第3話 毒入りジュース!? ……慣れてます
「やだ……舌が変……!」
シーラが口を押えてしゃがみ込むのが見えた。
「い、言われてみれば俺もそうだ……」
他のみんなも、それぞれ気持ち悪そうに口を押さえて前かがみになったり、力が抜けたようにへたり込んだり。
「なに?」
「どうしたの?」
突然のことすぎて、周囲の困惑した空気が伝わる。
そして私は……すっと頭のどこかが冷えるのがわかった。
一番近くにいた使用人に駆け寄り、淡々と告げる。
「あなた、保険室から医者を呼んできて。パーティーで急病人が出たと」
「えっ、えっと」
「早くしなさい」
「は、はい……!」
弾かれるようにして、使用人の女性が建物内へと駆けていく。私はもう一人近くにいた別の使用人を捕まえると「厨房担当を呼んで来なさい。それから、この会場を仕切っている使用人も」と命じた。彼もまた、すぐに駆け出していった。
それから私はクリスティーヌ達の元へ向かう。
「何を食べたの? それとも飲んだ? すぐに吐き出せそう?」
「ここにあったジュースをみんなで……でもものすごく苦くて……ねえ、なに、これ」
シーラが指すテーブルの上には、おそらくオレンジジュースが入ったグラスが並んでいる。一番近くには、たぶん彼女が飲んだグラス。
一瞬迷って、私はそれに口をつけた。
「リサ!」
シーラが悲鳴のような声を上げるけど、無視して多めに口に含む。
舌が痺れるような苦みが一瞬遅れてやってきた。一度に多く飲みすぎたかと思うけど、我慢してすべて飲み込む。
「…………」
もし毒ならば絶対にわかる。
なぜなら、それが私の周囲に必死に隠している「魔法」の力だから――!
「リ、リサ……?」
飲み込んで何秒か待った。
本当にほんの少しだけ体中がふわっと軽くなる感じがする。そして湧き上がる高揚感のようなもの……。
一瞬くらっとして世界が暗転しかけるけどすぐに治った。
これは――毒じゃない。
私はふうっと息を吐き出した。
「本当にまずいわね、これ……。でも、ただ苦くて舌がちょっと驚くだけみたい。大丈夫、毒とかそういうのではないと思うわ」
「毒!?」
「死ぬことはないし、体に何か悪影響があるわけでもなさそうだから安心して」
「し、死ぬ!?」
「ええ。これが毒だったら死んでしまうこともあるわ」
私は淡々と答える。
外でパーティー中に同じテーブルにいた男女が倒れる……こういう状況、前にもあったな。
伯母様との旅行中に寄った村で遭遇した、だいぶ大きな事件だった。
近隣の街や村からも参加者がくるような大きな収穫祭。
あるテーブルに置かれた飲み物すべてに毒が入っていて、そこにいた同年代の男女グループが倒れた。
犯人の動機は、恋した女性が、友人である彼らに感化されて都会へと出ていくのを止めるため。犯人はそれほどまでに女性に執着していたのだ。
倒れたなかには、私達が滞在していた伯母様の知り合いの家の息子もいた。彼に収穫祭を案内されていた私も、毒入りジュースを飲んだ一人だ。彼も私もなんとか助かったけど。
あのときは事前に少しも疑う出来事なんかもなくて、本当にびっくりしたな……。いや、こんなのん気な感想を持つような出来事じゃないのだけど、でもこのくらい鈍感でいないとやっていけなくもある。
今回は、あのときみたいな毒殺騒ぎじゃない。だって毒じゃないし。悪いけど少しほっとする。
もちろんそんな感想を言ったら変な目で見られることは知っている。だから殊勝な態度でいる……のに、あれ?
「どうしたの?」
気付けばシーラだけじゃなく、近くで苦しんでいたクリスティーヌ達も目を見開いて私を見ていた。
「ど、毒なんて……」
「今回は違うのよ? 私はただ、毒だったら死んでしまうって事実を言っただけで――」
「怖い……!」
ケイが身震いし、ローレンスが慌てて彼女の肩を抱く。
そこでようやく、“毒”という単語だけでみんなをかなり怯えさせたのだと気付いた……!
「安心して! さっきも言ったけど、これは毒じゃない。毒だったら私がこんなにピンピンしているわけない」
「これから影響があるんじゃ――」
「ないわ。いえ、多分ないと思う。それにすぐに医者も来るわ。遅効性なら解毒剤を飲む暇があるとも言えるわけで……ええとつまり、大丈夫ということよ」
「リサ、あなたとても冷静ね」
感心したような、ちょっと引いたような感じでクリスティーヌが言う。
「ああ、そうかも。毒殺とかそういうものに遭遇するのは初めてじゃないし――」
「え……」
あ……。
みんなが完全に引いた。
「い、医学書で読んだって意味ね。まるで経験したみたいな気分になるような……そういう意味で……」
慌ててお粗末な言い訳していたら、「大丈夫か!」「何があったの!」と声が響いて、皆の意識がそちらへ向いた。
見れば、険しい顔をした何人かの先輩達が駆け寄ってきている。……アンリ様も? ああそうか、パーティーを主催している生徒会の人達だ!
