霧宮澄御架の章 その8

「なるほど、今日はまた格別に興味深い話をしてくれるな、神波」


 俺と澄御架は、例によって科学準備室に足を運んでいた。

 そこの主とも言うべき白衣姿の女性は、俺たちが話した新たな青春虚構具現症についての話に、真剣に耳を傾けていた。


 澄御架がいなかった事実を、誰も覚えていない。鑑自身さえも。

 そして、それを示すあらゆる痕跡という痕跡も消えてしまっている。

 それを認識しているのは、俺と澄御架、閑莉の三人だけ。


 そんな話をして、怪訝な表情ひとつ浮かべないのは、鑑以外いないだろう。


「つまりおまえたちの話では、この私も青春虚構具現症の影響を受け、記憶を失ってしまっている、ということだな」


「はい」


「内的な自覚もなく、外的な証拠ないとなれば、それを私が認識することは困難だろうな」


「センセーは、青春虚構具現症のことはちゃんと覚えてるよね?」


「当然だ。私のマイブームのひとつだからな。今日のおまえたちの話で、またさらに研究が捗るよ」


「えへへ~それはよかったぁ。センセーのブログ面白いから、スミカ好きなんだよねぇ」


「呑気に笑ってる場合かよ……」


 マイペースな者同士の会話は傍から聞いていると不安しかない。

 去年もこういう場面が幾度となくあった気がする。


「悪いな、神波。残念ながら、今回は力になれそうにない」


「いえ……」


 ここに来たのは、念のための再確認と、状況報告が主な理由だった。

 青春虚構具現症について理解する数少ない協力者だ。

 たとえ、今はまさにその青春虚構具現症によるなんらかの影響を受けてしまっているとはいえ、頼りしたい相手だった。


「ひとつ確認だが、霧宮。おまえ自身に、なにか変化はないのか?」


「なんにもないよ。むしろ、皆が前みたいに、当たり前に受け入れてくれるから楽だなぁ~くらいにしか」


「……なるほど」


「先生、今のなるほどはどういう意味ですか? まさか、霧宮が青春虚構具現症の発症者じゃないかって、疑ってるんですか?」


「いや、それはないだろう。青春虚構具現症は、その生徒の強い根源的な願いが形になって引き起こされるものだ。その程度では関係ない。

 私が質問したのは、これによって、お前たちが何に困っているのか、ということだ」


 予想しなかった鑑の問い、俺は返答に詰まった。

 たしかに、なにか特別、実害があるわけではない。

 影響の中心にいると思われる澄御架も、今言った通り、この現象により窮地に立たされているわけでもない。


「でも、青春虚構具現症によって引きこされる現象は、一定ではない。その性質は変化し、拡大し、進化する。だから、スミカたちはこれを放っておけないんです。それによって誰かが傷ついたり、取り返しのつかない悲劇を引き起こす前に、止めないと」


 きっぱりと、澄御架が答えた。

 その珍しい色合いのオッドアイの視線には、穏やかで強い意思が宿っている。

 それを見ていると、不思議と大丈夫だという気持ちさせられる。

 なにかに挑もうという気にさせられる。


 そういう気分を周りに伝播させることができるのは、澄御架だけが持っている、特殊な才能だった。


「そうだな。悪かった。なにかあればぜひ協力しよう。

 おまえたちなら、きっとまた事態を解決に導けてるだろう。

 一年前と、同じようにな」


「もちのろんです! じゃ、いこっか社」


 澄御架は颯爽と俺の手を引いた。


 *


 科学準備室を出てすぐ、翼と鉢合わせた。


「あ、神波くんに……澄御架ちゃん。どうしたの、こんなところから出てくるなんて」


「ああ……ちょっと鑑先生に用事があって」


「そうなんだ。そういえば、二人は先生と仲いいもんね」


「いや、どっちかというと澄御架がだけどな」


「そりゃそーですよ。スミカは全人類の友達ですから」


「あははっ、澄御架ちゃんが言うと説得力あるなぁ」


「そーいえば、翼、この前の記録会で自己新記録出したんでしょ? 翼、ハードルのタイム上がらないってずっと悩んでたもんね。うわースミカのその瞬間に立ち会いたかったよぉ~」


「ありがとう……澄御架ちゃん」


 自分のことのように喜ぶ澄御架に、翼は少し感涙したらしく、口元を抑えた。

 

 澄御架は能天気なように見えて、実にマメなところがある。

 間違いなく、クラスメイト全員について、どんな教師よりも、下手をしたら親以上によく知っている。人と仲良くなり、相手を知るということにかけて、澄御架の右に出る者はいない。

 

「でも、仕方ないよ。だって、熱を出して寝込んでたんだもんね」


 翼のなにげない言葉に、俺は急速に現実に引き戻された。

 

 やはり、記憶が改竄されている。澄御架がいなかった時期のことについて、前に確認したときも翼は覚えていなかった。


「それに……この前、私が起こしたことも、澄御架ちゃんと社くんが向き合ってくれたから、解決できたんだよ。記録が出せたのは、そのおかげ。ふたりはわたしのヒーローだよ」


「そんな……次期米国大統領だなんて……」


「言ってないだろ一言も」


 澄御架は翼の言葉を否定せず、にこやかに笑っている。

 俺はくだらないツッコミをしちつも、内心やりきれなさを感じていた。


 確かに、実害はない。

 記憶や記録が改竄されているとしても、この現象で収まっている限りは、なにも問題は起きていない。


 けれど、俺は妙な不快さを感じていた。

 ただの不安とも違う。この気持ちはなんなのだろうか。


 なんとなく――澄御架がいなかった時期のことを忘れるというか、澄御架の一部を否定しているような、そんな気がしてしまったのかもしれない。


 翼と分かれてからも、俺はそんな暗鬱な気持ちを引きずったまま、その日の授業を終えた。


 ホームルーム後、皆が教室から出ていくなか、席に残ってため息をついていると、誰かに頭を小突かれた。


「そこの暗い少年、お姉さんが悩み聞こうか?」


 澄御架が俺の顔を覗き込んできた。

 暗い顔になって理由にはおまえが関係している、とは思ったが、口には出さなかった。


「どーせ、社はスッキリしてないんでしょ」


 澄御架は相変わらず、人の内心を的確に当ててくる。


「……悪いかよ。でも、お前が言ってだろ。今は特に被害がないこの青春虚構具現症らしき異変も、なにかの拍子で事態が急変する可能性はある」


「そーだね。でも、焦っても仕方がない」


「じゃあどうすりゃいいんだよ」


「そうだねぃ……」


 澄御架は顎に指を当てて唸ると、「ピコン!」と口で閃きの擬音を発した。


「悩みすぎは身体に毒。いまの社に必要なのは、精神のリフレッシュ、魂の浄化、心のデトックスですよ」


「はぁ?」


「つ・ま・り。気分転換に、わたしとデートしよ」


 澄御架はふふんと得意げに笑った。

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