第10話 魔法発動してました
「ん……? ここは……」
ふっと意識が浮上して、目が覚める。
ええと私……そうだ、温室でアンリ様にお茶に誘われて、ケーキを食べたら魔法が発動した感覚があって、それから……。
どうやら、どこかの部屋のソファに寝かされてる。誰かのジャケットが毛布替わりみたいにかけられている。これは男子生徒用の……待って。この香りはもしかして――。
「よかった、気が付いたんですね!」
体を起こすと、そんな声と共にすぐ横に女の子がしゃがんで私の手を取った。
「気分の悪いところはありませんか?」
「ミリア・シャローム……さん?」
「ミリアでいいですよ、リサ先輩」
私の手を握っているのは、ミリア・シャローム。え? どうして?
「覚えていますか? 急に温室で倒れられたんです」
「倒れたところまでしか覚えてない……。ここは一体」
「特別エリアの貴族棟といえばわかるかしら? その部屋のひとつよ。あの温室から一番近い場所がここだったの」
「あ……」
部屋には他にも人がいた。三年生で生徒会副会長のレベッカ先輩だ! 彼女はちょうど向かいのソファに座っていた。
「ああ、無理に動かないで。学園の医者を呼ぶから少し待っていてね」
そう言うと、彼女はもうひとりいた別の男子生徒に医者を連れてくるよう指示した。
私は不安いっぱいできょろきょろしてしまったけど、レベッカ先輩におっとりした口調で「大丈夫よ」と微笑まれると、それだけで少し安心する。さすが生徒会副会長だ……と、妙なところで納得したりして。
「温室で、あなたはアンリのために用意されていた食べ物を口にして倒れた。そこまでは覚えている?」
「はい……」
「ちょうど生徒会の業務のことで用があって、みんなで温室に向かったタイミングだったの。アンリとミリアが光魔法を施したから、あなたの容態はだいぶ軽くなっているんじゃないかしら。気分はどう?」
「あ……ええと……」
毒による気分の悪さなら、まったくない。
なぜなら自分の魔法ですべて無効化してしまったから。
「あら? もしかして、アンリとミリアの使える光魔法について知らない? 二人は癒しの効果……病気やケガの苦しみを少しだけ軽減できるの」
「そ、そうなんですね。どうりで体が楽だなって思いました、はは……」
「でも完全な治癒は無理だから、ちゃんと医者にかかって薬をもらわないとだめよ? もうすぐエリックが医者を連れてくるはずだから」
エリックというのは、さっきレベッカ先輩が指示した男子生徒か。
たしか、同じ二年生で書記係だとクリスティーヌ達に説明された気がする。クラスが違うし面識はないけど。生徒会のメンバーは、他に二年生の書記の女の子と、三年生で会計担当のトウリ先輩だ。
「あのケーキには、やっぱり毒が入っていたんですよね?」
倒れる前に感じた体中を襲うピリピリとした痛み。あれは、毒性のある物を摂取したときの魔法の反応だ。
レベッカ先輩は憂い顔で頷いた。
「ええ。食べると気持ち悪くなって吐き気に襲われるなにかが混ぜられていたみたい」
「そうですか……」
「死ぬようなものではないわ。駆け付けた使用人も勝手にケーキの味見をしてしまったのだけど、医者に命の危険はないと言われてる」
どうやら使用人は、先週の苦い味のジュースの件を思い出し、また似たようなミスがあったのかと焦って味見をしたらしい。
使用人を診た医者によると、症状を和らげる薬を飲み、安静にして回復を待つしかないとのことだ。
薬を飲んだ使用人は、すでに快方に向かっているという。
「あなたが倒れたのは、毒ではなくショックを受けたせいだと思う」
「そうですね……。一瞬間前に苦いジュースの事件があったので、衝撃が強かったです」
嘘。本当は魔法を発動したせい。
「すぐに目が覚めると思ってここに運んでもらったのだけど、長く寝ているから心配し始めたところだったのよ」
私の魔法は、盛られた毒が強いほど反動も強い。ピリピリした感覚は強かったし、長く気を失っていたのなら、私の口にしたあのケーキは特に毒の量が多かったのかも――。
……ん? 待って。
「あのう、運んでもらったというのは……」
「温室からは、アンリがあなたを抱き上げてここに運んだのよ」
「アンリ様が!?」
「最初は保健室か寮に運ぼうとしていたのだけど、それは目立ちすぎるからと私が止めたわ。だからこんなところに寝かせることになっちゃって……ごめんね」
「いいえ! むしろありがとうございます!」
温室からだと、保健室も寮も、どうやっても生徒達に見られずには行けない。もしそこに運ばれていたら、今ごろ学園中に噂が回って……そんなことにならなくてよかった。
知らない間にアンリ様に抱き上げられたことは、ちょっと正面から受け止めきれないので考えるのをやめよう。
私の様子を見て、レベッカ先輩がほっとしたように笑った。
「止めたのを怒られるかと思った」
「まさか! 目立ってしまうのはちょっと避けたいので……。にしてもあの毒は、アンリ様を狙ったものでしょうか」
「まだわからないわ。ガーデンパーティーのときのように何らかの手違いという可能性もある。だけど……」
ふう、とレベッカ先輩は息を吐く。
「目立つ存在だからね。彼に嫌がらせを、と考える者がいてもおかしくはないかもしれない。特にこの学園には、良くも悪くも彼を妄信する生徒もいるから……」
ああ。それなら、あの湧き上がった悲しい気持ちは、手の届かない存在であるアンリ様のことを思ってのことだろうか?
