第22話 あなたがその言葉を言うのね……
「…………」
特に体に変化はない。
ふう、と体の力を抜き、私は「美味しいわ」と感想を述べた。
「そうでしょ? 紅茶を淹れるの得意なの。エドもみんなも、せっかく用意したんだからちゃんと味わってよ」
ようやくいつもみたいな得意げな笑顔をキャサリンがこぼし、つられるように皆が出された紅茶とお菓子に口をつける流れになる。
アンリは……紅茶のカップを手にとっただけで飲んでないみたい。誤魔化すように手元で遊んでから、さりげなくテーブルに戻している。予想してたけど、お菓子には手を伸ばしもしていない。
「それで、ロックウッド子爵は私のことでなんと言ってきたの?」
空気が少し緩んだところでエドモンドに尋ねる。
「……君のパトロンになる件だ」
緩んでいた空気がまた少し緊張する。
「君から辞退の連絡がきたが、母は君のパトロンを務めたいと。それで僕に君を説得するように言ってきた」
説明するエドモンドは、苦虫をかみつぶしたような顔だ。当然か。他でもない彼が私にパトロンを辞退するよう迫ったのだから。
「ということで、パトロンの辞退は撤回するように。それから……やはり君には僕のウィンクルムになってもらうのがよいのではないかと思う」
「は……?」
待って。
当然のごとく辞退の撤回を求めるのも信じられないけど、私が彼のウィンクルムになるってなに?
「そういうわけですので、アンリ様。リサ・ヒースを私に譲っていただけないでしょうか? 近いうち、彼女は僕の母がパトロンになり音楽家として演奏旅行に出る予定なのです。それまでの間だけでも、彼女を僕の指導生として扱いたく……」
「譲る、譲らない、なんてまるで物のような言い方をするんだね」
アンリが冷たく言い放つ。エドモンドが慌てて「い、言い方を間違えました」と弁解した。
「勝手なことを言わないでよ、エド。あなたにはキャサリンというウィンクルムがいるじゃない」
「僕はアンリ様に頼んでいるんだ。リサ、君は黙っていてくれ」
なっ……!
「君にはわからないかもしれないが、これは貴族としての体面も関わる問題なんだ。君のパトロンとなるロックウッド家の息子の僕が、君を学園で蔑ろにしていたなどと思われては困る」
すでに思いきり蔑ろにしてますけど?
けど、事情が読めてきた。
国内で五本の指に入るような名門貴族のお気に入りの支援をするのに、その相手を実は適当に扱っていたと噂になれば、裏でなんやかんやと言われるでしょうね。
短期間でも私がエドモンドのウィンクルムになれば、これまでのことは曖昧にしてしまえると考えたんだわ。
彼とキャサリンと私との関係がよくないことが、どこからか子爵にも伝わったのかもしれない。それで子爵に叱られたりしたのかも……。
「アンリ様なら、わかってくださいますよね」
「いや、別に」
短く、相手を切り捨てるような言葉。エドモンドは今度は完全に顔色を失った。
私は俯いてずっと黙っているキャサリンに問いかける。
「キャサリン、あなたはいいの? そのネクタイは軽い気持ちで受け取ったわけじゃないはずだわ」
彼女の胸元には、まだエドモンドと同じ深緑のネクタイがある。私の胸元に、アンリと同じ青色があるように。
「仕方ないわ。エドは……変わっちゃったもの」
「キャシー、まだそんなことを。これは仕方のないことだって言っただろう?」
「最近のエドは、エドらしくない!」
宥めようとしたエドモンドに、キャサリンが反論した。
「前はそんなこと言わなかった! もっと私の言うことを聞いてくれたわ。なのにリサ・ヒースにはやたら固執して、どうしてなの」
発せられた言葉に私は固まる。
『あなたらしくない』『前はそんなこと言わなかった』……?
隣でアンリが「あれ? その言葉……」と何かに気付いたようだけど、私は目の前の二人から視線を逸らせなかった。
「ねえ、どうしてなの、エド」
「君の想いはよくわかっているよ。だがすべては叶えられないんだ」
「リサ・ヒースのことがそんなに大事なの?」
「そういうわけじゃないが、やはりロックウッド家がパトロンになるからには将来的なことも関係してくるんだ。アンリ様のお気に入りをただの子飼いの音楽家として扱うのも申し訳ないし、いずれは我が家に迎え入れることも視野にいれないと――」
「は……はあ!?」
これには私が思いきり声を上げてしまった。
迎え入れるって結婚するってこと?
