第12話 たぶんオーバーキル
魔法のことを黙っててもらい、さらにはいずれパトロンになってもらうのと引き換えに、毒入りケーキの調査を約束した次の日。
私は、ひとつ大事なことを言い忘れていたことを思い出していた。
アンリ様に渡されているネクタイの件だ。
昨日は私が倒れたり、魔法のことがばれたり、いろいろとあったのですっかり頭から抜けていた。
アンリ様達もケーキの件に意識がいっていたのか、誰も私がネクタイをつけていないことに言及しなかったし。
二日続けてネクタイをつけていないことで、さすがに先生に注意されてしまった。汚してしまって洗濯中だとなんとか言い訳したけど。
新しいネクタイを購入することも可能だ。けど、さすがに貰ったネクタイを返す前に、買い直したネクタイをつけるのは失礼かなと思う。
「今日こそ言わないと……」
そして私のネクタイを返してもらわないと。
昼休み、特別エリアの貴族棟に向かいながら、私は決意を新たにした。
今日は昨日行けなかった分、アンリ様に一緒に昼食を誘われている。できるだけ人に見られないよう、貴族棟の生徒会専用サロンに行こうとしたけど。
「待て。リサ」
特別エリアへの渡り廊下のすぐ近くまできたところで呼び止められてしまった。
「エドモンド。何か用かしら」
面倒な相手に捕まった。彼の横には、彼の腕にしなだれかかるようにキャサリンが立っている。
「君に少し注意しておこうと思ってな。いくら僕に振られて悲しいからといって、腹いせにおかしな噂を流すのはやめたまえ」
「おかしな噂? なんのことだか……」
むしろ流しているのは、そこにいるあなたの恋人のほうでしょ! 私が振られたとか、嫉妬でいじめたとか!
内心むかっとするけど、表面は穏やかに受け流そう。そう思うけど、エドモンドのほうは妙に苛立った感じで続ける。
「君がアンリ様に気に入られたらしいとかなんとか、信じられない話を耳にしたんだ」
もう噂になり始めたの!?
昨日、気を失ってアンリ様に運ばれてたのを誰かに見られてしまってた? ああ、それとも昼休みにちょっとだけ話していたときのことが誤解されたのかも……。
「昨日、昼休みになにやら内緒話をしていたと聞いたぞ」
お昼の件か。
「だがどうせ、君がでっちあげた嘘で、本当は内緒話なんてしていないんだろう?」
「は? 私がでっちあげた?」
「あの方の名前を出して、僕に嫌がらせしているつもりなんじゃないのか? アンリ様に目をかけられるような相手を振ったんだと、脅しているんだろう」
「違うけど……」
「いいか、君がそんなことをすると、僕やひいてはロックウッド家の不名誉にもなる。君はパトロンになると言ってくれた母上に恥をかかせるつもりか」
「パトロンの話は終わったことでしょう。あと、嫌がらせなんてしていないわ」
エドモンドは「はあ」とこれみよがしにため息をついた。
「まったく。君がそこまで僕に惚れていたとは……」
「何を言うのよ。惚れてません」
「好きだからこそ、そんなに怒っているんだな」
「いや、違う」
この人、妄想しすぎじゃない?
一体どこからそんな発想が出てくるの。
「キャシーがそう言っているんだから、隠すことはない。僕を好きでいることは許す。ただ、素直に身を引いてほしいと言っているだけだ」
「だから、好きとかじゃないんだってば!」
「しかし君なんかが本当にアンリ様に気に入られるはずがない! ならば君が僕を好きで嫌がらせしているしかないだろう!」
「話を聞いてほしい……」
エドモンドは変に苛立っているというか、焦っている気がする。
まるで、威嚇するように主張すれば、自分に都合のいい事実が本当になるとでも思っているみたいだ。
もしかして……自分が不当に貶めた相手が、本当はいじめちゃいけない相手だったかもしれないと慌てている?
エドモンドは睨むように私の胸元を見た。
「そうやって、これみよがしにネクタイを外しているのは、まさかあの方に貰うタイをつけるために空けている、なんて言わないよな?」
「あ……」
図星をつかれてどきりとしてしまった。
つけるためにというか、つけてくれと言われて悩んでつけられてないというか……。
言い返せない私に、二人が思いきり驚いたように目を見開いた。
「うそぉ、図々しい。貰えないに決まっているのに! そうやって思わせぶりなことだけして、エドを脅すつもりね!」
「君なあ」
「いえ、これは……たまたまいつものネクタイを失くして……」
「見え透いた嘘はいい」
エドモンドはやれやれというように腕組みした。
「そこまでするなら、まあ、婚約者は無理だが僕の指導生として検討してやらんこともないか……仕方ない」
……はい?
