ニコニコのニコ
――Kai――
路地で一休みしている間に、表では警察や消防が殺到した。オークラーが言うにはどちらもテロリストと癒着している可能性があるので、下手に悶着が起こらないよう、カイ、リィラ、オークラー、クレイ、ロックとマッドの6人で基地へ向かって路地を進んだ。
不安だ。そうカイはキョロキョロと辺りを見回していた。公共機関が敵かもしれない上、テロリストたちはまだ諦めてないはずだ。ファイマンがまた襲ってきたら、今度こそヤバい。さっきは弾切れになったから逃げたようだけど、あのあと銃を捨てて普通に戦えば十分に負けていた可能性はあった。
「どうして、あの銃を捨てなかったんすかね」
歩きながらカイが呟く。
「暗くて見えにくかったと思うが、銃身を全身のベルトで支えていたんだ。それで全身に反動を逃がそうということだろうな。あの威力だ。まともに肩や腕で受けられはしない」
オークラーが答える。
「ってことは、撃てなきゃ拘束されてるみたいなもんってことっすか。やっぱりあのときがチャンスだったんすね……」
「そうだな。とはいえ、あの強さだ。奴にとって弾切れが即ち危機……という訳でもなさそうだな」
「強かったっすね。なんなんすかあの格闘技」
オークラーは鼻から声と共に息を抜き、うつ向いて考え込む。
「ずっと、それに引っ掛かっていたんだ。あの戦闘スタイルは試合をするためのものではなく、純粋に殺し合いをするためのものだ。厳密に決まったセオリーに乗っ取ったものじゃない。強いて言えば、“あらゆる場合に対応する身体の動かし方”をとにかく訓練したようだった」
「それは……そんな訓練どこで?」
しばらく沈黙し、彼女は顔を上げた。
「軍、だろうな」
「軍の? それはどっちの……」
「T.A.S.ではないから、国の正規軍か、別国か……。だが、軍にしても不自然なんだ」
「というと?」
「あまりにも、洗礼され過ぎている。あれは訓練で成せるものじゃない。あらゆる一手を読めるようだった」
「ああ……」
カイの頭に思い浮かぶのは、あの凄まじい避けと、的確な一撃。まるで未来が見えているんじゃないかと思わせるような動きだった。
「私は格闘スタイルというものができているから、戦闘は読み合いになる。だがお前の戦い方は全く理論のない無茶苦茶なもので、とても読めたものではない」
「でも、おれが攻撃をする頃にはもう避けてましたよ? めっちゃ読まれてました。一発も当たんないんですもん」
「そりゃお前が鈍感なだけじゃね?」
リィラがニヤニヤしながらちょっかいを出すと、カイは苦笑いした。
「そこだ。だからもしかしたら――あいつは最初から攻撃の読み合いなんかしていなかったんじゃないか」
「読み合いしてない……って、じゃあ全部見てから対応してたってことっすか? ふたり分の攻撃を?」
「恐らく……だがな。反応速度もさることながら、その判断に間に合わせるだけの身体能力も尋常ではない」
巨大な鉄塊を携えたままでの格闘。普通の人間ならまず無理だろう。
「あのでっかいライフル。ひょっとしたらロックさんでも撃てないんじゃないすか?」
背後の巨体へ言うと、唸り声が帰ってきた。
「それどころか、ロクに構えもしない。俺ならまぁ……どうにか運ぶまでが精一杯だろう。マッスルを使い続けられるなら、ギリギリ撃つまでいけるだろうが」
「え。マッスルを使ってギリギリなんすか? ロックさんでも?」
「だから驚いたんだ。考えてもみろ。反動だけで空に飛び上がれるんだぞ。あの重量で、だ。一発撃つだけですっ転ぶし、最悪は後ろへ吹っ飛ぶ。戦いながら二発目はどう考えたって無理だ」
確かに、そんなの無茶苦茶だ。それじゃあまともに戦っても勝てるわけがない。あのままだったら……。
そこまで思ったとき、また疑問が。
