霧宮澄御架の章 その3
「霧宮澄御架が死んだ本当の理由を、あんたに教えてもらおうと思って」
令蘭は底知れぬ笑みを浮かべ、そう言った。
内心の動揺を押し殺し、俺は眉ひとつ動かさなかった。
気を抜けば、令蘭に内心をすべて読みとられる。そんな警戒心が働いた。
特別な能力がなかったとしても、それくらいのことは平然とやってのける。それが王園令蘭という女だった。
「本当の理由……? おまえは、なに言ってるんだ」
「耳が遠くなったのかしら、ワンコちゃん。言葉通りの意味よ。あの女がくたばった理由、あんたなら知っているんじゃない?」
口の悪さから令蘭の素の性格がこぼれ出ていた。
「知ってるもなにも、全員、先生から聞かされただろ。
霧宮が死んだのは……ずっと患ってた、心臓の病気だって」
「ええ、そうね。1年の終業式の日、あの女は教室で倒れ、運ばれた先の病院で息を引き取った。そうだったわね」
1年4組の教室。
鳥のさえずり。
晴れた日の朝の匂い。
誰もいない教室。
やわらかな日差し。
きらきらと光に浮かんだ埃。
中央付近の机。
霧宮澄御架。
それはまるで、眠っているように。
英雄の休息。
1年4組、最後の日。
澄御架は――そこで倒れた。
脳裏に、あの日の記憶が強烈にフラッシュバックする。
「ああ……今思い出してもつらくてつらくて、ほんっとうに涙が出てくるわぁ」
令蘭はわざとらしく乾いた目元をぬぐう仕草をした。
いちいち癪に障るが、ぐっとこらえる。
「で、それをうのみにして信じろと?」
一転、令蘭は刃のように鋭い視線で俺を貫いた。
「そもそも胡散くさいのよ。つい数日前までピンピンしていた若い人間が、急に逝っちゃうなんて。しかも、よりにもよってあの霧宮澄御架が。
はっ、100回殺しても死なないようなしぶとい女でしょうに」
「……なにが言いたい?」
「あの女が死んだ本当の理由は、べつにある。心臓の病気なんて普通の理由じゃない、なにかが。
それをあんたは知っているんじゃないの?」
「馬鹿馬鹿しい……。なにがあるっていうんだ」
俺はわざと聞こえるように、大きなため息をついた。
「悪いが、俺がおまえに教えられることはなにもない。仮にあったとしても、それを素直におまえに教えてやる義理はないしな」
「ふふっ……あははっ」
「……なにか、おかしいか?」
「いいえ、べつに。ところ神波、最近は色々と忙しそうね。なんだか学校内で妙な噂の立った生徒もいるし、あのうさんくさい物理の教師のところにこそこそと出入りしている生徒もいるみたいだし」
令蘭は揶揄するように饒舌に語る。
疑うまでもなく、前者は古海のことで、後者は俺のことだろう。
「ひょっとして、去年私たちのクラスで起きていたアレと、関係があるのかしら?」
「ああ、そうだ」
俺は素直に認めた。それについて、今更隠す必要はなにもない。
その現象に立ち会ってきた14組の生徒に対して、特に令蘭相手なら。
なぜなら――
「去年、王園に起きたものと同じ現象だ」
令蘭の口の端が吊り上がる。
その脳裏には、1年4組で起きた数々の出来事が蘇っているのだろう。
去年、王園はある青春虚構具現症を発症した。
それは数あるそれのなかでも、「最悪」と呼べる性質を持った青春虚構具現症だった。
大抵、青春虚構具現症は、本人が意図的にコントロールできるようなものではない。
だが令蘭はちがった。
こいつは、この不可解な異常現象を、自分の能力としてみせた。
結果、なにが起こったか。
思い出したくもない悪夢に、それでも、澄御架は諦めなかった。
最終的に、令蘭を止めたのは澄御架だ。
令蘭は自分の推測が当たったことで、嬉しそうに微笑んでいた。
「あれが、霧宮澄御架の死因と、なにか関係あるんじゃないの?」
ああ、本当に。
俺は王園令蘭という女のことを、心底恐ろしいと再認識していた。
ある意味で、澄御架と対極に位置する存在。
