避難民と退屈の時間
――Kai――
死闘から基地へと戻ると、ニコがラウンジでポップコーンのような食べ物を抱えてテレビに没頭していた。
「あの、ただいまっす……」
「しっ! 今ちょうど良いところだ! 見たまえ!」
画面を覗くと、記者会見会場にスーツのお爺さんがひとり、困った顔で立っていた。
《――うぉ、ウォールが起動したとのことですが、これについては現在管理部門に問い合わせていてですね、恐らくは起動テストだったと思われますが、事前に、えぇナラク軍から事前に国民の皆様へ説明がなかったことにより不信感を募らせてしまったことはですね――》
長々と中身の無いことを言ったと思えば、野次のような記者の質問が飛び出す。
《しかしハウィア国の防衛省から知らないというコメントが出ていますが! 誤作動じゃないんですか!》
《そ、それはですね、我々の管理部門に問い合わせていることの一つでして。ただ、我々の連絡不足によって国民の皆様に多大なご不安と……》
《そもそもなんで問い合わせないといけないんですかっ! 管理下に置けてないですよね! 不祥事ですね!》
記者たちがそうだそうだとヤジを飛ばし始めた。ニコもヤジのような勢いで拳を突き上げる。
「アハハハハ! やれー! もっと突っ込めー! こういうところでしか面白くないんだから、アホ記者の諸君!」
うーん品がない。おれがこう思うのもなんだけど、ああいう大人にはなりたくないなぁ……。
そう顔をしかめたカイだった。
「……はぁ。呆れた趣味ですね、博士」
オークラーのため息を合図にしたように、四七部隊は思い思いに解散した。みんな自室や売店へ行ったが、カイだけは残った。思えばこの世界のことは何も知らないから、なんでもない映像でも何となく視線が奪われてしまう。
《さっきの列車事故でも、国際法で禁止されてるドローンが飛んでいたという話ですがいかがでしょうか!》
《それは恐らくT.A.S.が関わっていると……》
《責任転嫁ですね!? 列車事故はテロリスト前哨帯による犯行ですよ!?》
「やれーアホ記者ー! お得意の盲信で全部の責任押し付けろ~っ!」
《……。で、ではとにかく、問い合わせた結果の確認をですね》
「えい」
ニコが何かのスイッチを入れた。背後から伸びるカイの影が急に濃くなった。振り返ると外が周囲が急激に明るくなっている。
テレビの向こうも時間差で明るくなった。
《――へぇえっ?》
《またウォールが起動しましたじゃないですか! これは不祥事ですわっ!》
《とい、これについても問い合わ……問い合わせをただいまから……》
「アハ……ハッ……ハァッ……!」
呆けるお爺さんと、喜びの怒号をあげる記者と、笑いすぎて声すら出なくなったニコ。
……マジでこういう大人にはなりたくねえな……。
呆れて顔を背けた先に、見覚えのある髪と角。ニコの後ろの方の席で、リィラは向こうを向いて座っていた。
カイはそれを見ただけで嬉しくなって、スキップのような軽やかさでベンチを回り込む。
「お兄ちゃん帰還っ! ただいま!」
嬉々としてリィラの隣に座った。
リィラはすっと立ち上がって、そっと離れた。
……え。
さっきのアレ、そんなに? 黙って距離を取るってガチのやつじゃん。
「り、リィラ。待って」
「…………」
「違うじゃんだって! ねぇリィラ、話だけでも聞いてよ! ちょ……」
カイは素早くリィラの前に回って、土下座した。
「ちょっとほんとごめん! もうああいうこと言わないから! ほんと……」
「…………気持ち悪」
「うぐっ!?」
あ。ほんとのヤツだこれ。やばい。どうしよう泣きそう。リィラに拒絶されるのはホントに無理……。
「…………あーもう……」
