早乙女翼の章 その1
「ん?」
それは、三限目の授業が終わって机の上をかたづけているときのことだった。
ふと。俺は違和感に気づいた。
さきほどまで使っているシャーペンが見当たらない。
机のなかに手を入れて探るが、感触はない。念のためしゃがんで中を覗き込む。
「どうしたんですか、社さん。次は移動ですよ」
自分の机をまさぐっている俺に、閑莉が声をかけてきた。
「わかってるけど……くそっ、どこいったんだ?」
「なにか探し物ですか?」
「ああ……シャーペンがどっかいって……またかよ」
「? また、とは」
閑莉が首をかしげた。周りではぞろぞろとクラスメイトが次の生物室に向かって教室の外に出はじめている。
俺は一旦探すのを諦め、次の授業の教科書とノートを小脇に抱えた。
「最近、妙に物がなくなるんだよなぁ……」
閑莉と一緒に廊下に出ながら、ため息まじりに事情を口にする。
「そうですか。若年健忘症の原因は、強いストレスや、頭部のケガなどが原因だと言われています。先日の古海さんの件で、脳に強い衝撃を受けた可能性があるかもしれません。一度病院に行くことをお勧めします」
「そこまでのことじゃないんだが……っていうか、なんで迷いなく病気認定なんだよ」
「では単なる紛失ですか? その場合、職員室に行って落とし物を――」
「わかってるって。後でまた行ってみる」
面倒くささに気分を削がれながら、とりえあえず次の教室へと向かった。
*
放課後、俺は自分のロッカーを開けた瞬間、固まった。
そこに、さきほど失くしたはずのシャーペンがぽつんと置かれていたからだ。
「なんでこんなとこに……」
とりあえず見つかったことには安堵しつつも、理解できない。
シャーペンを手にしたとき、ふと誰かの視線を感じた。
ぱっと振り返るが、それらしき人物はいない。古海たち見慣れたクラスメイトの顔ぶれと、いつも通りのざわつきが広がっている。
「社さん、さきほどの失くし物が見つかったのですか?」
「ああ……。でも、こんなとこに入れた覚えはないんだけどな……」
「社さん、残念です。病院には付き添います」
「なんでおまえはそんなに俺を病人扱いしたいんだよ……っていうか、誰かのイタズラかもな。そんなことそんなことされる覚えはないけど」
「その判断は早計かと。社さん自身に自覚がなくとも、逆恨みの可能性はあります。なにを考えているのか理解しがたい人間は、世の中には大勢いますからね」
俺はまじまじと閑莉を見つめた。
「? どうして、私を見るのですか」
「いや、べつに。……にしても、心当たりはないんだけど………前にもあったんだよな。こういうこと」
「失くしたものが、ロッカーに戻っていた、ということがですか?」
俺は小さく頷き、カバンに入れていたペットボトルのスポーツドリンクを口にした。
数日前のことだ。俺がいつも使っているハンカチが、突然制服のポケットから消えていた。どこかで落としたのかと思って探したが見つからず、翌日の朝、登校してきたときにこんな風にしれっとロッカーに入っていたのだ。
誰かが見つけて届けてくれたのだろうか、と一瞬思ったが、そもそもハンカチに名前など書いていないし、拾ったところで俺の物だとわかる人間はいない。落としたところを見たのであれば、直接届けない理由もない。
ありのままに起きたことを説明すると、閑莉はいつものように小さな顎に手を当てて、ふむ……とうなった。
「それは奇妙ですね。なんらかの事件性を感じます」
「怖いこと言うなよ……。さっきも言ったけど、俺はべつに誰かの恨みとか買った覚えはないからな。そんなやばいやつも学校にいないだろ」
「いえ、そういった意味の事件ではなく」
「じゃあ、どういう意味だよ」
「青春虚構具現症にまつわる異変、ということです」
閑莉の飛躍した発想に俺は面食らった。
「まさか。九十九里おまえ、俺が発症してるって言いたいのか?」
「可能性はゼロではないかと。ずばり、社さんの青春虚構具現症は……紛失物が自動的にロッカーに戻る、です」
「どういうしょぼい現象だよ……」
さすがに去年1年間、この怪奇現象と対峙してきた俺でも、そんな馬鹿馬鹿しいものが起きるとは考えられなかった。
もちろん、青春虚構具現症は、形を変える。
仮にそうだったとして、軽んじることは危険ではあるのだが……。
「神波、どしたの?」
気づくと、カバンを肩に下げてスマホを手にした古海が近くに立っていた。
「あ、いやべつに。ペン失くしたと思ったんだけど、ロッカーに入ってて」
「なにそれウケる。神波って意外とドジっこ?」
「そんなことは……」
「あ、そういえばさ。神波って早乙女さんと仲いいの?」
古海はウェーブのかかった金髪の毛先をくるくると弄りながら、唐突にそんなことを言った。
突然出てきたその名前に、俺はぽかんとする。
「早乙女さん? それって、うちのクラスの?」
「うん。陸部の」
早乙女翼は、俺たちと同じ2年4組のクラスメイトの女子生徒だ。
古海が今言った通り陸上部に所属していて、見た目からスポーティーな印象が強い。確か部活では活躍していて、全国大会にも出場しているという話はどこかで聞いたことがあった。
だが、個人的な接点はほとんどなかった。
唯一あるとすれば――
「一応、去年は同じクラスだったけどな。でも、なんで?」
「さっき生物の実験だったじゃん? そんときアタシ早乙女さんと同じ班だったんだけど、こっそり聞かれたんだよね?」
「へえ。聞かれたって、なにを?」
なにげなく聞きつつ、手にしていたスポーツドリンクに口をつける。
「アタシと神波が付き合ってるのかって」
途端、俺は激しくむせかえった。
「ちょっと、だいじょぶ?」
「な、なんで、そんなこと?」
「だってほら、最近よくうちら話してるじゃん。それでそう思ったんじゃない? あはっ、めっちゃウケるし」
「はぁ……」
もちろん、まったくそんな事実はない。
早乙女さんは、なぜそんなことを古海に聞いたのだろうか。
「ま……なんでもないなら、いいけどさ。あ、ところで昨日の更新、読んでくれた!? アタシ的に渾身の神回のつもりだったんだけど!」
「ああ……読んだぞ。色々と感想はあるんだけど……、渋い軍人のおじさんには「やばい」とか「エモい」とか連呼させない方が自然かなって」
「なにそれ? 未来なんだからべつにおかしくなくない?」
「まあ、そう言われるとそうかもしれないけど……」
俺はいつも通り、毎日更新されている古海のネット小説に対しての感想を口にする。
そのときには、すでに早乙女翼のことは頭から消えてしまっていた。
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