北沢古海の章 その3

「ほんっっっっっとマジゴメン!!マジごめんなさい……!」


「は、はは……」


 翌日、今度は俺と閑莉が古海に校舎裏に呼び出されていた。

 そして開口一番、全力で謝罪を受けたのだった。

 もちろん、それは昨日のとある事件――俺と古海が女子更衣室に“テレポート”してしまった件についてだ。


 あの後、俺は職員室に呼び出され、担任や生活指導の教職員から事情聴取を受けた。

 横で古海が必死にフォローしてくれたおかげで、俺は彼女のイタズラで無理やり更衣室に入らされた、になった。厳重注意の上、何とか無罪放免に収まっている。

 勿論、俺の傷ついた名誉にそれなりの時間はかかるだろうが。


「社さんの尊い犠牲があったとはいえ、青春虚構具現症の主を特定できたことは何よりです」


「人を死んだみたいに言うな」


「それなんだけど……そもそも、なんでふたりはそんなこと調べてんの? アタシ、なんか悪いことした? べつに消えて盗みとか覗きとかしてないけど。ってかそんなことやろうと思ってもできないし」


「ちがうんだ。俺たちは、北沢を助けてたくて。

 その力……青春虚構具現症は、とても危険なものだって、知ってるから」


「せいしゅん……なに?」


 古海は怪訝そうに眉をひそめる。

 確かに、知らないのは当然だ。


「北沢。俺は、14組いちよんぐみだ」


「……!」


 古海の顔が緊張したように固くなる。やがてそれは、憐憫とも悲哀ともつかない複雑な感情に変わる。俺の言葉の意味するところは伝わったようだ。


「そっか……なんか大変だったのは、知ってるよ。亡くなっちゃった子の話も……少しは聞いたけど。でも、それとなんの関係があるわけ?」


「俺たちのクラスで起きた事件は、すべて、その青春虚構具現症が原因なんだ。

 北沢に起きてるような異常な現象が、俺たちのクラスを……崩壊させた」


「え……」


 去年、俺のいた1年4組で何が起きたのか。

 最終的に、半数以上の生徒が、千差万別の青春虚構具現症を発症した。

 その過程において、どんな問題や事件が引き起こされたのかは、当事者である同じ1年4組の生徒しか知らない。

 

 だが一時的に停学や休学、不登校などに追い込まれた生徒は大勢いた。

 ゆえに俺たちの学年で、元1年4組――“14組”は悪い意味で有名だった。

 古海もそのことは知っていたのだろう。


「わかった。話すから。……そんな怖い顔しないでよ」


「え……ああ、悪い、そういうつもりじゃ」


 自分でも気づかないうちに、俺はひどい顔をしていたらしい。

 同情されたいわけではないが、ひとまず、古海がことの深刻さを理解してくれたのは幸いだった。


 古海は小さくため息をついてから、ぽつぽつと語り始めた。


「アタシがこんな風に消えるようになったのは、二年に上がってすぐ……だったかな。最初はマジで何が起きたかワケわかんなかったし、頭おかしくなっちゃったのかなとも思ったんだけど、だんだん、空間をワープしてるってのがわかってきて」

 

 古海の口から“ワープ”という言葉が出てきたことに、少々意外さを感じた。


「困ってるっちゃ、困ってるんだけど。消えたって好きな場所に飛べるわけじゃないしさ。たまーに昨日みたいなこともあるし。あ、でもだれかと一緒にワープしたのは初めてだったからマジびびった~。マジやばかったよね、よりにもよってワープした先が更衣室だったのはちょっとウケたけど」


 古海はからっと笑ってから、仏頂面の俺に気づいて気まずそうにした。

 まあ、俺の名誉についてはこの際置いておく。


「聞いた情報からすると……古海さんの青春虚構具現症は、“突発性テレポート”とでもいうべきもののようですね」


 横で聞いていた閑莉がそうまとめた。

 突発性テレポート、か。確かに的を射た表現かもしれない。


「あのさ、さっきから神波たちの言ってるその青春ナントカってのは、なに? 聞いたこともないんだけど」


「ああ……それは、俺たちが勝手にそう呼んでいただけだから」


「俺たち?」


 古海が首をかしげる。確かに、色々と説明が必要かもしれない。

 それにちょうどいい人物が、学校内にいた。そういえば閑莉にもまだ紹介していなかった、と俺は今さらながら気づく。


「ちょっと、付いてきてくれる? 力になってくれる人を紹介するから」


 *


 昼休み、俺は閑莉と古海を連れて、校舎の科学準備室を訪れた。

 そこに、タブレットPCを手にした白衣姿の女性の姿があった。


 銀縁の眼鏡をかけた、怜悧な相貌の美人がこちらを振り返る。


「なんだ? 今日はこの国で極秘開発されているという噂の地震兵器と、液状化危険率推定式に関する学術論文を読み込むのに忙しいんだが」


 彼女はこちらを見ようともせず、第一声から電波で科学な台詞を発した。


「お久しぶりです、鑑先生」


 俺が挨拶すると、彼女がようやく顔を上げた。

 そして、俺たち三人の姿をじっと観察すると、得心が言ったようにタブレットPCを机に置いた。


「おまえが来るということは、また厄介事のようだな。神波」


「はい。……残念ながら。

 えっと鑑知崎先生……って、北沢は知ってるかな」


「あーまー、いちお。アタシ生物だから。センセーの授業ないし」


「初めまして。九十九里閑莉です」


「ふむ……で、神波。だ?」


 鑑は、閑莉と古海を見比べて、俺に尋ねた。

 どちら、というのは、局所虚構具現症の発症者のことを差しているのだろう。

 彼女です、と俺は古海を示した。


「それでは早速今日も、おまえの面白い話を聞かせてもらおうか」


 鑑はにこりともせず、俺たちに部屋のパイプ椅子を無造作に勧めた。


 *


「――なるほど、“突発性テレポート”か。これまで多くの症例を見てきた上で言うが、実にユニークだ。そうだろう、神波」


「はぁ……まあ、そうですね」


「なになに、どういうこと? 先生、この激ヤバな怪奇現象のこと詳しいの?」


「少なくとも、君たちよりは、だ。私はべつに専門家でもなんでもない。あくまでこの学校で起きる青春虚構具現症について、調べているだけだ。ちなみにその名前は、私が便宜上つけたものだ。昔から学校に伝わる不思議な噂、では不便だからな」