カイの情けなさ極まる顔に、さすがのリィラも折れた。拒絶する気持ちは確かにあったが、離れたくない気持ちもあった。
「二度とすんなよな」
「おっけ! よかったぁ~……。リィラに拒絶されたらお兄ちゃんまた自分で死ぬまであったわ」
「ちょっと……それ笑えない」
「あ、ごめん……」
カイは苦笑いした。
「おい、リィラ!」
覚えのある声に、その苦笑いも消えた。
声の主は、村にいるはずのマーカスだった。他の村人と一緒に入口からエントランスへ入ってきたところだったらしい。
「え、ジジイ!? なんで!?」
「なんでじゃねえ。俺が聞きてえぐらいだ。連れてこられちまったんだよ。空は光るし、何がどうなってんだ?」
「ご~説明いたしましょう!」
ニコはテレビを消し、村人たちの前に躍り出た。
「わたしはニコ。T.A.S.の所有者だと思ってもらえばいい」
「へぇ? 生娘がずいぶん偉くなる時代になったもんだ」
「前時代のお堅い思想をニュートラルにしているようだね。生きた化石とはこのことだっ! アハハハ!」
「なんだテメェ……」
リィラがマーカスの隣に立つ。カイは控えに彼女の後ろについた。
「やめときなよジジイ。コイツが頭おかしいのはみんな知ってるから。マトモに相手するだけムダ」
「けっ。見りゃ分かる」
「親子だねぇ。で、まず説明するとだね、T.A.S.は正規軍と敵対した」
「何をどうしたらそうなんだよ」
呆れた声だ。それもそうだろう。いきなりそれだけ言われて納得しろは難しい。カイは説明を手伝おうか迷ったが、その必要はなさそうだった。
「ま、向こうのちょいとデカイ不正を暴こうとしたら、かな。テロリスト前哨帯の名は聞いたことがあるだろう。あれと癒着していた」
「……どう信じろと?」
「あれだけ町中で暴れまわっても、正規軍は管轄違いだと見ぬふりさ。分かるね?」
そう彼女が言うと、マーカスはなにか観念したかのように頷いた。
「なので、ここに所属する者たちの家族が狙われる可能性を考慮してみんなを避難させているのだよ」
「で? アーミーどもが喧嘩してるだけだってのに、なんで俺たち全員を避難させようってことになんだよ」
「カイの足跡を辿ればあの村にたどり着く。カイを誘い出すための餌に使われる可能性は否定できないからね。この優男の性格は知っているだろう? 一回も話したことのない人でも命を賭けるぞ」
「つまり、コイツを拾った時点で巻き込まれちまった訳だ。おいリィラ、今からでも捨ててこい」
「ヤダ」
リィラは凄まじく短い返事をしただけだが、カイにはひどく嬉しかった。心でガッツポーズを決め、ニヤけた顔でニコへ質問をする。
「それで、どうして時間差で?」
「カイの秘密を知っているからだとも。秘密は最も親しいものから広まる。悪いけれど他の避難者とは隔離させてもらうよ」
「そうかよ。さぞ、快適に過ごさせてくれるんだろうな」
「もちろん。キミ、案内は任せたよ」
控えていたスタッフへ指示を出す。案内を始めようとしたところで、ニコがマーカスの肩を叩いた。
「マーカス君。キミとちょっとばかり話をしたい」
「……フン」
初老の顔がニコの手を下ろさせた。
村人たちがマーカスを心配そうに眺めながら廊下を行ったのを見届け、彼は片眉を上げた。
「で、なんだ。話ってのは。まぁ、名前を調べてるってんなら予想はつくがな」
「予想通りだとも。キミの経歴を見たよ。正規軍に長く勤め、いくつかの戦争に参加し、先の対ヘル戦争の後そのままリタイア。今は畑仕事で暮らしているそうだね」
「やっぱり、そこを聞くだろうな。正規軍にいたっつっても、俺の持っている情報は古い。どうせ役には立たねえぞ」
「構わない。それより興味深いのは……経歴に載るレベルの『実物主義者』であったことだ」
「……あん?」