「あれ? じゃあどうして逃げたんすかね?」
ロックは虚を突かれた顔をして、見上げて考えた。
「そりゃ……テロリストと、目的が違うからじゃないか?」
「え? でも、テロリストのボスっすよね?」
「あいつらはお前を捕まえようとしてるが。あのファイマンとかいうヤツはお前をぶっ殺そうとしているだろ。そうじゃなきゃ、あんなお構い無しにぶっ放したとは思えない。だから仲間が来たタイミングで逃げた。とかじゃねえか」
「そ……そうっすね……」
カイは言いながら、あの冷たい殺意を思い出して背筋を凍らせるのだった。
「でも、そうするとなんでファイマンはボスやってるんすか?」
「それは……今はほら。あれだ。情報不足だ。なあマッド」
「そ、そうだね……」
オークラーが鼻で唸り、また口を開く。
「もう一つ、気になることがある」
「気になることすか?」
「どうして真っ先に私を殺そうとしなかったか、だ。私を生かす理由など無い。対複数の戦闘ならば牽制と各個撃破が基本だというのに、なぜ頭数を減らそうとしなかったのか」
「それは……弾数がヤバいって自分で分かっていたから、とか?」
「かもな。だが奴がやろうと思えばあの銃身で撲殺……なんてこともできたはずだ。うぅむ。なぜ私は殺されなかったのだ?」
「う~ん……。ほんとワケわかんないヤツっすね。あいつ……」
そして、沈黙。
「あ、あのさ」
この沈黙を破ったのはマッドだった。
「ち、ちょっと気になってることがあってさ。ま、マップが再起動してたんだよね」
「そりゃ、不具合じゃあないの? 間違って消したとか」
クレイがマッドのマップガジェットを覗き込んだ。
「い、いやいつもスリープにしてるし、こ、こんなこと初めてだったし……」
「滅多に故障しないってことだろ? いいことじゃない。……あれ?」
クレイもマップを起動して声をあげた。
「オレのもだ。再起動してる」
「だ、だよね? へ、変だよね? も、もしかしたら皆が言っていた巨大ライフル弾の影響かも。せ、生成される場が強力すぎて内部回路へのジャミングとして機能しているのかもね。じ、地味にやな副次効果だよ」
「そうだなぁ。ほんとう、地味って感じだけど」
そこでリィラが「あ~だから」と声を漏らす。
「あのとき真っ暗になったのは、供給器が一瞬イカれたからか。一帯が暗くなったよな、あの瞬間」
カイに銃口が向き、引き金が引かれる瞬間のことだった。
あのとき、死を覚悟するほどだったのでその闇を鮮明に覚えていた。
今度はオークラーが感嘆の声を漏らす。
「そうか、ジャミング。それで違和感なく筋が通るな。あの処理能力にも関わらず、弾切れを予期できなかったのは、予想外だったからか」
「うん。あのグレートライフルの回路も一瞬飛んだんだ。何発かにいっかい起こるジャミングで
「お、おれが助かったのはラッキーってこと? マジ? ラッキー」
「気軽か?」
その返事を最後に、場がまた沈黙に覆われた。
誰もが分かっていて、誰もが口には出せないでいることがひとつあった。その話題を避けていることさえ、お互いに分かっていることだ。
その沈黙を破ったのはカイだった。
「…………あいつ。やっぱ不死身……なんすかね……」
少し間があって、オークラーがその言葉を受け取った。
「……かもな。何発かは間違いなく急所に命中していた。普通なら、回復が始まる前に死んでいる」
「っすよね。だって、顔っすよ? 頭を撃たれて生きてるって……もう……」
倒せないってことじゃないか。この世界の理を理解しきれていないカイでさえたどり着ける、単純な答えだった。
なら同時に、勝てないってことでもあるんじゃないか。倒せないなら捕まえればいいのか。あんな無茶苦茶に強い奴を、どう拘束すればいい?