「へぇ~そうなんだ。通りで堅苦しい名前だと思った」


 古海のナチュラルに失礼な感嘆にも、鑑は眉ひとつ動かさなかった。

 鑑知崎は物理の教師で、科学部の顧問だ。

 趣味なのか仕事なのかわからないが、オカルトと現代科学両方に精通している。

 去年、俺と澄御架が最初の青春虚構具現症に遭遇したとき以来、唯一協力して知恵を貸してくれた大人だった。

 

 だが、ここを訪ねてきたのは、久しぶりだった。

 もう二度と、同じ案件で鑑を頼ることはないと思っていたのに。


 ふと、鑑が小さく息を吐いた。


「霧宮のことは、残念だった」


 鑑の眼鏡の奥の瞳には、複雑な感情が揺れ動いて見えた。


「……はい」


 俺もそう答えるだけが精一杯だった。


「それにしても……まさか、1年4組でしか発生しないはずの青春虚構具現症が、どうして2年4組の生徒に起きているのか……」


「はい。俺もそれが気になっています。……先生。また色々と、頼らせてもらうかもしれません」


「それは問題ない。……さて、北沢古海。と、神波のの九十九里閑莉。

 おまえたちは、青春虚構具現症について、どこまで知っている?」


「アタシ? や、ぜんぜん知らないに決まってんじゃん」


「私も、当事者である先生たちから直接ご教授いただけると幸いです」


「話甲斐があるようでなによりだ。青春虚構具現症には、いくつかの法則がある。

 まずこの現象は、その者が持つ“根源的な願い”が形となって、現れるものだ」


 鑑の言葉に、古海は面食らったように固まっていた。

 だが、それは事実だ。


 去年一年間で、俺と澄御架が突き止めた、青春虚構具現症を解決するための対する貴重な手がかりのひとつだった。


「お前が突発性テレポートを発症しているのであれば、それはおまえの願望がそれを生み出した、ということだ」


「ちょっ……い、意味わかんないだけど。アタシ、べつに消えたいなんて思ったこと一度もないけど?」


「もう一度言おう。その者が持つ“根源的な願い”が形となって、現れる。

 つまり、おまえが自覚しているかどうかは関係がない、ということだ」


 鑑の歯に衣着せぬ断言に、古海は言葉を失っていた。

 無理もない。

 いくら自分自身が体験しているとはいえ、正体不明の怪奇現象に加えて、その原因が自分がそれを願ったからだ、と説明されたのだから。


「やはり、心当たりはないようだな。1年4組の生徒も、大半がそうだった」


「……当たり前じゃん。ばかみたい」


「だが、その根源となる願い、あるいは悩みを解消しない限り、青春虚構具現症を解決する手段はない。少し、自分の胸に手を当てて考えてみたらどうだ?」


 詰問するような鏡の言葉に、古海の顔に憤りが浮かぶ。

 それを横目に、俺は内心ため息をついた。


 これが、青春虚構具現症の難しいところだ。

 自覚すらしていない願い、悩み、強い感情、衝動。

 それらを突き止めて、解決に導くことが、青春虚構具現症に対する唯一の対峙方法。それをするためには、発症した生徒と深い関係を築き、向き合う必要がある。


 だが、誰もしもが、自分の心をオープンにさらすわけではない。

 そもそも、たかだが十六歳程度の少年少女たちが、それほど精神的に成熟しているなら苦労はしない。


 人間ひとりに向き合うということは、大変なことだ。

 

 教師でもない未成熟な俺たちが、同じように未成熟なクラスメイト相手にそれをやり遂げるのは、容易いことではない。

 

 だからこそ、それをやり遂げた澄御架は英雄だった。

 

 俺はまたしても、澄御架のことを思い起こしている自分に、ふと嫌気が差した。

 いない者を当てにしても、虚しいだけだというのに。


「……わけわかんないし。なんか気分悪い。

 アタシがこんなコト望んでるわけないじゃん! なんにもこれっぽっちも思い当たることないし! ……帰る」


 古海は金髪をなびかせ、そそくさと俺たちに背を向けた。

 事実を伝える必要があったといえ、受け止めるには時間が必要かもしれない。


 俺たちもとりあえず鑑に挨拶をして、科学準備室を後にした。

 廊下に出て、教室に戻るため歩き出した俺を、閑莉が呼び止めた。


「社さん、彼女は嘘をついています」


 閑莉が断定した。

 俺は、他人の嘘を見抜けるという閑莉の特技のことを思い出した。


「古海さんは、なにか私たちに隠し事をしています。

 いえ……おそらくは、誰にとっても明かしていない、彼女自身の秘密が」


 閑莉の鋭い言葉を、俺は呆然としたまま自分のなかで繰り返した。

 それはまるで、俺自身に向けられているようにも聞こえた。

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