ファイマンの、一歩

――Nico――

 成果発表の舞台は、ランドマークタワーのほとんど最上階だった。フロアの外側は窓の続く廊下であり、その壁がワンルームの会議室を囲っている。


 会議室内には窓がなく、壁の向こうに広がる視界の上下左右に道路が広がる異様な光景は見えない。また道路からはガラス反射で見えずらくなっており、中が見えたとしても廊下の壁しか見えないようになっている。上層階はどこもそうだった。


「さてそれでは、報告をしたまえ。といっても、引き継ぎと今後の話についてぐらいだろうが」


 指示され立ち上がったニコたちの目前には、正規軍と防衛省の要人が数名おり、その三倍のガードマンたちが廊下に控えていた。


 国家機密というので、その他の要人の繋がりに関してはニコたちにも秘密とされ、報告を受けた彼らが連絡する形になっているようだ。


 仮にも軍の幹部たちを信頼出来るメッセンジャー代わり、か。つまるところは仮想専用通信だな。事務的な報告よりはマシな程度にくだらないことを考えるニコだった。


「ではアマべ君」


「はい……それでは……」


 ニコが退き、後輩がいさんで前に出れば、老人たちは笑うばかりだった。


「いいジョークを考えるなティアラス嬢。だがちょっと辛口すぎる」


「我々はいくらなんでも下っ端じゃあない。皮肉を言うには背伸びをし過ぎだお嬢さん」


「あるいは、いつでも裏に引っ込むウエ・・を表現しているのか?」


「ウハッハー! そりゃあいい!」


 バカにされたと受け取られたが、軍人気質なのか、怒るどころか大盛り上がりしてしまった。


「あ、あの、それでは発表を……」


 アマべが弱々しい声を出せば、今度はつまらなそうな表情たちが声を出す。


「おいおい、今のを聞いて引っ込まないとは。ティアラス嬢の部下だからかは知らんが、さすがに世間知らずが過ぎる」


「ちゃんと全ての状況を把握できている者が発表すべきだ。親離れして、外の者たちと交流でもしてきたらどうかね。婚活の年だろう? 売れ残りになるぞ」


 アマベは圧され、一歩退いた。泣きそうな顔で退室しようと、ニコの背後を横切るとき。


 ニコがその腕を、思い切り掴んだ。


「ちょ……っと」


 まぁ、想定の内ではある。だが。


「……先輩……?」


 ムカつくなぁ、とニコは思った。


 腕を離し、また一歩前へ。


「代わって、計画代表のニコだ。まぁ無礼は許してくれたまえよ。長く計画と付き合っていくならば、初期の頃から育成に力をいれるものだからねぇ」


 いつの間にか、不機嫌な顔たちは呆れ顔になっていた。


「さて報告だ。前任者から色々と引き継いだが、驚くほどに時間の無駄だらけだった。正直、ファイマンという誠実かつ自由に使える存在以外に成果は無しと言っていい。同じ成果を、わたしなら十分の一の期間で達成できる」


「ずいぶんと大きな口を叩くが、前任者とどう違うのだね」


「疑うのかね? なら、ごらんにいれよう」


 ニコは腕巻き型携帯サリペックを付け、簡単にコードを打った。それを覗くアマべが目を丸くし、「使いませんよね?」と震えた声を出した。


「え? 実力を証明するのに、使わないわけないだろう?」


 ニコはなんの躊躇いもなく、プログラムを実行した。


「ぐ……ぅうう……!?」


 とつぜん、老人のうちのひとり、防衛省の者が胸を押さえて机に突っ伏した。他の者たちは思わず腰を浮かせた。


「な……なにをした!」


「あぁ、死なないから安心しなよ。ちょ〜っとペースメーカーをリセットしただけさ」


「な……!? め、メーカーも分からんだろう! ……どうやって……!」


「やぁずいぶんとビックリするじゃあないか。ね、前任者にこんなことできたかい? まだ信じられないなら、廊下にいる兵士の皆さまを、キミたちがこの部屋を出るまでに皆殺しにしちゃおっか。アハハハハ!」


