エピローグ
学校の屋上から見える景色は、普段となにひとつ変わり映えしなかった。
俺は手すりにもたれかかりながら、昼休みの校庭を見下ろした。
制服姿の男子たちがサッカーをしている。だがサッカー部ではないのか、動きは大雑把で勢い任せだが、楽しそうにボールを転がしている。
どこぞのあいつなら、一目散に混ざっていくのだろう。
空はうんざりするほど青く、雲は止まっているかのように穏やかだ。
俺がもしタバコでも吸っていたら、こんとき吹かしたくなるのだろうか。
そういえば去年、いつだったか、あの校庭が机で埋め尽くされるという事件があったな、と俺はふと思い出した。
あの頃はまだ、澄御架の行動力にも、青春虚構具現症の不可思議さにも、免疫ができていなかった。それに比べると、今はだいぶ成長したのかもしれない。
「ここにいたんですか、社さん」
そのとき、背中越しに凛とした声が聞こえた。
それだけで誰かわかる。
景色を眺めて物思いにふけることにも飽きていた俺が振り返ると、閑莉が立っていた。人形のように整った顔立ちと、生真面目にまっすぐ背筋が伸びた立ち姿。
「よう。昼飯はいいのか?」
「もうクラスの友達と食べましたので」
世間一般的にはごく普通の回答だが、閑莉のことを知っている俺からすると、それは驚愕の一言だった。
いつの間に、そんな友達ができていたのか。
すると、そんな俺の内心を閑莉は察したらしい。
「社さん。前にも言いましたが、私は生身の人間なので、ロボットのようなキャラではありません。それなりにクラスメイトの女子と仲良くなったり、ご飯を一緒に食べるくらしはします」
「そいつはなによりだ」
皮肉でもなんでもなく、俺はそう答えた。
「社さん、大丈夫ですか?」
ふいに閑莉がそんなことを聞いてきた。
なんのことか、わからない。
「なにが?」
「澄御架のことです」
閑莉は単刀直入に言った。ただその言葉には、わずかだがためらいや遠慮の響きが感じられた。
「私のせいで、社さんには大変なご迷惑をおかけしました。
本当に、申し訳ありませんでした」
「よせよ。アレは誰のせいでもない。青春虚構具現症は、自分でコントロールできるものじゃないんだ。おまえだって被害者だろ」
「……ですが、私は社さんに隠し事をしていました」
閑莉は力なく言って目を伏せた。
昼休みの屋上には、他にも弁当を食べている生徒や、談笑している女子グループの姿がある。なんの変哲もない日常の光景だ。
俺はそれを眺めながら、ため息をついた。
「それこそ気にしてない。むしろ、謝るのは俺の方だ。勝手におまえの過去を調べたりして、悪かった」
「社さん……」
閑莉は救われたように安堵の表情を浮かべていた。
こいつのことを人形のようだと思ったのは、やはり撤回しなければならない。
その華奢な身体の中に、どれほど強い感情を秘めていたのか。
今回のことで、俺はそのことを十二分に知ったのだから。
「どうして、霧宮と一緒にうちの学校に来なかったんだ?」
「それももちろん考えたのですが、私の学力なら、もっと上を狙えるだろうと、澄御架に言われたんです。だから高校受験は別々に」
閑莉が続けて口にしたのは、県内でも最も偏差値の高い進学校だった。
そもそも澄御架もだいぶ成績が良いのに、平均的なうちの学校にいるのが不思議なくらいだった。閑莉とは俺では頭の出来がだいぶ違うらしい。
「ですが……澄御架が亡くなってからは、後悔しました。とても強く」
「……そうか」
「社さん。私はあの偽物の世界で、どうして澄御架と社さんの記憶が消えなかったのか。その理由がわかった気がするんです」
閑莉は遠くの景色を眺めながら言った。
「きっと私は、澄御架のことも、澄御架のことを一番知っている社さんのことも、変えたくなかったんです。そうしてしまえば、それは私の知っている澄御架を否定することになってしまうから」
「なるほどな……」
閑莉の無意識が、世界のすべてを作り変えてしまうことを忌避した。
それによって俺たちは世界の異変に気付くことができたのだ。
本当に、青春虚構具現症とは不思議なものだ。
閑莉は眼下の景色から俺のほうへと視線を戻した。
「ところで、もうひとつ質問してよいですか?」
「なんだよ」
「あのときこの屋上で、王園令蘭さんとなにをしていたのですか?」
「なっ……!?」
「私には、社さんがなにか不純な行為を働こうとしているようにも見えましたが……」
