第35話 そしてパーティーは……

 長椅子のひじ掛け部分に手を拘束されたままの私の、すぐ隣に立ったアンリは厳しい顔でミリアを睨む。

 怒りをにじませたその顔は、むしろのそのせいで人外みを感じるほどの美しさを放っていた。間近で見ると、その迫力だけでちょっと怯みそう。

 そして、ダンスパーティー用のえん尾服に、カーテンの隙間から入ってくるわずかな光を反射する磨き上げられた片手剣。立ち姿もすべて美しく、まるで物語の登場人物みたい……と一瞬呆けてしまう。

 いや、そんなところに見惚れてる場合じゃないけど! でも、アンリがあまりに妙に様になってしまうから……!


「どうしてここがわかったんです」

「君のことを追いかけていたら、ここに辿り着けたんだ」

「追いかけて? じゃあ」

「ああ。話はほとんど最初から聞かせてもらったよ」


 アンリはミリアへ剣を向けたまま、片手で私のさるぐつわだけ緩めてくれた。息がしやすくなって、私はほっとしながら深呼吸する。


「本当はすぐにでも飛び込みたかったけど、君の目的を探るために様子を見ていたんだ。……ごめんね、リサ」


 私に語り掛けるときだけ、彼はとんでもなく優しく微笑む。私はふるふると頭を振った。

 そしてミリアは、アンリが私の方に意識を向けたその一瞬を逃さなかった。


「油断しすぎ――」

「……っ!」

「アンリ!」


 隠し持っていたらしい短剣を突き出して向かってきたミリアだったけど、アンリが素早い動きでそれを剣で弾いた。

 彼の動作はとても軽いものに見えたけれど、ミリアの手からは短剣が落とされ床に転がった。衝撃が強かったのか、落とした右手を押さえながら彼女は後ずさる。


「これでも剣術大会優勝者だ。甘くみないでほしい」

「やだなあ。わざわざそんなこと言って忠告してくれるなんて、アンリ様こそ甘くないですか?」

「そうかな。大人しくしないと、君は“事故”で命を落とすかもしれないよ。学園の生徒達を無差別に狙った犯人相手となれば、誰も僕を疑わないだろう」

「ふ……ふふふっ! なら試してみます?」


 ミリアはわざとその身をさらすように、両手を広げてみせた。


「アンリ、挑発には乗らないで」

「私、リサ先輩のこととっても気に入っちゃったんです。ここで放っておいたら、また狙っちゃいますよ? 今度はアンリ様の邪魔なんて入らないところに連れて行っちゃうかも」