 返事をする者はいなかった。ペースメーカーを一瞬とめられた者は、脂汗と共に身を起こし、呼吸を沈めていた。


「命を思うがままにできるような、こんなに優秀な科学者を雇えたというのに、随分と難しい顔をしているねぇ。老いて限界まで判断力をすり減らし、死への恐怖で常に頭がいっぱいだと思われるけど、その長い今際の際に考えるべき検討ごとなんかあるのかい?」


「先輩っ……! 代わります! 代わりますから!」


「まぁ待ちたまえよアマベ君。ちゃあんとわたしが全てを発表する。背伸びした諸君が自らの知能の低さに打ちひしがれるのを見てからでも遅くないだろう」


「今すぐ……! 先輩いますぐ代わってください……!」


「しょ〜がないな〜」


 またアマベが壇上に立つ。それを批判する者は無かった。


 伝えるべき要点をまとめて発表するのがうまく、あっという間に報告が終わった。そして次は質問の時間だ、とニコが前に出れば、いい歳をした幹部たちが一斉に身を退いた。


「アハハハッ! 殺しはしないとも。さて今の話で質問はあるかね」


 ニコという異常者に皆が萎縮し、老兵の集いが老人ホームのようになってしまっていた。だがそのうちのひとりが、ゴホンと咳払いをひとつ。


「……計画において、どこまでの育成をそっちで担当するか自覚はあるかね」


「我々が担当するのは人身強化まで、そしてそれが人格に及ぼす影響の調査までだ。その先の洗脳教育やらは、現場で指揮をとって統括するキミたちの方でやった方がいい。ファイマンはおりこうだが、兵士ってのは飼い主を変えると面倒なものでね」


「それが分かっていて、なぜ評価に対する報酬の切り替えなんてことをする? 今までのシステムでも運用できるだろう」


「我々が担当するのはファイマンだけだ。プロトタイプから先はそっちに丸投げするが、我々はプロトタイプとうまくやらねばならない」


「だからといって、問題が出ていないものに手を加えてどうする」


「堅実に重きを置くのは軍人も学者も同じだね。だが、いま必要なのは思い切りだ。人権無視の改造手術なんてものに踏み切っておいて中途半端にブレーキを踏めば、痛い目にあって終わりだ。与えれば喜ぶものが明確化した現状、それを利用しない手はない」


「だ、だが、いくらなんでもお化粧だと? プロトタイプはお前たちの着せ替え人形じゃないんだぞ」


 次々に反論が出るであろう雰囲気になり、ニコは、両方の口角をめいっぱいに上げた。


「もしやとは思うが、道理も何も無く、若い小娘が気に入らないという理由で物申そうなどとは思っていないだろうね」


「い、いや……」


「キミらはもう、一線を超えているのだ。くだらん政治、くだらん感情ひとつで、国の命運を握るプロジェクトの足を引っ張るのかね」


「…………」


「黙ってウヤムヤにしよう、かね? では立場をハッキリさせよう」


 ニコはサリペックを巻いた方の手を軽く上げ、手のひらの位置を顔の真横にした。


「私の計画に賛成である者は、このように手を挙げよ。敵になりたい者は、静かにたたずんでいればよい」


 少しして、全員が恐る恐ると手を上げる。


 博士は優しげに微笑んだ。


「いい子だ。T.A.S.と正規軍の共同研究という名目は、わたしが参加することの大義名分だけではない。いずれ国内の防衛のためにウチでも使うことになるだろうから、わたしとしても他人事じゃあないのだ。故に、この計画は必ず完遂させる。邪魔があれば、その他の多くの問題と同じく解決・・する。いいね」


