第30話 いろんな思惑


 鐘塔で、アンリと互いの気持ちを口にした次の日。

 登校するとクリスティーヌ達に囲まれた。三人はどこか感心した顔つきで、昨日の放課後にアンリが彼女達に話しかけたことを教えてくれた。


「アンリ様は本当にリサのことを気に入ってるね」

「昨日、わざわざ私達に聞きに来たんだよ。リサの姿が見えないからって」

「リサの行き先を聞かれたのは二度目だったけど、緊張しましたわ……」


 クリスティーヌが、ふう、と息を吐く。


「アンリ様への憧れはあるけど、近くにいたいというのとは別ね。私は遠くから眺めているので十分……リサはすごいわ。臆せず話ができるなんて」

「近づくと、どうしても身構えるよね」


 頷きながらケイが言った。


「住む世界が違いすぎるというか」

「でも、リサのことを話すときのアンリ様は、少しだけ近づきやすい感じもするな」


 シーラの言葉に、他の二人が同意する。


「あ、わかる! なんだか普通の学生っぽく感じる瞬間もあるんだよね。だから答えやすいの」

「わかりますわ。……リサもそういうところありますわよね」

「私?」

「ええ。アンリ様のウィンクルムになってから、前よりも話しやすくなった気がします。転校してしばらくは私達と話すときもどこか緊張しているように感じてましたの」

「それは……」


 言われてみれば、と気付く。たしかに前はクリスティーヌ達とはもっと距離を置いて付き合っていた。下手に仲を深めないようにと。

 いつの間にか、アンリ以外の相手への態度も変わってしまっていたみたい。

 ここは気が緩んでいたことを反省すべきだ。でも、反省したくない自分もいた。

 少なくとも明日まで――学期わりのダンスパーティーまでなら、この距離感でいてもいいよね。

 そう思いながら、その後は三人と他愛もない雑談を楽しんだ。

 そしてお昼休み。


「ダンスパーティーについての確認はこれで十分ね。みんな、頑張りましょう」


 生徒会用のサロンで、レベッカ先輩がみんなに告げる。明日は学期終わりの集会があり、その後は夕方から生徒会主催のパーティーだ。


「明日が終われば夏季休暇ですね」

「羽目を外しすぎないようにと、アンリ様から注意喚起をお願いしたいです」


 エリックやメグがそう言い、アンリは「わかった」と答える。

 今日の集まりはすぐに終わって、その後各自が昼食のために席を立つ。私は隣にある生徒会長用の執務室でいつも通りにアンリと食事だ。


「アンリは今日もリサとふたりきり? 夏季休暇前に、一度くらいみんなのいるところで食事は――」

「このあいだ、リサと食堂に行ったよ。でもやっぱりまだ皆と一緒は気を遣ってしまうね」

「そうか……なら、二学期にでも」


 提案をあっさり却下されたトウリ先輩は、食い下がることなく諦めた。

 彼に盛られた毒の件について、一応キャサリンが犯人ということで解決となってはいる。でもアンリはまだしばらく昼食は寮で専用に作らせたものを運ばせ、放課後に温室に行くこともしないと言っていた。

 毒の件へのショックが長引いているから……というのが表向きの理由。本当は違う。昨日それを知った私は、何も口を出さないで聞き流す。


「リサ、ちょっといいかしら」


 移動しようとしたら小声で名前を呼ばれた。レベッカ先輩だ。ちらりとアンリを見れば、彼はメグとエリックから何か質問を受けている最中だ。

 私はそっと部屋を抜け出し、廊下の端っこでレベッカ先輩と向き合った。


「昨日のことなのだけど」

「先輩。私、やっぱりアンリ様とは――」

「待って、誤解しないで。責めているわけじゃないのよ。駄目ね。厳しい言い方をしてしまうのがクセで……」


 うーん、と唸りながらレベッカ先輩は右手を額に当てて考え込む。


「昨日の放課後、アンリにも余計なことを言ってしまったの。あなたと距離を置くべきで、あなたもわかっているとね。それでかなり怒らせてしまって……そのせいであなたが理不尽に彼に責められなかったかと心配だったの」