「あ、ちょ、ちょっといいですか」
マッドが立ち止まって声を掛け、全員の脚を止めた。彼はマップを見て案内役に勤めていた。
なんとなく、話題が区切られて皆がほっとしていた。不死身かつ最強の戦士を攻略する方法など、誰も思い付けなかった。
「な、なんか近くから救難信号出てるんですが……。こ、ここを曲がった先です」
「罠だ。大方は死体から取った発信器を使ったんだろう。無視しろ」
マッドは隊長へいやぁと、背筋を曲げた。
「ど、どうやら隊員のものじゃなくて
「じゃ、助けに行こう」
誰よりも先に言葉を発したのはリィラだった。オークラーがその肩に手を乗せる。
「待て。そう急くな」
「だって、誘い出す罠なら隊員のを使うでしょ? PG社のだったら、ガジェットを強奪しようとしてるんだって、テロリストが。ほら早く行こ」
カイも
「あ、コラ! リィラ!」
隊長の怒り声にも全く怯まず、ずんずんと進んでしまう。
「は、話は聞いた方がいいよ? おれも心配だし」
「心配だったら、早く助けなきゃ」
「リィラがだよ」
「ん……。でも、ほら、国で外国人が死んだらコクサイ問題じゃん。それは阻止しなきゃ」
ああ言えばこう言うリィラに、カイは苦笑いした。だが気持ちは分かった。
困っているかもしれないなら、おれだって助けに行きたい。彼女はガジェットが大好きなんだから、よりいっそうその気持ちが大きいはずだ。
そうして、大通りへの出口付近まで来て、リィラが頭に疑問符を浮かべた。
「……あれ?」
カイの目には、かなり巨大なゴミ収集車のコンテナへゴミを放り込む作業員がふたり見えていた。リィラの反応からして、きっとその通りなんだろう。
「どうしたんだ?」
「いや……ガジェット収集してるだけだわ。誤発信したのかな。それとも――」
やっぱり罠だったのかな。そう言葉が続く前にカイが行動した。
「じゃ、それだけ教えてあげて戻ろう。すみませーん!」
重そうなガジェットのゴミをどうしようか悩んでいる手前の男へ、カイはかなり迂闊に近付いた。
迂闊すぎてリィラは絶句し、止める選択肢が思い浮かばなかった。
「なんだ? ガジェットのゴミなら早いとこ出しちまいな。生ゴミは管轄外だぜ」
「いえ、救難信号出てるらしいっすよ?」
「ん? おおマジじゃないか。悪いな」
男が腰に付けているガジェットを見て、弄った。
「うっし。そんじゃ失礼します」
カイは意気揚々と振り返る。ちょうど隊員たちも到着したところだった。
「おっとぉ。そう言うな」
後頭部に硬い物が当たった。
目の前の顔たちも、焦りの顔や苦い顔へと変わった。
「ご、ごめ~ん……」
「おいウソだろあのバカ……」
ロックが眉間を指で摘まんだ。
「両手を真横に広げな?」
「ま、真横っすか? 上じゃなくて?」
「それだとガジェットが使えるだろうが」
「あ、そっか。はい」
カイは言われた通り、真横へと広げた。
「ヒヒヒ。ほんとに馬鹿なんだなお前はよ。……おーい、こいつを縛ってくれ」
男が命令すると、後ろから足音が近付いてきた。作業していたもう一人だろう。
すると、隊員たちの顔が揃って驚愕に染まった。
「は、博士っ!? 何をしているんですか!」
「え?」
オークラーの混乱した様子に、カイが振り返ろうとしたら、その頬を銃口で抑えられた。
「じゃ、じゃあアイツがニコ博士なの!?」
リィラも驚いているが、カイには見えない。気になりすぎてもやもやしている。
「――やぁやぁ! やはり掛かったね! アハハハハッ!」
気持ちよくなるほど快活な笑い声だった。
「よかったよかった。ちゃんと両腕を横にさせてるねぇ」
「へへ。博士のこた信頼してるんだぜ、これでもよ」
え。なんかがっつり裏切ってるじゃんか。カイの心配をよそに、二人は盛り上がっていた。
「ど、どうして裏切ったんすか……?」
「いやぁ。わたしがPG社と繋がりがあるのはご存じの通りだが――」
「いや知らないっす」