 その言葉に逆らうものはおらず、背後のアマべでさえ生唾を飲んでいるようだった。


「ところで、プロトタイプの処理はどうするのかね?」


 話題を変えるためか、正規軍の者が弱々しく手を上げた。


「Φ計画は最強の兵士の育成だ。殺処分する段階になって、強すぎて返り討ちにあうかもしれない」


「え……」


 アマべが声を漏らしたが、それを無視してニコが返答する。


「そこに関しては、いま心配することではない。一般的な毒は効きづらくなるだろうから、また別の手段を考えておく」


「そうか。くれぐれも頼むぞ。失敗して無事で済まないのは、ここにいる全員が同じことだ」


 ニコは軽く頷きを返し、それから「他に伝達すべき事項はあるかね」と両手を広げた。


 返事が無いのを確認するなり、ニコは襟を正して出口へと向かった。


「では、先に失礼する。来たまえアマべ君」


「…………」


 彼女は返事をせず、何かを躊躇うようにやってきた。


 外の兵士に会釈し、エレベーターに乗ってタワー中層の駐車場へと下った。高い座標にありながら道路が通るここは、タワー外部の空中道路を利用しようと、後から塔をくり抜く無茶苦茶っぷりで生まれたという。


 下層と上層ばかり密度が高く、中層はスカスカ、か。メタファーのように読めば、色々と思い浮かぶものがあった。


 自分のホバーに乗り、サリペックを起動、自前のアプリを確認してみるが、黒いコンソールに沈黙していた。離れている間に車へ何も仕込まなかったようで、むしろ呆れてしまった。


「さて、アマべ君」


 さっきからずっと黙り続ける後輩を見た。


 他の人だったらこうはいかないが、付き合いが長いおかげか、アマべの感情がなんとなく読めた。あるのは、ニコという異常者への恐怖ではないと。


 憎悪に近い、怒りだった。


「どうすればファイマンの処分を止められると思う?」


 そう言うと、その感情はスっと引っ込んだようで、今度は逆にしおらしくなってしまった。


 みんな、この子くらい分かりやすければいいのになぁ。なんて思った。


「……すみません。てっきりホントにミィ……ファイマンを殺すって言ってるって」


「明言はしなかっただろう。殺せませんでした、じゃあウチで引き取ります、の流れを作る助走が見えてなかったのかね。もう、その理由を考え始めてくれていたと思っていたのだが」


 となりで不意に咳のような息が出て、見てみればアマべの頬を大粒の涙が伝っていた。


「……すみません……情けないです。ずっと……グスッ……ずっと先輩を追いかけて……なのに……」


「あ〜、やめたまえそういうの。『心震わせる感動ストーリー』などゴミだ。人類みんなが求める、栄養にもならんカスではないか」


「……やっぱり最低です先輩……」


 ニコはやけに満足した顔で頷いて、エンジンをかけるのだった。


「アハハ。そういうのでいいのだよ、そういうので」



――Phiman――

 あれから、ずいぶんと経った。


 実際に経過した時間は半年らしいが、訓練後の新しいコスメや服や、その組み合わせの魔法が待ち遠しくて、十年にも二十年にも感じられた。


 すっかりと自分でも化粧できるようになったので、こっそりと新しいメイクをしてアマべを驚かせるのも楽しい。それに、ミィのときどのように行動すればカワイクなるか、それにこだわるのもまた楽しみだ。


 だが最近はうっかりと、ファイマンであるときの口調にも影響が出始めていた。


「うん。いい感じですね」


 新たな調整の後にPp濃度をメーターで測っての、アマべのひと言。それを聞いて、椅子に座ったファイマンが両足をプラプラと、子どものバタ足みたく空を蹴った。


「ふふん。うれしいぞ」


「ふふっ。ダメですよ? 可愛くなっちゃ」


「あ……コホン。了解」


 このようなやり取りが最近は多い。だがアマべやニコは責めるような反応をしない。


 スコアが廃止されて以来、良くなったか悪くなったかが明確に分からなくなってしまったが、少なくとも、成績は良くなっているとは実感できていた。


 報酬が多く、行動の修正をされることが少ない。そして、上がアマべとニコになってから、自分でも信じられないほど調子がよかった。


「なにか不調は感じますか?」


「調整から、寒くなったが……」


「それは問題ありません。自己生成プロト量……えっと、Ppが多く作り出されるようになりました。怪我の治る速度はまだ変わりませんが、普通なら死亡するような怪我でも完治できます。まぁいい事だけではなくて、創傷出プロトの量も多くなるので、火傷に苦しむリスクも……。っていうか、オマケみたいにやってますけど、これだけでも世界変わるレベルの偉業なんですよねぇ……。だって錬金術ですよこれ? ニコ先輩って世界征服に向いてないですよね。なんか、どっちかって言ったら悪の親玉みたいな人なのに」


