北沢古海の章 その7

「なるほど……それは確かに、奇妙な出来事ですね」


 俺の話を聞いた閑莉は、興味深そうに顎に手を添えた。

 帰りのホームルーム後、教室に人気はまばらだった。古海の姿もすでにない。

 仲の良い他の女子にそれとなく聞いたところ、最近古海はバイトが忙しいのか、放課後はすぐにひとりで帰ってしまっているらしかった。


 最初、この話を閑莉にするのは抵抗があった。なぜなら古海がオリジナルのネット小説を書いて投稿していることは、二人の秘密という約束があったからだ。


 だが律儀に約束を守ることより、俺は自身の不安を優先させた。

 なにか、良くないことが起きている。

 ほとんど取り柄らしい取り柄もない俺だが、悪い予感だけはよく当たる、というのは、昔澄御架にも言われたことだった。


「古海さんを疑うようですが、盗作、という可能性はありませんか? どこか発表されている別の作品から文章をコピーした、など」


「それは……ないと思う。ほほぼ全部書き直されているとはいえ、話の展開自体は北沢が元々書いていた通りのものだった。サイトのコメント欄にも、そういうことに触れる書き込みは一切なかった」


「では、別人が書いている可能性は?」


「それは……わからない。けど、それも考えにくい。ただでさえ、ずっと書いてきたことは隠してきたくらいなんだ。創作仲間がいる……なんて話も聞かなかったし」


 閑莉はじっと考え込んでいる。

 怜悧な眼差しが、闇の中に潜んだ真実を探索していた。


「これも……彼女の青春虚構具現症と、なにか関係があるのでしょうか?」


「ないと思いたいが、現状はなんとも言えない」


 もし仮にそうだとすれば、それはかなり悪いケースだ。

 だれも知らないうちに、事態が俺たちや古海自身の手に負えないものになっている可能性すらあった。


 閑莉はスマホを取り出し、俺が教えた古海の作品を開いた。


「私も社さんに教えていただいて拝読しましたが、確かに素人目に見ても、見事な作品です。高評価なのも頷けるかと思います」


「それは、俺もそう思う。それに、北沢が努力して毎日書いてたのも知ってる。だから少しずつ文章力が上がったり、話のつくり方が上手くなったりすることはたぶんあるんだと思うが……」


 それにしても、あまりに急すぎる。

 素直に成長を称えるには、不自然な点が多すぎた。


「なるほど。まるで成長の過程を飛ばしたようなスピード感、ということですね」


 閑莉のなにげない言葉に、はっとした。


「……今、なんて言った?」


「はい?」


 成長の過程を……?

 古海が発症した、突発性テレポートという現象。

 それが止むと、今度は古海は、みずからの小説を異様な速度で完成度を急激に上げた。

 まさか、古海の青春虚構具現症の本質というのは――


 そのとき、俺のスマホに通知があった。

 あの小説投稿サイトで、ブックマークしている作品に更新があったという報せだ。

 古海の作品が更新されていた。


 更新は、わずか一分前。

 

 古海は今もリアルタイムで、作品を書いている。

 まだ授業が終わって三十分も経っていないというのに。

 ひょっとして、古海はまだ――

 

 がたっ、と俺は反射的に椅子をはじいて立ち上がっていた。


「社さん?」


「……帰ってない」


「はい?」


「北沢は、まだ学校のどこかにいる」


 *


 俺と閑莉は手分けして、古海の姿を探した。

 閑莉は説明を俺に求めていたが、それは後だ。事態は急を要する、そんな悪い直観が、俺のなかでひどく警鐘を鳴らしていた。


 幸いにも、古海の姿はすぐに見つかった。

 図書室の奥で、彼女は書架にもたれかかりながら、スマホをいじっていた。


「北沢――」


 声をかけようとして、俺は固まった。

 古海はすさまじい速度でスマホをフリック操作していた。

 その目は画面の1点に注がれ、瞬きすらしない。

 

 その言い知れぬ不気味さに、全身に寒気が走り、肌が粟立つ。


「あれ? 神波じゃん。どしたの?」


 古海はふと、こちらを見ていた。

 その瞬間には、さきほどまでの異様な迫力は消えていた。


「あ……その、北沢に、話があって、来たんだ」


「なに、急に。あたし、執筆で忙しいんだけど。あ、実はスマホで書いてたんだ。なんてゆーか、学校でやると妙に捗ることに気づいてさ。最近はあんまり人のいない場所見つけて書いてんの」


「もしかして……先週末も、学校に来て書いてたのか?」


「そ。よくわかったじゃん。べつに誰にも迷惑かけてないし、自習室とか教室とか空いてるしね」


 古海は少し恥ずかしそうに笑いながら言った。

 一方、俺の中ではパズルのピースが埋まっていくように、様々な事象がひとつの事実に向かって収束されていた。


 だから、言わなけれならない。

 聞かなければいけない。


「北沢」


「ん?」


「北沢の作品……本当に、書いてるのか?」


 俺の言葉に、古海の表情が凍りついた。

 スマホを持っていた手が、力なくだらりと垂れ下がる。


「……は? それ、どーゆー意味? 見てわかんない? アタシがちゃんと自分で書いてんですけど。なんか疑ってるわけ?」


「……ああ」


 俺が頷くと、古海はかっと頬を紅潮させた。

 その腕が伸び、俺の胸倉をつかんだ。


「ハァ!? アンタ、何が言いたいわけ!? アタシが、この手で書いてるって言ってんじゃん。なんなの!? 神波はアタシの作品、楽しみに読んでくれてると思ったのに……」


 俺は古海の剣幕にも動じなかった。動じている場合ではない。

 まだ言うべきことがあったからだ。


「書いているのは、北沢であって、北沢じゃない」


「……は? いや、マジで意味わかんないし……」


「書いているのは、だ」


 俺の口から出てきた突然の言葉に、古海の唖然として目を丸くした。


「はっ……アンタ、なに言ってんの? 頭大丈夫?」


「北沢の青春虚構具現症は、消えることが本質じゃない。移動する過程をした結果、テレポートしただけだ。こと。それこそが、北沢の青春虚構具現症なんだ」


「は……いや、だから、全然わかんないんだけど……」


「今北沢が省略しているのは、北沢が作家として、日々少しずつ成長していく過程なんだ。突然すごいスピードで、すごく高い完成度で作品を書けているのは、それが理由だ。けど……それは言ってしまえば未来の北沢が書いているだけで、今の北沢が書いているわけじゃない」


「……!!」


「こんなこと、やめろ。青春虚構具現症は、危険な力なんだ」


 俺の襟元を掴んで古海の手から、するりと力が抜ける。

 古海は激しく動揺した表情で後ずさると、後ろの書架に背中をぶつけた。


「ちが……アタシ……そんなつもり……全然。だって、これはアタシが書いてて……あ、あれ……でも、なんでこんなに実感がなくて……お、おかしいって思ってて……あ、あれ? アタシ今、何言ってんだろ……」


「北沢……」


「来ないで……!」


 古海が金髪を振り乱し、俺を遠ざけた。

 次の瞬間、書架が激しく揺れた。


 そして、古海の姿は忽然と消えていた。

 まもなく廊下の奥から、彼女の悲鳴が俺の鼓膜をつんざいた。

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