博士は「面白いものを見せよう。ついてきたまえ」と歩き出した。マーカスはリィラと顔を合わせ、カイとも顔を合わせ、「しょうがねえな」と後に続いた。
到着したのはニコの私室だった。扉が開くと、散らかった光景が目前に広がる。
「これが面白い? 見飽きたもんだぞ」
マーカスの言葉に、リィラが彼を小突く。
「そうじゃあない。ま、見れば分かる」
ニコが入る。カイたちも続けて入った。そして壁を見上げたマーカスが感嘆の声を上げた。彼の目に映るのは、新品同然の銃器の数々。
「うお……こりゃ……おいおいどうなってんだ? Niraya199にEMMAまで……!? こんな状態でか! 俺の若い頃ですらボケてたってのに……」
「どうぞ手に取って。使い方は分かるかね?」
「分かるか、だと? 舐めるんじゃねえよお嬢ちゃん」
得意気な顔がEMMAと呼ばれたスライド式セミオートハンドガンを取り、床のゴミを避けるどころか蹴飛ばして作業台へ。
「俺の時代に残っていたのは、どうやっても誰かのカスタムだった。戦場で見かける度に拾っちゃ、バラしてどうにか部品を集めてたもんだ。予備パーツなんてもんが見つかるなんてな、撃たれるより珍しいんだぜ」
手早く解体し、中まで整備が行き届いているのを見て、また感嘆の声。
「まさか
目にも止まらぬ早さで組み立て直し、スライドをカシャリと戻して前に構えた。
FPSゲームのリロード並みの早さに、カイが思わず「すっげぇ」と呟いていた。
「やっぱり。そういう銃の方がお好みみたいだね」
「お好み? コイツは、どんな銃より馴染む。最高の一丁だ」
「他はどうかな? ボルトアクションとか……機関銃は?」
「ああ、もちろん」
マーカスはひときわ大きな軽機関銃を手に取る。かなり重そうだったが、彼は全く苦にしていない。
「Niraya199……か、懐かしい。昔はこの大口径のシャワーで寄生虫の群れを野晒しにしてやったもんだ」
聞き慣れない単語に、カイがリィラへ「寄生虫?」と耳打ちをする。
(あれだよ、人間とか動物とかに寄生するヤツ)
(へぇ……そんなでかいの? マシンガンで撃つほど?)
(ちっちゃいのは目に見えないくらいだけど、でっけぇのだとアタシの身体くらいあんだって)
(でっけぇ~……)
意外と怖えわこの世界。そんなことを思う。
老兵はコッキングレバーを引き、戻す。その感触に笑みをこぼした。
あんな表情するんだなぁ。そう思うカイの横で、リィラも驚いたような表情をしていた。本当に珍しい表情をしているのだろう。
「この滑り……! 最近メンテナンスしたようだな」
「その通りだとも。メンテナンスは欠かさない」
「そうか、やっぱりそうだろ。……この重さ、ずっしりとくるこの重さだ。よく分かってるなぁ、嬢ちゃん。銃は火薬だ。ガジェットみてえなオモチャとは違う」
リィラが舌打ちをしたのを、カイがまぁまぁといさめた。
「だが、なんだってこれを?」
「わたしの先祖からのコレクションさ。撃つための予備や弾丸もいくらかあるし、わたしが命令すれば生産できる」
「そうじゃねえよ。どうして俺に見せた? いや、分かるぜ。語らいたいってんだな。酒の用意はあんのか?」
ニコが興奮する彼を「まぁまぁ」と落ち着かせた。それから、微笑んだ。
「違うよ。実はね、使い方を村人へ教えていただきたいのだ」
ほころんでいた口元が、すっと結ばれた。
「なんだと?」
「他の避難民にも志望者へマシンガンを支給しているよ。ガジェットのね。村の人たちにも支給しようと思ったけど、あの中で軍出身はキミだけ。となると教えられるのはキミだけなのだから、こっちの火薬式を支給しようということさ」
「そうじゃねえ。戦いはお前らがするもんだ。なんだって俺たちが」