「――なんとPG社内にテロリストの協力者も居てね。わたしが君たちのためにと思ってガジェット収集車で偽装して基地まで送ろうと思ったらとんでもない出会いをしてしまったというわけだっ!」
カイの言葉も完全に無視して、ニコ博士はハイテンションのまま喋り続ける。
「だからって、どうして博士が」
「いやはやこの男。気前がいいのだ! 彼の手柄としてχを捕獲すれば死ぬまで遊んでも余るだけの金をくれるというのだよ!」
「ま、そういうこった。そら博士。早いところ縛っちまってくれよ」
「ま、ま、落ち着きたまえ。もう少し勝ち誇ってもいいだろ?」
「ヒヒっ。ま、少しくらいならな? 気持ちいいから仕方ねえよなぁ?」
「そうだろうそうだろう? だってねぇ――」
後ろでごそごそと音がする。何かを取り出したのだろう。
カチャリと、聞き覚えのある音がした。
「――全部わたしの計画通りなんだから! アハハハハッ!」
「「え?」」
カイはテロリストと同時に声を出し、同時に振り返った。
パァンッ。カイのすぐ側で、男が頭からPpを吹き出しながら倒れていく。至近距離で、頭に銃弾を撃ち込んだようだった。足元では薬莢が石の地面にコンコンコロンと転がる音。
満面で笑う彼女――ニコが、ふぅと一息をついて作業服を脱いでいく。中は私服だった。その上に真っ白なコートを羽織って、襟を直す。
「いやはや。それにしたって、この距離じゃないとまともに当てられないんだからなぁ。ちゃんと殺せたかなぁ。不安だなぁ」
ニコはしゃがんで、頭の中心に銃口を合わせ、引き金を二回引いた。銃声と共に、男がびくんと痙攣して動かなくなった。
それとほぼ同時にニコが、バッと顔を上げ、カイを見つめた。
「初めまして。わたしはニコだ。この可愛い姿で分からないだろうが、ガジェットに関連する研究を主として様々な真理を探っている探求者だ。もっとも、能書きは博士だがね」
「はは、は、初めまして! お、おれはカイ……です!」
ファイマンとは全く別質の恐怖に、カイは身をちぢこませながら自己紹介をした。
「知っているかね。これはガジェット革命以前に使われていた火薬式のオートマチック銃だ。キミの世界では未だにポピュラーなのだろう」
ニコはカイへ見せ付けるように、拳銃の側面を見せた。もっとも近い型で例えるならば、コルトガバメントだ。
「分かるよぉ。だってこの特有の匂い。硝煙の匂い……」
銃口から立ち上る煙を直に吸い、ニコは恍惚の表情で息を吐いた。
「人を殺す火力の香りだ。堪らないじゃあないか……」
「ひぇ」
ヤバイこいつ。ファイマンなんかより全然怖い。カイは完全に固まってしまった。
「隊長」
「……なんでしょうか、博士」
強ばった声色に振り向くと、全員が距離を取ったままひきつった顔をしていた。
オークラーだけは妙に居心地が悪そうだった。
「これよりあの回収車で基地へ戻ろうと思うが、異論はないかね?」
「ありません」
「ではおうちに帰ろうっ! アハハハハ」
ルンルンとした足取りで車へ向かったその瞬間に脚を止めて振り返った。
「そういえばカイ君。わたしはどうかな?」
異常かどうかという質問だろうか。危うく即答しそうになり、カイは口をもごもごとさせた。
「可愛い……かなぁ? わたしはちゃんとおめかしをした気になっているんだよ? せっかくキミと出会うのだからね。格好いい系にしようかとも思ったがそれだと隊長と被るだろう?」
「あ、ああ……えー。ちょ、ちょっと待ってください」
カイは振り返り、うつ向いて、深呼吸して、あの異常なニコ博士をまず頭から追い出した。
そして改めて見る。
インナーはミルク色のニットのタートルネックで、ベルトで大きな胸の膨らみを更に強調していた。その上から白衣のような真っ白のコートを着て、パンツや靴も白で統一していた。そして、ベルトを黒、金具を金にしてアクセントにしている。
髪はくせっ毛のロングで、背中までもさもさとした毛が続いていた。大きな真ん丸の目で、上目遣いでカイをじっと見つめている。
……正直、めっちゃ可愛い。