 あれ? 予想した展開とちょっと違うかも。てっきりアンリと距離を置いていないことを注意されるのかと思ったけど……。


「もし彼から嫌だと思うようなことをされたなら、相談してちょうだい。絶対に誰にも言わないわ。アンリ相手だからって、恐れ多いと我慢しないで。できるだけ力になるから」


 いたって大真面目に言われて、逆に私は戸惑う。


「ありがとうございます。でも、嫌なことは何もありませんでした」

「本当? 彼はあなたを強引に自分の傍に置くようなことを言わなかった?」

「あ、えっと、それは……大丈夫です……」


 言われたか言われてないかといったら、言われた。

 でも私はそれを受け入れた。だから問題はないということで……。


「そう、ならいいの」

「私、先輩のことを誤解していたかもしれません」


 彼女は特別な人のお気に入りになることの重大さを私に訴えようとしていた。今は、私がアンリに何かを強要されてはいないか心配している。

 アンリへの執着心から牽制しているのではと思っていたけど、そうじゃないのかも……。


「私が、嫉妬からあなたを排除しようとしてると思ったのかしら」

「ううっ、少し……」


 ずばり図星をつかれてたじろぐと、先輩は苦笑いする。


「そう思われても仕方ないわ。嫉妬からあなたへ敵意を向ける人も存在するでしょうから。いえ、実際にいたわね。あなたを閉じ込めた生徒はそうだった」

「はい……」

「私ね、アンリが誰かを気に入った先に何が起こるかわからないのが不安だったの」

「何が起こるかわからない、っていうのは」

「彼が誰かに強く入れ込んで、万が一、その相手が去ろうとしたら? これまで彼は誰にも心を許さなかった。その分、受けるショックは大きいでしょうし……、彼なら相手を強引に引き止める力も持っているから……」


 レベッカ先輩は最後口ごもった。

 つまり、アンリがその執着心から常識外な行動を取る可能性があるって疑っている? さすがに具体的な言葉にはしにくいみたいだけど。

 ちょっと驚いた。こんなふうにアンリを冷静に見る人が私以外にも近くにいたんだ。


「そういうことが起こったら、どちらにも不幸でしょう」

「先輩は、私とアンリ様の両方を心配してくれていたんですね」

「うまくはいかなかったわ」


 レベッカ先輩は大きく肩を落としてみせる。


「昨日ね、取り返しがつかないほど怒らせたと思って、今日はかなり緊張しながらアンリと話をしたの。でも一言謝っただけで終わって拍子抜けしちゃった。あなたがアンリにとりなしてくれたんでしょう。私と、それからトウリについても」

「私はただ、お二人なりにアンリ……様を心配したんだろうって曖昧に言っただけです」

「あなたは、私が予想していた以上にアンリの特別ね。それにたぶん、彼を受け止める力もあるんだわ。完全に私の読み違い」


 言われるほど私もすごい人間じゃない。レベッカ先輩にそんなふうに評価されるとちょっと落ち着かなかった。


「前にも言ったけど、アンリが誰かをこうまで気に入るのは初めてよ。だから、彼も加減を間違うことがあるかもしれない。何かあれば頼ってちょうだい。頼りにくいかもしれないけれど」

「そんなことないです! 何かあれば相談させてもらいます」

「それから、トウリも余計な気を回したみたいだけど、それもごめんなさいね。彼もまた、アンリを昔から見ているから、私と同じように色々心配しがちなのよ」


 レベッカ先輩と同じように?