「もちろん基本的に、戦闘は隊員がする。万が一に備え、何もできずに避難民が虐殺されないように武器を与えておく。そこに不整合はあるまい?」
「与えるも何も、持たなければ撃ってはこねえだろうが。訓練したヤツと戦ってどっちが勝つかなんざ目に見えている。捕虜になって生き残ることすらできねえぞ」
「普通の戦争なら、ね。だが今回の相手は正規軍だけでない。前哨帯というテロリストは、一般人がいるという理由で突入を渋るような連中ではない。テロリストが突入して皆殺しにし、軍が突入してテロリストを始末する。証拠隠滅の出来上がりさ」
納得しきれないマーカスへ、カイが思わず「あの」と口を挟んだ。
「あいつら、マジで容赦ないです。おれの目の前で、なんの躊躇いもなく人質の頭を撃ったんす。三人も……」
「……チッ。逃げた先で殺し合いか。来るんじゃなかった」
ニコは「すまないね」とすぐ横のライフルが飾られた壁に向く。銃を引っ掻けているフックを引っ張ると引き出しのように壁が競り出て、中から二丁の同じライフルが姿を表す。
「同じ銃が三丁ずつある。さぁ選びたまえよ。撃つだけなく、弾の運搬もする前提でどう分配するか、だね?」
「言われずともだ。クソ野郎」
マーカスはほとんど迷わず選び取っていく。一方でニコは通信で人を呼ぶ。程なくして、気の弱そうな隊員が来た。
「やぁどうも。お手伝いしてほしくてねぇ」
「は、はぁ……」
気弱な顔が怯えている。
この博士、どんだけ怖がられてんだろう……。
「わたしから彼へのプレゼントだ。何も言わずに手伝ってあげたまえ。あと村の避難民のところへ送ってあげて」
「りょ、了解いたしました……」
隊員がマーカスを見て、更に怯えた顔になった。銃を抱え、鬼のような顔の鬼が軽機関銃を顎で指す。
「そいつ持て」
「は、はいぃ……。んぐぐ……」
重いものを無茶して運ぼうとしている。手伝おうと手を出しかけたら、ニコに止められてしまった。
「キミは来てもらうよ。お偉いさんとのお話がある」
「はぁ~?」
答えたのはリィラだった。
「ねーまだ開発しないの~?」
「ま~色々あるのだよ」
「も~早くしてよぉ~」
語尾を引き延ばしながら地団駄を踏み、床を蹴るたびに声が震えた。
「暇じゃんじゃあ」
「まま、ちょちょいと行って帰ってくるからね」
「開発室のセットアップはできてんの?」
「答えはイエス。材料も十分にあるとも」
「やることねー……」
リィラがちらと隊員を見て、怯えた目が返ってくるなり「手伝わねーし」と露骨に目を逸らし、部屋の外へ出ていってしまった。
――Lila――
「あーあ」
リィラは頭の後ろで手を組んで、天井を見上げた。
なんか……暇だな。常に気を張っていないといけないよりはよほどマシだが、これでは気が抜けてしまう。
例のガジェット開発というのも、ニコの手が空かねば開始されない。何を作る気でいるのかも分からないのだ。
「なんかこう……なんないかなー……」
整備室でメンテでもしようかな。四七部隊の誰かを見付けて、鍵を開けてもらおっと。そう思っていると、ロックが目の前を通った。
巨体が、信じられないほど大きなキャスター付きのコンテナを押している。周囲には非戦闘員のスタッフらしい者が数名。どうやらロックは、物資の運搬を手伝ってるようだった。
「おっす」
ゆっくりとした進行の隣に並んで、話し掛けた。少し遠めの距離を保って見上げないようにし、首への負担を少なくする。
「よお、リィラか。どうした」
「何してんのかなって」
「見ての通り、物資を運んでる。地下のご家族の皆さまのために、な」
「なんでアンタが?」
「こういうところから、筋トレのポイントを見つけてくんだよ。機械やダンベルも良いが、実用的な筋トレは実践から、だ」