彼女自身は三十代前半か、二十代後半くらいに見える。オークラーと同じくらいだ。
少しでもよく見られようとウインクしたり、後ろ手に組んで身体をゆらゆらと揺らし、ぶりっこしてみたりしている。中身に目をつむれば、可愛い系のお姉さんだと思う。
で、どうしてこんな中身になっちゃったの、この人……。
「可愛いかい? 可愛いって言え? 可愛くなる努力してんだから可愛いに決まってるだろう?」
「……可愛いと思います」
「まぁったく思ってないねぇ! やはり胸ベルトは失敗だったか。人類はこういうのに興奮するからと思ったのに!」
「見も蓋も無さすぎる……」
「乳房は人類の宝だぞ。しかしキミ、興奮しないのか。わたしの偏見であったのかな? ほれ」
ニコは胸を両側から腕で押して強調し、ぴょこぴょこと身体を上下させて、大きな胸を揺らす。
「いやぁ~~~~早く行きましょ!」
カイは車へ駆け出す。危なかった。少しでも意識したという事実を作りたくなかった。
「逃げるならゆっくり逃げたまえ! いま可愛いから走れないっ!」
ニコも追う。
そして残された隊員たちは、互いに顔を合わせ、ゆっくりと追った。
絶句しているリィラへ、オークラーが屈んで顔の高さを合わせた。
「すまない。あれがあの、ニコ博士だ」
「ほ、ほんとに言ってるの? あれが? ね、人違いじゃない?」
「……すまない」
しょんぼりとして、リィラも
――Lila――
「ようこそっ!!!」
基地に到着するなり、運転席から歓迎の叫び声がして戦々恐々とするリィラとカイだった。
オークラーを助手席にしていたとはいえ、ニコを運転席に乗せて大丈夫かという空気が後部のコンテナ内で漂っていたが、彼女は案外運転が上手かった。
リィラは移動中に少し周りを探ったが、みんな完全に死んだガジェットたちばかりだった。残念な気持ちでコンテナから降りる。そこはホバーや飛行機が並ぶエリアで、クレイが殴り飛ばされた場所でもあった。彼は無意識に顎を擦っていた。
二重扉を抜けると、少し広めのホールがあり、左右に廊下が続いている。その右の廊下を少し進んだ待ち合い広場まで来た。
「直々の救助に感謝します。博士」
「いやいや、礼には及ばないとも。ところでカイ君! 少し休んだ後にわたしの元へ来たまえ。話すべきことがあるのだからな。勝手に部屋へ入ってこい」
「は、はぁ……了解っす……」
「では、失礼する!」
「ちょっと待ってよ」
いきなり切り上げて帰ろうとする博士を、リィラが止めた。
「なにか用かね」
「あんたがガジェットに詳しいって聞いたんだけど。本当なの?」
「疑うのか! 面白い!」
疑われて嬉しそうにしているニコに困った顔を浮かべるリィラだった。こいつとまともに話ができる気がしない。
「わたしもキミの能力を疑っているよ」
「はぁ? なんで――」
「ガジェットの天才らしいじゃないか」
「――だよ~……んふ……」
噛み付いてやろうとした直後に、だらしない微笑みが浮かびかける。
「ならばテストだ。わたしの実力は出題をもって証明としよう。君の実力は言うまでもなく――」
「――解答をもって証明、ね。ほら、とっとと終わらせよ」
ニコはにこりと笑って、少し離れた位置に立った。
「……GLシリーズ」
その場に手をかざす。リィラにはそこに、GLシリーズのハイグレードボトルが見えた。
博士は歩きながら、また手をかざす。
「……ペルシリーズ。……DRF533。……UQNー1410」
次々に透明なボトルを設置していく。その時点でリィラには、問題も答えも分かった。
設置を終えたニコ博士が、その中心に戻り、両腕を広げた。
「さぁて。もっとも優秀なボトルはどれだ?」
リィラは少し考える。本当にそういう答えでいいのかと。だがこいつの性格を考えると、これで間違いない。
リィラはGLシリーズを指差した。
「それかね?」
「容量がいちばん大きい。そういう点では優秀だ」
次にペルシリーズを指差す。
「これはPpの保持性能が高い」
DRF533。
「これは、ボトルそのものの耐久性と取り付け口の信頼性が高い」
