北沢古海の章 その8

 俺は夕暮れの校舎を走り回っていた。

 激しくテレポートを続ける古海の姿を捉えようと、廊下を進んでは戻り、階段を登っては降りる。それをひたすら繰り返す。


 途中、閑莉とも合流した。詳しく事情を話している暇はないが、再び手分けして古海を追跡することにした。


 これほど激しいテレポートは、今までにも起きていない。

 明らかに青春虚構具現症が暴走している。これは最悪の兆候だった。


 どこだ。いったい、どこにいる。


 俺はふと、古海に最初に出会った場所を思い浮かべた。

 そうだ、屋上――


 急いで階段を駆け上がり、三階の屋上へと繋がる扉を押し開く。

 

 ――いた。

 

 消えては現れる不規則な明滅を繰り返す古海の姿が、屋上をまるで弾かれたビリヤードの球のように移動し続けている。

 

 ぞっとした。

 これが続けば、いったい古海はどうなってしまうのか。


「北沢っ……!」


 俺は古海の名前を叫んだ。

 古海が俺の存在に気づき、はっとする。


「か、神波、たすけ――」


 次の瞬間、古海の姿がかき消えた。

 どこだ。今度はどこに移動したのか。

 

 甲高い悲鳴につられて、視線を向ける。


 その先――屋上を取り囲む高い二重フェンスのに、古海の姿はあった。


「うそ、だろ……」


 古海は顔面蒼白で涙を流しながら、震える足で、必死にフェンスにしがみついている。

 ぞっとした。

 もし、このままテレポートして、古海の身体が空中に投げされてしまったら。


「やだ、怖い……かんなみぃ……」


「頼む、動くな……」


 俺はゆっくりと、一歩ずつ、古海の方に近づいた。

 時間をかけて、ようやくあと数メートルという距離まで到達する。

 だが途中でまた古海の身体が、消えかけの蛍光灯のように激しく明滅する。

 まるで、これ以上近づいたら、今度こそその身体を放り投げると言わんばかりの反応だった。


 俺たちは、なんて無力なんだろう。

 去年、どれほど同じ思いを味わったことだろうか。

 青春虚構具現症に、明確な解決策はない。俺たちにできることはとても少なく、限られている。


 それでも、発症した本人の、強い願望や悩みがその根源にはある。


「……わかってた」


「え?」


「これが……アタシが自分で書いたものじゃないって……わ、わかってたの……。だって、アタシが、こんなの書けるわけ……ないし……」


 古海は真っ赤に目を充血させながら、かすれた声で告白した。


「でも……嬉しかったんだもん……!

 ずっと、皆に読んでほしくて……褒めてほしくて……でも、アタシに才能がないことなんて、自分が一番よくわかってる……! だれも、アタシの作品に興味なんてない……ずっとそう。それなら、今のアタシが書いたものじゃなくなって、そっちの方がずっと……!」


 古海の切迫した言葉に、心臓を鷲掴みされたような息苦しさを覚えた。


 もちろん、俺には創作を志す人の気持ちなどわからない。

 けれど、自分の無力さは、嫌というほどわかっている。今この瞬間にも。


 なにかに挑んだとき、初めてわかる。

 自分の非力さ。能力不足。格の違い。

 手を伸ばして初めて、まったく届かないことに気づく。


 その絶望に古海は落ち、そして俺もまたそれを今噛み締めている。


 世の中には、その全ぼうも輪郭も見えない“なにか”がいつも俺たちの前に立ちはだかっている。

 非現実的な青春虚構具現症だって、結局それらとなんら変わらない。

 たとえこれが起きなかったとしても、世の中には、もっとずっと手強くて恐ろしいものが沢山ある。


 俺たちは望まずとも、それらと戦うことを余儀なくされる。

 だけど俺たちは所詮高二のただのガキで、こんなにも無力で。


 それでもなにかを願わずにはいられなかった。

 手を伸ばさずにはいられなかったんだ。


「ひっ……!」


 その瞬間、古海の身体が激しくぶれた。

 限界だ。もう時間がない。

 

「社さん……!」


 後ろから閑莉がやって来た。そしてこの異様な状況を目にして絶句する。

 どうしたらいいのか、この場にいる誰もわからない。


 教えてくれ、澄御架。

 俺はいったいどうしたらいいんだ。


 だが教室から失われた英雄が、都合よく脳内で啓示を与えてくれるようなことは起こらないことはわかっていた。


 ぎりっ、と歯を食いしばる。


 ――いつまで。

 俺はいったいいつまで、いなくなった人間に頼っているのだろうか。

 