「へぇ……すっげぇ」
なんだか分からないが、凄そうだ。
「そういや、もうちょっと負荷が欲しかったところだ。ちょいと乗ってくか?」
「いいの? へへ。やりぃ」
リィラは遠慮なく、しゃがんだ男の背に抱き付いた。これはこれでいい暇潰しになる。ロックは驚くほどヒョイと立ち上がり、またコンテナを押す。
「すっげぇ……めっちゃ安定してんじゃん」
「ははっ。だろう。コイツだけは隊長に負けねえからな」
整備室に行こうという予定も忘れて運ばれていく。
ゆらり。ゆらり。体幹が強すぎて、最小限の揺れだけがゆっくりとしたリズムでやってくる。
ゆらり。ゆらり。ゆらり……。ゆらり…………。
「……ハッ」
寝落ちかけていた。いつの間にか、景色が変わっている。通路のようで、たぶん避難所のすぐ側だ。
「やべぇ……揺れがこう……心地良いっていうか……」
「おいおい、落ちんなよ?」
「ん~……じゃあ飛び降りるわ。よっ」
ぴょんと飛び降り、着地する。うぅんと唸って背を伸ばした。
「この先は作業だから、少し中を覗いてみたらどうだ?」
「いいね。じゃ」
リィラは枝分かれの先の、大扉を抜けた。奥にはカイの訓練場ほどに広い空間があって、そこに家のようなプレハブが並んで設置されていた。
天井はただの照明ではなく、太陽光を再現したライトで、見かけだけの暗い空と疑似太陽が見えた。
プレハブの外には運動場やゲームセンター紛いの広場があったり、ちょっとしたアミューズメントパークのようだった。
さっきはマシンガンが配られているだなんて言っていたが、穏やかで、とても戦う覚悟を強いられた者たちには見えなかった。
「よっ」
急に話し掛けて来たのは、どこにでもいるイモのようなガキだった。いやにモジモジとしている。
「み……見ない顔、だね」
「アタシは上だから」
「え。上? ほんと? どんなの?」
質問攻めタイプか。学校にも居たわこういうの。面倒くさいなぁ。同じ歳である少年に、少女はそう辟易した。
「何もないよ上。こっちのが色々揃ってる」
「ウッソなんかあるべ」
「……まー確かに? ガジェットの整備室とかあるけど」
「うっわそんなのしかないんだ」
リィラは思わず舌打ちしてしまった。カイだったらそこで「どんなの?」とか聞いてくれるし、自分のガジェット好きを察してくれるのに。
少年は彼女が見せた牙にビビって、少し怯んだ。
「ご、ごめんなんか……」
「……なんでもねーよ。気にすんな」
パーカーのポケットに両手を突っ込んで歩き出す。向かう先は決めず、なんとなく人々がどう暮らしているのかを眺めた。
意外にも不安そうな様子はなく、それどころか少し楽しげではあった。
それはせめて状況を楽しもうと言う彼らの強さであって、敗戦して帰ってきた試合部隊の家族に芽生える絆と信頼でもあった。もっとも、それを読み取れるリィラではなかったが。
「……ん?」
さっきのイモが走ってくる。手にはアイス。
「こ、これ。どう?」
「…………まぁ、貰っとく……」
受け取って口にする。ひどく甘過ぎて、リィラはまた苛つく。少年の一目惚れの気遣いが裏目に出ていた。そうでなくとも望みはないのだが。
どれだけ親切にしようとも、どれだけリィラを理解できようとも、恋心を露にすれば死ぬほど嫌がられ、死ぬほどバカにされて、プライドと恋心をバキバキに粉砕される未来が待っている。
イモからすると、もはやリィラは歩く理不尽だった。
「オレさ、なんか、あの、なんか、とーさんがクレイっていって」
「え、クレイんとこの息子?」
彼女にとって疎ましいだけの有象無象だったイモが、急に像を結んだ。
あの普通って感じの男の息子なら、きっとコイツも普通の子どもってヤツなんだろう。