こいつが、その有能さの一部でもクラスメイトたちのために使おうとするまっとうな善性を持っていたら、と願わずにはいられない。
だが、現実はそうではなかった。
1年4組で起きた様々な出来事は、もはや変えられない。
これ以上、こいつになにかかき乱されるのは避けなければならない、という心境が、俺に沈黙という反応をさせていた。
だがそれすら、令蘭には計算通りだったのかもしれない。
令蘭は満足げに頷いた。
「そう、なるほどねぇ。確かアレは1年4組でしか起きないって言われていたはずのものよね? ふふっ……ほんっっとうに、この学校は素敵で飽きない場所ね。
あんな不思議な現象、もう一度私に起こらないかしら」
無責任すぎるその発言に、頭に血が上った。
「ふざけるな。霧宮と俺、クラスのみんながどれだけ――」
「私を救ったとでも思ってるの? そんなこと一度だって頼んだ覚えはないわ」
抜き身の刃のような視線が俺を貫いた。
令蘭の瞳には、紛れもない憎悪の色がたぎっている。
俺たちの視線が空中でぶつかり、互いに一歩も譲らなかった。
「ふん……。そろそろ1限目が始まるわね。戻らないと」
「おまえにしては殊勝な発言だな」
「あのねぇ、ワンコちゃん。私たち、今年はもう2年なのよ? 進路や受験に向けた勉強も始まって忙しいのに、あんな怪奇現象もどきに付き合ってる暇はないの、残念だけどね」
令蘭は腕を組んだまま、優雅な足取りで俺の横を素通りした。
もはや令蘭のほうを見る気も起きなかった。
だが、最後にこれだけは言っておかなければならない。
「おまえを助けたのは、霧宮だ。それだけは忘れるな」
令蘭が屋上の扉を開けたところで、その足音が止まる。
背中越しで、表情は見えない。
数秒の沈黙の後、
「……借りは、返すわ」
扉が閉まる重々しい金属音が響いた。
俺はようやく振り返り、令蘭が消えた扉を見つめる。
今の淡々とした声は、どれほど屈辱を押し殺したものだったのだろうか。
今の言葉を聞けただけでも、令蘭を知っている人間からすれば、ある意味で奇跡のような出来事に思えた。
*
翌日、午前8時過ぎ。
俺はいつもの通学路を自転車で走っていた。
どんよりとした曇天で、霧が濃い朝だった。
いつ雨が降り出してもおかしくない空模様に急かされるように学校へと急ぐ。
途中、ちょうど学校との中継地点あたりにある橋を通る。
このあたりは通行量も少ないため、朝はほとんど誰ともすれ違うこともないような場所だ。橋の上にも霧が立ち込めており、近づいてからようやく歩道や道路がはっきりと見えてくる。
そういえば、ここは澄御架と初めて会った――
ブレーキを締め、ペダルをこぐ足を止めた。
目の前に立つ人影に気づいたからだ。そのままスピードを落とし、徐行してゆっくりと近づく。
奇妙な予感がした。
霧の中に立つ少女が、こちらを振り向く。
俺は無意識のうちに自転車を降り、立ち止まった。
息を止め、目を見張る。
「――――そこのキミぃ、ひょっとして、助けを求めていたりするのかね?」
それは、本当に突然で。
嫌というほど耳に残った、あいつの飄々とした声。
あの日から永久に失われたのとまったく同じ響きに、俺はそれが現実の声であるということが、すぐには気づくことができなかった。
まじまじと、霧の中で目をこらす。
嘘――――だ。
色素の薄い亜麻色の髪。
その瞳は日本人離れした翠色で、さらい左右で微妙に色が違っていた。
オッドアイ、という名前だと知ったのは、こいつと出会ってからだった。
そこに、俺の知っている、霧宮澄御架の姿があった。
「ただいま、社」
この世界は、未知と驚きに満ちている。
青春虚構具現症のような現象があるくらいだ。
いつだって世界は、俺たちの予想を軽々と飛び越してくる。
それを俺たちは、ただ茫然と仰ぎ見るしかないのだ。
そう。まさに今、この瞬間のように。
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