第5話 衝撃の出会い
「んー、いい感じ……」
鐘塔には、鐘が設置されている屋上の一つ下にがらんとした広い部屋がある。たぶん物置なんだろうけど、使われていないためかほとんど何も置かれていない。
私はそこを自分用の秘密基地にしていた。
といっても、ちょっと掃除して、椅子代わりになる木箱を運び込んだだけだ。重くて疲れたけど、結構便利。あとは私物を隠す小さな箱。中には楽譜の写しとランプ、綺麗な布の端切れが数枚。
布は椅子代わりの木箱の上に敷くため。気分である。隠しているのは、私がいないときに誰かが来たときに、勝手に私が使っていると気付かれないように。
いくつかある窓にはガラスも木戸もはまっていない。そのまま外と繋がっている。
今日は晴れだから、明るい光が差し込んでいる。
「雨じゃなくてよかった。これ以上落ち込みたくないもの!」
感じたことは好きに口に出す。
こうして一人の時間に適当に何も考えずに言葉を口にするのって、解放感があって好きだ。
ここでは大声を出しても誰にも聞かれない。
さっきのだけじゃ、まだまだ文句は言い足りなかった。「アー、アーー」と軽く発声練習してから、私はもう一度叫ぶ。
「一体、誰が婚約者になりたいって言ったのよ! ひとっことも言ってないから! 私が! なりたかったのは! 演奏旅行ができる音楽家なの!」
うーん……まだまだ!
「キャサリン・ムーア! なにが恋する私にはわかる、よ! 全然わかってないじゃない! というかエドモンド・ロックウッド! あなただって薄々無理言ってるってわかってたでしょ!」
彼がやけに畳みかけるように私を責めてきたのは、心のどこかでは証拠なく私を貶めていると自覚していたからじゃないかと思うのだ。もちろん、それはキャサリン・ムーアにもいえること。
「あなた達が、あそこまで強気に出られた理由だってわかってるわ! どうせ私の家じゃあ、子爵の位持ちのロックウッド家には逆らえないわよ! だから好き勝手言って、無理を通したんでしょ! 結局そういう場所よね、ここは!」
悲しいけど、それが事実。
まあ、身分が人間関係に影響するのは別に学園だけじゃなくてどこだってそうだから、八つ当たり半分だけど。
この国での上流階級とは、一定の資産、特にある程度の土地を有する者達だ。昔は土地に限定されていたけど、昨今は商売によって多額の富を得る者も増え、その功績で叙勲される者もいたりして、線引きは曖昧になった。
上流階級の中で特別視されるのが、まさにその、貴族の位を与えられた家や人物。どれだけお金持ちだって、爵位があるのとないのじゃあ見る目は変わる。
じゃあこの国における爵位とはというと、厳密には上流階級の者が持つ名誉以外に意味はない称号……といったところだろうか。
だけど爵位持ちの家は大抵が資産持ちでもあるから、お金持ちの中の上位層がそのまま貴族みたいなものだ。それにほとんどが、代々国に関する要職に就いているとか、国になにかしらの貢献をし続けている家だったりする。特別な功績をあげた者に一代限りの爵位を与えられることもある。
要は“特別で偉い人”の目印みたいなもの。
持っていればそれだけで偉い人。継ぐことができた当主だけじゃない。その家族だって、特に何をしたってわけじゃなくても偉い家の人って特別な扱い。さっきみたいな一方的な言いがかりも、身分が上だし許される……そういう一面がある。
だからこそ、その身分という力に溺れないよう、偉い者ほど品格を身に着けろというのが学園の掲げるポリシーなわけだけど。
「なにが品格よ! 別の学園選べばよかった! どうせ相手が偉かったらあんな言い方しないのよ。例えば神様とか……ああもう、なにが神様よ! 聖女よ! 持ち上げ過ぎなんじゃない!? どうせ中身は同じ人でしょうがー!」
最後は完全なる八つ当たり!
だけど……ちょっとすっきりした。
これで愚痴は一旦終了。完全に忘れて終わりにするのは無理だけど、今は違うことをしよう。
「今日は、あの歌かな……」
誰もいない部屋の中心ですっと背筋を伸ばした私は、気持ちを切り替えた。そしてそっと歌い出す。
苦しみも痛みも
私の中に溶けて いつか消える
あなたの抱える秘密
そこにあるもの 誰も見えない
形だけを 私が覚えているだろう――
哀しいような、優しいような、切なさがゆっくりと染み入ってくるような調べ。
まだ誰にも披露したことはない。伴奏のための楽譜もなくて、主旋律しか知らないので、ロックウッド子爵の前でも歌わなかった。
いや、伴奏が用意できても誰にも聞かせる予定はないかな。だってこの曲は――
「…………」
歌い終わり、ほっと息を吐く。ひとりで余韻を噛みしめ、少しの間沈黙する。
……と、そのとき。
「綺麗な歌声だね」
……ん?
今、誰かの声がしなかった?
というか、パチパチって拍手も聞こえた――
「君は、こんなところで一人で、よく歌っているの?」
「あ……え……?」
おそるおそる振り向くと、屋上に続く壁際の階段の上部に、人が一人座っていた。手すりがないので、その人物の姿は何にも隠されることなくちゃんと見える。見えるのに、一瞬、私の脳は理解することを拒否した。
片膝を立て、その膝を半分抱きかかえるようにしながら、こちらを優雅に見下ろす見目麗しい青年。単に階段に座ってるだけなのに、いちいちその座り方さえ絵になるというか、何がといえないけど、何かが他の人とは違うって感じる美しさというか、かっこよさというか、そういうものが……ある……すごいですね。
「あ、あ、あ……」
「ああ、ごめん。急に驚かせたね」
階段に座っていたその人は、立ち上がるとゆっくりと階段を降りて来て……そして、なぜか私のほうへ歩いてくる!
口をぱくぱくさせたまま言葉が続かない私に、彼は「ん?」と完璧な角度に顔を傾けた。
「あ……アンリ・クリフ! ……様!」
動揺しすぎて、あやうく敬称つけ忘れるとこだった!
「ど、どうしてここに」
というか、どこから聞いていましたか!?
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