……そっか。きっとこういう方が普通なんだな。
「知ってる!?」
「うん……話したこともあるし」
「どう? オレのとーさん。マシンガン撃つんだぜ」
「まぁ……ね」
格好いいかどうかは分からないが、カイみたいに接しやすいとは思っていた。少し、目の前の子どもが羨ましくなった。
……なんかの間違いで、カイが父親になんねぇかな。あと母親がオークラーで……。
って、それじゃカイとオークラーが結婚ってことか。キモいわ。やっぱりナシ。兄と姉。うん、やっぱこれが良いわ。
「どしたの?」
「な、なんでもねーよ」
「あらあら、どうしたの?」
ひとりの女が来て、微笑んで話し掛けてきた。
「この子さ! とーさんと話したことあるって!」
「そうなの?」
「そ。ちょっと……命を救った、かな」
女は目を丸くした。
「じゃああなたがリィラちゃんなのね!?」
「知ってるの?」
「聞いたわよ、話。お医者さんみたいに。ケガを治しちゃったって。すっごくガジェットに詳しいんですってね?」
「まーね。すっごく、詳しいよ」
自慢げに『すっごく』を強調して言うと、イモがはしゃぐ。
「じゃあさじゃあさ、壊れたのとかさ、直せるの?」
「治せる。道具とかがあればだけど」
「すっげぇ。じゃああっちにさ、あるゲームさ、壊れててさ……」
「ふーん?」
頼まれるより早く、リィラは向かい始めた。
例え誰の頼みが無かろうとも、誰も使わずとも、
ごく当たり前の行動としてリィラは件のガジェット、ピンボール台の前に立つ。見たことのない機種で、どうやらPG社のものではなく、T.A.S.が――というより恐らくニコが――避難民の娯楽のために作ったオリジナルガジェットのようだ。
運がいいことに、メンテナンスのための簡単な道具が台の下に仕舞われていた。混乱防止のためにそれぞれの筐体の側に置いているようだ。わざわざメンテナンス表まで用意されているが、記入はない。
ニコが忘れているのか、きっと最初のメンテナンス前にここの保守管理の担当者が辞めたのだろう。リィラの家に大切に安置されているプレミア付きメーターガジェットもそれに近い理由で生産停止になったものだった。
「どんな症状?」
「えっと、なんか動かなくなったりする。なんか、あと、なんか数字、ハイスコア消えてる」
症状を聴きながら、迷わず回路本体を開く。
「当ててやろっか。ライトが暗くなったり、玉が当たってんのに反応しなかったりすんだろ」
「え!? なんで分かったの!?」
「こういう複雑な機構を持つ構造体は、色々なところが故障する可能性があるんだけど、それには
ペイ・デイの構造をちゃんと見られなかったので、改めてあの博士のお手並み拝見だ。リィラは回路を順に見ていく。
プロト流体学は理論的に、Ppの運動と機械的磨耗の観点からチューブ内かつパイプ内という特殊なモデルの流体力学として考えるものとし、そのように計算する。その上で次のようなことに注意して観察した。
原理上、T字のような流れが急に変わる部分を作ってしまうと、分岐部分に流体による磨耗や、瘤が生じてしまう――現世の人間で言うところの、クモ内膜出血の要因のひとつのようなもの――ので、そういう回路構成になっていないか。
曲率半径の小さな領域において、力がかかるベクトルを意識したとき、手前や奥の回路接合部の応力集中が出ないか。少しでも出るなら、疲労の影響はは十分に小さいか。
供給の際の機械的な処理によって生じる流れのリズムがあるので、供給部のパーツの型と回路全体の大きさのスケールが共振しない範囲に外れているか。また、管内部に挿入したセンサとPp流とで起こる渦列の周波数と共振しないか。
