北沢古海の章 その4

「次はどう出ますか、社さん」

 

 休み時間の教室で、閑莉は俺に問いかけてきた。

 その視線は、いつものように派手めな女子のグループで快活に笑い合う古海に向けられている。


 隠し事、と閑莉は言った。

 だが閑莉も嘘を有無を見分けられるだけであって、その内容まで読み取れるわけではないらしい。

 鑑も数少ない“大人”の味方ではあるが、あくまで知恵を貸してくれるだけだ。

 実際に足を動かして調べるのは、いつも俺たち自身だった。それは澄御架と一緒にいる頃から変わらない。


「考え中だ。九十九里こそ、勝手に先走るなよ。北沢を追及したって、解決するわけじゃないからな」


「では何か弱みを握って、それをネタに脅すのはどうでしょうか?」


「却下だ……! 発想がいちいち物騒なんだよおまえは」


「冗談です。笑ってくれると思ったのですが……」


「真顔で言われても説得力ゼロなんだが……」


 呆れてため息も出ないでいると、閑莉がぽつりとつぶやいた。


「こんなとき、澄御架ならどうしていたんでしょう」


 閑莉の視線は、窓の外、どこか遠くへと向いていた。 

 その呟きは俺への質問ではないようだった。


「そういえば、さきほど北沢さんが図書室から出てくるところを目撃しました。特に不審な点は見当たりませんでしたが、少々意外でしたので一応報告です」


「図書室? ああ、そう……」


 確かに、意外と言えば意外だ。

 本を借りているのか、自習をしているのか、どちらにせよザ・ギャルというキャラの古海の印象とはあまり重ならない。


 チャイムが鳴り、閑莉は淡々と席に戻っていく。

 さきほどの閑莉のなにげない呟きが、頭のなかに残り続けていた。


 澄御架なら、どうしているか。

 そんなことは、俺がいつだって考えていることで、俺が一番知りたい答えだった。


 *


 俺は放課後、図書室に足を運んでいた。

 もしかしたら古海がいるかと思ったが、残念ながらその姿はなかった。

 

 なんとなしに本棚を眺める。

 うちの学校の図書室は、やたらと小説コーナーが充実している。

 海外の古いハードSF小説やミステリーなども並んでおり、もし本好きなら俺も楽しめたのかもしれない。

 そんなことを考えていたときだった。


「――え」


「は?」


 古海が、またしても俺の頭上に現れた。

 今度は身構える一瞬すらなかった。

 古海の臀部に押しつぶされるようにして、俺はその場に倒れた。

 ぐぇ、と喉の奥からカエルのような鳴き声を上げる。


「な、なんでまたいんの!? ってかゴメン! ああもう、なんでまたアタシ勝手にテレポートして……神波、生きてる!? 今度こそ死んでない?」


「い、生きてるよ……一応な」


 古海は動揺しながら慌てて俺の上から尻をどける。

 青春虚構具現症にかかわると、身体がもたない。それは去年1年間で俺が学んだ教訓のひとつだった。

 だが起き上がった俺は、ある強い違和感を覚えて固まった。


「……ん? どしたの?」


「あれ……北沢って、眼鏡かけてたっけ?」


 古海は珍しく、四角い黒縁メガネをかけていた。

 俺が指摘した瞬間、古海の顔が沸騰したように、紅潮していく。


 ふと、つま先がなにかにぶつかった。

 床に一冊のSF小説が落ちていた。


「ちょ、待ってそれ――」


 拾い上げて棚を見回したが、どこにも隙間はなかった。ここから落ちたのではないらしい。だとすれば……。


「これ、もしかして北沢の?」


「は、ハァ!? ちがうし! べ、べつにアーサー・C・クラークもアイザック・アシモフも読んでないから!?」


「……はぁ」


「っ~~~~~~!!!? と、とにかくなんでもないから……!」


 古海はコマのように背を向けた。

 その背中は、今すぐこの場から脱兎のごとく逃げ出そうとしている。


 そのとき、閑莉の言葉が脳裏によぎった。今を逃してはならない、そう直感した。


「待って」


 俺がとっさに引き留めると、古海がぎょっとして振り返る。


「俺は、北沢の青春虚構具現症を解決したい。もし、隠していることがあるなら、話してほしいんだ。じゃないと、ずっとこのままだ」


 できる限り精一杯の真摯さを込めて、そう伝えた。

 古海は言葉を失っていたが、やがて、力を失くしたように視線を床に落とした。


「……約束して」


「え、なにを……」


「なに聞いても……わ、笑わないって、こと」


「? あ、ああ。もちろん。約束する」


 古海はわしゃわしゃと金髪をかき見出してから、大きく深呼吸した。


「その本……アタシが……借りたやつ、なの」


「この小説? ああ、そうなのか。じゃあもしかして……これを返しにこようとして、テレポートしたってこと?」


「わざとじゃないってば。そんな風に好きな場所に飛べないって知ってるでしょ。だいたいそれまだ読み終わってないし」


「あ、なるほど。もしかして、それで眼鏡?」


「わ、悪い!? コンタクトより読みやすいんだってば……!」


「べ、べつに悪くないけど……。それが、北沢が隠してたこと?」


「……」


 古海は気まずそうに視線をそらした。

 派手なギャルと言う見た目や印象と、古いSF小説好きというのは、なかなかすぐには結び付かなかった。

 確かに意外だが、だとしても、わざわざ必死に隠すようなことだろうか?

 それが本質ではない、と感じた。


「北沢、頼む。北沢に起きている青春虚構具現症を止めるための手がかりになるかもしれないんだ」


 改めてお願いすると、古海はその場で地団駄を踏んだ。

 そして、なぜか顔を覆いながら、スマホの画面をずばっとこちらに突き付けた。


「…………か………………る」


「……あの、ごめん。よく聞こえない」


 次の瞬間、古海が俺の襟元を掴んで、まるで恋人のような距離感まで顔を近づけた。思わず息が止まりそうになる。


「だ!か!ら! か、かか……書いてたり、すすす、するんだってば……!」


「か、かく? ってなにを…………………………あ」


 古海が突き付けているスマホの画面には、横書きの文章が書き連ねられていた。

 何かの記事かと思ったが、違う。

 右上には、作者:電脳ウサギ と名前があった。


「ひょっとして……自分で小説を書いたりしてる……って、こと?」


 古海は、もはやゆでタコのように顔を赤らめながら、こくりと頷いた。


「小説の……投稿サイトとか……アップしたり……してる」


「ああ……そういう意味か」


 ようやく古海の奇妙な態度の謎が解れた。

 確かに、それを他人に言うのは、少し勇気がいることなのかもしれない。


「ぜ、ぜったいに……他の誰もにも言わないでよね……!!」


「わ、わかったけど……あの、北沢、顔、近い……」


「は?」


 俺もだんだん顔が熱くなってきたので遠慮がちに言うと、古海も至近距離同士で顔を突き合わせていいることに気づく。

 そこで、古海の平常心は沸点を超えてしまったらしい。


「あ、あああ、あ……アタシの秘密の告白に比べたら、顔が近いくらいっ、どーでもいいしょうがぁ~~~!!!」


 謎のブチギレが、図書室の静寂を木端微塵に破壊したのだった。

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