「ロックウッド子爵がそう言ったの!?」
「母上は言っていない。だが、そのほうがいいだろう? 君だって将来の子爵夫人となれるのなら文句はないはずだ」
「ものすごくありますけど!」
「君が口を出す話じゃないんだ。爵位も持たない家の娘は黙っていてくれ!」
「……っ!」
本当に信じられない!
してもいない婚約破棄を宣言したくせに!
どうせ私との結婚だって、私を気に入っているアンリと――彼の実家のクリフ家との繋がりを持つためでしょ。
「アンリ様、どうか僕の気持ちを汲んでいただけませんか」
一転して下手に出るエドモンドに、何とも言えない気持ちになる。
ここにいるのは光魔法使いで人形みたいに綺麗な人で五大家と呼ばれるクリフ家の子息と、ただの地方の領主の家の娘。アンリが普通に接してくるから忘れかけるけど、
目の前にふたり並んでいるのに、こうもわかりやすく態度を変えられたりする。
前にミリアと話していたときにも思ったけど、いっそ滑稽で……悲しい。
「要件はそれだけ?」
アンリの一言で、ヒートアップしていた空気が一気に氷点下になる。
「あ、アンリ様……?」
「僕はリサとのウィンクルムを解消しない。それにリサはロックウッド家にパトロンになってもらうこともない。彼女のパトロンになるのは僕だからね」
「えっ!?」
「僕の大事な相手に好き放題言われたことについては、改めてロックウッド子爵に抗議させてもらうよ。じゃあ行こうか、リサ」
彼に促され、ソファから立ち上がる。
慌てたようにエドモンドも腰を浮かすけど――
「ま、待ってください。もう少し話を……うっ!?」
言葉の途中でエドは急に苦し気な声を上げ、その場に崩れ落ちた。驚いた取り巻きの生徒達が「エドモンド!?」「どうした!?」と声を上げる。
「ふ、ふふふっ……ふふ……」
直後、キャサリンも笑い声のような声を上げながら苦し気に体を曲げた。横で倒れているエドモンドはさらに「ぐうっ!」とうめき声を漏らす。
「……!」
その光景を見た瞬間、私は頭がすっと冷え、扉に走った。
「誰か! 医者を呼んで!」
廊下に向かって叫ぶと、ちょうど通りがかった生徒と目が合う。
「なに? どうしたんだ」
「急病人よ! 一刻を争うわ。早く呼んで!」
「わ、わかった!」
ただならぬ雰囲気を察したのか、すぐに走り出してくれた。
あとは……。
振り返ると、苦しむエドモンドとキャサリンを心配そうに取り巻きの生徒達が囲んでいた。
「しっかりしろ、エド、キャサリン!」
「一体なにが……」
「リサ、医者は」
「他の生徒が呼びに行ってくれた。すぐに来るはず」
アンリに答えると、私はエドモンド達の元に近付く。
「念のため聞くけど、二人に何か特別な持病はないわよね?」
「な、ないはずだが……」
「なら、毒性のあるものを摂取したのかもしれない。吐き出させないと――」
「毒だと? 何を言っているんだ!」
思いきり胡散臭い目で取り巻きの生徒に見られた。確かに普通は、ここですぐに毒だなんて発想にならないよね。
「悪いが近づかないでくれ!」
「君が何かしたんじゃないのか!?」
彼らは私を遠ざけようとする。アンリが「君達、彼女の言う通りに――」と口を開くが、さすがにパニック中の彼らには、学園の神様の言葉でも届かないようだ。「医者が来るならそれでいいです!」と頑なに二人を囲うようにして動かない。
どうしよう。医者が来る前にできることはしたほうが――。
「あ……」
ふと、テーブルの上の紅茶とお菓子に目が留まる。
今日これらを用意したのはキャサリンだった……。
「…………」
私は思い切って、キャサリンの食べかけらしいマドレーヌと、飲み掛けの紅茶を一気に口にする。
「リサ!」
アンリが私の名を叫んだのは聞こえた。
だけどそのときにはもう、私の体は総毛立つような感触やぞわぞわとした気持ちの悪い感じに包まれていた。
駄目だ、これは本当によくない!