 会話から独り言へ移り変わるのは相変わらずだが、このときのアマべの表情を眺めているのが好きだった。


「あ。いま言ったことは秘密ですよ?」


「了解」


「いいですね。じゃ、タスク一区切りです。先輩が帰ってくる前にお出かけしましょ、ミィ〜いちゃんっ」


「ん。わーいっ」


「ん〜もう可愛いミィちゃんだね〜」


 笑いながら彼女が立ち上がった。


 そのとき廊下から、物音がした。


「誰か来るぞ」


「え?」


 複数の足音がやって来る。だが、その中にニコのものはない。


「やば。帰って来たかな。え〜。駅のトイレでメイクはしたくないな〜……」


 部屋の扉が開いた。


 そこには杖をつく、古い軍服の老人と、真新しいスーツの中年と、正規軍の市街戦装備に身を包む三人の兵がいた。


「アマべ・ウシキ、だな」


 中年が携帯を見ながら言い放つ。


「……そう、ですけど」


 アマべは一歩下がった。ふと、以前の訓練の相手であった死刑囚が死ぬときと、同じ気配――怯えを感じた。


「よし。拘束しろ」


「えっ、えっ」


 兵ふたりがアマべを囲み、後ろ手に縛って、その場に膝立ちにさせた。


「な、なんですか! いったいなんの権利があってこんなこと……!」


 彼女の言うことは無視され、中年は老人へと向いた。


「よろしいですね、先生」


 老人は頷いた。すると中年がアマべの横を通って、ファイマンの前に立つ。


「我々を覚えているか?」


「覚えている」


「我々の命令も絶対である。それについては理解できるか」


「命令については了解」


「ではこのΦ計画についての決議による決定を伝える。この女の処刑が決まった。これから、殺害する」


 アマべが息を呑んだ。


 ファイマンがこの瞬間に思ったことは。


 だから、どうしたのだろう。


 これだけだった。


 中年がハンドガンを取り出した。飽きるほど見た、ソリッド弾のガジェット銃だ。


「実行はお前にやってもらう」


「…………」


 銃を受け取り、癖でチェンバーチェックまでを終えた。


 そこで、どういうわけか嫌だと思った。


「戦闘の訓練にはならないと思うが」


「戦闘の訓練じゃないからだ」


 なぜ嫌かは分からない。


「……任務の対象じゃない」


「その任務を与えたんだ、いま」


 だが、嫌だった。


「ニコ博士はどうしたんだ?」


「あの女の意思決定などどうでもいいだろう。我々は彼女より上なんだぞ」


 中年が段々と、イラついてきた。


 それは、ファイマンも然りだった。


「あぁ、そうだ」


 言いながらファイマンは、銃口を中年へと向ける。


「な……」


「お前の命令がなければ、殺さなくてもいいんじゃないか」


「じゅ、銃を下ろせ……! 命令だ……!」


 一斉に兵の銃口がこっちへと向く。だが老人が「撃つな!」と一喝した。


 目前の顔には、訓練対象と同じ、恐怖が見えた。


「……ファイマン」


 アマべの声。


 見れば、彼女は笑っていた。いつものものとはかけ離れた、歪んだ笑顔だった。


「……私を、撃っていいよ」


「…………」


 彼女がいいかどうかなんてどうでもよかった。


 この気持ちを、なにひとつ解決などしていない。


「…………ぼ、暴力……行為は……」


「いまはミィじゃありません」


「でも……!」


「――ファイマン。これは命令です」


 ひどく絞られた、掠れた、震えた声だった。


 アマべの初めての声で、頭がいっぱいになった。


 みんな死にたがらないのに、なぜ彼女は、自分を殺せと命令するんだ。


 だが、彼女の命令には、従わないとならない。


 ゆっくりと銃口を、アマベの顏へと向けた。


「……死ぬのは、怖いか」


「怖く……」


 彼女は言いかけて、首を振った。


「……怖いよ。誰だって」


「ならどうして殺されるんだ。みんな抵抗するのに。どうしてだ」


「…………そうしたいから」


「素直じゃないな」


「あなたも、素直じゃないよ。そんな顔しないで」


 そんな顔。いま自分は、どんな顔をしているのだろう。


 ふと、横の鏡に映った自分の姿が、自分の顔が見えた。


 それで、やっと理解できた。


 今まで殺してきた人たちも。


 銃口を向けた中年も。


 いまのアマべも。


 みんな――こんな気持ちだったんだな、と。


 銃口が、肘が、震えた。こんなのは初めてなのに、この反応には腐るほど、見覚えがあった。


「……私は、大丈夫だよ」


「大丈夫じゃないだろ。大丈夫にしなくさせるのが制圧・・だろ。ウソをつくな」


「ウソじゃない。死んだら終わりって、みんな言うけどさ。私は終わりじゃないって思ってるの。きっと」


 彼女は涙を流した。


「きっとまた、会える気がするんだ。ここじゃない、どこかで」


「…………どこでだ」


「わからないよ。でも、そう思う。死んだ人が行ける、どこかに」


「なんで……そう言えるんだ……」


 彼女は目を閉じた。


「汎ゴースト理論ってね、異世界を見つけて、異世界を繋ぐ理論があるの。それが異世界から心を持ってこられるようにした。私たちの心さえもが、異世界を渡れる可能性を示した。みんなはきっと、知らないことだけどね」


