第24話 この状態は軟禁ですか?
あの日、毒を含んで倒れて、そして貴族寮で目覚めてから数日。
私はいまだに一般寮に帰れずにいた……。
なんて言い方をすると語弊があるかもしれない。けどともかく私は、一度も貴族寮の外に出ないまま、アンリの元で生活してしまっていた。
ウィゼンズ学園の貴族寮は、一般寮と比べてだいぶ豪華な造りをしている。
一般寮もそれなりに立派ではあったけど、貴族寮はそれ以上に作りつけの家具も立派で広々としていて、使用人の数だって生徒に対して多くとってある……らしい。
らしいというのは、私は他の人の部屋を見ていないから。私がいるのは貴族寮の中でも特別寮室という、特殊なところだ。
この国でも五本の指に入る名家、クリフ公爵家の子息であるアンリだからこそ使える場所だった。
まず廊下に扉がついていて、そこを超えて部屋を訪問するためには一度使用人を通して伺いを立てる必要がある。その先にあるのは、勉強のための個室とそこから繋がった寝室。他に独立した応接室と客室がひとつずつ。
応接室があるのはいいとして、どうして客室が必要なんだろう。
その疑問を口にしたら、すぐにアンリが教えてくれた。
貴族寮や貴族用エリアというのは、学園が創設されて間もないころに王族が入学したときに作られたもの。特別寮室も、もとはその王族のため。客室はその王族の婚約者が尋ねてきた際に使用できるよう配慮された結果らしい。
そして私は現在、その婚約者用だったという客室に寝泊まりさせてもらっている……。
「いや、まずくない?」
他に誰もいない応接室のソファでくつろぎながら、私はひとりごちた。
ここ数日の私は、客室か応接室にいるか、たまに勉強を教えてもらうのにアンリの部屋にお邪魔するか、その三択だ。
私がキャサリンの盛った毒で倒れ、ここで目覚めた日。アンリにもらったお茶を飲んで眠って……目が覚めたあと、私はクリフ家の医者に診察を受けた。私も毒を含んだことには間違いがないから、念のためにということで。
そして医者に念のため数日は安静にするように言われた。事件に巻き込まれた精神的なショックについて心配されたようだ。
それで、結論を言えば医者のアドバイスに従ってここで療養することになった。
「どうしてくつろげてるの、私……?」
疑問を口にするけど、答えはわかってる。
きっと薬の入っていただろうお茶を飲んでも、怖いと感じなかったからだ。なぜかはわからない。でもそのことがあったから、ここで過ごすことへの抵抗も薄れたんだと思う。
「だけど客観的に見てよくないよね、この状況は」
外出はせずに特別寮室に引きこもり、会うのは使用人と医者と、そしてアンリだけ。
数日経った今、ようやく私はこの状況ってもしかしてだいぶおかしいのではないかと自覚した。
……遅い。
「ただ、私は別に害されているわけじゃないわ」
誰に対してでもなく言い訳みたいなことを言う。
前に遭遇した事件で、恋人に執着するあまり相手を監禁した挙句の揉め事があった。その際は監禁された相手が助けを求め、たまたま叔母様と私もその救出を少々手伝うことになったりした。
そのときと比較すると、私は逃げたくて助けを求めて困っているわけじゃない。
大体、ここに留まることを推奨してきたのは医者。アンリは後押ししただけだよね。
私が巻き込まれて倒れたことは学園側も把握している。だから魔法のことを隠すためにも、しばらくは“療養”してみせたほうがいいんじゃないか。そしてここなら、療養のフリのためにベッドにずっと籠っていなくていいし、クリフ家の医者に診てもらえるから多少の融通も利かせてもらえる……。
そう言われ、私がアンリの提案に甘えると決めた。あれ? つまり私の意思?
「うーん。んー……ンーンーンー、ンンン~~~」
ただの唸り声から発声練習へ。
私は手元にある数枚の楽譜に視線を落とした。
「覚えたい曲も一気に増えちゃった……」
机の上にも他の楽譜がいくつも広げられている。すべてアンリから渡されたものだ。
日中、部屋で一人で過ごすのに、歌の練習をしていればと渡されたのだ。貴族寮は一般寮より壁が厚いし音が漏れにくい。それに昼間はみんな登校しているから、ほとんど誰にも聞こえない。好きに練習し放題だ。
鐘塔でもらったように、これらもすべて彼に献上された無名の音楽家のものらしい。
私は走り書きされている歌詞の一部を確認するように指でなぞる。どの曲も、思いつきのようなフレーズはたまに書かれているけれど、完成した歌詞はついていない。だから歌うときはそのフレーズを元に私の方で歌詞を作っていた。
「無名の音楽家ね。どんな人なんだか」
ふふ、と思わず笑みがこぼれて……その後、私は小さくため息を吐いた。
思考は先ほどの問題にまた戻っていく。
まるで閉じ込められているかのような今の状況。周囲にも誤解を生む状態。どこで間違ったんだろう。
逃避していたのかな。
実家でのことを思い出す事件に遭ったのは、やっぱりショックだったから。
だけど今は、自分の状態のまずさを認識できるくらいには冷静さが戻った。
ここにいるのは確実によくないことだ。それに早くアンリのケーキに毒を盛った犯人を捜さないと。アンリのほうこそ、危険な状況にいるよね?
