霧宮澄御架の章 その2

 その日の朝、2年4組の教室に足を踏み入れた俺を、いつもとは違うざわつきと硬質な空気が待っていた。


「社さん、おはようございます」


 閑莉が俺に気づいて声をかけた。この前、今後は別行動をとると言われたものの、特に関係性が気まずくなったわけではない。


「どうしたんだ、みんな。なんかあったのか?」


「あれを、見てください」


 閑莉が指した先。ひとつ机の上に透明な花瓶が置かれていた。

 どこから持ってきたものか、花瓶には菊の花が挿されている。


 傍にはその座席の女子がショックを受けて泣いており、仲良い女子がそれを慰めていた。


 きっと今、誰もが「イジメ」という単語を脳裏に浮かべていることだろう。

 それにしても、まるで昔のドラマや漫画のような古典的な手法だ。


「九十九里、なにか知ってるか? 女子たちの間でそういう話」


「いえ、何も。私は特別皆さんと仲が良いわけではありませんが、少なくとも私が観測している限り、イジメに該当するようなトラブルは発生していません」


 閑莉は淡々と答えた。

 俺もそれについては同意見だった。もちろん、俺の知らない間にこのクラスでそうういうことが起きていないとも限らないが、違和感があった。まだ二年生になってから一ヵ月程度しか経っていない。なにか関係がこじれるほどの問題が起きるには、早すぎる気がした。

 俺と同じ感覚を抱いているのが、教室にいる多くの同級生たちが、困惑した表情を浮かべている。


 俺は席の間を塗って、花瓶の置かれた机に近づいた。


 ふと、あるものに気づく。

 花瓶の横に、包装された一口大のチョコが置かれていた。コンビニなどで10円で売っているものだ。

 

 それを見た瞬間、全身に電流が走ったような感覚がした。

 

 少なくとも、これはイジメなどではない。

 だが質の悪さでいえば、ある意味でそれ以上だ。


 そして、俺には確信的なひとつの心当たりがあった。


 俺は他のクラスメイトたちに気づかれないよう、さっとチョコを掴んでポケットにしまうと、きびすを返した。

 向かう先は決まっている。


「社さん?」


 閑莉の問いかけを聞き流し、俺は迷いなく教室を後にした。


 *


 俺が向かった先は、2年1組の教室だった。

 たしか、ここで合っているはずだ。

 

 教室の戸の前に立ち、中を覗き込む。

 窓際で談笑しているひとつの女子グループに目が止まった。


 正確には、その中心にいる人物に。

 

 ――いた。


 俺はまっすぐに歩み寄る。

 急に入ってきた他のクラスの男子である俺に視線が集まる。だが気にはしなかった。

 女子グループの前で立ち止まると、その中心にいたひとりの女子が、俺を見て口元に笑みを浮かべた。


「あはっ、どこかのが迷い込んだみたいね」


 一言でいえば、完璧、という単語が相応しい女子生徒だった。

 いま人気沸騰中の若手女優だと言われても大半の人間が信じるであろう、華やかな目鼻立ち。頭は小さく腰の位置は高いモデル体型。やや赤みがかった茶髪は艶めいており、まっすぐ肩にかかっている。切れ長の瞳は長いまつ毛に飾られており、色白の肌には一点の曇りもない。 

 自然に腕を組んだ優雅な佇まい、自信を称える口元。

 それらすべてが、常人離れした女王のような風格を放っていた。


王園おうぞの……」


 だがそんな華やかな女子生徒――王園令蘭れいらを、俺は厳しい眼差しでねめつけた。

 令蘭を取り巻く女子たちが「誰コイツ」「なに?」など、俺をぞんざいに警戒する態度を示す。すると、令蘭がそれを軽く手を挙げて制した。


「久しぶりねぇ、神波。あなた、たしか4組だったと思うけど、このクラスになにか用? なんだかずいぶん怖い顔をしているけれど」


 俺は周囲を軽く見渡した。すでに好奇の視線が集まっている。

 ここで話をするのは得策ではないと判断した。

 

