北沢古海の章 その2

「彼女が空から降ってきた、というのは本当なのですか? いかがわしい行為を誤魔化すための見苦しい言い訳ではなく」


 昼休み、俺と閑莉は廊下の曲がり角で身をひそめていた。

 背後にいる閑莉から矢継ぎ早に飛んでくる疑いの声に、俺は眉をひそめた。


「だから何度もそう言ってるだろ。ていうか思い出したけど、おまえあの写真は消してくれたんだろうな?」


「はい、クラウドに保存してから削除しました」


「それ消してないだろ……! だいたい何度も言ってるけどあれは――」


「社さん、彼女が出てきましたよ」


「!」


 はっとして前方に視線を戻す。

 教室から、ひとりの女子生徒が出てくる姿を捉えた。

 北沢古海。

 俺たちと同じ2年4組の女子生徒だ。

 一足先に教室を出て、こうして古海が出てくるを待っていたというわけだ。

 

 先ほどまでクラスの女子たちと昼食をとっていた古海は、どこかへ向かうらしい。

 俺と閑莉は、こそこそとその後を尾行し始める。いよいよ本格的にやっていることが探偵じみてきた。

 

 古海はどこへ向かうのかと思いきや、なんてことはなく、購買部でお菓子や飲み物を買ったり、廊下ですれ違った仲の良い女子とだべったりしているだけで、特に怪しい様子は見せない。


 平和な女子高生の日常風景を、閑莉は注意深く観察していたが、俺はまだ気が乗っていなかった。

 何もないに越したことはない、そう思っているからだ。


「社さん」


「なんだよ。尾行をやめたくなったらすぐに同意するぞ」


「澄御架とも、こんな風にして事件を解決していたんですか?」


 唐突な閑莉の言葉に、俺の思考は固まった。

 閑莉は首だけで振り向き、俺をじっと見つめている。


 去年、澄御架と過ごした1年間。

 たしかに俺は、澄御架と一緒に、様々な局所虚構具現症と対峙した。

 日常が非日常へと揺らぐ瞬間を、嫌というほど目にしてきた。

 こんな風に誰かのことをこっそり調べていたことも、確かに二度や三度ではなかった気がする。


 けれど、すべては遠い記憶のなかに仕舞われていた。

 澄御架という英雄の消失とともに。


「……どうだったかな。忘れた」


「そうですか」


 明らかに惚けている俺を、閑莉は追及しようとはしなかった。

 そういえば、閑莉と澄御架の関係を、俺はまだ詳しく知らないことに気づいた。

 だがそれを聞こうとした瞬間、友達と話していた古海がまたどこかへ歩き出した。


「彼女、どこへ行くんでしょう」


「さあ……。あ、階段のぼるぞ」


 古海が廊下の奥で折れる。俺たちは駆け足気味で彼女を追いかける。

 階段の踊り場で、古海の後ろ姿がちらりと見えた。その直後だった。


 古海の姿が、蜃気楼のように揺らめく。

 直後、まるで手品のようにその姿がかき消えた。


「……!!」


 全身に鳥肌が立ち、胸の動悸が一気に加速していた。

 階段の下で、俺と閑莉は愕然と立ち尽くした。


「……見たか?」


「はい。この目で、しっかりと」


 見間違い、などではないと確信した。

 あの記事も、女子生徒が見たという心霊現象も。

 

「驚きました……。こんなことが、現実に、本当に起きるのですね。これが、この学校で起きている……青春虚構具現症」


 閑莉も驚愕をあらわにしていたが、俺は二重の意味で動揺していた。

 なぜ、北沢古海が。

 この学校に伝わる噂通りであれば、これは、1年4組でしか起きないはず現象だ。


 それがなぜ、俺たちの生徒に起きているのか。


 今俺が理解できることはたったひとつしかない。

 忌まわしき非日常の象徴が、再びその姿を現したということだけだった。


 *


「ってかさ。なに、この状況?」


 北沢古海はウェーブのかかった金髪を指先で弄びながら、懐疑的な視線を俺と閑莉に向けた。

 疑問に思うのも当然だろう。

 クラスメイトとはいえ、ほとんど接点のない男子と女子に、放課後校舎裏に呼び出されたのだから。

 

