九十九里閑莉の章 その4
「おまえは、霧宮と一緒に暮らしてたんだろ。
その書類を見てわかった。それが、すべての理由だ」
俺が閑莉に手渡した書類には、霧宮家の家族構成や、澄御架と閑莉が一緒に映っている写真が添付されていた。
王園に依頼して入手したその資料には、閑莉の経歴がすべて記されていた。
どこで生まれ、どこで育ち、今どこで暮らしているのか。
閑莉はそれを無言でじっと見つめている。
「そこに書かれていることが事実なら、おまえは中学生のときに、児童養護施設から里親になった霧宮家に引き取られた。そうなんだろ?」
里親制度のことをあまり詳しくは知らなかったが、色々な事情で親の過程で暮らせない子供を、べつの家庭が受け入れる仕組みだ。
養子とはちがうため、名字が変わることもない。
重要なのは、澄御架と閑莉が、同じ家で一緒に暮らしていた家族である、ということだ。
「九十九里の住所は、霧宮の家と同じだ。おまえはこの春まで、べつの学校に通っていた。けど霧宮が死んだことがきっかけで、この学校に転校してきた。あいつがかかわった1年4組で起きた事件と、青春虚構具現症について調べるために」
「ごめんね、社。どうしてか私は、そのことを社に話せなかったんだ」
澄御架は力なく釈明した。
その理由も今ならわかる。
「霧宮のせいじゃない。それはこの世界自体が、九十九里の願いによって都合のいいように作られているからだ。おまえと閑莉と関係性を知れば、俺が青春虚構具現症の発症者を特定する手がかりになるから。この世界にとって不都合な要素は、自動的に排除される仕組みになっているんだ」
皆が澄御架が死んだことを覚えていなかったことも、学級日誌に澄御架の名前が書かれてたことも、すべて同じ。
この世界が、偽物だという証拠だ。
「ええ、そうですね」
閑莉がはっきりと頷いた。
「確かにわたしは生まれてからすぐ両親から捨てられ、児童養護施設で育ちました。その後、霧宮家に里子として迎え入れられたのも本当です。それを、まさか社さんに突き止められるとは思っていませんでした」
閑莉は淡々と言ったが、そこには重い内容が含まれていた。
それを語らせていることへの罪悪感がこみ上げる。
閑莉のプライバシーを覗き見たいわけではなかった。
けれど、閑莉と澄御架の関係性を明らかにするには、隠されている事実を知ることがどうしても必要だった。
閑莉は俺の説明を静かに聞いていた。
その落ち着きようが逆に不安をかき立てる。
「予め断っておきますが、私は自分を悲劇的な境遇だとは思っていません。
この国には、私のように親から離れて暮らす子供が数万人もいるんです。そのうちのひとりでしかありませんし、こうして身心ともに健康ですので」
「ああ。同情はしてない。それができるほど、俺はおまえのことを知らないからな」
「社さんは、正直ですね」
穏やかに相槌を打つ閑莉を、俺は逃げずに見つめた。
聞かなければならないことだ。
「私は通っていた児童養護施設で、少し問題を抱えていたんです。他の子どもたちとのトラブル……いわゆるイジメですね。それである日、施設から抜け出したんです。ひどい雨の日でした。ずぶ濡れになって道路を歩いているとき、ちょうど同い年の女の子に出会いました。彼女は親切に、私を自分の家へと招待してくれました。それが、霧宮澄御架でした」
生々しい言葉から、その光景が脳裏に映像として再生された。
「あの日私は、澄御架と一緒に温かいご飯を食べて、お風呂に入り、清潔なベッドで熟睡しました。生まれから今まで、あのときほど、人の善意というものを感じたことはありません。しかも、それだけにとどまらず、私の境遇を聞いた澄御架は、私と一緒に暮らしたいと、自分の親に申し出てくれました。それはまるで、私にとっては、奇跡のような出来事でした」
あいつらしいな、と俺は場違いな納得感を抱いていた。
最初に会ったときから、きっと澄御架は、俺の知らないところで、いつも誰かを救っているのだと感じた。
冗談でもなんでもなく、それは本当のことなのだ。
だから、澄御架は本物の英雄だ。
「社さんは、以前私に聞かれましたよね。澄御架に命でも救われたのか、と。
その通りです。私は人生を、彼女と彼女の両親に救われました。
――ですが、彼女は亡くなりました。この学校で」
閑莉の言葉の鋭さに、俺は喉元に刃物を突き付けられたような気がした。
「社さんの仰った通りです。私は澄御架がかかわった青春虚構具現症と、1年4組で起きた事件、そして、澄御架と一番行動を共にしていたある男子生徒のことを調べるために、この学校にやってきたんです」
「それが……俺のことか」
「はい。あなたは、澄御架の相棒だったとお聞きしました」
あの日、今日と同じように放課後の教室で、閑莉はまったく同じ質問を俺に投げかけた。
