第36話 夏季休暇に入りました


 夏季休暇に入って何日か経った。

 他の生徒達が実家や旅行へと旅立つなか、私とアンリは学園に留まっていた。

 ミリアの起こした事件の当事者として、色々と事情を警察やら学園の関係者やらに説明する必要もあって、ようやく落ち着いたところだ。

 まあ、私はもともと家には帰らない予定だったけど。


 鐘塔の窓から見える空は、雲一つない晴天だった。

 夏といえどこのあたりの気候は涼しく、特に今日は風もちょうどいいくらい吹いていて過ごしやすい。それで、私とアンリは貴族寮を出て久しぶりにここに来ている。


「やっぱり、君の歌はいいな」


 構えていたヴァイオリンを下ろしながら、アンリが言う。

 私達は一曲演奏し終えたばかりだった。


 手元には、貴族寮に泊まるようになったときにアンリが渡してきた楽譜がある。

 今はすべてを歌えるようになった。歌詞は中途半端なメモ書きしかなかったから、私がそれをアレンジして足りない部分は作詞した。


「この曲自体も素敵なの」

「君が作った詞がいいんだよ。元の曲には何の感情もないのに、君のおかげでいろんな情感が込められているように感じる」


 相変わらず、彼からもらった楽譜の曲についての話題になると同じ会話になるんだよね。

 彼は私が詞を作り歌うからいい曲になると言い、私はこの曲自体の良さを褒める。


「初めて会ったときもそう思った。君の歌声が素敵だと思ったのは本当だ。でも、足された言葉もすごく好きだったんだ。だからどうしても、もう一度聞きたいと思った」

「あ……」

「ん?」

「ううん。気に入ってくれたんなら、嬉しい」


 今、彼は“あること”を言ってしまったんだけど、きっと気付いていない。


「ねえ。君は、今も変わらず演奏旅行に出かけたいんだよね」

「どうしたの、急に」

「ミリアの件での、僕らの対応にも区切りがついたからね。あとは警察の仕事だし、そろそろ考えてもいいだろう?」


 確かにあの事件の影響で、夏季休暇になったら演奏旅行どうこうって話は一旦止まっちゃっていた。そんなことを考えている余裕がなかったからだ。

 ミリアはいまだに、警察で厳しい取り調べを受けていると聞いている。彼女に協力していた使用人は全部で四人ほどいたらしく、彼らもすべて捕まった。


 ミリアに対する気持ちは複雑だった。

 彼女とは同じ学園の生徒として仲良くできていたと思う。その時間は嘘じゃない。


 彼女の動機だって、一部の感情は確かに私も抱いたものではあった。

 もし事件を起こさずに、ただ悲しいって気持ちを話してくれていたら……? そうしたら、もっと違う結果があった……?

 落ち着いた今は、そう思う気持ちも湧いたりはする。こういう態度は、滑稽だって彼女は言うかもしれないけど……。

 いや、どうだろう。何も興味を示さないかもしれないし、うざったく感じるかもしれない。これまでの経験からすると……ううん、今はまだそうやって当てはめるのはやめておこう。


