九十九里閑莉の章 その3
「それは……どういう意味でしょうか?」
2年4組の教室で、俺は怪訝な表情を浮かべる閑莉と向かい合った。
その傍らには、不思議そうに成り行きを見守っている澄御架の姿がある。
「今のこの異常な現象は、おまえが青春虚構具現症を発症していることによって引き起こされているんだ」
「……異常な現象というのは、澄御架がいなかった時期のことを、誰も覚えていないとことですか?」
「そうだ」
閑莉は険しく眉をひそめた。
「確かに……青春虚構具現症でなければ説明がつかない事態です。ですが、どうして、私がそんなことを願うのですか? 青春虚構具現症は、その生徒が持つ根源的な願いから引き起こされる。澄御架の不在を皆さんが忘れることと、私にどんな関係があるのでしょうか?」
「それは、ただの副産物だ。おまえの願いは、もっと大きなものだ」
「何を言われているのか……わかりません。
澄御架。社さんは、いったいどうしてしまったのですか?」
閑莉が助けを求めるように澄御架を見る。
だが澄御架は黙り込んだまま、じっと俺を見つめ続け、俺の言葉を待っていた。
澄御架は俺に判断を委ねている。そんな気がした。
「今この世界は、元の正常な状態から作り変えられている。
――霧宮の存在を強く願った者によって」
「世界が……作り変えられている……?」
自分でも、そのことを迷いなく信じることは容易いことではなかった。
下手をすれば自分の正気を失いかねない。
けれど、俺には今のこの世界のほうが、信じるに値しなかった。
受け入れることはできなかった。
閑莉の隣に立つ澄御架に目を向ける。
透徹とした眼差しが、穏やかに俺を、この教室を、この世界を眺めている。
澄御架は俺がこの教室に呼び出した理由を、最初からわかっていた。
だからこそ、俺は信じることができた。
断定することができる。
「ここにいる霧宮澄御架は、おまえが作り出した偽物だ。
いや――この霧宮が生きている世界そのものが、おまえの青春虚構具現症によって改変された、偽物の世界なんだ」
閑莉が愕然と目を見開く。
「霧宮はもういない。霧宮は、死んだんだ。
ここにいる霧宮澄御架は、紛いものだ」
「なにを……言っているのですか」
あの冷静沈着な閑莉が、混乱していた。
青春虚構具現症には、自分でも知らず知らずのうちの影響力を発揮している場合がある。だからその反応も無理からぬものだった。
「現にこうして、澄御架は生きて戻ってきたじゃありませんか。
私たちの前に、また現れてくれたんです」
「ちがう。霧宮は死んだんだ」
「嘘です……!」
「ううん、ほんとだよ」
これまで黙っていた澄御架が、はっきりと頷いた。
閑莉は瞠目し、言葉を失う。
ここにいる澄御架自身がわかっている。
当然だ。俺が分かる程度のことを、澄御架が分からないはずがない。
「さっすが、スミカの相棒のヤシロン君だね」
澄御架はいつもの調子で、そう頷いた。
寄る辺としていた本人が認めたことで、追い詰められた閑莉が後ずさる。
「自分でも、変な気はしてたんだ。なんだかぼうっとして、昔のことととか、あんまり覚えてなかったりしたし。なんだか自分が自分じゃないような気がするっていうか……そっか、そういうことなんだね」
「嘘……です。嘘を言わないでください、澄御架」
「ごめんね、閑莉。でも、社なら気づいてくれるって思ったから、社に任せてた。
たぶんこの世界のスミカは、自分の存在を疑うことはできないはずだから」
偽物の澄御架は、それでも本物に等しい冷静さと客観性をもって自分の存在を分析していた。
おそらく、これは本物と限りなく等しい精度で偽造された世界なのだろう。
だから澄御架の能力も、記憶も、ほとんどが再現されている。
「どうして、田辺の存在が消えたのか。あいつは前の日、澄御架のことを疑っていた。だから消されたんだ。なぜなら、この澄御架が生きている世界に、澄御架の異変を疑う存在は不要だから」
「そんな……私は……そんなこと……」
「どうして俺や澄御架の記憶が消えなかったのか、それはわからない。けど、おまえの無意識が、青春虚構具現症によってこの世界を創り出した。澄御架が死なずに、生き続けたはずの世界を」
教室の外では、いつもとなにひとつ変わらない放課後の喧騒が広がっていた。
それは、悪夢のような穏やかさで。
けれど、その心地よさから目覚めなければならない。
閑莉がよろめき、机にぶつかる。
「そんなこと……ありえません。だって、澄御架はここにいます。
私の願いで、世界が変わったなんて、信じられません。どうして……」
「九十九里。1年生の最後の日、霧宮は死んだ。そのことを、俺や元の1年4組のクラスメイトは、それぞれが色んなことを思いながらも、その事実を受け入れてきた」
俺も、翼も、田辺も、王園も。
澄御架に対する抱いている感情は同じではない。
けれど、たったひとつだけ、共通するものがあった。
それは、澄御架が死んだことを、知っているということだ。
それだけは、決して消えない。
そのとき抱いた気持ちとともに、それは簡単に消えたりはしない。
「けどおまえだけが、霧宮に対してちがう執着を持っていた。おまえは、霧宮の後継者を探す、と言った。それにどういう意味があるのか、俺にはまったくわからなかった。だけど、今ならわかる。
おまえは、霧宮が生きていることを願ったんだ。他の生徒とは違うほどの、とてつもなく強い思いで」
閑莉は俯いたまま、ぽつりと呟く。
「どうして……転校生の私に、そんな強い思いがあるというのですか」
核心となる問いが閑莉の口から出た。
そう。
それこそが最大の謎であり、疑問だった。
「俺も、ずっとそれがわからなかった。どうしておまえがそこまで澄御架が生きていることを願うのか。元のクラスメイトですらなかった転校生のおまえが。
……けど、これを見て、ようやく納得することができた」
俺はあらかじめ自分の机に仕舞っていた封筒を取り出した。
閑莉が怪訝そうにそれを見る。
俺は封筒から、クリップで止められた数枚の書類と写真を、無言で閑莉に手渡した。
訝しがりながらそれを受けった閑莉が固まった。
「どうして……これを」
「協力者がいて、調べてもらった。おそらく非合法な手を使ってだけどな。
でも、そこに書かれてるのは事実だ。そこに書かれていることが、おまえが霧宮が生きていることを、誰よりも強く願った理由だ。そうだろう?」
閑莉の手は震えていた。
そこに書かれていた内容は、俺にとって、予想だにしないことだった。
「九十九里閑莉。おまえは、霧宮澄御架の家族なんだろ」
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