霧宮澄御架の章 その4
「霧宮……」
俺は愕然と、目の前に立つひとりの少女に目を奪われていた。
記憶の中の彼女と寸分違わぬ生身の霧宮澄御架が、霧のたちこめる橋の上で、にこやかに首をかしげている。
現実感がない。あるはずがない。
俺はゆっくり澄御架に歩み寄ると、無意識のうちに手を伸ばしていた。
指先が彼女の頬に触れると、柔肌を押し込む確かな感触があった。
澄御架はびくりと跳ねて、慌てたよう顔を抑える。
「ちょ、ちょっとちょっと! なに社? スミカの顔になんか付いてた? きゅ、急に触ったらビックリするっしょ」
「あ、ああ、悪い……」
「もぉー、スミカ以外にそういうことしちゃダメだぞ。めっ」
澄御架はなぜか嬉しそうな様子で、俺のデコをお返しとばかりにちょこんと突いた。その感触もしっかりと俺の額に残る。
どうやら、幽霊や、幻ではない。
俺はようやく意識して息を吸い込み、目を瞬かせた。
「でも、おまえ……あのとき――」
「死んだ? って思ってたよね。社は」
俺の思考などお見通しだと言わんばかりに、澄御架は言った。
腰の後ろで手を組み、悠々と歩き出す。
「ど、どこ行くんだよ!?」
俺は咄嗟に、澄御架の腕をつかんだ。
そうしないと消えてしまうのではないか。そんな咄嗟の恐怖と焦りからだったが、むしろ澄御架の方が驚いたように目をぱちくりさせる。
「どこって……学校に決まってるでしょ。遅刻しちゃうよ?」
ごく当たり前のように澄御架は言った。
*
気がつくと霧はいつの間にか晴れており、雲の切れ目から日差しが降り注いでいた。
俺は自転車を引きながら、澄御架と並んで人気のない歩道を歩く。
「社、ちょっとみない間に大きくなったねぇ。ついこの前はこんなだったのに」
「おばあちゃんみたいなこと言うな。どんなだよ」
「2年生になって、前より大人っぽく見えたのはホントだよ。
澄御架がいない間、どんなことあったの?」
あまりに短い間に色々なことがあったせいで、俺は言葉に詰まった。
いったい、なにから話すべきだろうか。
「まず、おまえのことをストーカーのように調べている転校生が来た」
「なにそれ!? すっごく面白そう!」
「まず怖いとか思わないのか、おまえは……。まあ、女子だしべつ変態的な意味ではないから安心しろ」
「うわぁ楽しみぃ~! もう楽しみすぎて、スミカが逆にその子のことストーカーしちゃうもんね!」
「おまえなら本気でやりそうだから、通報される前にやめとけ」
「他には他には?」
「あー……、うちのクラスで突発的にテレポートする女子と出会ったり、俺の持ち物が消えてなぜかロッカーに移動してたりした」
古海と翼の件がまっさきに脳裏に浮かんだので口にすると、澄御架は立ち止った。
「それって、青春虚構具現症?」
「……ああ」
「そっか……やっぱり、また起きたんだね。1年4組だけじゃなかったんだ」
「そうだ。でも、今言った二人については、もう大丈夫だ」
「社が解決してくれたの?」
「まさか。俺はただ巻き込まれてあたふたしてただけだよ。
……おまえとはちがう」
俺は本心からそう答えた。
英雄のような活躍とはほど遠い。それは、この澄御架がいなかった間に十分骨身に染みたことだった。
ふと、さきほどの澄御架の言葉がひっかかった。
「待て、おまえ……今、やっぱりって言ったか? まさか、知ってたのか? 青春虚構具現症のこと」
「うん」
「どうやって……ニュースなるようなことじゃないだろ」
「それはもう、スミカの学校愛は電波に乗って地球のどこにいても届くのさ」
「真面目に答えろ」
「うんとね、鑑先生のSNS。それで知ったんだ」
突然出てきた名前に俺は面食らった。
「先生、独自に青春虚構具現症のこと研究してるでしょ? 普段はムー大陸とイルミナティとレプタリアンのことばっかり書いてるんだけど、ひさしぶりにそれ以外の記事の更新があったんだ。そこに書かれていたのは、突発性テレポートに関する物理運動上の考察と、他者から物を奪う行為の文化的背景について書き連ねられていた。それを見て、これはひょっとして、って思ったんだ」
「……そういうことか」
俺がそう言って頷いたのは、もちろん秘密結社とかのオカルト話についてのことではない。
澄御架が鑑の個人SNSを見て、学校に新たな青春虚構具現症が起きたことを読み取った、ということだ。
ふと、ぴんとくるものがあった。
「ひょっとして、だから……戻って来たのか?」
澄御架が嬉しそうににやりと口元を緩ませる。
「さっすが、長年このスミカの相棒を務めたヤシロン君だねぃ」
「……その呼び方は気にいらないからやめろって、前から言ってるだろ。長年って、まだ去年からの付きあいだろうが」
「付き合いの深さに時間は関係ないっしょ」
「そういう問題じゃなくてだな……」
「スミカはこのまま皆の前から、消えるつもりだったんだ。
でも、新しい青春虚構具現症が起き始めたことを知って、そうもしていられないなって」
澄御架は気軽に言ったが、それは、その程度で済ませられることではない。
皆にとっても、俺にとっても。
「どうしてだ、霧宮」
核心の問いを、俺はようやく吐き出した。
立ち止った俺を、澄御架が振り返る。
「どうして、皆を騙したんだ。どうして自分を死んだことになんて……」
「事情があったんだよ。……ごめん、今はそれ以上は言えない」
「どういう事情だよ!? おまえ、俺が……俺たちだどれだけ……!!」
次の瞬間、澄御架が人差し指を俺の唇に当てていた。
それだけで、俺はあっけなく身動きひとつ取れなくなる。
「お願い、スミカを信じて。社」
それは、澄御架の常套句。
打破不可能と思われた困難の場を、どれだけその言葉信じて、乗り切ってきただろうか。
澄御架はいつだって、最後まで希望を捨てない。
そして、誰にも希望を捨てさせない。
だからこそ、俺たちは澄御架のことを信じる事ができたのだ。
かっとなっていた頭が、ゆっくりと冷めていった。
「……相変わらず自分勝手だな。おまえは」
「社の前では、特にね」
「ったく……」
それから十分ほど歩き、俺たちは学校の正門前へと到着した。
「わぁ~学校ひっさいぶりだぁ! ところで、スミカの新しいクラス、2年4組らしいんだけど、社は?」
「は? 俺は、4組だけど……おまえが2年4組? 冗談だろ」
「ほんとー。やった! じゃあまた1年間一緒だねぃ。それじゃあ社、教室まで案内を頼むぞよ」
「はいはい」
澄御架は俺の背中をぐいぐいと押した。
その自由気ままな奔放さは、間違いなく本物の霧宮澄御架のものだった。
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