 いや、ちょっと違うんじゃないだろうか。トウリ先輩の場合は、どっちかというとレベッカ先輩のために――。


「レベッカ、俺も話をしていい?」


 まさに話に出ていた人が話しかけてくる。

 レベッカ先輩は腕組みをして私とトウリ先輩を見てから、私に「頼むわ」というような表情を向けて生徒会用のサロンへと戻っていった。


「昨日は変に脅かしちゃったみたいで悪かったね」

「いえ……私こそ先輩たちの忠告をちゃんと聞かずに突っぱねましたから……」


 なんだろう。レベッカ先輩に比べると、トウリ先輩はちょっと笑顔が胡散臭い。


「余計な口出しをしすぎたってレベッカが反省してた。便乗して君に注意しようとしてた俺も、一緒に反省しようって言われたよ」

「はあ……」

「確かに昨日は頭に血が上ってたな。君とアンリのことは俺も見守らせてもらう。レベッカの言う通り、何かあれば力になるから」

「あ、ありがとうございます」


 この人はおそらく、レベッカ先輩のことが特別に大切なんだと思う。

 そしてなんとなくだけど、レベッカ先輩がアンリを特別に想っていると誤解しているような気がちらっとしなくもない。昨日の短い会話から感じ取った限りでは。


「トウリ先輩って、レベッカ先輩のことをすごく大事に思っていますよね」

「昨日もだけど、俺達のことをやけにセットで語るよね。そこまで言うほど、べったりしてるつもりはないんだけどな……」

「生徒会の活動中とか、信頼し合っている感じがするんです」

「ふうん、そう見えるんだ」


 トウリ先輩は不思議そうだ。

 彼の言う通り、二人は昔からの友人らしい気安さはあれど、べったりはしてない。

 別にどう接するかは先輩達次第だ。でもそのあっさりした態度に、誤解を解くきっかけが訪れない原因があるんじゃないかなあ。なんてことも思う。


 だけど、いきなり第三者がわかったようなアドバイスをしたところで効き目はないんだよね。経験上知ってる。

 下手に首を突っ込んでも余計なお世話だし、そもそもレベッカ先輩側の気持ちは知らないし……。


「何か言いたげな顔をしているね」

「い、いえ。頼れる相手が二人も増えてよかったなと思っているだけです」

「そう? ならいいけど」


 私にできるのは、これからの二人が変にこじれずにうまくいくといいな、と心の中で願うことだけ。

 もどかしい気もするけれど、それしかないな。

 そんなこんなで昼休みは終わり、午後の授業も終わって、放課後――。


「私がリサ先輩にいじめられてるって噂が流れているみたいなんです。知ってます……?」


 貴族寮に帰ろうと校舎を出たところで、ミリアが私を引き止めて尋ねてきた。


「その件ね。ええ、知ってる……実際に耳にしたもの」

「先輩の前で言う人までいるんだ! もう、酷いです!」


 腰に手を当てて、ミリアは頬を膨らませて怒る。


「先輩もそう思いません? 『神様』のアンリ様の近くにいる人を、とにかく悪く言いたい人達がいるんですよ、きっと」

「そうね……。酷いというか、ここまでくると呆れてしまうかも」

「先輩は自分が光魔法を使えることを公表しないんですか? すれば、噂もおさまるかもしれませんよ」

「公表する気はないわ。それにそういうのは……悲しくない?」

「悲しい、ですか?」


 おうむ返しに聞かれて、私は頷く。


「アンリが『神様』で、私はただの生徒で、ミリアが光魔法使いの『聖女』。でも私が光魔法を使えたらきっとその図が変わるんでしょ? そういうもので態度を極端に変えられるのを見るのは、ちょっと悲しい気がする」


 そう。エドモンド絡みで何度か思った。

 あんまり偉そうなことは言えないんだけどね。私もそういう社会のルールに従って生きているし。


「そうですね。悲しい」


 静かにミリアも頷く。

 ただの同意じゃなくて、実感がこもっている気がした。

 前に、エドモンド達が私やミリアについてあれこれ言っていたとき、その場に居合わせてしまったときのことを思い出す。

 光魔法が使えるとわかる前、ミリアは身寄りがいないせいで街の人たちにあまりいい感情を向けられなかったって言ってた。学園に来たら庶民の出だからってあれこれ言われたり。


 同じ境遇ではないから、彼女の気持ちが理解できるだなんて言えないけど……悲しいって部分は同じでいいのかな。


 ああでも私の場合、身分とか魔法を使えるとか使えないとかで、まったく態度を変えないかって言われたら自信ない。アンリのことだって、「学園の神様」で別世界の人だって見ていたりしたし……。