UQNー1410。
「これはバランスがよくて、デザインが良い。ペイントコンテストでは絶対に居る」
「ふむ。それで?」
リィラはGLシリーズに指を戻した。
「現状、つまりこの施設じゃとにかく容量が多い方がいい。消費量から考えてできるだけ保持しておきたいはずだけど、タンクを置くための敷地を考えるとこれがいちばん効率がいい」
「ほほぉ~。それが結論かね」
ニコ博士がにやりと笑う。
リィラも、全く同じ笑い方をしてみせた。
「んなわけねーじゃん。いっこ、ぶっちぎりで良いボトルがある」
リィラが真っ直ぐに指を指したのは、両腕を広げているニコ博士だった。
「
「アハハハハハハハッ! 素晴らしいッ! いやはや、優秀な子だ」
「ふふん。ちょい簡単すぎじゃない?」
そう言いながら、リィラは誇らしげだった。
「ガジェットについて語りたいならば一緒にわたしの部屋へ入ってきたまえ。廊下の突き当たりだ。はいでは解散っ!」
勝手に解散し、つかつかと廊下へ歩いていってしまう。
あいつと二人きりになって大丈夫か。嫌な予感がする。そう思ってちらとカイを見ると、微笑んだ。
「行っておいで。それが終わってからおれも行くよ」
リィラはじとりとした目になって、博士の後を走って追った。来た廊下を辿り、エントランスを抜け、逆の廊下の向こうまで。
脚が長いのか、やたらと歩くのが早い博士の後ろを小走りで追って、廊下の一番奥にある扉に到着した。
「ここがわたしの私室だ。遠慮なく入りたまえ」
「はいはい……」
扉が開いた前で、リィラは目を見開いた。
扉から一歩。それが、歩ける限界だった。あとは雑多なゴミや下着や上着や有象無象が床にひしめき合っていた。
そして、部屋の一角がやたらと整理されていて、机には研究分野ごとの書類をきっちり整理してあり、飲み物を置くための面積が狭く背の高いテーブルが横に備え付けられている。
壁には見たこともない型の銃なんかが掛けられていて、銃を整備する台も含めて整理整頓されていた。
「…………クソ……ちょっと分かる……」
リィラの部屋とほぼ同じだった。好きなもの以外は、片付けだろうと後回しだ。
「この部屋かね? みんなこうなる運命だ。旧熱力学ではエントロピーは増大するしかできないという。この部屋の時代は古い。アハハハ」
リィラはエントロピーの高い部屋の中で、壁に並ぶ銃器を見た。あれはマーカスのショットガンのような、ガジェットとは異なる原理で駆動する機械だ。
銃たちには様々な型があり、原始的とも呼べる型から先鋭化されたもの、そしてごく一部がガジェットだ。
「このコレクションは見ての通り、銃の歴史だ。わたしの爺さんの爺さんの……まあ、先祖代々から集めている。今や骨董品だが、折角だからわたしも協力してやっている」
「ふぅん。……ウチにもショットガンあるよ。火薬の」
「ま、金がなければそっちを買うだろうね。近年の銃器ガジェットの登場からの値崩れ……っと、ガジェットでもない物の講釈は不要だな。アハハ!」
博士は笑った。
なんにもしてないのに幸せそうでいいもんだな。そうリィラは呆れた。
「で、アタシはどこに座ればいいの、これ」
「ベッドに飛び込むが良い。とーうっ」
ニコは言いながら、入り口からベッドへ、ゴミの山を飛び越えてダイブした。
「よっ」
リィラも続けてベッドへダイブする。ばふっと柔らかいスプリングが受け止めた。寝心地のいいベッドだった。
「うわ。良いベッドじゃん」
リィラは少し嬉しそうに寝返りをうつと、なにか硬いものを身体で踏んだ。
なんだろ。手にとって見て、そのガジェットに嫌悪感が全身を突き抜け、ぶるりと震えた。
「はっ? うぇえっ!」
思わず投げ捨てる。
「チャックうううう!」
ニコが追って、ベッド下に広がる夢の島に落下したガジェットを拾った。
「わたしのチャックに何をする!」
「なんで出しっぱなしなんだよ」
「いつも寝る前にしてるからに決まってるだろう。最近は起きてからもしている。二回!」