「ちょっと、来てくれるか」


「はっ、なぁに? ひょっとして私、愛の告白でもされるわけぇ? なんかこわぁい」


 令蘭の言葉に、取り巻きの女子たちが一斉にくすくすと笑い出す。

 態度から漏れる悪意を無視して、俺は令蘭に付いてくるよう促した。


 向かった先は、屋上だった。


 すでに朝のホームルームが始まっているが、そんなものはどうでもよかった。

 令蘭もまったく意に介しておらず、あっさりと付いてきた。むしろ、邪魔者が入らず都合がいい。


 二人だけの屋上で、俺は王園令蘭に向かい合った。


「あれをやったのは、おまえだな」


「なぁに? なんのこと?」


「俺のクラスの女子の席に、花瓶と、を置いただろ」


 そう言って、俺はさきほどのチョコを令蘭の足元に放り投げた。

 令蘭はそれを一瞥すると、すぐに視線を上げた。


「はっ、ヘンな言いがかりはよしてくれる? だいいち、なんの証拠があるわけぇ?」


「こんな悪趣味なことをするのは、俺の知る限り、この学校でおまえしかない。

 花瓶を置くなんてことは」


 令蘭がすっと目を細める。

 常に余裕を称えたその口元が、さらに笑みを深くした。


「あそこは、1年4組の教室で、最後に霧宮が座っていた席だ。このチョコがなかったら、俺も気づかなかった。どういうつもりか知らないが、おまえは俺が気づくことまでわかってんだろ」


 あらゆることを自分の掌の上で転がすことが、令蘭の十八番だ。

 それ自体はただの悪趣味なイタズラだったしても、それがどんな結果もたらすかくらい計算のうちだろう。


「はっ……ふふっ。あははっ!」


 令蘭は堪えきれなくなったように腹を抱え、身体を揺らして笑い出した。

 こんな状況でなければ、あるいは令蘭の素性を知らなければ、それは目を奪われてしまうような無垢で美しい笑顔だった。

 だが俺には嫌悪感しかない。


「はぁ……面白い。あんた、そんなに自分の昔のを馬鹿にされたことが気に障ったわけ?」


「霧宮のことじゃない。おまえのくだらないイタズラで、関係ないうちのクラスの女子が傷ついたのは、なんとも思わないのか?」


「ええ、なんとも思わないけど」


 令蘭は悪びれもせず肯定した。

 むしろ、難儀なものを見るように眉をひそめる。


「はぁ……相変わらず、くだらない男ね。そんなどうでもいいことを言いに、わざわざ私の時間を消費しないでくれる?」


 令蘭は退屈そうに自分の手をネイルを触る。

 まるで、小さなアリを一匹踏んでしまったという程度の反応だった。


 拳に力がこもるが、それをぶつける先はない。

 どのみち、証拠はない。令蘭はそんなヘマをするような容易い相手ではなかった。


 王園令蘭。

 親はとある大企業の社長で、容姿も成績もトップクラス。

 だが、裏の性格は傲慢で、いつも自分に忠実な女子の取り巻きに囲まれている。

 

 その影響力で、かつては1年4組を実質的に裏から支配していた人物だ。

 そして、澄御架と最も対立したグループのうちのひとりでもある。


 常にクラスのカーストの頂点に君臨してきた令蘭にとって、澄御架という英雄の存在は、ひどく目障りなものだったのだろう。俺と澄御架はさまざまな妨害や、排斥を受けた。陰湿で、狡猾で、手強い相手だ。


 だが、なぜ、わざわざ今になって、こんなイタズラをしてきたのか。

 しかも、14組の人間が、いやが気づくように仕向けられたような仕掛けを施してまで。

 

「おまえは、俺を呼び出そうとした。そうじゃないのか?」


 半信半疑のまま、俺はそう言った。

 令蘭の微笑がすっと収まる。


「ふん……勘は鈍ってないようで安心したわ。一応、話をする価値はあるってことで、合格にしてあげる」


「そいつはありがたいな。で、俺に何の用だよ」


 徹頭徹尾、令蘭は傲岸不遜だった。俺もいちいち怯んではいられない。

 だが、それでも令蘭の口から発せられたその言葉に、俺は感情を動かされずにはいられなかった。


「霧宮澄御架が死んだ本当の理由を、あんたに教えてもらおうと思って」



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