「それは困るね――」


 アンリがこれ以上なく冷たい声を出したとき。

 階下から「乾杯」と生徒達の挙げる声が聞こえた。

 ミリアの顔に得意げな笑顔が広がる。


「リサ先輩は助けられたけど、他の生徒達は無理でしたね」

「さあ、それはどうかな」


 まったく動揺した様子なく答えるアンリに、ミリアが怪訝そうになる。そして少し迷ってから、カーテンの隙間から下の広間を見やった。


「えっ、どうして……」

「飲み物は別のものに変更させてもらったよ。彼らが口にしているのは、何も入っていない普通のジュース。君が手配したものはすでに警備のものに引き渡している」

「いつの間に」

「リサはちゃんと僕に書置きを残しておいてくれたからね。“生徒会で準備した乾杯用ジュースがあやしいから、確認しにいく”って」


 そう。気付いた可能性に焦って寮を飛び出した私だけど、一筆残すことだけは忘れなかった。

 ほぼ無意識にそんな行動をとっていたのは、きっとこれまでの経験のせいだ。事件が発生しているときって、本当に何が起こるかわからないから。


「書置きだけで信じたんですか? ジュースを手配した私のことはまったく信じてくれなかったってことですよね、ショックだな」

「そもそも、リサに闇魔法をかけたのは君だろうとすでに疑っていたからね。闇魔法の残滓を僕は見抜くことができる。だから書置きを見てすぐに手を回したんだ」

「うわあ、ずるいです、そんな魔法……あっ、もしかしてアンリ様って闇魔法を無効化する魔法も使えるんじゃありません?」


 アンリは無言だ。でも否定もしない。

 追い詰められているはずなのに、ミリアは可愛く拗ねてみせる。


「もー。なんでもお見通しの『神様』なんて面白くないなあ……。アンリ様こそ痛い目に合うべきだったかな? 今からでも――」

「あ……あなたが闇魔法をかけた相手じゃないかって、最初に疑ったのは私よ! アンリじゃない」

「は? リサ先輩が?」

「ええ、そう……」


 眉を寄せるミリアに、私は恐る恐る頷いた。


「私、疑われるようなことしましたっけ。覚えがないんですけど……」

「あなたがアンリは闇魔法を使えるんじゃないかって、二度も言っていたのが印象的だったの。あなたがあまりに確信を持った風に言っていたから、何か理由があったんじゃないかと思った」


 ミリアは、アンリが闇魔法で人を魅了しているかもしれない、と冗談めかしつつ忠告してきた。

 あれは、ミリアが過去にアンリに闇魔法をかけようとしたことがあって、それがうまくいかなかったからではと思ったのだ。

 同じ属性の魔法を使える者同士だとその魔法が効きにくい。自分がかけようとして効果がなかったからこそ、アンリが闇魔法使いだと疑えたんじゃないかと。

 実際には、アンリは「闇魔法を無効化する光魔法を使える」という理由なのだけど。


 そこにトゲのように引っかかっていた違和感も合わさって、ミリアの可能性を疑ったのだ。

 この予想は昨晩のうちにアンリにも告げている。だから彼は、朝から警察に連絡してこっそりミリアの調査を始めていたはずだ。それもあって対処が早かったんだと思う。

 今朝、彼に私が「やりすぎないで」と頼んだのはこの件だった。あのときはまだ、ミリアへの疑惑に確証はなかったから……。


「へえ、そんなところから気付いたんだ。リサ先輩、大正解ですね。頭のいい人は嫌いじゃないです」


 えへへ、って微笑まれる。……どうしてそこで嬉しそうにできるの。

 アンリが相手を牽制するように剣を握り直した。


「魅了の魔法を使うのには、力を消耗するのかな。リサや僕、一部の使用人にしか使っていないよね。ああ、それからキャサリン・ムーアにもかな」

「思ったより使えなかったのはアンリ様のせいですよ」


 はあ、とミリアがため息をつく。


「確かに疲れちゃうし、効果の強さも人によるから乱発しないんだけど……でも、アンリ様に魔法を弾かれちゃったから、警戒してたんです。あんなの初めてだったから、下手に使ってバレちゃう可能性をちゃんと考えたの。特に生徒相手にはね。それなのに結局バレちゃった」


 ミリアはもう一度、今度はわざとらしく大きなため息をつくと、「バレたのはリサ先輩のせい」と言う。


「夏季休暇に入っちゃったら、先輩は演奏旅行に行っちゃうんでしょ? だからその前に止めようと思って焦っちゃった」

「君が焦ったおかげで、リサが乾杯用のジュースに毒が仕込まれてたと気づけたよ。……彼女を狙ったことは許さないけどね」


 ミリアはにやりと笑った。


「ねえ、アンリ様。こんな風におしゃべりしていて私を捕まえないんですか? それとも、やっぱり一人で乗り込んできたせいで何もできないんじゃないですか。リサ先輩を守りながらだと、戦えませんよね」