 はあ……。


「本当、面白いですよね」


 急にミリアが「ふふっ」と笑った。


「え?」

「だって、滑稽だもん。でもみんな、そのことに気づいてないの! 滑稽でかわいそう。先輩はそう思いません?」

「そこまでは……私にもみんなと同じところがあると思うから、何とも言えない……」

「あれ? そうなんだ!」

「う、うん……」


 ミリアの急な感情の変化に、私はちょっとたじろいでしまった。

 確か前も彼女は面白いって笑ってたんだった。そして実は私はその雰囲気に、前に見た事件の――い、いやいやいや! 何を考えているの、私。


「やっぱり先輩は思った通りの人。優しい人ですね。アンリ様のケーキに毒を盛った犯人に対しても言ってましたよね。きっと悲しい気持ちでやったんだって」

「え? えー……まあ、うん……」


 あれは魔法で知った感情だから、そういう風に言われるとちょっと後ろめたいかも。


「そういえば、リサ先輩は夏の予定は決まっているんですか?」

「どうしたの、急に」

「急にじゃないです。ずっと気になってたんです。ほら、温室の件が解決したらアンリ様がパトロンになるって言ってたじゃないですか」


 そういえば、アンリにパトロンになってもらって演奏旅行に行く話は、ミリアも知っているんだった。


「行っちゃうんですか、演奏旅行?」

「アンリとは、その話はまだしていないの。でも行くことは変わらないわ」


 アンリと疎遠になる気はないけれど、同じ場所に留まり続けることにはやはり不安がある。彼もパトロンになってくれる気は変わらないと思うし、演奏旅行自体を止める気はない。

 彼から離れたくなくて行きたくないなんて思ってたけど、昨日互いの気持ちを確認したら少し余裕ができてきた。……我ながら現金だ。

 ふと、アンリが貸してくれたあの楽譜が思い浮かぶ。

 予定通り演奏旅行に出たら、あの楽譜の曲を歌ってもいいだろうか。


 あっ、でもその前に、アンリに盛られた毒の犯人についてはっきりさせないと。

 キャサリンが犯人でいいのか、私はどうしても気になっている。

 この件が解決しない限りは出発はしたくないな。彼を狙う相手が学園にいるままなんて絶対に嫌だもの。


「アンリ様、リサ先輩にくっついて演奏旅行に行くって言い出しそうだな~」

「ええ?」

「そう思いません?」


 そんなことない――とは言えなかった。

 そういえば冗談として流していたけど、ついていこうかなってこのあいだ言ってた!

 毒を盛った犯人が見つからないままなら、アンリ自身が学園を出てしまえばいいとかなんとか……。


「ああっ、その様子だともう言われましたね?」

「う、ううん。言われてない」


 さすがに学園の神様が学校をやめるかもなんて話は軽々しくできない。だから否定するけど、ミリアは信じていなさそうだ。


「楽しそうだな、先輩と一緒に旅行するの。でも本当にいいんですか? 相手がアンリ様で」

「どうして?」

「だってあんなに特別な人なだもの! 前に言ったように、もしかしたら先輩を魅了するような魔法をかけて、惑わしてしまっているかもしれない……なんて不安になっちゃったりしませんか?」

「もう、ミリアは心配しすぎよ」

「そうかなあ。私、いまだにちょこっとだけ疑っているんですけど」


 アンリが闇魔法を使う可能性。

 前もミリアに言われたけど、彼が魔法を使って他人を魅了するとは考えられない。

 彼のことをよく知った今は特に。彼はむしろ、必要以上に人に敬われたり注目されるのを嫌がってるところがある。


 というか、誰かを闇魔法の使い手かもと言うなんてミリアは結構大胆よね。他の魔法ならまだしも、闇魔法が使えるって一般的にネガティブな意味を含むのに。


「彼はそんな魔法は使わないわ」

「ふふっ、信頼してるなあ。すっかりアンリ様と仲良しですね。でも旅行するだけなら私……」


 急に言葉を切ってミリアが黙り込む。


「どうかした?」


 尋ねると、ミリアはふるふると首を振った。


「いいえ、なんでも。それより明日のパーティー、成功させましょうね!」


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