「うわ……」
ヤバい。もう帰りたい。こいつこのベッドでしてるのか。そう思うと気持ち悪くなって、リィラはベッドから机に移動して椅子に座った。
「アハハハハ! 素晴らしい遠慮のなさだ。さて、そんなことより本題に入ろうか」
ニコはベッドにうつ伏せ、前方で折った腕を枕にし、脚をパタパタと揺らした。
「何を知りたい」
リィラはうつ向き、ガジェットのためだからと自分に言い聞かせて顔を上げた。
「ペイ・デイ。あれの構造、知ってるんでしょ」
「勿論だとも。わたしが作った物だからね」
「…………え?」
リィラは腰を浮かせた。あの麻薬ガジェットを作った張本人が目の前にいたのだ。
「資料ならそこ、『依存性薬物の伝搬ネットワーク』の後半のページだ。いわゆる口コミだけでものが広まる場合に、どういったネットワークを描くかという研究でね。その一環として作ったのだよ。口コミだけという条件ならばクスリが丁度いいわけだが、既存の薬物だとどうしても……他からの介入が有ってしまってねぇ」
ニコの言葉を聞き流しながら、資料を捲っていく。
前半では薬物ごとにノードとリンクで示された人と人との繋がりを、ページで階層ごとに分けて表現して解析していたが、その結論はノイズが多くて話にならないということだった。
後半から始まる実験では、新しい麻薬であるペイ・デイがどのように動き、作用するのかということが細かく書かれていた。
面白い。リィラの好奇心を、それこそ麻薬のような快楽がくすぐった。だがリィラは、その資料をぱたりと閉じた。思い浮かんでいたのは、依存患者となった死体のような顔色のホームレスたち。
「……それで、破滅するやつがいるって想像しなかったの」
「アハハ。なるほどねぇ。今から受け入れがたい話をするが、聞く気はあるかね」
「一応聞いてやるよ」
リィラは頬杖をついて、脚を組んだ。
それに対してニコは脚をパタパタとさせたまま、組んだ両指に顎を乗せた。
「そもそも。なぜ薬に頼らざるを得ない状況に陥ったか、だ。そうしたものを使わないとやっていけない人であり、状況であるからではないかね」
「そうかもしれないけど。でも薬を渡さなきゃいいじゃん」
「それで本当に、解決するかね?」
ニコは挑戦的だった。
「そもそも、違法ということを説明した上で渡しているのだよわたしは。それでいて使おうなどと判断する時点で、その者の意思が弱いと分かる。弱さゆえに犯罪に手を染める者が、薬以外の快楽に手を出さないと思うかね?」
「薬以外の快楽?」
「暴力。殺し。レイプ。支配。自殺。その他」
「…………そ、そんなの、快楽なんて……」
リィラは噛み付こうとするが、上手く言葉が見つからなかった。
「快楽だとも。気持ちが良いのだ。誰もしないようなことをわざわざ法で縛る訳があるまい」
「……」
「いいかね。犯罪を楽しむ人間が居るから、犯罪なのだ。人間社会から乖離し、法という拘束が希薄な者にとっては、いずれも快楽を得る手段でしかない。中には法を犯すことそのものに快楽を見いだす者もいる。法を守るものが良い子ぶったところで、犯罪が無くなることは決してない」
「…………」
「破滅する者は、なるべくしてそうなった。ただそれだけのことだ。故に、わたしはすこーしも悪いなどと思ってない」
「…………でも、悪い。あんたは悪人だ」
弱々しくだが、それでもリィラは噛み付く。
「どうして悪と言えるのかね」
「アタシが気に入らないからだ」
そう言うと、ニコは大きくて丸い目をさらに丸くし、それから大笑いした。
「な、なんだよ」
「いやいや。素晴らしい。君を本当に気に入ってしまった。つまらない綺麗事で彩られないその正義は、あるべき正義だ。善悪は常に人が決めるものなのだからな」
ニコはベッドでくるんと転がり、仰向けになってリィラを見上げた。
「ゆえに、君が悪と言うならわたしは悪だ。実に気に入らないだろう。しかし言い訳ではないが……、そのファイルがあった場所のカテゴリを見たまえ」