でも、どうしても思考は戻ってしまう。今の状態って、アンリが私を閉じ込めているのかな、って……。
もしそうだとしたら、そこにある感情は怖いものだ。これまでの経験で嫌というほど思い知ってる。とても危険。
だから私は、経験を活かして怖いことが起きないよう立ち回らないといけなくて――。
「リサ、歌わないの?」
「へぁっ、アンリ!?」
急に背後から声をかけられ、私はびくりと肩を揺らした。
「どうしてここに。まだ、授業中じゃない」
「ああ、自習になったから戻ってきたんだ。僕の成績なら、多少自由に過ごしても見逃してもらえるしね」
「そ、そう」
「それより、どうかしたの? 楽譜に何か不備でもあった?」
アンリは長椅子に座っていた私の隣に腰掛け、ずいっと手元を覗き込んだ。
ち、近くないかな……!?
貴族寮に寝泊まりするようになってから、なんだかさらに彼との距離が近くなった気がする。
「ちょ、ちょっと考えごとをしていただけよ。楽譜は関係ない」
「なにを考えてたの?」
「私、いつごろ学園に復帰できるのかなってこと……」
言ってしまった。
でも自覚しちゃった以上、無視することはできないのだ。
「リサは登校したいの? あんなに嫌な思いをしたのに。ここにいれば安全だろう? もし欲しいものがあるのなら、すぐに用意するよ」
「欲しいものは十分もらってる。でもやっぱり学生だし、体調が戻った以上は授業に出るのが普通かなって思うし……」
「無理して行かなくていいよ。どうせあと数日で夏休みだ。それとも、ここに不満がある?」
「不満とかはないけど……」
説明しにくくて俯いてしまう。
今の状況はまるでアンリに私が閉じ込められているみたいに思えて、それが嫌というかよくない気がして避けたい。
でもそのまま言うのは失礼すぎるよね。
現状、彼は何もしてないのに、一方的に疑って嫌がっている形になる。ここに留まったのは医者の勧めによるものだし、色々と気も遣ってもらっているというのに。
知らず知らず楽譜を持っている手にぐっと力が入る。すると、そっとそれを包み込むようにアンリが手を添えてきた。
「もしかして、僕に閉じ込められているように感じて怖くなった?」
「……!!」
顔を上げると、優しくこちらを窺う彼がいる。
私はその優しい微笑みにつられるように、こくんと小さく頷いた。
「実は、ちょっとだけ。ごめんなさい、あなたはそういつもりじゃないかもしれないけど、でも私、これまで色んな経験をしてきたせいで――」
「大丈夫、気にしないで。これまでのことを考えたら当然だったね。じゃあ明日から君が登校するってあとで学園のほうに連絡を入れておこう」
「えっ、いいの!?」
「うん。当然だろう?」
きょとんと首を傾げられ、拍子抜けする。
なんだ、閉じ込められてるみたいだなんて思ったけど、あっさり解放された。私、勝手に色々と考えすぎていたみたい。ちょっと恥ずかしい。
「言っただろ。僕は君を怖がらせたくない」
「ええ……そうだったわ」
「でも、君のことが心配なのは本当なんだ。目の前で死ぬかもしれない毒を盛られて、魔法で解毒したと言われてもやっぱり不安がある。だから、しばらくはここで寝泊まりしてくれないかな。ここなら信頼できる医者もいるから、何かあってもすぐ対処できる」
包み込むように私の手を包んでいた彼の手に、力がこもった。
間近に迫る綺麗な顔に正直たじろいたけど、それ以上に彼の真剣さに圧され、私は「わ、わかった」と承諾する。
「よかった」
満足げに笑って、アンリが手を離す。
知らずに肩に力が入っていたのが抜けて、私は急に疲労感を覚えた。今のやりとりだけで、結構緊張していたらしい。
私は机の上に置いてあるお菓子の入ったポットに手を伸ばし、紙に包まれたキャラメルを取り出す。
「考えごとをすると甘い物が食べたくなるわ……」
「なんだかわかるな。僕も貰おう」
アンリもそう言って、同じようにキャラメルをひとつ手に取る。
特別寮室に常備されているお菓子は、彼の実家が手配したシェフの手作りだったり、有名な店からの取り寄せ品らしく、どれも美味しかった。
「あなたって、甘い物、結構食べるわよね。部屋には必ずキャラメルとか飴とかが置いてあるじゃない? あなたのために使用人が選んで用意しているものでしょう?」
「そうだね。結構好きだよ。そうだ、今度おすすめのデザートを夕食に用意させよう。この辺りじゃなかなか手に入らないハーブを使ったものなんだけど、実家が気を遣ってたまに寄越してくれるんだ」
「楽しみにしておくわ」
アンリは本当に甘い物が好きなようだ。ここで一緒に食事をとる時も、美味しそうに食後のデザートを食べている。
学園では、まったくといっていいほどそれらには手を付けていなかったのに、意外な一面だった。
美味しいものを食べ慣れているせいで、学園の厨房が作ったものは口に合わないとかなのかな。
そんなことを考えてそのときは終わり、寝る前に私はふと気付いたのだった。
結局、特別寮室に寝泊まりすること自体は変わってないな、と。
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