 俺は、今の俺にできることをするしかない。

 それが例え、どれほどちっぽけなものであったとしても。


 見えない“なにか”に、へなへなのパンチを打ち込んでやろう。

 今の俺たちが持っている、ありったけの全力で。


 大きく息を吸い込む。

 屋上の風にかき消されないよう、俺は大声で叫んだ。


「だれも、お前の作品に興味がないだって……?」


「……え?」


「忘れんなよ! ここにひとりいるだろうが……!」


 古海が大きく目を見張る。


「こちとら、ちゃんと毎日おまえの作品の更新時間きっかり待ってんだよ。未来のお前じゃない、作品を待ってる人間がいるってこと……忘れてんなよ……!!」


 ただこみ上げてくる熱を、そのまま古海にぶつけた。

 それがどういう結末をもたらすのかもわからず。


 次の瞬間、古海の姿が――完全に消えた。


 全身から血の気が引く。

 慌ててフェンスに駆け寄る。だが、古海の姿はどこにも見つからない。

 次の瞬間、それは起きた。


「か、神波あぶなっ……!」


「え――」


 古海が、あのときのように、空から降ってきた。

 なんとか手を拡げ、その細い身体を受け止める。

 だが女子とはいえ、ひとり分の体重が軽いはずもなく、俺は三度古海の身体に押しつぶされる。


 世界が止まったような静寂が、陽の沈みかけた屋上に横たわっていた。


「大丈夫ですか、ふたりとも」


 駆け寄ってきた閑莉に、俺はかろうじて頷いた。

 そして自分に覆いかぶさった古海の身体を、しっかりと抑える。


「北沢……」


 古海はひどい有様だった。風で髪はほつれて乱れ、顔の化粧は涙でぐちゃぐちゃだった。

 それでも、その身体は明滅することもなく、しっかりとそこにある。

 突発性テレポートが、完全に収まっていた。


 古海はしばらくの間、嗚咽に肩を揺らしていた。

 しばらくして、へたり込んで俯いたまま、ぽつりと口を開いた。


「……さっき言ったこと、ちゃんと守ってよね」


「ああ、もちろん。それくらいなら俺にもできるからな」


 無力なままの俺は古海に約束した。

 自分にできる、たったちっぽけなそれだけの約束を。


 *


 緊迫の一日の翌日。

 学校で俺は、古海がいつも通り、同じギャル同士の女子たちと話している姿を見て胸をなで下ろした。

 どうやら、あの滅茶苦茶な突発性テレポートは起きていないようだ。

 

 ちなみに、昨日更新された『JK銀河英雄譚』の内容は、正直ひどいものだった。

 文章はめちゃくちゃで、再びセリフまみれになり、早速コメント欄も不評の嵐が渦巻いていた。悪いことにフォロワー数もごっそりと減っていた。


 それを知っているのか知らないのか、古海の表情に暗い様子はない。


 とりあえず俺にできることは、約束の通り、古海の作品をいち読者として読むことだった。


「これで、彼女の青春虚構具現症は、解決したということでしょうか?」


 休み時間、閑莉がそう話しかけてきた。

 俺は無言で首を横に振る。


「わかんねーよ。いつまた発症するか、そういうことは過去にも一度あったし。でも……そんときは、またそんときだ。なんとか考えるしかない」


「そうですか。ですが社さん、今回、私は社さんのことを見直しました」


「は? なんでだよ」


「過程はどうあれ、社さんは、古海さんという個人に歩み寄り、青春虚構具現症の原因を突き止めた上、それを止めてみせた。これは十分、称賛に値することだと思いますが」


 閑莉が改まってこんなことを言うのは、初めてのことだった。

 逆に不気味な気がして落ち着かない。


「まるで、社さんが澄御架の後継者のようですね」


 閑莉の言葉に、俺は沈黙した。


「……そんなわけないだろ」

 

 そのときふと、古海と目が合った。


 古海は小さくウインクし、スマホを掲げてみせた。

 今日もきっと古海は作品をきっちり更新するだろう。

 そして英雄でもなんでもない俺は、ただ彼女の作品を読む。

 

 いつかの未来――作家として成長するはずの、北沢古海の作品を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る