 あの後、俺と閑莉は、北沢古海と直接話をしようと決めた。

 青春虚構具現症の発症者を特定できた以上、これ遠巻きに眺めていても進展はない。

 昔を思い出すな、と俺は快くない懐かしさを覚えていた。


「あの、神波……だよね? そっちは九十九里さん。え、ってかまず二人は何なの? 友達? 付き合ってんの?」


「なっ……」


「どちらもちがいます。私と社さんの間には私的な関係は一切ありません」


「あそ。だよね」


 俺が軽く動揺している間に閑莉が即答した。古海の納得も異様に早い。

 だよね、とはどういう意味だろうか。

 やや気になったが聞きたくない返答がきそうだったので、俺はさっさと本題に入ることにした。


「あのさ、北沢さん……」


「いーよべつに呼び捨てで」


「あぁ、うん。……北沢、いきなり変なこと言うようだけど……」


「なに」


「最近……ちょっと消えてないか?」


「は?」


 エクステの付いた長いまつ毛をまたたかせ、古海が目を丸くする。

 それもそうだろう。こんな日本語を日常会話で発することがあるとは、俺も1年前なら夢にも思わなかった。

 きっと昔の俺なら、ここで心が折れていただろう。


「俺たちは、北沢が消えるところをこの目で見た。屋上に突然現れたのも、どこから消えて現れたんじゃないのか」


「な……なに言って」


「自分でわかってるはずだ。気がつかないはずはない。俺たちは、北沢がその力を持っていることを確かに来たんだ」


 古海は最初とは打って変わった様子で、表情を強張らせている。


「安心してくれ。俺たちは、べつに問い詰めようとか、そういうために来たんじゃない。北沢を助けにきたんだ」


「助ける……? な、なんで……。あ、べつに認めたわけじゃないかんね!?」


 動揺している。無理もない。

 去年、多くのクラスメイトが今の古海と同じような反応を見せていたことを思い出す。だからこそ、確信ができた。


「頼む、素直に教えてくれ。俺たちは本当のことを教えて欲しいだけなんだ」


「ちが……べつに、アタシ……」


 古海は目を泳がせ、俺と閑莉から一歩後ずさった。

 まずい、と思った次の瞬間だった。


 古海の姿が、再び俺たちの目の前から消えた。


「……!」


 見失い、辺りをうかがう。

 まさか、このタイミングで。


「社さん、向こうです!」


 閑莉が差し示したのは、俺たちの後方だった。

 古海がぎょっとしてこちらを振り返る。

 まるで、自分が消えて移動したこと自体に、自分で驚いているような反応だった。

 

 ひょっとして、彼女は――


「ま、待ってくれ!」


「やだ、こないで……!」


 そう言われて素直に引き下がるわけにはいかない。

 古海に駆け寄る。だがその度に古海の身体は一瞬消失し、数メートル先へと移動していた。それが何度も繰り返される。


「やだ、なにこれ、た、助けて……!」


 古海は混乱した様子で、パニック状態になっていた。

 やはりそうだ。

 古海は、この消える能力を、自分でコントロールできていない。

 ますます放ってはおけない。


「頼む! いったん落ち着いて、俺たちの話を――」


 俺は必死に手伸ばし、ようやく古海の手首をつかんだ。その直後だった。


 今度は、俺の視界が反転した。

 世界が光に包まれ、消える。

 

「――――は?」


 次に目を開けた瞬間、俺の周りには、なぜか、半裸姿の女子生徒たちがいた。

 すぐ傍らには、手首を掴んだままの古海の姿もあった。


 ここはどこかの狭い教室――いや、おそらくここは運動部の更衣室だ。

 それなら、肌と下着を晒している女子たちがいることも納得する。

 だが、俺の納得で、すべての問題が解決すれば世はこともない。


 次の瞬間、耳をつんざく悲鳴が更衣室に響きわたった。

 


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