その他の部品も、誤差に対応を前提にした数値になっているか。プラス誤差の場合、マイナス誤差の場合、それぞれの偏差による累積が最大になるパターンで、耐久できる部品の構成になっているか。疲労破壊は起こらないか。
次々に回路を読み取っていき、そしてリィラは頷いた。よくできたガジェットだし、やはり思った通りの原因だ。
「うん。やっぱ回路に問題はないわ。そーゆー初期不良でないなら、経年劣化だね。バスタブカーブってゆーのがあって、チョー簡単に言ってあげると、初期不良でも経年劣化でもない故障はそうそう無いって考え方があんの」
そうしてリィラは、回路の根――Ppの供給部分を指差した。
「経年劣化なら、真っ先にここがイカれる。他の使ったり使わなかったりするパーツとは違って、供給エネルギーは常に処理しないといけない。メーカーも頑張ってるけど、どーしてもねー……」
供給路ブレーカーを落とし、部品を引っ張り出した。しかし、どうやら供給部に問題は無いようだった。
驚いて、彼女はその周囲の部品たちをじっくり見てみる。どうやら『使われ続けることを想定したパーツが、長年使われていなかった』ために、逆に劣化が早く進んだらしい。それもそのはずだ。避難民が来たのはついさっきで、これが動き始めるまでにブレーカーが働いていたはずなのだから。
リィラは固まって沈黙し、数呼吸。…………ば、バレてないよな。よし黙っとこう。言わなきゃ自慢げに言ったのがちょっと間違ってたってバレねーだろ。
リィラは手早く、予備のパーツと入れ換えた。これでこの子の治療は完了だ。起動すると、ギラギラと輝き始めた。
「ま、まー、つまり、こーゆーこと。オッケー?」
内心ヒヤヒヤしながら振り返る。
イモはいなかった。
気付かぬ間に飽きてどこかへ行ったらしい。つまり、ずっとひとりで喋っていたのだ。
「……だ~~ぁああっしゃラァっ!」
床にレンチを叩き付ける。人に頼んどいて何なんだあのガキ。カイだったら分からなくても、ちゃんと質問とかして聞いてくれる。
……ああ、あの時「専門用語ナシで」と聞いてくれたのもそうか。
リィラは急に怒りの熱が冷め、彼へ罪悪感を感じ始めてしまった。イモが普通の反応ならきっと、カイは普通以上にちゃんと聞こうとしてくれてたんだろう。それなのに滅茶苦茶にバカにしてしまった気がする。
「あ~もうっ」
「ど、どうしたのリィラちゃん」
リィラ一人による騒ぎを聞き付けたイモの母がやって来た。
「なんでもねーってば。はい治ったよ」
ブレーカーを入れ、始動する。その瞬間、どこから現れたのかイモがやって来た。
「あ、直ってる! すっげぇー」
礼も言わずにゲームを始めようとするのを、母が止める。
「コラ。ちゃんとお礼を言いなさい」
「あ。うん。ありがと」
適当な礼をして、彼はピンボール台のレバーを握った。
……ぶっとばしてぇ~……。
リィラの牙はいつでもスタンバイできていた。
「ありがとうね。リィラちゃん」
「あー。ん。あいあい」
不貞腐れて、凄まじい適当な返事をした。そうして適当に目を向けた先、イモの母がやって来た方角のプレハブに一人の少女がいた。
家の中からじっとリィラを見つめていた。そう気付いた瞬間に、少女はサッと隠れた。
「……ああ。あの子?」
イモの母が微笑んだ。
「あの子はレインちゃん。他の隊員さんの子みたいなんだけど、今はうちで預かってるの」
「……」
遠目でも、あの暗い目だけがよく見えた気がする。
いつかの、牙の無かった自分にそっくりだった。
ただ、それだけで。
リィラはあの少女を嫌いになった。
「はーあ」
整備でもしよっと。リィラはわざとらしい溜め息をついて、避難所から出ていった。
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