意味がわからなかったのは、さすがに私だけでなくキャサリンもだったみたいだ。ずっとエドモンドの横で私を睨んでいた彼女が、困惑した顔になって彼を見る。
「ちょ、ちょっと、エド?」
「心配しなくとも、僕の恋人は君だ、キャシー。ただ、礼儀のなっていないリサを僕の指導生にしておかしなことをしないように見張るのも、惚れられた者の役目というか、彼女を虜にしてしまった責任というか」
「でも私、そんなことして欲しかったんじゃ……」
キャサリンが最後まで言うのを聞かず、エドモンドがびしっと私を指さす。
「いいか、リサ。明日からは君は僕の深緑のネクタイをつけて登校を――」
「勝手に話を進めないでくれるかな」
気持ちよさげに語っていたエドモンドを静かに遮る声があった。
「あ……アンリ様っ!?」
いつの間にか、アンリ様が貴族棟への渡り廊下との境目に立っていた。
驚くエドモンドの前を素通りしたアンリ様は、私の傍へとやって来る。
「遅いから迎えに来てみれば、なんだかおかしなことになっているね。……君は、彼女を自分のウィンクルムにする気なの?」
「そ……そうすべきかと。彼女はおこがましくも、アンリ様のウィンクルムになりたいと企み、あなたに目をかけられていると噂を流しているようで、その間違いを正すためにも――」
二年生のアンリ様でなく、三年生のエドモンドのほうが丁寧な口調になっている。けど、この学園だとおかしくはない。家柄を考えてもアンリ様だけ別格だし、それに彼の前だと自然とそうすべきではという気持ちにさせられるオーラがあるのだ。
「リサが僕のウィンクルムになりたいからと噂を流す……?」
「はい。もともとは彼女が僕に振られたことが原因で――」
「噂、流してるの?」
きょとんとした顔で聞かれ、私は思い切り首を振った。
「なにか誤解があるみたいなんです! 私は噂なんて流してません」
「そうだよね」
「騙されないでください、その女は――」
「だってリサは既に僕の指導生なんだから」
「へっ?」
「は!?」
アンリ様の言葉に、エドモンドとキャサリンが声をあげて固まった。
「リサ、あげたタイはどうしたの?」
優しく問いかけられ、私は観念した気持ちでポケットからネクタイを取り出す。綺麗な青色に、生地と同色の糸でなされた細かな刺繍。アンリ様の胸元に結ばれているのと同じもの。
「持っています。すみません、つけるのが恥ずかしくて」
だめだ。この流れで「実はウィンクルムにはなりたくなくて、返す予定で……」なんて言えるわけない。
「このくらいで恥ずかしがられると困るな」
私の手からタイを取り上げたアンリ様は、そのまま優雅な動きで私の首元に結んでいく。
私は動けずにそれを見ていた。タイをつけてもらうのは二度目だけど、全然慣れない! 近い! アンリ様が! その手が!!
「これからはちゃんとつけてね」
アンリ様が結び終わったところで、ようやくエドモンド達の硬直も解けたらしい。
「あ、アンリ様……そ、それは本当に?」
「彼女は僕のウィンクルム。編入してきて色々とまだわからないことも多いだろうからね。僕が手助けしてあげることにした」
「しかし、それくらいならアンリ様の手を煩わせずともっ!」
「そ、そうですわ! そんな人、アンリ様が助けることなんて」
「……君達に口出しされることじゃないよ」
「ひっ!」
エドモンドもキャサリンも顔色を失くして下を向く。アンリ様は穏やかで淡々と告げただけ。なんなら、彼は私の胸元のネクタイの形を整えながらで、エドモンド達を見てすらいない。
けれど、その機嫌を損ねていると感じるだけでどうしても身がすくむ。原因となったエドモンド達だけじゃなく、彼の目の前にいる私だって。
「行こうか、リサ」
「は、はい」
促され、私はアンリ様と一緒に貴族棟に向かって歩き出す。
ちらりと背後を見ると、放心した様子のエドモンドとキャサリンがへなへなとへたり込んでいるところだった……。
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