早乙女翼の章 その2
「社さん、彼女が犯人です」
その瞬間、俺はひさしぶりこの九十九里閑莉という女の頭のなかを疑っていた。
こんなに言葉を失くしたのは、最初に放課後待ち伏せされたとき以来だ。
なぜなら閑莉は俺と早乙女翼を校舎裏に呼び出したかと思うと、いきなり彼女を指さして、そう発言したからだ。
早乙女さん――翼は案の定、顔を強張らせている。
すらりと伸びた長い手足。小麦色に日焼けした肌とショートカットの活発な印象の彼女の顔は、今は困惑と怯えに染まっている。
頭痛がしてきた俺は額を抑えつつ、閑莉に言った。
「おまえな……どこからどういう発想になって、そういう結論に行き着いたんだよ。だいたい、犯人ってなんのだよ?」
「社さんの持ち物が相次いで紛失している件について、です」
「だから、それは誰かのイタズラかもしれないだろ。
……ごめん、早乙女さん。俺が九十九里に変なこと言ったから――」
次の瞬間、翼がなぜか勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい……!!!」
俺はその場で口を開けたまま固まってしまった。
「…………え?」
なぜ、翼が俺に向かって腰を折り、頭を下げて、大声で謝罪を口にしているのか。
俺は答えを求めて閑莉を見ると、さも当然というように頷いた。
「ですから、言った通りです。彼女が、社さんの荷物を盗っていた、張本人です」
「どういう……」
「社さんが来る前に、彼女に事実を確認しました。すると彼女が自白して認めたので、今社さんに謝罪を口にしたのだと思いますが」
「そういう話は先に……っていうか、認めた? 早乙女さんが……?」
俺が改めて翼を見ると、彼女がびくりと肩を震わせた。
「ごめん、なさい……神波くん。わざとじゃ……なくて。
気づいたら、神波くんの物が、わたしの手元にあったんだ……。この前のハンカチも、シャーペンも……」
「気づいたら……?」
奇妙な翼の言葉に、俺は眉をひそめた。
「自分でも信じられないけど、授業中にふと筆箱の中を見たら、社くんが使ったシャーペンが入ってたんだ。ハンカチも、気づいたら私の制服のポケットに、いつの間にか入って……。お、おかしなこと言ってるよね?
自分でもそんなことありえないと思ったから、拾ったなんていうのも怪しまれると思って、怖くて……。だからこっそり、黙ってロッカーに返したの。
こんなこと言って、信じてもらえないかもしれないけど……本当に、盗んだわけじゃないんだ……」
彼女が上擦った声で語ったその話は、真に迫るものがあった。
ただの言い訳には到底思えない。
嫌な予感が背筋を這い上がってくる。
意見を求めようと閑莉を見ると、無言で頷いた。
「彼女は嘘を言っていません」
「だとしたら、それって、つまり……」
「はい。おそらく彼女は、青春虚構具現症の発症者です」
閑莉の言葉に、俺は愕然とその場に立ち尽くした。
*
校庭には陸上部が練習していた。
その中に、翼の姿もあった。
ティーシャツに膝までのスパッツ姿で、競技トラックの横に並べたハードルと対峙している。
勢いよくスタートすると、軽やかな動作で足をあげ、綺麗にハードルを飛び越した。
スタート位置に戻ってくる途中、翼は彼女の練習風景を眺めていた俺と閑莉の方をちらりと見た。
気まずそうに小さく会釈する。
「非常に奇妙な現象ですね」
「ああ……」
俺は思考の迷宮に囚われており、曖昧に相槌を打った。
「“他人の物を無自覚に奪ってしまう”青春虚構具現症。しかもそれが不特定多数ではなく、今のところはなぜか、社のさん物だけを奪ってしまうなんて。呼称をつけるとすれば、“無自覚スティール”とでもいうべきものでしょうか」
閑莉がつらつらと口にしたことは、さきほど翼が自分で認めたことだった。
「俺だけ済むとは、言いきれない」
「それは、古海さんのときような、能力の変化のことですか?」