 一方で、あのバルコニーで拘束されていたときに感じた恐怖もいまだに消えない。

 もしアンリがいなかったら、今ごろミリアに連れられて私はどこか知らない場所へ、ううん、もしくはこの世にはいなかったりして――。

 そう思うと、まだ少し体が震えたりもする。


「出発は今すぐがいい? この学園には嫌気がさしたかな。あんな事件に巻き込まれたことだし、当然だろうけど」

「学園が嫌ってことはないわ。ただ、ずっと同じ場所に留まると、より危険な目に合う確率も高くなりそうだとは変わらず思ってる」


 彼が生徒会長を務める学園なのであんまり失礼な言い方はしたくない。けどまあ、こればっかりは仕方ない。

 解決したのはあくまでもミリアの件だけで、これから先に何かしら別の事件が起こらないとも限らない。


「でもミリアが捕まったから、しばらくは平和なのかもね……」


 ガーデンパーティーでの薬草入りジュースの事件も、エドモンドとキャサリンの事件も、ダンスパーティーでのことも、すべて裏にはミリアがいた。

 彼女がいなくなった学園は、逆に安全……と言えるのかもしれない。


「そういえばトウリが君に謝らなきゃと連絡を寄越したよ。パーティーの準備をリサに手伝ってもらうのに、ミリアと組ませることを提案したのはあいつだから」

「そうだったの?」

「僕のウィンクルムになったことで、君とミリアが比較されていろいろ言われるだろうから、君達の仲が悪くないところを見せておくといいと言われてね」

「てっきり、ふたりで温室のケーキの件を調べろって意味かと思ってた……」

「誤解されたなとは思ったよ。君がやる気だったから言えなかったけど」


 そんな気遣いをされてたなんて気づかなかった……。


「それから、警察からはミリアが温室のケーキに盛った毒の入手経路が判明したと連絡があった。街の薬屋の一人を魅了して手に入れていたらしい」

「協力者は学園外にもいたのね。捜査は簡単には終わらなさそうだわ」


 彼女が魅了して協力者にした人は、まだすべて確認できていないらしい。事件が完全に解決したというには、もう少しかかりそうだ。

 考え込んでいたら、じっと私を見つめるアンリに気付いた。


「まだ何かあるの?」

「君は僕を疑わなかったよね。あのケーキが僕を狙ったものじゃないなら、僕自身が毒を盛ったとは少しも考えなかったの? 『祝福』をもらいに来た生徒に、僕が」


 笑顔の消えたアンリは、ただ私の出方を窺っている。怒っているわけじゃなくて、おそらく純粋に私の考えを知ろうとしているのだ。

 下手な隠しごとはよくない。そう直感した私は素直に白状した。


「一瞬くらいは……考えた。でもあなたの可能性はすぐに消えたの。あの毒を口にしたときの感情と、あなたが結びつかなかったから」


 何かを憐れむような、悲しい気持ち。あれがアンリの元へ「祝福」をもらいに来る生徒達へのものだとしたら、彼ではないと思ったのだ。

 冗談めかしてとはいえ「普通なら他人の食べかけなんて、食べるのも食べさせるのも吐き気がするよね」なんて皮肉を言う人が、あんな純粋な悲しさを抱えながら毒を盛るだろうか。


「大体、あなたが犯人なら矛盾しているわ」


 あのとき毒のケーキを食べたのは「祝福」をもらいにきた女子生徒ではなく、関係のない私だ。彼が犯人ならどれが毒入りなのか知っているはずなのに、標的じゃない私が食べるのはおかしい。

 私はそれらを簡単に説明する。


「あははっ、リサは冷静だな」


 面白がるアンリを、私はじとりと睨んだ。


「というか、あなたも自分が狙われた可能性は低いって早い段階で疑っていたわよね?」


 私の指摘に彼は目を見開く。


「あなたがケーキを食べないことは、あなた自身がよく知ってる。あなたを観察していた犯人だって気付いているんじゃないかって、私より早く思い至ってもおかしくない」


 自分が狙われているというのに、彼はどこか他人事のようだった。本当は自分を狙ったものじゃないかって、薄々気づいていたからではないだろうか。


 アンリは、ふっと笑みをこぼした。


「そうかもしれない、くらいには思ってたよ。確証はなかったけどね……」


 じゃあどうしてその可能性を口にしなかったのか。

 その質問は飲み込んだ。

 たぶんそれは、みんなの「神様」としておかしな慣習も受け入れてきた彼の、心の奥の柔い部分に触れてしまう気がしたから。


「『祝福』の慣習は、どうにかして廃止したほうがいいと思う。あなたが無理して従う必要ないわ……」


 例えばレベッカ先輩やトウリ先輩にも協力してもらって、穏便に廃れさせる方法だってあるんじゃないだろうか。


「私だって協力できることはするし――ん!?」


 いつの間にか彼の人差し指が私の口元に伸ばされ、まるで「黙って」というように唇に触れた。


「な、なに……」

「暗い話題はここまで」

「わ、私は真剣に――」

「うん、知ってるよ。ありがとう、嬉しい」


 めちゃくちゃ機嫌よく言われて、私は引き下がる。もう……!

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