「関係のない生徒はもう少し離れて。誰か医者をここに――」
「連れてきました!」
野次馬の生徒達を宥めようとする声と共に、医者の到着を叫ぶ使用人の声が聞こえる。よかった。
アンリ様はかがんで私達に問いかけた。
「何があったんだい?」
ん? 私に聞いてる!?
「それは――」
今私には、周囲からたくさんの視線が向けられている。そこに加えて学園の「神様」からの視線。
それを意識した瞬間、私はばっとクリスティーヌを見つめた。彼女は一瞬「えっ!?」って顔をしてから、すぐに「実は……」とアンリ様に説明を始める。
ごめん、ありがとう……。
ただの状況説明でも反射的に拒否してしまった。こんな人の目がある中で、あんなたくさんの人から想われている人と話すなんてあまりに危険すぎる。そんな思考が一瞬働いたからだ。
それからは、ざわつく生徒達を生徒会の人達が抑えたり、ジュースを飲んだ生徒達は順番に医者に診てもらったりと、いろいろ大変だった。やってきた教師や生徒会の人達にそれぞれ事情を話したりもして。
どうやら今回の騒動は、厨房での食材のミスが原因だったらしい。
リラックス効果があるという薬草の葉を、新人がジュースの香りづけにいいと聞いたことがあるからと一部のデキャンタに勝手に加えてしまったようだ。それも大量に。
しかし、その葉は柑橘系と組み合わせたときだけ苦みが出るものだった。あのテーブルには新人によって葉が加えられたデキャンタから注がれたグラスが並んでいて、近くにいたクリスティーヌ達が飲んでしまった。
このことは次の日には学園全体に伝えられ、ガーデンパーティーの騒ぎはスピード解決して終わりとなった。
よかったのだろうけど、周囲のほっとした雰囲気には乗れなかった。染みついてしまった警戒心のせいで、ありもしない裏を疑いたくなってしまう。
私の魔法の力……それは摂取した毒を無効化すると同時に、それを盛った相手の感情を感じ取れるというものだ。
あのジュースを飲んだ時、私の体はほんの少しだけふわっと軽くなった。あれは体にいい影響を与える効果が含まれているときのもの。きっとリラックス効果があるという薬草の効果だろう。
私が魔法の反動で気絶しなかったので、効果はたいして強くない。
……そこまではいい。
でも、あの高揚感は?
あれは“何かのために尽くせること”への高揚感だった。
何か、というのは生徒達のことだろうか。生徒達に美味しいジュースを飲んでもらおう、という思いだけであんな高揚感が湧くものかなあ。
少し気になって、新人の使用人とやらを遠目に一応確認だけしておいた。癖毛で赤毛が特徴の、熱血っぽい若い男性。今回の件以外で特に問題を起こしたことはないみたい……。
いやいや、もっと素直に考えなきゃ!
変に疑りぶかくなっちゃってるの、よくないよね。
あの事件はもう解決。終わり。いいことじゃない。
あの後の私は、危険かもしれないとわかっているのにジュースを飲んだことを注意されたり、クリスティーヌ達には感謝されたりした。
私の魔法については秘密のままだ。
注目を集めればそれだけ、狂気を抱える人間に目をつけられたり、ただの巻き添えをくらう可能性だって高まるからだ。
ちなみに私の冷静な態度や毒殺がどうこうという言葉について、クリスティーヌ達にはスルーされていた。なんとなくだけど、遠慮のような引いているような雰囲気を感じる。
でも表面上は普通にクラスメイトを続けられているから、もうそれでいいや!
だって、私はもうすぐこの学園を去るしね!
無理矢理実家を出て学園に入ってまだ一か月半と少し。でも私は近いうちに学園からも飛び出して、演奏旅行で各地を転々とする音楽家となるのだ。
同じ場所に長く留まり、たくさんの人との関係を深めるほど、誰かの執着心に巻き込まれる可能性は高くなる。
ならば、短期間でいろんな場所を移動していけばいいのよ――。
と、そう前向きに思っていられたのは、ガーデンパーティーから一週間ほどの、ある日の午後までだった。
放課後、私をいくつかある庭園の一つに呼び出した、エドモンド・ロックウッドが告げたのだ。
「君とのパトロン契約は白紙にする! 君のような、性根の腐った性悪女などに、僕の家に入って欲しくない!」
「え……」
家に入る?
「僕は君のような相手との婚約など破棄するからな!」
婚約なんて、していないよね??
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