九十九里閑莉の章 その1
「正直に答えないと、人を呼びますよ。
誰か教えてくれ。
この状況がいったい何なのか。目の前にいる転校生の女子の頭の中がどうなっているのか。
その女子が、なぜ二年の一学期が始まって数日も経たない日の放課後に、誰もいない教室で俺を待ち伏せしていたのか。
彼女がなぜ、突然俺の手を掴んでそれを自分の胸に押し当てさせながら、脅迫めいた要求を口にしているのかを。
なんでもいいからこの状況から脱出するためのヒントをくれ、と訴えたかった。
「九十九里……さん、だよな」
特徴的だったので、名前は記憶に残っていた。
身長は高校二年の女子としては平均的だろう。生真面目そうな黒髪が肩の後ろまでまっすぐ伸びている。ルックスは間違いなくトップレベルだが、整いすぎているがゆえに、どこか人形めいた冷たさがあった。
「はい、
閑莉の鋭い眼光が、まっすぐこちらを射貫いている。
俺は乾いた喉を潤そうと唾を飲み込み、かろうじて声を発した。
「……大丈夫か? 保健室なら付き添うけど」
「あいにく、体調も精神も健全です。それより、質問しているのはこちらです。正直に答えてください。これは脅しです」
「そこは脅しじゃない、というところじゃないのか、普通」
「私はあなたを畏怖させ、ある行動を強制しようとしているので、脅しであると言う方が適切です」
「その説明ができるまっとうさがあるなら、俺を自由にしてほしいんだけど……」
「まだ質問に答えてもらっていません。
あなたは、去年1年間、澄御架の相棒だったとお聞きしました」
閑莉の口から出てきた名前に、目を見張る。
なぜ、今彼女の口から、その名前が出るのか。
「青春虚構具現症」
閑莉はその堅苦しい漢字の羅列を、呪文のように唱えた。
それだけで、俺の脳裏を、去年1年間の様々な記憶が走馬灯のように駆け巡った。
「去年、この学校の1年4組で起きていた奇妙な一連の事件を、霧宮澄御架が解決した。そしてあなたは、澄御架と同じクラスの生徒だった。そうですよね?」
苦々しさが、口の中に広がった。
「……そんなこと、知ってどうする。なんの意味がある」
俺は閑莉の顔を、にらみ返すように見つめた。
「あいつはもう、死んだんだ。春休みの前に」
「知っています」
閑莉はあっさりと頷いた。
まったく動じず堂々とした閑莉に、俺は気圧される。
「彼女は亡くなる前に、自分の“後継者”を指名したはず。私はそれを探し出すためにここにきました」
閑莉は毅然とした態度で、そう宣言した。
俺は返す言葉が、咄嗟に何も出なかった。
澄御架がいたから、俺たち1年4組の生徒たちの、なんてことない平凡な青春の日々は守られた。
だからこそ、失ったものの大きさを、誰もが処理できないでいる。
それは俺も、例外ではない。
「澄御架の相棒だったあなたなら、知っているんじゃありませんか? 澄御架が死の前に、自分の役割を託した後継者のことを」
「……相棒なんかじゃない。勝手に誤解するな。だいたい、後継者? そんなもの知ったことかよ」
俺はようやくそれだけを言い返した。
すると閑莉は、なにかを思案するように顎に手を添えた。
「失礼しました。正確には相棒ではなく、小間使い……いえ、たしか忠犬だったとお聞きしました」
「誰が犬だよ!」
「その吠えぶり、やはり犬というのは本当だったようですね。……わかりました。ところで、そろそろ私の胸から手を離してくれませんか?」
「!? おっ、おまえが勝手に……! 」
さきほどまで閑莉に強く握りしめられていた腕を振り払う。
掌には、制服越しに伝わった彼女の体温が生々しく残っていた。
とんでもないやつだ。
それでもまだこの程度の動揺で済んだのは、ある意味、これよりもっと奇想天外な澄御架という少女に、去年1年間で鍛えられたからだろう。
破天荒、とは澄御架のためにあるような言葉だった。