「ち、ちがう! あれはあいつの方が――」
「彼女の方から? では認めるのですね」
「っ、おまえな……!」
閑莉がくすりと口元を緩める。
少し油断するとこれだ。閑莉に下手に隙は見せてはいけない、と俺は胸に誓った。
「ひとつ、訂正をさせてください」
改まって閑莉が言った。
「あのとき、あの偽物の世界の教室で、私は社さんのことを、特別ではない普通の人だったと言いましたね」
「ああ……。そう、だったか? あんまりよく覚えてない」
「はい。言いましたよ。
ですが……社さんは、やはり特別です。社さんは、特別に、普通な人です」
ややこしい言い回しに理解が追い付かない。
「なんだか、無理やり持ち上げられてる気もするんだが……」
「そんなことはありません。私は社さんのことは、リスペクトしています。
澄御架の後継者なんて、いなかったのかもしれません。
ですが……もしそれがいるとしたら、私は社さんが相応しいと思います」
あの偽物の世界で、本物ではない澄御架が最後に言った言葉が蘇る。
不思議な偶然だった。
もちろんそれは覚えておくの必要のない、幻のようなものだ。
「そうか」
「もうひとつ、聞いてもいいですか?」
「? なんだよ」
「社さんは、澄御架のことが好きだったんですか? 異性として」
今度もからかっているのかと思った。
だが閑莉の真剣な目を見れば、そうではないのは一目瞭然だった。
俺は自分の胸に問いかける。
すでに死んでしまった人間への思いを、その形を確かめるように。
「さあ、わからない。本当に」
俺は正直にそう答えた。
俺が澄御架に抱いていた気持ちは、とても複合的なものだった気がする。
憧れていたし、美しいとも思っていた。
もちろん、その中には、恋愛感情に近いものも含まれていたのかもしれない。
けれど、それは断定できるものではない。
そうしてしまうと、それは自分に対しても、澄御架に対しても、嘘をつくことになってしまう。そんな気がした。
「そうですか……ありがとうございます。
おふたりの関係が、少しだけわかった気がします」
そのとき、予鈴のチャイムが鳴り響いた。
屋上でだべっていた生徒たちが、けだるげに教室へと戻りはじめる。
「行くか。次は……現代文だっけか」
「数学です」
「うへぇ」
「社さん、また、青春虚構具現症は起きるのでしょうか?」
閑莉の言葉に俺は立ち止る。
その顔には、経験にした人間だけがわかる、底知れないものへの恐怖と不安の色が張りついていた。
「かもな。でも、なんとかなるんじゃないか」
「ずいぶん楽観的ですね」
「霧宮のそれが移ったんだろ。多少はな」
ハイパーポジティブなあいつに比べたら、俺なんて完全に悲観主義者と言ってもいい。希望的観測を持つくらいがちょうどいいのだろう。
「私が、社さんの相棒になります」
ふいに閑莉が俺に向かって手を差し出した。
それが握手を求めているものだと、遅れて理解する。
「これからなにがあろうと、私が社さんを手伝います。社さんが苦しいとき、私が傍にいて支えます。それが今の、澄御架のいない世界での、私の意思です」
「……いちいち大げさだな」
「はい。私はそういう性格ですので」
閑莉は気持ちのいいくらい堂々と答えた。
相変わらず肝が据わっている。
澄御架のいない世界――か。
頭上には、どこまでも続く蒼穹の海が広がっている。
その広さに比べたら、この学校の、ひとつの教室など、どれほどちっぽけな世界なのだろうか。
けれど、そのちっぽけな教室こそが、俺たちの生きている世界だった。
「行きましょう。二人そろって授業に遅れると、私と社さんが付き合っているという噂が流れかねません」
「はいはい、それは困るもんな」
「ええ、困ります。それはとても、彼女に悪いので」
閑莉は奇妙なことを言い、屋上から出ていった。
その背中に、一瞬澄御架の姿が重なる。
――なあ、霧宮。
おまえがいなくなっても、俺たちはきっとなんとかやっていける。
たとえ、当たり前の日常が続くとしても。
たとえ、当たり前の日常が失われたとしても。
きっとまたそのときは救えるはずだ。
英雄のいない教室では、誰かがその跡を継がなければならないのだから。
英雄が死んだ教室で、誰がその跡を継ぐのだろうか 来生 直紀 @kisugin
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