霧宮澄御架の章 その9
土曜日、俺は澄御架と駅で待ち合わせをしていた。
天気は快晴で、見渡す限りの青空が広がっている。
五月上旬の気温は、外出するにはうってつけの快適さだった。
一足先に到着していた俺の前に、澄御架は待ち合わせの時間ぴったりに現れた。
「そこの少年! ひょっとして、どこかで会ったことある? 奇遇だし、お姉さんと一緒に遊びにいかない? 大丈夫、変なとこ連れていったりしないからさ♪」
「おまえはどこのナンパ師だよ。第一声から奇抜な挨拶はやめろ」
「ぶー。まったく社は相変わらずノリ悪いなぁ」
普段とは違う装いの澄御架が、子供っぽく頬を膨らませた。
肩出しのブラウスに、腰の細さが際立つハイウエストのプリーツスカート。
いつもはストレートに下ろしている髪型は少しアレンジが加えられている。
そういえば、ひさしぶりに私服の澄御架を見たな、と不思議ななつかしさを覚えていた。
周囲を通り過ぎる老若男女から視線を注がれる。
それほど、澄御架のルックスのレベルは群を抜いている。
だがきっと、単純な容姿だけではないのだろう。澄御架には、人を惹きつけるオーラのようなものがあった。
「えへへ~♪」
「? なんだよ」
「ひさしぶりだね、社と二人で出かけるの」
「……そうだな」
確かに1年のときは、よくこうして澄御架と二人で外出することは多かった。
もっとも、それはただ遊びに行く用事ではなく、何かを追跡したり、どこかに潜入したり、何かを持って誰かから逃げのびることだったり、非日常的な状況がほとんどだったような気もする。
「さ、行こ社! 青春は待ってはくれないのだ!」
澄御架は青空に相応しいまばゆい笑顔で、俺の腕を引いた。
*
ボーリング場。澄御架はレーンの前に立ち、静かに狙いを定めている。
緩やかに助走を付け、一投。
わずかにカーブを描いたボールは、並んだ10本のピンを見事中心から射貫いた。
「やりぃ! これで5連続ストライクだねっ」
「少しは手加減しろよ……」
今さらだが、澄御架はスポーツ万能だ。
何をやらせても、少なくとも凡庸な俺は手も足も出ない。
だが澄御架の中には、遠慮とか相手に花を持たせるとか、そういう発想はないようで、俺はさっそく1ラウンド目から大差をつけられていた。
続く俺は5本倒してからのガーター。まったくもって冴えない。
「なぁ、コツとかあれば教えてくれ」
「コツかぁ……うむむ……次、この一球でストライクを出さないと世界が滅ぶって言う緊張感をもって、毎回投げることかな。澄御架はそうしてるよ。きっと、プロの人たちもそれぐらいの思いでボーリングに向き合っていると思う」
「おまえに聞いた俺が馬鹿だったよ」
独特すぎる澄御架のメンタリズムはまったく参考にならなかった。
脱力してベンチに腰をかけ、ジュースを口にする。
目の前では、澄御架が次の一投に備えていた。
澄御架が投げる度、丈の短いプリーツスカートがひらひらと揺れる。
そこから伸びる生足は、なんというか、非常に目のやり場に困った。
「よっしゃ! 見た見た社!? 今のストライクは芸術的じゃない?」
「見てない」
「な、なんでさ! いくら負けてるからって、現実を直視しなきゃダメだぞ!」
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
澄御架はショックを受けたようにこちらに詰め寄ってくる。
俺は澄御架を押し返しながら、渋々指摘した。
「一応、言っておくけど、スカートなんだから少しは気をつけろよ」
「? なにが」
「だから……」
はっきり言うのをためらっていると、澄御架はぽん、と漫画のキャラのように掌を握った拳で叩いた。
「ああ、そういうこと? それならだいじょーぶ」
すると、澄御架はおもむろにスカートの裾に手を伸ばした。
それを無造作につかむと、するするとめくり上げた。
「!! ばっ――」
ぎょっとして喉から変な声が出た。
「ほら、下に短パン履いてるから恥ずかしくないし」
澄御架はミニスカートの下に、ぴったりと太ももに張り付くような短パンを確かに履いていた。
だが、それはそれで、なんだか余計に見てはいけないものようにも思えた。
「……はしたないから、やめなさい」
「はい、先生!」
澄御架は調子よく敬礼し、俺は顔の熱さを感じたままため息をつくのだった。
*
「こ、こここれは……!?」
澄御架の目がかつてないほど輝いている。
眼前のテーブルには、うず高くそびえ立つチョコパフェが置かれている。
長いスプーンでその山をすくって口に運んだ澄御架は、恍惚とした表情を浮かべた。
「パリパリのチョコレートチップに、ふわふわのチョコレートホイップ……甘さ控えめのチョコレートアイスに、チョコレートビスケット……! か、完璧すぎる……」
そう言って、澄御架は一緒に頼んだホットチョコレートを口に含んだ。
その満面の笑みがさらにとろける。
「おまえが別人じゃなくてほっとしたよ」
澄御架は大のチョコレート好きだ。チョコレートがないと生きていけないのではないか、というくらい、いつも懐に忍ばせている。
澄御架はふと、俺が食べているチョコケーキを見つめた。
ちなみにべつに俺は好きというわけではないが、ここは澄御架の熱烈な希望で訪れたチョコスイーツがオススメの店だ。