「ああ。青春虚構具現症で起きる現象は、一定じゃない。能力の規模が拡大したり、性質が変化したりする」
「なるほど。確かに、今後被害が社さん以外にも拡大する可能性もある、と言いたいのですね。……ですが、私はその可能性は低いと思います」
閑莉は、なぜかそんな推測を口にした。
「は? どうしてだよ」
「わかりませんか?」
「さっぱりわからん」
「翼さんは、社さんのことが、好きなのではないでしょうか」
またしても、俺は言葉を失って硬直した。
今日は次から次へと、驚くことばかりだ。
いや――青春虚構具現症にかかわるとそうなる、ということだが。
「ばっ……おまっ、な、なに言って……」
「社さん、落ち着いてください。いくら女子から好意を持たれたのが初めてだとしても」
「べつに初めてじゃ――って、そんなの俺がわかるわけないだろ……。
じゃなくて、どうしておまえがそんなこと、わかるんだよ。べつに、早乙女さんと仲がいいわけじゃないだろ」
「はい、特に親密な交友関係は構築していません。ですが昼間、古海さんが言っていた証言と、起きている現象。そして彼女の態度から導き出されるひとつの仮説です。そしてそれは、非常に多くの事柄を説明できます」
「……例えば?」
「翼さんは、社さんのことが好きだから、古海さんに交際しているかどうかを確認した。これは単純ですね。そしてもうひとつ、青春虚構具現症は、生徒が持つ強い感情によって引き起こされる。恋愛感情というのは、一般的に言ってそれに該当するものだと思います」
「……で?」
「そして最後に、社さんの物だけがなくなるということが、彼女が他の誰でもなく、社さんに興味――いえ、特別な好意を抱いているという証拠ではないでしょうか? 好きな異性の持ち物に興味を持つ。それほど特異な感情とは思いませんが」
閑莉は淡々と推理を説明した。
俺は動揺しながらも、閑莉が言っていることが破綻していないことだけはかろうじて理解した。
「意外でしたか?」
「ああ……まず九十九里の口から、恋愛という言葉が出てきたことがな」
「社さん……ひょっとして、私をなにかロボットのようなキャラだと思っていませんか? 残念ながら私の生身の人間なので、それなりの一般常識は持ち合わせています」
「それはよかったよ……。けど、早乙女さんが俺を、ってのは……」
嬉しさや気恥ずかしさ、というものよりも、今は困惑しかなかった。
「これまで、彼女とは特になにも?」
「ああ。同じクラスだったけど、彼女は去年、青春虚構具現症にはならなかったし、彼女が巻き込まれたような事件もなかった。もちろん、クラスがやばいってことは感てただろうし、色々と思うことはあったろうけど……」
「では、澄御架のことを、知ってはいるのですね」
閑莉はいつものように、顎に手を添えて考え込んでいる。
そういえば、こいつは澄御架の後継者とやらが現れるのを待つために、青春虚構具現症について調べているんだったと思い出した。
「あいつは……誰とでも友達になれるやつだよ。知ってるだろ」
澄御架のことを、苦手と感じる者はいても、嫌いなクラスメイトはいなかっただろう。もちろん、最初は違った。けれど、あいつは誰に対しても、全力でぶつかっていった。
あいつには、最終的にどんな相手にも心を開かせてしまうような、不思議な力があった。
それはもしかしたら、英雄の器に相応しい人間だけが持つ天性の素質だったのかもしれない。
「翼さんが、社さんに好意を持ったきっかけについては測りかねますが……。
いずれにせよ、青春虚構具現症を止める手段は、あるかもしれません」
「なに?」
皆目見当つかない俺は訝った。自分が巻き込まれているせいか、いまいち思考がスピーディーに働かない。
そんな俺に、閑莉は淡々と、信じられないことを口にした。
「翼さんと、お付き合いしてみるのはいかがでしょうか?」
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