「…………」


「行く先は分からないけれど、死んだ人の心がどこかへと行けるんなら、行った先できっとまた会えるよ」


「そう、なのか……? でも、どこへ行ったか分からないなら……」


 震える照準の先で、アマベが目を開いた。


「海に投げ込まれた二枚のコインは、ずっと、ずっと別々に漂い続けるの。でもね、あり得ないって言い切れるくらい確率が低くてもね、いつかコインは、また出会える」


 ゆっくり、ゆっくりと。


 照準が定まっていく。


「科学が有意でないと棄却する可能性でも、無限に試行されるならば起こる・・・の。それが、確率なの」


「確率……?」


 彼女は笑った。今度は、涙に濡れているが、いつも通りの笑顔だった。


「理解できなくても大丈夫だよ。でも覚えていてね。確率が、私たちの約束だから。死んでもまた、出会える証拠だからね」


「……じゃあ、ボクも死ぬ」


 そう言うと、全員がわずかに動いた。


 アマべだけは苦笑いしていた。


「それはダメだよ」


「どうしてだ? いっしょなら……」


「やらなくちゃいけないことがあるでしょ? どうせまた会えるんだから慌てないの。ちゃんと、生きて欲しいの」


 言い方から、これは命令ではないと思った。


 だが、なぜだか従おうと思った。


「……じゃあ、ちょっと遅れるけど」


「うん。いいよ。……待ってるよ」


 銃口はただ真っ直ぐに、生の中心に向かっている。


「そうか。なら、よかった」


「うん。涙は……ちょっとビックリしちゃっただけだからね。まだ……ドキドキしてるだけだから」


 ファイマンは、笑った。


「またな。アマべ」


 アマべも、笑った。


「またね。……ファイマン」


 引き金を引いた。そこから起こったことは、いつも通りだった。


 力が抜けて、倒れて、動かなくなった。


 ひとつだけ違うのは、その顔は恐怖に歪んだりせず、なんだか微笑んでいるように見えたことだった。


「任務完了だな」


 ファイマンが銃を中年に渡す。


「……あ、ああ……。お前はこのまま、ここで待機だ」


 彼はなぜか、ためらいがちに受け取った。老人の隣に戻ると、「お前がそんなでどうする」と頭を叩かれていた。


 そして、あっという間に男たちはいなくなった。


 ファイマンは、命令通りにした。アマべが動かないのを見ていて、なんだか、寂しくなった。


 また会えるまでは、彼女の手で化粧をしてもらえないのだろう。


 コスメの話で盛り上がれないのだろう。


 あんなに可愛いと、言っては貰えないのだろう。


 ほどなくして、また足音がした。ニコのものだった。


 ファイマンを見て何かを言いかけ、それから、足元に気付いた。


「…………え?」


 素早くしゃがんで、左手で腕を取りながら右腕で首を持ち上げ、抱き寄せた。


「アマべ君……? おい……おい! なんで……」