確かに甘さとほろ苦さのバランスがちょうどよく、美味い。
見ると、澄御架はあっという間にパフェをたいらげていた。
のんびりと食べている俺を、澄御架がじっと見つめている。
「……? なんだよ」
「社、動かないで」
「はぁ?」
澄御架がずいっと身を乗り出す。その目は真剣だった。
何事かと思い、身を強張らせる。
澄御架は俺の顔――口元に顔を寄せた。
ちろっ。
「~~~~!!!」
澄御架は腰を下ろすと、じっと目を閉じて自分の唇を舐めた。
「……………………うまい」
「うまい、じゃねーよ!」
「だ、だって我慢できなかったんだもん……」
そういえば、澄御架と一緒にいるとはこういうことだよな、とだんだんと思い出してくる。
すると澄御架は一転して真面目な顔になり、
「大丈夫。社以外にはこういうこと絶対しないから。絶対、急に知らない女子高生の顔を舐めて逮捕されるようなことはしないって約束する」
「当たり前すぎて約束されても逆に怖いわ。っていうか、なんで俺だけOKにされてんだよ……」
俺は再び深いため息をついた。
*
食後の散歩に近くの公園をぶらついた。
広々とした芝生では、遊んでいる大勢の子供たちや親御さんの姿が見えた。
「ん~~きもちい~~」
澄御架は大きく伸びをして、息を吸い込んだ。
たしかに空気が澄んでいて気持ちがいい。
だが、俺はいまいちのんびりするような気分にはなりきれないでいた。
「こんなことしてていいのかね」
「なんで?」
「なんでって……いっこうに解決してないだろ」
なぜ澄御架の不在を誰も覚えていないのか。なぜすべての記録が改竄されているのか。
この青春虚構具現症の発症者は、誰なのか。
その願いは一体何なのか。
まだなにひとつ、俺たちは掴めていなかった。
「なんとかなる。なんとかする。いつだってそうしてきたでしょ?」
「……まあ、な」
澄御架は得意げに笑うと、ふと立ち止まった。
「どうした?」
「あの子……もしかして、仲間外れにされてるのかな」
澄御架の視線の先には、小学生低学年くらいの男の子が、サッカーボールを手にしたまま俯いていた。
近くには同い年くらいの男の子たちがボールを蹴って遊んでいる。
「さぁ……まあ、なんか寂しそうにしてるな」
「社、これ持ってて。ちょっと行ってくる!」
「お、おい」
澄御架はバッグを俺に押し付けると、男の子のもとへ走っていった。
俺は渋々と、その後を追いかける。
「やあやあ。きみ、ちょっとそのサッカーボール、お姉さんに貸してくれないかな?」
澄御架は男の前でしゃがみこんで視線を合わせると、笑顔でそう問いかけた。
男の子は最初びっくりして戸惑っていたが、澄御架の笑顔に気を許したのか、おずおずとボールを差し出した。
「ほっ、よっと」
澄御架はつま先でボールを空中に上げると、それを肩に乗せた。
そこから反動をつけて再度浮かすと、今度は背中越しにヒールでボールの中心を正確に叩き、ふたたび自分の前へとボールを落とす。そのままふとももと足の甲を使って、軽やかにリフティングを続ける。
まるで、ボールが身体に磁石で張り付いているかのようだった。
「すごー……」
男の子は呆然と澄御架のプレーに目を奪われている。
澄御架はボールを額に乗せると、そのまま器用にバランスを取りながら歩いて見せた。そのまま男の子に対し、澄御架は嬉しそうにウインクを向けた。
いつの間にか、公園にいた子供たちの視線が澄御架に集まっていた。
澄御架は気後れすることなく、プロ顔負けのボールさばきを続ける。
最後に澄御架が高々とボールを蹴り上げてそれをすとんと足の甲でトラップしてみせると、周囲から拍手が巻き起こった。
「えへへ~、どうもどうも~」
澄御架の特技は色々とあるが、サッカーはそのひとつだ。
「よーし! じゃあ君たちとお姉さんで勝負しよう! 澄御架からボールを奪えたら、みんなにジュース奢ってあげる」
澄御架の提案に、男の子たちが一斉に盛り上がる。
「さあ、皆でかかってきたまえ!」
澄御架は率先してボールを蹴りだすと、男の子たちが我先にとボールを奪おうと駆け寄る。そこには、先ほどの男の子も自然も混ざっていた。ほかの子供たちと一緒になって、夢中で澄御架に挑んでいく。
「まったくあいつは……」
澄御架は本当に、なにも変わっていない。
きっと無意識のうちに、あの男の子を見かねて、身体が動いたのだろう。
誰かを助けるということを、息を吸うように自然体でやってのける。
それが、霧宮澄御架という少女だった。
数十分後、ベンチで缶コーヒーを飲みながら待っていた俺のところに、土と芝で汚れた澄御架が帰ってきた。
「あー、楽しかった」
「相変わらずだな。おまえ、サッカーってどこで習ったんだ?」
「アラスカでお父さんに」
「またアラ父か」
それは、こいつが何か特殊な技能を発揮する度に出てくる言葉だった。
真偽のほどは定かではない。
「って、ごめん。せっかくの社とのデートなのに、服汚れちゃった……」
澄御架は恥ずかしそうに頭をかく。確かに、おしゃれな服装が台無しだ。
俺はとりあえず持っていたハンカチを差し出した。
「ま、しゃーないだろ。ヒーローは大変だからな」
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