第31話 もうひとつの魔法
「僕もミリアに聞かれたよ。君のパトロンになって演奏旅行にいかせるのかって」
特別寮室で、いつも通りアンリと二人きりの夕飯時。
デザートのケーキを使用人が出してくれたところで、アンリが言った。
「確かに、僕のケーキに毒が盛られた事件は学園としては解決という形だからね。君と最初にした約束に則って、君は堂々と僕をパトロンにしていい。……ただ君は、キャサリンが犯人ではないと疑っているようだったけど」
「疑ったのにはちゃんと理由があるの」
私が疑う理由。それは私がまだ彼に隠しているもうひとつの魔法で得た情報だ。
隠したままで、キャサリンを調べ直す流れをつくれないかと考えはしてみた。だけど結局、アンリには正直に言ったほうがいいという結論に私は達していた。
変な隠しごとはしないほうがいいと思うし……。
でも最初の一言目を発するのにも勇気が必要で、私は場を持たすようにケーキを一口食べる。
彼も合わせてくれたのか、黙ってケーキに口をつけた。
「今日のケーキ、結構甘い」
関係のないことをぽつりとこぼす。するとアンリは確認するようにもう一口食べた。
「僕はこのくらいでも好みだよ」
「あなたって、本当に甘い物好きよね。学園では口をつけているのを見たことがないから、ずっと誤解しちゃってた」
「外で食べると面倒が多いんだ」
「うん、そう言っていたわね……」
昨日の夕食時にした会話を思い出す。
鐘塔で互いに気持ちを言えた影響だったのかな。昨晩は、普段より相手のことを尋ねられる雰囲気があった。
そこで彼が学園だと食べ物や飲み物にあまり手をつけないことに私が触れ、明確な理由があったことを知ったのだ。
『皆が「祝福」を貰いにくるからね』
そう。彼の食べかけ、もしくは飲みかけを貰いに来る者がいるから。
特に食後のデザートや、放課後に出された軽食だと『祝福』として生徒が貰いに来やすいらしい。
だけど彼は、自分が口をつけたものを同じ学園の生徒達が喜んで食べたり飲んだりすることに、根底では拒否感があった。ただ自分の役目として、諦めて受け入れていただけ。
思い返せばアンリは、あの日初めて「祝福」を目撃した私に言っていた。
『普通なら他人の食べかけなんて、食べるのも食べさせるのも吐き気がするよね』
極端な例えだって思ったけど、たぶん彼の本音だったんだ。さらりとそんなことを言っちゃうくらい、彼には嫌なことだった。あのときは気付かず流してしまったの、今さらながら胸が痛む。
「毒を盛られた日、あなたはケーキを一口も食べていなかったわね」
お皿に盛ったけど口をつけていないケーキ。
それでも”彼に用意された彼の食べ物”には違いない。彼は口をつける前のお菓子を渡すことで、生徒が求める「祝福」に応えていた。
「そして、私は毒の盛られたケーキを食べた」
私はようやく核心に触れる覚悟を決める。
「私の魔法は、本当は毒を無効化するだけじゃないの。毒を盛った人の感情を知ることもできる」
「感情を知る……?」
「キャサリンが盛った毒には、誰かへの恋心を強く感じた。その人を独占したい。自分だけのものにしたい。どうしてそうなってくれないのかわからない……そういう気持ち」
アンリは黙って私の話を聞いていた。
「だけどあなたのケーキに盛られた毒を口にした時感じたのは、悲しい気持ち。何かを憐れむような、ただただ胸が痛む、そんな悲しさだった。あれが本当にキャサリンがエドモンドに持った毒だったのなら、もっと違う感情を読み取ったんじゃないかと思う」
「それで彼女が犯人ではないと疑ったのか」
「うん……魔法のこと、信じてくれる?」
「もちろん、君の言葉なら」
「でも証明とか――」
「いらないよ。君はそんな無駄な嘘を吐かないだろう?」
「そうだけど……」
「ただ、人の感情に関する魔法は“闇魔法”に分類されるね」
私はぎくりと体を強張らせた。
「だから言い出せなかったのか」
「ごめんなさい」
「君が謝ることなんてある?」
「事件に関することを隠していたわ」
「“闇魔法”に対する偏見があることは知ってるよ。言い出せないのは仕方ない」
本当に?
