霧宮澄御架の章 その1
翼の一件が解決してから、早くも二週間ほどが経とうとしていた。
ゴールデンウィーク空けの火曜日、休みボケを引きずりながら、気だるく午前の授業を消化する。昼休み、学食で手早く昼食を済ませた俺は、中庭のベンチでぼけっと空を眺めていた。
「探しましたよ、社さん」
睡魔に襲われかけていた俺の意識を、抑揚にかける声が現実に引き戻した。
「あー……九十九里か。なにか用か?」
「いえ、今日はまだ社さんと話をしていないかと思いまして」
「話って、なんの?」
「もちろん、青春虚構具現症の対策会議です」
話しているうちに、ようやく眠気が晴れてくる。
閑莉は出会ったときから変わらず、透徹とした眼差しを俺に向けた。
「対策って……べつに、ここ最近は特に新しい発症者は出てないだろ。早乙女さんに関しても落ち着いてるみたいだし」
「ですが、それでは困ります。私の目的が達成できません」
「目的?」
「澄御架の後継者を特定することです」
「ああ……まだ諦めてなかったのか」
俺がややぞんざいに言うと、閑莉がわずかに目を細めた。
「まだ、とはどういう意味でしょうか。澄御架の後継者は、依然見つかっていません。私はそれを調べるために、この学校に来たのです」
「そりゃわかってるけど。でも、最近は平和だろ。少なくとも、青春虚構具現症がらみの問題は起きてない。それを利用して澄御架の後継者ってやつが現れるのを待つっていう九十九里の作戦だと、今は待つしかないだろ。……ま、そんなの現れないにこしたことはないがな」
「社さんの言う通りです。ですが私は、新たな発症者が現れることを期待しています」
閑莉の淡々と機械的な発言をするのはいつも通りだった。
だが、俺はその発言ばかりは、聞き流すことはできなかった。
「九十九里。冗談でも、そういうことは言うもんじゃないぞ」
「私は冗談などは言っていませんが」
「じゃあ、おまえはまた、古海や翼みたいな生徒が増えればいいって、そう言いたいのか?」
「もちろん、それ自体は望ましい事態ではありません。ですが、それで、澄御架の後継者が見つかるのであれば、私にとっては都合がいいんです」
「そのために、誰かが犠牲になってもか?」
閑莉は頷きこそしなかったが、沈黙で肯定を表していた。
俺は気分が悪くなってきて、ベンチから腰を上げた。
どうやら、こいつとは根本的に価値観が合わないらしい。
「後継者とやらが見つかったところで、澄御架が戻ってくるわけじゃないだろ」
「……!」
吐き捨てるように出た俺の言葉は、自分でも驚くほど刺々しく響いた。
閑莉の顔に、珍しくはっきりとした動揺が広がる。
「……な、なんだよ」
「約束、したんです」
「え……」
「澄御架は英雄です。かつて、私の人生を救ってくれました。彼女は約束してくれました。これ以上、もう悲しいことは起きないと。澄御架は約束を破るような人間ではありません。だから、澄御架は……!」
「九十九里……」
閑莉がこれほど感情的になっている姿を、初めて見た。
驚いて固まっている俺に気づき、閑莉は気まずそうに視線をそらした。
「……失礼しました」
「いや、俺も少し、言葉がきつかったな。悪い」
「気にしないでください。ただ……ここからは、別行動をとった方がよいかもしれません」
「なに?」
「元々、私が無理に社さんに協力を仰いだことが原因です。最初から、私と社さんの目的は違う。であれば、私は私で単独で動いた方がいいと判断します」
閑莉の言葉は、至極まっとうだった。俺にしても、引き留める理由は何もない。
ただこれまでしつこいくらいに絡んできた閑莉があっさりそう言のは、奇妙な居心地の悪さがあった。
「社さんのおかげで、青春虚構具現症について、貴重な知見を得ることができました。感謝しています。……それでは、失礼します」
そう言って、閑莉はその場から立ち去った。
平和な昼下がりの中庭に、場違いなほど重苦しい空気が流れていた。
*
午後の体育は、いつも通り男女分かれて、隣のクラスと合同で行われた。
準備体操でペアになったのは、去年同じクラスだった田辺だった。
田辺は野球部に所属しており、男子のなかでもノリが良く、話やすい男子のひとりだった。俺も特になにか共通の趣味や話題があるというわけではないが、すれ違えば気軽に話をするような間柄だ。
もちろん同じクラスだったので、俺と同じいわくつきの“14組”のひとりである。
田辺と授業がいかにダルいかというある意味で高校生らしい愚痴をこぼしながら、背中を合わせて交互に上体反らしをする。
「なぁ神波、4組ってどうだ? カワイイ子いる?」
「まあ、そこそこいるんじゃないか。あんまりちゃんと見てないけど」
「はぁ~いいなぁ。こっちは女子少ねんだよなぁ……」
「ああ、理系か。まあそりゃしゃーないな」
「今思うと、去年の俺らのクラスも、ルックスのいい女子多かったよなぁ。王園とか、早乙女とか、あとは……」
そこまで言って、なぜか田辺は押し黙った。
「なんだよ?」
「霧宮って、ほんとに死んじまったのかな……って」
田辺の呟きに俺は固まった。
以前、翼も同じようなことを口にしていた。
「なんで、そんなこと」
「あ、悪い。なんつーか……いまいち信じられないんだよな。あいつがもう帰ってこないとか言われてもさ。ひょっこりまた、教室に顔出すんじゃないかって、なんかそんな気がしちまうっていうか……」
去年のことを懐かしむような声に、俺もまたその光景を心の中に浮かべた。
きっと、誰もが同じの気持ちなのだろう。
澄御架が教室に帰ってきてくれることを、願わずにはいられない。
だが、それは適わないことだ。永久に。
「俺もそう思うよ。ほんとに」
俺は口ではそう答えながらも、事実を知ってしまっていた。
霧宮は、英雄はもう、死んでいる。
もし、それを忘れることがで一縷の希望を持つことができるのなら、その方が幸せのかもしれなかった。
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