 彼女はアマべの手を指で探り、次には首を探り、不意に泣き出して、アマべを両手で抱き締めた。


 それを眺めながらファイマンは、また会えることを、知らないのだろうか。ニコでさえ知らないことを知ったんだと、少し得意げになった。


「……なにが起こった」


 彼女が顔を上げた。ひどく歪んでいた。


 だがそこに、怯えはなかった。


「――話せ。ひとつ残らず、全てを」



――Kai――

 ただ、絶句することしかできなかった。


 高速道路を飛んで大工場へと向かうホバーの中は、あまりにも静かだった。ニコの語りが終わったとき、そしてそのあとのしばらく、シャシャシャと鳴るセルジェットエンジンの駆動音だけがその場を満たしていた。


「……この世界で、なんつーか、死んだ人への言葉ってなんて言うんすか」


 カイがそう言えば、ニコが優しげに微笑んだ。


「安らかな眠りを、とか。その名を語り継ぐ、とか。でもね、その言葉で十分だよ」


「……はい」


 安らかな眠りを、というのが現世でも同じで、地獄でも同じ言葉で人の死を悼むことができるようでよかった。


 その言葉の重さを実感していなければ、アマべさんへの気持ちをとても抱えきれなかった。


 リィラもそうなのか、足をゆさゆさと貧乏ゆすりで揺らしながら、運転席と助手席の間に顔を出した。


「……わかんねーよ。なんで急にさ、その、アマべをさ、殺すなんてことになっちゃうんだよ」


「それはあの時に言った通りだよ。オシャレで成績が落ちるのを危惧した。……それと、趣味嗜好の時間を無くせばもっと成績が上がると思っていたらしい。実際、上がった」


「はぁ? なんでだよ。だってそんなことされて……」


 まぁまぁ、とニコはハンドルを切って曲がった。インターチェンジ直前の、サービスエリアに入っていく。


「……本当は、あいつらへの忠誠が強くなったとか、そんなことはなかったよ。ただ、アマべ君のことを思い出すのが辛くて、お仕事に没頭するしかなかったようなのだ」


「そんなの……」


 言いかけたが、何かを思い出す顔でやめた。なにか覚えがあるのだろう。


「さ。暗い話は終わり。ちょっとリフレッシュだよ」


 駐車場へスムーズに入って、着地した。平日のように空いていて、人もほとんど見受けられない。その風景を見て、この国にも休日にあたるものがあるのだな、とカイはふと思った。


 日が沈まないこの世界で、休みの日みたいな区切りがないのであれば、普段からこんなに少ない利用者のために、こんなに広い駐車場は作らないだろう、と。


 飛んでいた車から降りたが、フワフワとした感覚が少しあり、上下に全く動かない今にむしろ違和感があった。地面の硬さを全身で感じるようだ。


「全員が車に戻ったら出発だよ。トイレにでも行きなよ」


 するとリィラがソワソワとして「じゃあ」と一足先にトイレへと向かった。


「オークラーもね。いったん切るよ。出発するときにコールするから」


[……あぁ]


