早乙女翼の章 その4
学校から帰り道にある商店街のカフェに入った。
チェーン店で値段も高くないので、高校生でも入りやすい場所だった。
実際、仲には他にも他校らしき違う制服の男女がちらほらと見える。
喫煙エリアからなるべく遠い席をとって待っていると、翼が二人分の飲み物をトレーに乗せて持ってきた。
「本当に……ごめんなさい。私のせいで神波くんに迷惑ばっかりかけて……」
「い、いやいいって。こうしてコーヒー奢ってくれたんだし」
「全然、こんなんじゃ足りないよ。でも、神波くんコーヒーとか飲むんだね。ちょっと意外かも」
「そうか? べつにそんなに好きってほどもないけど、人並に」
「そっか。わたしはちょっとまだ苦手だなぁ。喫茶店だと、だいたいいっつもこうゆうの頼んじゃうんだ」
「なるほど、抹茶フラペチーノ」
翼が注文したカップには、たっぷりの生クリームが乗っていた。
もはや飲み物というよりはスイーツだ。カロリーもやばそうだ。
「早乙女さんこそそういうの飲むんだな。陸上部だから、そういうの結構厳しいのかと思ったけど」
「全然! べつにうちの部はそういう厳しくないし、自己管理できてれば先生にもなんにも言われないもん。それでタイムが落ちたりしたらやばいけど」
「確かに、早乙女さん痩せてるし、全然関係なさそうだな」
「やっ……痩せてなんかないってば……! 腰とかお尻とか、結構油断するとすぐに太ったりするし……」
翼は大袈裟に手を振って、腰まわりを触る。
俺が反応に困っていると、それに翼が遅れて気づいた。
ぼっ、と火がついた音が聞こえたような気がした。
激しく顔を紅潮させる翼に、こちらまで恥ずかしくなってしまい、俺は無言でコーヒーを口に含んだ。
「ところで……早乙女さんに起きていることだけど」
「……1年4組で起きてたことと、なにか関係があるんだよね」
翼は意外ほど落ち着いた様子でそう言った。
俺は面食らいながらも、ゆっくりと頷く。
「まさか、こんなことが現実に起きるなんて……いまだに信じられないよ。
自分のことなのに、おかしいよね」
「いや、誰だって……俺だって、最初はそうだった。1年4組でこういったことが多発したとき、この目で見て……体験するまでは」
「もしかして……それを澄御架ちゃんと神波くんが、解決してくれたの?」
かつてのクラスメイトから澄御架の名前が出てきた瞬間、俺の胸を郷愁のような感情が通り過ぎた。
俺は静かに首を横に振る。
「俺は、たいしてなにもしてない。活躍したのは澄御架だ。知ってるだろ?」
「もちろん、知ってるよ。澄御架ちゃんは、みんなのヒーローだもんね。
……でも、社くんが澄御架ちゃんと一緒に、頑張ってたのは、なんとなく感じてたよ。だから、わたしはふたりのおかげなんだなって、勝手に思ってた。ふたりがいたから、クラスがあんな滅茶苦茶な状況でも、わたしたちは高校の一年生を、ちゃんと最後まであの教室で過ごすことができた」
翼の言葉の端々ににじんだ切実な響きから、それが本心だとわかる。
コーヒーカップを握った指先に、勝手に力がこもった。
「それなのに、どうしてなんだろうね。神様って……残酷すぎるよ」
「……俺も、そう思う」
「あのね、こんなこというと不謹慎だって言われるかもしれないけど……。
なんだか実感ないんだ。澄御架ちゃんが、亡くなったってことに……」
翼は手元のカップについた水滴を、細い指先でなぞった。
「告別式やお葬式だって、誰も呼ばれなかったんだよね?」
「ああ。霧宮の両親からは……なるべく静かに終わらせたいって、学校にも連絡があったらしい。だから、校内でも極力話題を広げないようしたに、って」
澄御架の死に現実感がない。
翼の気持ちは、不謹慎でもなんでもなく、十分共感できるものだった。
「早乙女さん。俺が、力になる」
「え……?」
「早乙女さんに今起きていること、俺がなんとかしてみせる。なにをしたらこの現象が収まるかまだわからないけど、見つけてみせる」
「神波くん……」
翼は潤んだ目元をぬぐうと、声を詰まらせながら何度も頷いていた。
*
カフェを出て、俺は途中まで翼を送ることにした。
途中、駅に向かって河川敷の道を通る。
その間、俺は翼となにげない雑談に花を咲かせた。
授業のこと、部活のこと、中学のこと、地元のこと、よく聞く音楽のこと、よく行く店、好きな食べ物――翼は古海や閑莉とはまた違った意味で気を遣う必要がなく、話しやすい相手だった。
「あ、ここまででいいよ。わたし、駅から電車だから」
「ああ、わかった。じゃあ……」
「うん、じゃあ明日、また……」
翼はそう言って、小さく手を振った。
まっすぐ背筋の伸びた後ろ姿が、遠ざかっていく。
その瞬間、奇妙な感覚が俺を襲った。
がくん、と視界が大きく揺れるような衝撃。
気づくと、俺は翼の手首をつかみ、彼女を引き留めていた。
「え……神波、くん?」
「早乙女さん……」
俺は手を離し、今度はそれを、彼女の肩に添えた。
もう片方の手も合わせ、彼女の正面に立つ。
息苦しさを覚えた。目眩がするような、気持ち悪さがある。
「早乙女さん……」
俺は、吸い寄せられるように、彼女に顔を近づけた。
彼女の――唇に。
どん、と軽い衝撃が胸を打った。
翼が掌で、俺を突き放していた。
その瞬間、我に返ったように、俺は自分がしようとした行為を理解し、愕然とした。
俺は今、何をしようとしていたんだ……?
翼は俺を突き放したまま、怯えるようにして、身体を震わせている。
それを見た瞬間、全身から血の気が引いた。
「ご、ごめん……俺、今、どうかしてた……なんで、こんなこと」
翼は俯いたまま、首を横に振っている。
「……………………許して。ごめん、なさい」
「え……?」
なぜ、翼が謝るのか。悪いのは錯乱した俺の方だ。
だがなぜか翼は俺を責めることなく、逃げるようにその場から走り去った。
現役の陸上部エースの足に追いつけるわけもなく、あっと言う間に姿が見えなくなる。
気づくと、俺は手のひらにびっしりと、尋常ではない汗をかいていた。
いったいなにが起きていたのか、俺にはまるでわからなかった。
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