「アンリ、これは、本物の毒……吐き出させて、早く……!」
なんとかそれだけは言えたはず。
その後は――私は湧き上がる強い感情に飲み込まれ、そして意識を失ってしまった。
***
それは夕食時だった。
叔母との半年の旅行期間を終え、私は彼女と別れて実家の小さな屋敷で過ごす日々。そんななか、十六歳になった私へのプレゼントがあるからと珍しく叔母が短期間だけ滞在していたときだった。
「叔母様、素敵な本をありがとう」
「ふふ、気に入ってくれたなら嬉しいわ」
「どんな本を貰ったんだい、リサ」
「変わった場所を旅した人の日記なんですって。お兄様にも貸してあげるわ」
「君は一年の半分を旅しているのに、まだ旅した話を読むのか」
やや呆れたように兄が笑う。
「家にいても旅した気分になれるでしょう?」
「気まぐれに街に繰り出したりと落ち着きがないかと思えば、部屋に一人籠って本に没頭して……もう少し、僕の相手もしてくれ」
わざとらしく拗ねる兄に、「ふふ、ごめんなさい」と返す。
そんな私達の前にメイドがデザートのタルトが乗った皿を配膳していく。
「これは……」
「領地でとれたブルーベリーのタルトなんですよ」
兄に、やたら甘ったるい声で返すメイドの声が少しだけ引っかかった。いや、あとから思えばというやつで、そのときはそこまで気にならなかったかもしれない。
彼らの会話を聞きながら私はタルトに口をつける。
異変はすぐに訪れた。
体中が総毛立つような感触やぞわぞわとした気持ちの悪い感じ……。
「お兄様、叔母様、口にしては駄目!」
続いて湧き上がってきたのは、誰かに向けた恋心。狂おしいほどにその相手を求めてやまない衝動。彼を自分のものだけにしたい。他の誰かを見る目が許せない。
そんな暴力的な感情。
同じ毒を口にしただろうお兄様への心配さえ、その強い感情に塗りつぶされてどこかへ消えていく――
***
「……いやっ!」
飛び起きたら、そこはヒース家の屋敷ではなかった。
「え……?」
私はやけに豪華で大きなベッドに寝ていて半身を起こした状態で、ええと、着ているのは……制服?
とっさに自分の状況が把握できなくて、そんな基本的なことを混乱しながら確認していると、ベッドサイドから名を呼ばれた。
「リサ、気付いたんだね……!」
「あ……」
横を向けばアンリがいた。
彼は不安そうに半身をベッドへ身を乗り出すようにして私の様子を窺おうとする。
「アンリ……!」
「り、リサ!?」
反射的に彼に抱き着いていた。
「無事だったのね、あなたは……よかった、生きてる……」
「リサ……うん、僕はなんともないよ。安心して」
そっと抱きしめ返される。
それがとても安心できた。私はここにいて、彼は元気で。それから……。だめだ、うまく頭が働かない。
考えようとしても浮かんでくるのは、毒を飲んだときのあの感覚。
「あなたに何かあったらと怖くて……私……」
「大丈夫。僕はこの通り。僕のほうこそ君が心配だった」
「毒なら平気だもの……」
「僕は平気じゃないよ」
彼の体が震えてる……と思ったら、彼が優しく私の背を撫でる。
「怖がらなくていい。震えないで」
「え、私……?」
「気付いてないのか。ああいや、気にしなくていいよ。君のことは僕が守ってあげる。怖いものからはすべて。だから何も考えなくていい」
彼の抱きしめる力がぐっと強くなった。
私は素直に身を委ねて……、いや私も彼の服をぎゅっと握りしめた。混乱した頭でも彼が私を離そうとしないのだけは伝わってきていて、なぜかそれがすごくほっとできたのだ。
「知らなかったな。こうして縋られることを嬉しいと感じることがあるなんて」
「……? ごめんなさい、よく聞こえなかった」
「君が僕の腕の中にいてくれればそれでいい。よくわかった。余計なものはいらないね」
…………。
………………。
………………………………。
その言葉、あなたが言うのね…………。
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