「君のことは、個人的にも少し前から油断できない人物だと思っていた」


 ミリアの問いには答えず、アンリはそんなことを言う。

 私も初耳の内容だった。驚いたようにミリアも目をぱちぱちさせる。


「えー、どうして? 私、いい後輩してたでしょ?」

「リサが倉庫に閉じ込められたと知ったとき、すぐに助けを呼ばなかっただろう。中庭を眺めて、わざと時間を潰していた」


 そういえば、そんなこともあった……。

 あのときミリアはアンリの見間違いだと言った。でも今回は否定しない。代わりに質問を返してくる。


「アンリ様なら、どうしてだかわかります?」

「暗闇にいる時間が長いほど、灯りをともした者の存在が大きくなるから」

「ふふっ、さすが」


 ミリアは後ろに手を組んで、二、三歩その場を歩く。


「私達って似てますよね」

「似てないよ。僕は彼女をこんな風に傷つけたりしない」

「そうですか? 時と場合によるんじゃない」


 剣を握るアンリの手ぎりりと力が込められるのがわかる。

 ミリアのほうは、さらに余裕のある顔になった。


「ねえ、私が何の対策もせずにここにいると思います?」

「どういうことだ」

「私が細工したのが乾杯用のジュースだけだってどうして思うんですか? ふふっ、私が合図を出せばこの会場中に幻覚を見せる毒の煙が充満したりして」


 そう言って、ミリアは意味ありげに派手なハンカチを取り出す。ハンカチの角をつまんで垂らすように持った彼女は、すぐにその手をカーテンの外へと突き出した。


「これが広間に落ちたら……ふふっ」

「だがそれでは、君も巻き込まれる」


 言葉と裏腹にアンリが緊張したのを感じた。


「私はちゃんと対策してるに決まってるじゃないですか」

「そんな大がかりな方法で逃げるのか。もっと確実な手を用意しているかと思ったよ」

「んー、でもリサ先輩を傷つけずにここから連れ出すにはその方法が一番ですし」

「……私?」

「はい。だって毒を打ち消す魔法が使えるでしょう? 反動で倒れちゃうかもしれないけど安心してください。みんながフラフラになっている間に、先輩のことは私がちゃんと連れ出しますね」


 そんな……!


「ミリア。君が合図を出せば、その瞬間にこの剣が君の体を貫くだろう。リサは僕が連れて行く」

「じゃあ賭けですね。賞品はリサ先輩で。私がその剣を避けられなければアンリ様の勝ち。私を仕留める前にアンリ様が毒の煙にやられちゃえば私の勝ち……そのときは、アンリ様の命をもらってもいいですか?」

「乗るしかないんだろう?」

「やめて、そんな賭け!」


 無駄だとしても言わずにいられなかった。


「ふたりともやめて。ミリア、お願いだからもうこれ以上は――」

「先輩のお願いでも、これは聞けないな」

「止めても無駄だよ。ミリアは命を賭けに使えるほど君を気に入っているようだから」

「え……?」

「アンリ様も同じなくせに。ふふ、リサ先輩はあの温室のケーキに毒を盛った犯人は悲しんでるってわかってくれたから好きなの。あ。これで死んだとしても先輩のことは恨みません」


 あっけらかんと宣言される。そんなあっさりと死んでもいいなんて言うの!?

 私は否定するように首を振った。


「違うの、ミリア。私が犯人の気持ちを当てたのは、理解してたからじゃない!」

「リサ、言わなくていい――」

「どういうことですか?」


 アンリの言葉を遮るようにして、ミリアが低い声で尋ねてくる。


「それが私の魔法なの。私は毒を盛った人の感情を知ることができる。闇魔法よ。だからあなたの魅了の魔法も効かなかった」

「…………」

「魔法で知った感情なの……」


 しんとその場が静まり返る。

 だがすぐにミリアが「ふふふっ」と笑い始めた。


「なーんだ、そうだったんだ! すごいなあと思ったのに」

「ごめん……」

「えー、どうして謝るんですか? というかよく告白しましたね? 自分の身が心配じゃないんですか」

「え?」

「私が先輩を傷つけないのは、理解してくれたと思ってたからですよ。種明かししちゃったら、気が変わった私に何かされるって思いませんでした? アンリ様だって気付いて止めようとしてたでしょ」


 そうだ。少し前に、危険だから黙っておいたほうがいいよねって自分でも思ったばかりだったのに。


「でも誤解させたままにはできなかったから……」


 本当は命を賭けてもらうような、そこまでの存在じゃない。

 どうしても黙っていられなかった。


「私のためなんだ」

「それはよく受け取りすぎだわ」

「ふふっ、やっぱり先輩はいい人。優しい人ですね……」


 ミリアがカーテンの向こうに突き出していた腕を引っ込める。ハンカチは彼女の足元に落ちた。パーティの行われている広間ではなく。


「ミリア……?」


 どういうことなのかと思わず呼びかけるけど、そのとき廊下と繋がる扉の向こうから「確認済みました!」という声が聞こえてきた。

 アンリが「入れ!」と声をかければ、数人の武装した男性たちが踏み込んでくる。

 学園の警備の人間と、それから……警察?