恋愛感情、とはちょっと違っていた。
ただただ酷く悲しいという気持ち……。
ああ、でも、少しだけ違う感覚もあったような……。
「リサ!」
急に部屋の扉が開いたかと思うと、私の名を呼びながらアンリ様が入って来きて、思考が中断された。
「よかった、気がついたんだね」
まっすぐ私の元にやってきたアンリ様は、目の前にしゃがんで目線を合わせると、ずいっと顔を覗き込んだ。
「あ、アンリ様、近いです……」
「アンリ、ほっとするのはわかるけど、まずは医者に診させてあげてね」
レベッカ先輩が呆れたように言う。
アンリ様ごしに、学園付きの医者とエリックと呼ばれていた男子生徒、あとはトウリ先輩が部屋にやってきていて、こちらを窺っているのがわかる。
「気持ち悪かったり、気になることがあればちゃんと言うんだよ」
アンリ様は優しくそう言って、医者と場所を交代した。
彼が私の元に来た際に押しのけられた形になったミリアが、驚いたようにぱちぱちと瞬きしながら私達を眺めている。
エリックという男子生徒は「温室の確認に行ったメグのところに合流します」と言って出て行った。メグというのは、きっと二年生の書記係の生徒のことだ。彼女もクラスが違うから、よく知らない。
「……それで、もう一人は大丈夫だったの?」
私が医者に診てもらっている間、レベッカ先輩がトウリ先輩とアンリ様に尋ねた。
すぐにトウリ先輩が答える。
「少し前に『祝福』を貰いに来た女子生徒だろう? 彼女は大丈夫だったよ。ケーキはすでに食べきっていたけど、吐き気も苦しさもまったく感じなかったらしい」
「じゃあ、彼女が受け取ったケーキには毒が入っていなかったということ?」
「そうなるね」
私が温室で見たあの女子生徒は無事だったんだ。よかった。
「あそこにあったケーキすべてに毒が入っていたわけではないということだよね。……用意していた毒の量が足りなかったのかな。犯人は詰めが甘いね」
どこか他人事のようにアンリ様が呟く。
「アンリ……」
「呆れちゃだめだ、レベッカ。アンリはこれで別にふざけてはいない」
「知っているわ」
……微妙に呆れたのは私だけじゃなかったみたい。
そうしている間に医者の診察が終わり、私は問題はないと太鼓判を押された。運がいいことに私の食べた部分にはあまり毒は含まれていなかったのだろう、という医者の見立てに、レベッカ先輩達はちょっとほっとした顔をする。
念のためにと、吐き気を押さえる薬をくれてから医者は部屋から出ていった。
「じゃあ、これからのことを相談したいのだけど――」
言いかけたレベッカ先輩をアンリ様が止めた。
「悪いけど、その前に僕は彼女と話があるんだ。二人きり……いや、ミリアもいて。三人にしてもらえるかな」
私と話? ミリアさんも?
なんだろう、心当たりがない。
「いいけど、あまり彼女に無理はさせないでね。病人よ」
「大丈夫、そんなことしないよ」
釘を刺すレベッカ先輩にアンリ様は笑顔で頷くけど。
私は言葉にできない不安を感じる……。
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