縋るように彼を見てしまう。
アンリは、私を安心させてくれるように力強く頷いた。
「誰にも言わないよ」
「だけど、言わないと調査が……」
「そこは僕の方でなんとかしよう。うまく再調査する流れに持っていくよ。それに“闇魔法”で知ることができた情報となると、ことが簡単には進まなくなるかもしれない」
「それは……そうね」
闇魔法は人を惑わす悪い魔法。それを使う者も悪人。そういう偏見は根強い。
闇魔法を使う者の情報提供じゃあ、まずそれを信用していいのかとか異議を唱える人が出てきそう。
「僕は気にしないけどね。闇魔法を使う者が悪人なら、光魔法を使う者は正しく善良な者だ。でも僕自身は自分をそんな風に思っていないから。特に君に関しては」
「…………」
えーと、そこはノーコメントでお願いさせていただきたいです。
「君のことをひとつ教えてもらえて嬉しいよ」
そう言ったアンリは「あ……」と声を上げる。
「君のことをこうして知りたがる行為も、君を怖がらせるかな」
「それは……いや、うーん」
どうだろう。時と場合によるけど、今は――。
「そんな真面目な顔で自分の言葉について考える人は怖くないわ。ふふっ」
笑ってしまい、肩の力が抜けた。
もしかして今の、アンリは気を遣ってわざと言ったのかも。
「アンリは、これまでに闇魔法を使う人に会ったことはある?」
「いや、ないな。リサが初めてだ」
「そっか。もし使う人がいても、秘密にしていそうだものね」
「秘密を抱えているのはつらかった?」
「秘密にしていることよりも……人をおかしくしてしまう魔法を、知らない間に使ってるかもしれないって不安があったわ。私が自覚できていないまま使っている闇魔法が、他にもあるんじゃないかなんて疑っていて……」
……嫌だな。もうちょっとさらっと話したかったのに、思ったより泣きそうな口調になってしまった。
人に執着して極端な行動に出てしまう人達は、私のせいもあるんじゃないかという疑念。叔母にも占い師のお婆さんにも否定されたし、私もそう思おうとはしているけど、完全には難しい。
もう今さら、深刻になんかならずにうまく折り合いをつけたいのに。
「実は今も少し疑ってるの。……ねえ、もしも私がそういう魔法を無自覚に使っているとしたら、それを封じる方法はあるかな」
解決法が欲しいというより、悩みを聞いてほしくてした質問だった。
なんとなく、アンリが「一緒に探してみようか」なんて言ってくれたら、それだけで心強い気がしてた。
だけど彼はおもむろに立ち上がると、私の隣に立ち、手を取る。
「君がそんな魔法を使っているのかどうか、確かめてあげる」
そう言って彼は私を立ち上がらせ、ソファに移動させた。
彼の意図が読めないまま、私は彼の促すままに隣り合ってソファに座る。
「前にも似たような会話をしたよね。もし君が知らずに誰かを魅了したり、何か人をおかしくさせるような闇魔法を使っていても、僕にはかからないと」
「え、ええ。そういう光魔法の力を持っているって言ったわ」
「それだけじゃないんだ。僕に誰かが魔法をかけようとすればわかる。僕の光魔法の力でね」
アンリが集中するように目を閉じる。すぐに手もとからきらきらした光が舞い、彼が軽く手を振れば、光の粉が彼に降り注いだ。
「これは……」
「君が僕に闇魔法をかけているとすれば、これらが黒く染まるだろう。魔法をかけられてしばらくは、その力が体に残っているものだから」
「あなたに魔法が効いていなくても?」
「その場合のほうが、力の残滓は濃く出るよ」
きらきらした光をまとったアンリは、ちょっと人間とは思えない神々しさがあった。
そして光は黒く染まってはいなかった。
「私、本当に何も変な魔法を使ってない……?」
「そうだよ。君が狂気に染まった者に出会うのは、そういう運命にあるからなんだ。相手がおかしいのは君のせいじゃない」
「そう……そうなんだ……。いや、まあ、それはそれで喜べることでもないけど……」
嬉しいのと複雑な気持ちと、両方が押し寄せてくる。
ちょっと涙ぐみそうになって、それを誤魔化すように私は彼の神々しさについて触れた。
「そ、そうやってきらきらを纏っていると、あなた自身もすごく綺麗ね。まるで――」
「『神様』のようだろう? 僕が初めて無意識に使ったのが、この魔法だったんだ」
「あ……」
それで察する。彼の家族が彼を人でないものとして扱うきっかけになったのが、この魔法だ……。
「こんなもので何を感心するのかと不思議だったけど、昨日、少し周りの気持ちがわかったよ。屋上でリサもこうやってきらきらして綺麗だった。神様みたいにね」
ん? 私……?
「ああっ、それって、埃がきらきらしてたってやつよね!? 全然違うってば!」
埃とこんな綺麗な魔法を一緒にされても困る! 恥ずかしい!
「いや、綺麗だったよ」
彼はにこにこと笑って、もう一度その手からきらきらした粒子を飛ばした。それらは舞い上がり、今度は私に降り注ぐ。
「ち、違うってば……」
気恥ずかしくなって、私は視線を逸らした。
なんと言っていいかわからなくて焦っていると、不意に彼の手が私の首筋をなぞり、そして顎をくいっと上げる。
「あ、アンリ、なに……」
「リサ。これは?」
急に真剣な顔で見つめられた。
そしてアンリは顎にあった手を移動させ、私の髪の毛を一房すくい上げる。
「え?」
彼の手にある私の髪にはきらきらした粒子がくっついていた。
ただし、白い輝きをまとったものではなく、黒い輝きを放つものが。
「今日、君に近付いたのは誰? そのなかに、君に闇魔法をかけようとした相手がいる」
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