「やだ、準備万端じゃないですか。どうしてすぐにこうしなかったんです」

「君の協力者が周囲に潜んで何か企んでいるかもしれないから。その確認と危険の排除が済むのを待っていた」

「わざと時間稼ぎしてたんだ。私の仕込みはお見通しだったてこと?」

「君なら、協力者を複数用意して保険のための策を立てるだろう。ちなみに君が逃走のために抱き込んでいた使用人は、僕がここに踏み込む前に拘束してある。彼からも他にも仲間がいると聞いていたんだ」

「やっぱり私たち似てません? だから私のやり方も予想できるんですよね」

「無駄話はもういい。君の言い方を借りれば、賭けは僕の勝ちだ」

「残念。負けちゃった。賞品欲しかったんだけど」


 警察の人間に両側から腕を拘束されながら、ミリアが私の方を見る。


「先輩、頑張ってくださいね。アンリ様みたいなのに好かれたら、なかなか逃げられませんよ」


 その視線を遮るようにしてアンリが間に立った。


「連れていけ」

「また会いましょうね、先輩!」


 アンリや警察の人間の体の隙間から私を見つめながら、ミリアが軽い感じで告げる。授業終わりに、また明日、と声をかけるような調子で。

 彼女を連れた男性たちはすぐに出て行き、残りの人間もアンリにいくつか短い指示を出されて部屋を出て行った。


「ごめん、後回しにして」


 ふたりきりになると、すぐにアンリが私の拘束されたままだった両手を解放してくれた。

 私は黙ってそれを眺める。ちょっと放心状態だった。


 事件に巻き込まれたことは多いけど、私が犯人に執着心を向けられたことはなかった。

 私、もしかしたらアンリとも二度と会えなかったかもしれない……んだよね?

 改めて思い返すと体が震えた。


 アンリはそんな私を抱きしめようと腕を伸ばしてくれた――ように感じたのに、途中で動きを止めてしまう。


「アンリ……?」

「最後にミリアが言っていたことは気にならない? 僕のような相手からは逃げられないと」


 私は彼の手を取る。


「気にしない」


 彼から向けられる感情は、私にとっては特別なもの。

 この話はもう、あの鐘塔でしたはずだ。


「彼女が僕と似ていると言ったことも……?」


 小声で尋ねるアンリに、彼が本当はそっちのほうを気にしているんだと気付く。

 でも二人は私にとってまったく別の存在だ。並べられても、比較はできない。


「アンリは……」


 はっきり言葉にするのは、少し恥ずかしいけど。


「私にとってアンリは特別だから」


 ようやくアンリが優しく抱きしめてくれる。その腕の中にいると、さっきまで感じていた怖さが薄れていく気がした。


「そういうことを言われると、また君を手放せなくなる」

「え? あ、そ、そうなの……」


 おかしいな。これまでの経験から余計なことは人より言わないはずなんだけど。


「どっちにしろ、逃さないけどね」


 これ以上なく甘く優しい声で囁かれる。

 これって喜んでいいのか、よくないのか。

 でも反射的に喜ぶようにどきどきしてしまったから、いいのかな。完全に抜け出せない何かにはまってしまった気分だけど……。


「おっと、邪魔した、ごめん…………」


 誰かが扉を開けてくる音とともに、そんな声が聞こえた。トウリ先輩だ。

 慌てて私はアンリから離れようとするけど、思いのほか回されている腕に力が入っていて動けなかった。


「どうかしたのか」

「いや……このあとのことを相談しようと思ったんだけど……、もう少ししてからでいいよ」


 ようやく頭だけ動かして、私はトウリ先輩を見る。


「トウリ先輩、何かあったんじゃないですか? 少し顔色が悪い気がします」

「いや、これは入ってきたときの……アンリの表情がインパクト強かったせい。めちゃくちゃ優しく笑ってるのに、なんだか同じくらい怖くも見えて――」


 先輩は途中で口を噤んだ。


「ああ、いや、なんでもない。今のは忘れて」

「……?」


 アンリのほうを見ながら言うから、私も気になって見上げてみるけど。

 見なくていいよっていうように、すぐに目元を手でふさがれてしまった……。



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