち、違う。私は彼女に嫌がらせなんてしていないわ。きっとなにか誤解があるのよ。私があなたの婚約者になりたいっていうことからして誤解で」

「まあ、私の勘違いだって言うの? エド、彼女と私、どっちを信じてくれる?」

「もちろん、キャシーさ」

「だけど私は本当に嫌がらせなんてしてな」

「したわ! わかるもの。エドモンドに恋する私には、わかるの!」


 キャサリンは、ぎゅうっとエドモンドの腕に縋りついた。彼女を慰めるように、彼が彼女の頭を優しく撫でる。

 一方の私は……。


「…………恋、ですか」

「そうよ!」

「つまり、恋愛感情」

「そ、そうよ。どうして言い換えるのよ」


 脳裏に、またいつか聞いた言葉が蘇る。


 ――お前さんは、狂気に染まりし者と縁を持つ運命にある。可哀そうだが、逃げられん定めじゃな。

 ――それは、病んで恋愛感情を拗らせた者ほど……。


 一瞬、呼吸が苦しくなったような気がする。

 ううん、気のせい。悪い想像に飲み込まれてはだめ。

 危険を察知したら冷静に距離をとって。基本でしょ。


「キャサリンさん、あなたはあなたの恋愛感情から、私がロックウッド家に関わるのは遠慮してもらいたいと考えた、ということでいいですか」

「難しい言い方をして、私をいじめたいの!?」

「君はまた!」

「そ、そういうつもりじゃないけど……」


 言いたいことがうまくまとまって出てこない。

 落ち着くために、私は一度深呼吸する。……よし、大丈夫。


「ともかく言いたいことはわかりました。ロックウッド家からパトロンになってもらう話は白紙。私とあなたは今後一切無関係ということですね」

「そうだ。母上には君から辞退の連絡を入れるように。そうすれば、僕も君がキャシーに行った嫌がらせを母に告げ口しないでおいてやる」

「わかりました」

「母上は君の歌声を気に入ったが、あくまで大勢いる歌手の一人としてだ。勘違いするなよ」

「はい」

「もし手違いで君と僕の婚約を成立させようとしても、絶対に破棄する!」

「ええ、そうしてください」


 してもいない婚約の破棄なんて何を言い出すのかと驚いたけど、彼は勝手に先走って宣言しただけだった。

 本当、今までの私の態度を見て、なにがどうしてそんなこと考えるに至ったのかは理解に苦しむ。

 ロックウッド子爵家の現当主であるエドモンドの母親は、芸術家に支援するのが趣味という人物。なんとか夜会で接触できるよう慎重にツテを辿り、うまく気に入ってもらった。でも、子爵家の子息との結婚なんて爪の先ほども考えたことはないし、そんな態度を取ったこともない。それは確か。

 だけど……。


「ふんっ! 未練がましくまとわりつくんじゃないぞ!? もしまた僕達に何かしてきたら、こちらもそれなりの対処をしてもらうからな」

「ええ……」


 現実問題として目の前の二人は誤解している。ならもう、諦めるしかない。

 なんだかいろいろとエドモンドがわめいているけど、俯いてすべて聞き流す。

 音楽家として、ロックウッド子爵家にパトロンになってもらう話は潰れた。それがわかれば十分だ。これ以上、深く彼らに関わりたくない。恋愛関係の人達になんか。


 そうして黙ったまま地面を見ていたら、いつの間にか彼らは気が済んで去って行っていたようだ。

 ふと気付けば静かな庭園に私ひとり。


 ……これから、どうしよう。

 でも、しばらくなにも考えたくない。


 疲れた私は、学園の敷地の端っこへと無意識の内に歩き出していた。




 デンク帝国内でも三番目の人口を有する巨大な街のやや外れに、上流階級の子息達が集う全寮制の寄宿学校がある。

 それがこの歴史あるヴィゼンズ学園。

 自然に囲まれ、かなり広い敷地を要する学園は、わずらわしい俗世からは少し距離を置いて教育を施すという方針で運営されている。

 汚い世俗とは切り離された空間で、勉学だけでなく上流階級の人間としての品格も学ばせたい。そのための、できるだけ美しく選ばれたものに囲まれた三年間。

 品格を学ばせる。それが学園の掲げるポリシーのひとつ。

 そう、大切なポリシーのひとつ……。


「品格はどうしたのよ! 品格は! 一方的に決めつけて! 人を罵倒してくれちゃって! あああーーー!」

 

 学園の隅にある、鐘塔の中の螺旋階段を上りながら、大きな声を上げる。

 今は使われていないこの塔は、たまたま扉を開けられるのに気付いてからというもの、私のお気に入りの場所だ。誰も来ない、周りは森で周囲にも人気のない、つまりこの中でなら大声を出したって聞く者はいない、そんな場所。


 怒りを叫び声に変換すると、そのまま発声練習をかねて声を出し続ける。


「あー。あー。アー。アーー。アアーーー!」


 怒りのせいかなんなのか、今日はなんだか調子がいい。声を出すのってすっきりする……。

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