指差す先は、ファイル間から飛び出す栞代わりの紙。そこには『犯罪解析学』とあった。
「犯罪解析……」
「わたしの興味を満たせればなんでもいいのだが、時には役に立つこともある。ついでにその資料の結論の部分も見てみたまえよ」
言われるままファイルを開き、その終わりの結論と題されたページを見た。流行の広まり方が過去のデータと異なるのは、シードとなった人の人脈の他に、時代による価値観と技術の変動が、云々。
そして終わりに、思ってもいないことが書かれていた。
「犯罪組織の一斉検挙に繋がった……って。じゃあ、ギャングを壊滅させたってニュースは」
「私がやった。麻薬の繋がりを調べていたのだから、行き着くのは当然、組織だ。世間体のために潰させてもらったよ」
ニコは起き上がり、ベッドに座ったままゆっくりとコートを脱いだ。ベッドに手をつき、艶かしく唇を舐めた。
「わたしを悪と呼んだな。ならば差し詰め――悪をもって悪を制した、というところか」
リィラは椅子に足を乗せ、曲げた膝を抱えた。ニコ博士という人に、恐怖心を抱いていた。
彼女は、面白ければ何だってする。
タッチレスチャージャーVer.6は? あれはどういう理由で作ったんだ。きっと、アーミーとは違う動機なんだ。リィラの直感がそう言っていた。
「じゃ、じゃあもうひとつ。タッチレスチャージャーの――」
「――ダーメ。時間切れだよ」
とろんとした顔がベッドに横たわり、パンツを脱いだ。際どい下着が露になる。
「な、何してるんだよ」
「マスターベーションさ。法で縛られない麻薬。アハハハハ」
彼女はチャックを取り出して、スイッチを入れた。ブーンと振動が始まる。
リィラは何も言わず、夢の島を踏みしめて部屋から出ていった。
駄目だ。気持ち悪すぎる。なんでよりによってあんなやつがガジェット博士なんだよ。もうやだ。
本当に気色悪いものを見せられて、リィラは吐き気を催していた。カイがオークラーに見とれてたりしたのを見てキモいと思っていたけど、あれがどんなに可愛いものだったか。
「バーカ」
リィラは閉じた扉へ中指を立てた。
それから来た道を戻る。エントランスにはもう誰もいない。出入り口の守衛に聞けば、少し奥に居るという。
行ってみると巨大なテレビやソファがあるラウンジで、何人かのメンバーとカイでぐうたらとしていた。
「あ。リィラ。お帰り」
「ん」
カイが不思議そうな顔をして、リィラの目の前まで来た。
「どうしたの? なんかあった?」
「なんでもねーよ」
「そっか」
顔を上げる。カイはじっと、いつも通り柔らかに微笑んでいた。
「あの……さ」
「ん?」
リィラはうつ向いて、パーカーの紐を摘まんで指で弄んだ。人差し指と親指の間で、コロコロと転がす。
「あの……キモいとか言って、……その……ごめん……」
もじもじとした言葉だったが、カイは片膝をついてリィラを見上げた。
「なぁんだ。お兄ちゃんは全然、気にしてないよ。でもありがとうね」
「ん……」
リィラは恥ずかしげに顔を背けた。その視線の先では、クレイやロックやマッド、そして他にも大勢が集まって酒を飲んでいるようだった。
「死にかけたのに酒?」
「いや。仲間が死んじゃったら、ああやってみんなでお酒を飲むんだって。思い出話とか」
「笑ってるんだけど」
「悲しいから笑うこともあるよ」
「ふーん。……あーあ! 腹へった。どっか売店ない?」
「あっちにあるよ。そうだ。これ、ついでに返すね。お詫びに満タンで」
カイがフルのボトルをくれた。そういえば出発前に渡したっきりだった。
「いいね。行ってくる」
「行ってらっしゃーい」
リィラは意気揚々と向かい、売店へ入る。そして食べ物を選んでいるとき、嫌な予感がして道を引き返した。
廊下の遥か向こう。カイは突き当たりに到着していた。
「やべっ」
駆け出そうとするも手遅れで、きゃあーと悲鳴が響いた。
声の主は、カイだった。
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