「神波社さん、もう一度あなたに問います。澄御架の後継者に該当する人物に、心当たりはありませんか?」
「知らないって言っただろ」
俺が即答すると、閑莉は顎に手を当ててじっとこちらを見つめた。
まるで脳細胞のひとつひとつまで覗き見られているような、居心地の悪い視線だった。
「どうやら、嘘は言ってないようですね」
「……ちなみに聞くが、なんで今、納得したんだ? 俺が嘘を言っていたら、どうする」
「私には、どんな人間の嘘も見抜けるんです。生まれつき」
それこそ嘘のような特技を閑莉は平然と口にした。
俺が唖然としていることなどお構いなしに、今度はその小さな頭を下げる。
「私は必ず、澄御架の後継者を探し出します。
だから、お願いします。私に協力してください。社さん」
*
俺たちの通う学校には、いつの頃からか、ある不思議な噂が語り継がれていた。
数年に一度、1年4組の生徒が、突如として不思議な能力を手に入れてしまうという、出来の悪い都市伝説のような噂だ。
いわく、生徒が急に天才になったり、人の心が読めるようになったり、あるいは過去や未来に飛んだり。
噂の数だけ、その能力や現象もばらばらだ。
青春虚構具現症。
それがその現象に付けられた名称だった。もっとも、名前自体は重要ではない。
問題なのは、その噂が、ただの都市伝説ではなかったということだ。
そして去年、最悪の事態が起きた。
噂通りであれば数年に一度、一人か二人程度しか発生しないはずだったそれが、去年、俺のいた1年4組では、クラスの半数以上の生徒が、青春虚構具現症を発症したのだ。
そしてどうなったか。
俺たちの当たり前の日常は、俺たちのクラスは、あっけなく崩壊した。
その能力をめぐって、犯人捜し――いや、魔女裁判のような内輪揉めさえ起きた。
誰もが疑心暗鬼になり、誰かがを攻撃し、敵視しあった。
学校に来れなくなった者もいる。取り換えのつかない傷を負った者もいる。
現実が悪夢そのものに変貌しつつあった。
けれど、その前代未聞の事態に、たった一人で立ち向かった「英雄」がいた。
それが、霧宮澄御架だ。
たまたま同じクラスにいた俺は、澄御架に振り回されっぱなしの1年を過ごした。
今でも、まだわからない。
どうして、俺だったのだろうか?
あいつが何を見出して、俺を片腕に選んだのか。
断じて、俺になにか特別な力があったわけではない。
いや、誰でもよかったのかもしれない。特別で、英雄で、物語の主人公だったのは、俺ではなく澄御架だったのだから。
だがすべての事件を解決し、平凡な当たり前の高校生活を取り戻した後――澄御架は死んだ。
今もなお、その事実を信じないクラスメイトもいる。
ただ行方をくらましただけだというクラスメイトもいる。
仕方のないこともしれない。誰も、澄御架を直接看取ったわけではないのだから。
けれど俺は、知っている。
澄御架がもう、この教室には永遠に帰ってこないということを。
俺だけは――その死を疑いようもなく、知ってしまっていた。
「どうして、そんなに霧宮のことにこだわるんだ?」
俺の質問に、閑莉は沈黙した。
答えを慎重に選ぼうとしているような間だった。
「私にとって、澄御架が大切な人だからです」
「あいつに、命を救われでもしたか?」
「可笑しいですか? きっとそういった人は、大勢いると思いますが」
俺の半端な笑みは、閑莉の言葉で消えた。
あいつが、いつどこで誰かの命を、世界を救っていても、おかしくはない。
そんなことは、俺自身が誰よりもわかっていることだったのに。
「質問は以上ですか? では明日までに、返答をください。良いお返事をもらえることを期待しています。社さん」
閑莉は再び頭を下げると、迷いなく教室から出ていった。
後には、苦い表情で立ち尽くす俺がその場に残されていた。
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