その理由、その裏に込められた意味がそれほどのものだったとは、あのときは知る由もなかった。
「私は、社さんが澄御架の後継者なのではないかと、思っていました」
閑莉は、ずっと固執しているその言葉を繰り返した。
英雄の後継者。
「澄御架ほどの人物が見出した相棒なら、きっとなにか特別な能力を持っているのではないかと。けれど、社さんは……すみません、失礼なことを言ってしまいますが、ごく普通の方でした」
「最初からそう言ってただろ」
俺は自嘲的に頷いた。
「社さんが否定したとき、社さんが嘘を言っていないことはわかりました。けれど、私は、どこかに澄御架が自分の役割を託した後継者がいるのではないかと、そう信じていました」
「どうして、そんなにそれにこだわるんだ」
「私は……もしかしたら、澄御架の代わりを探していたのかもしれません」
閑莉は傍らに立つ、この偽物の世界の澄御架を見つめた。
澄御架は優しい表情で、一緒に暮らしていた少女のことを見守っている。
「ああ……今、わかりました。
だから、私がこの世界を創り出したんですね。英雄のいない世界ではなく、英雄のいる世界を、望んだ私が」
「ああ、そうだ」
閑莉はついに自分が青春虚構具現症の源であることを認めた。
だが次の瞬間、閑莉の目に浮かんだのは、激しい抵抗の意思だった。
「ですが、それのなにがいけないのですか?」
「なに……?」
「澄御架は、紛れもなく英雄です。これまで大勢の人が澄御架に救われました。
社さんだって……いいえ、社さんだからこそわかっているはずです。
澄御架の代わりなどいません。澄御架の後継者など、どこにいません」
「やめろ」
危険だった。
閑莉はこの青春虚構具現症によって引き起こされている現実を肯定しようとしている。
それはそのまま力を増長させる。現象を拡大させる。
その先に待つのは――破滅だ。
「英雄のいない世界は、正しいのでしょうか? 私はそうは思いません。
澄御架のいない世界なんて、間違っています。
希望を求めて、なにがいけないのでしょうか?」
肌がざわつく。心臓を鷲掴みにされたようだった。
閑莉は心の底から、その正当性を信じている。
閑莉は「英雄のいる世界」を欲した。
ああ、わかっているさ。
俺だって同じだ。なにも変わらない。
どれほど、澄御架が生きていてくれていたら、と。そう願わない日はない。
けど――
「ちがう。九十九里、それじゃダメなんだ」
「なぜですか? 社さんは、澄御架が生きていることを望まないのですか!?」
「ああ、望まないさ……!!」
俺は震えた声で叫んだ。
閑莉がぎょっとした顔をしている。それは俺が声を張り上げたから、だけではない。
視界がぼやけ、冷たい感触が頬を伝う。
くそっ。どうして、こんなときに。
気づくと、俺の目からは、勝手に涙が流れていた。
あのとき戻ってきた澄御架がクラスメイトに囲まれていた教室では流れなかったはずの涙が。
「どうして、ですか?」
閑莉は再度問う。答えを知っているなら教えて欲しい。
苦痛に歪んだその表情が訴えっていた。
だから俺は、答えることが必要だった。
「これは、霧宮が守った世界じゃないからだ」
俺は去年1年間、澄御架と行動を共にしていた。
あいつがどれだけ毎日を全力で過ごしていたのか、それを傍で見ていた。
1年4組の最後の日、あいつが死んでしまうまで。
だから、この世界をあいつが遺したことを、俺は知っている。
それは決して、あいつが生きている、こんな紛い物の世界じゃない。
「英雄がいる世界? 霧宮が生きている世界? そんなものがなんだっていうんだ。 あいつが、霧宮が守ったのは、高校1年のどうってことのない普通の日常なんだ……! 青春虚構具現症なんておかしなものに狂わされかけた日常を、クラスメイト全員に向き合って、衝突して、笑い合って……ようやく取り戻したものなんだよ……!!」
教室に響きわたる俺の声を、閑莉は息を呑んで聞いている。
伝えなければならなかった。
澄御架の代わりに。あのとき、あの教室にいた1年4組のクラスメイトたちの代わりに。澄御架に救われたすべての人間の代わりに。
「あいつが守ったこの世界を、絶対に否定なんてさせない。たとえ霧宮が生き返ったとしても……そんなもの、なんの価値もない」
俺は偽物の世界の、偽物の澄御架をにらみつけた。
あの夜のプールで、この澄御架は言った。
俺なら大丈夫だと。俺ならきっと気づくはずだと。
それに応えることが、今の俺に与えられた使命だった。
「九十九里。おまえだって、本当はわかってるはずだろ。
これが意味のない、間違ったことだって」
「わかりません……私には、理解できません……!」
「どれだけ悲しくても、つらくても、俺たちはあいつが守った、あいつが遺したこの
「どうしてですか!?」
「決まってるだろ……!!
俺たちは霧宮のことが――――好きなんだから」
閑莉が大きく、大きく目を見開く。
ふっと、澄御架が笑ったような気がした。
だからこそ否定してはいけない。
だからこそ受け入れなければならない。
置き換えのできない立った唯一の思い出を、嘘にしないように。
次の瞬間、世界が音を上げた。
まるで地震のように足元が揺れ出し、天井の蛍光灯が揺れていた。
地響きが鳴り、窓の外の景色は、誰もいない無人の校庭へと変わっていた。
「これは……」
「きっと、世界が元の姿に戻ろうとしてるんだね」
これまで黙っていた澄御架が、ようやく口を開いた。
相変わらずの呑気さで、天変地異の始まりを見届けている。
「ありがとう。社」
「……なにがだよ。おまえ、この後どうなってるか、ちゃんとわかってるのか?」
「もっちろん。ここにいる澄御架は、ちゃんと消えちゃうんだよね」
俺は拳を痛いほど握りしめた。
どうしてこいつは、そんなことをわかっていて、これほど平然としていられるのだろうか。どれほど肝が据わっているのか。それが英雄の器というやつなのか。
「澄御架……待って、ください……」
よろよろと手を伸ばす閑莉を、澄御架が抱きしめた。
「……!」
「閑莉。先に死んじゃって、ほんとにゴメンね。でも……閑莉はひとりじゃないよ。社や、クラスのみんなと仲良くね。せっかくさ、青春真っ盛りの女子高生なんだから。もっと全力で楽しまなきゃ」
「そんな……できません、澄御架がいなかったら、私は……なにも……」
「できるよ。高校生は最強なんだから」
直後、光に包まれた閑莉の身体が瞬くようにして消えた。
この偽物の世界の寿命が尽きようとしている。
窓ガラスが一斉に砕け散る。
だがその破片は飛び散ることもなく、まばゆい光の粒子となって霧散した。
俺は澄御架と向き合った。
「霧宮、これが最後だな」
「うん。これが最後だよ、社」
滅びゆく世界で、俺はもう死んだはずの澄御架と別れの言葉を交わしていた。
だからこれは、何の意味もない会話だ。現実じゃない。本物じゃない。
だから、俺は気安く言った。
「最後だから、告白しとく」
「なになに? えっ、ひょっとして……愛の告白? い、いくら社とスミカの仲だからって……こういうときにそんなこと言われたら……」
「馬鹿、ちゃんと聞けよ」
どうせこの世界は消えてしまうんだ。
この言葉だって、澄御架には届かない。だから恥ずかしがる必要もなかった。
今ならどこまでも素直に、自分に正直になれる気がした。
「俺はたぶん、おまえに憧れてた」
青春虚構具現症という、見えない不可思議との戦い。
きっと澄御架がいなかったら、1年4組の高校1年間は、まったく違うものになっていただろう。
澄御架は、ほかの学校のどんなクラスでもあるような、ごく当たり前の青春の日々を守るために戦った。
俺はただ、その手伝いをしたに過ぎない。
「特別なおまえの役に立てることが、特別じゃない俺には嬉しかったんだ。
おまえに散々振り回されたけど、楽しかった。
……最高の、高校1年生だった」
「社……」
「ま、そういうわけで、おまえのおかげで他のみんなもめでたく充実した高校生活を送ってるぞ。どっちかっていうと、高一よりも高二の方が重要だからな。いやほんと悪いな」
「ちょっ、もぉーずるーい! あーあ、私も高二のJKになって、クラスのみんなと市内のチョコパフェを全部制覇したかったのに……!」
「一番やりたいことがそれかよ」
身体から一気に力が抜けたのは、まもなく世界が滅びるせいか、あるいは澄御架の発言のせいのどちらだろうか。
「でもほんと、社たちと修学旅行に行きたかったな。文化祭もまたやりたかった。一緒に進路のことで悩みたかった」
「ああ、俺もだ」
「ふふっ。社たちはこれから、楽しいことも、大変なこともいっぱいあるもんね」
「なあ、霧宮」
「なに?」
「おまえがいなくても、俺たちはなんとかやっていく。だから……安心してくれ」
「うん。じゃあ任せたよ、社」
教室だけを残して、外の景色が消えていく。
澄御架が一歩、前に踏み出す。
倒れこむように寄りかかってきたその身体を、俺は咄嗟に抱きとめた。
光の中に消えかけた澄御架が、俺の耳元でささやく。
「ありがとう、社。さすがスミカの見込んだ、後継者だね」
そして世界は、正しき姿を取り戻した。
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