 通信機の向こうの難しい顔が、画面ごと消えた。


「じゃあ、カイ君は飲み物でも買ってきてよ」


「……うす」


 大丈夫だろうか。そう思いながらも、ガラス越しに明るい光を放ち、看板もそれと同レベルに輝く店の方へと歩いていった。


 ふと、ほとんど無意識に『サイフを忘れた』と振り返り、それからいまの自分には不要だと思い出した。商品どころか会社ごと買えるPpカネが身体の中を巡っている。


 勘違いに少し恥ずかしくなったが、車にまだ残るニコを見て、カイは引き返した。


 助手席の扉を開け、胸元を抑えてうずくまっていた彼女の隣に座った。


「ちょ……もう。またキミか」


 慌てて汗を拭きながら彼女は顔をしかめた。


「すいません。見えちゃったんで」


「私の見られたくないところばっかり見に来るんだから」


 エンジンの音さえない車内で、彼女のため息をひとつ聞いて、ふたりで目前の店を眺めた。ひとりだけ、買い物をしている客がいるだけで、ふたりとも無意識にその人のことを目で追っていた。


「すみません。ニコさん」


「……どの『すみません』だね?」


「こないだ、オークラーさんのことについて、なんか『妥協するな』とか言っちゃったじゃないっすか」


「うん」


「あんなことがあったら、なんていうか、大事な人を作りたくなくなるっていうか」


「……うん」


 買い物の客はレジについて、いない店員を探してキョロキョロとあたりを見回している。


「だがそれは、当時には知らなかったことだろう」


「いま知ったから、いま、言いたいんすよ」


 客に気付いた店員が小走りでレジへ向かい、何度も会釈しながら謝っている。客は苦笑いしながら会釈を返した。


 カイがニコへと向いた。


「自分が傷つくことに、誰かの悪意も善意も、関係ないじゃないっすか」


「ふふ。ダメダメなクセに……」


 ニコは、あの客と同じ表情をしながら、こっちへと向いた。


「オークラーとどっちを本命にするか迷っちゃうだろう? 口説かないことを覚えたまえよ、おバカさん」


「あ、本命はオークラーさんで。ダメっすよそーいうのホント」


 彼女はムスッとして、背をシートへポンと叩きつけた。


「むぅ。そんなに拒絶しなくてもいいだろ」


「いやそーいう恋愛泥沼展開的なのホント無理なんすって、おれぇ……」


「お子ちゃまだねぇ。アハハ」


「どうせお子ちゃまっすよぉ。悪かったっすね」


 リィラが戻って来る。それを見てニコが、またエンジンをかけた。


「ニコさん。おれ、誰かを殺しちゃうとかはちょっとアレっすけど、アマベさんの仇はとりますから。Φ計画を潰すとかで」


 カイの目は真剣だったが、ニコは目を伏せて笑った。


「復讐自体はもういいさ。ミィに集中するんだよ。あの計画から解放するのに」


 真意は分からなかった。だがカイは、「うす」とうなずくだけだった。



――Nico――

 アマベを喪ってから、もう少し後のこと。訓練場でのことだった。


 後輩の仇が、自分からやって来たのは。


「ごきげんよう。ニコ博士。計画の調子は順調のようですね」


 軍服の老人。スーツの中年。監視カメラに映っていた二人に間違いない。三人の方は分からなかったが、どうでもよかった。


 老人は黙ったまま後ろの方に佇み、ファイマンを満足げに眺めている。一方の中年が得意げに前へと出てきた。ニコは憎悪を見せるわけでもなく、彼らへと向いた。


「おかげさまでね。ずいぶんと、スコアが伸びた」


「えぇ、そうでしょう? 問題の中にいると気付けないこともある。外部からのフレッシュな視点が無いと」


「結果的にそうだったねぇ。だが、他に生じる問題についてはどう解決するのだね」


「他の問題、とは?」


「アマベ君の友人などからわたし宛に、彼女の行方についての質問などが来ていてね。わたしがどう返事をする予定でいるのかね?」


 中年が肩をすくめ、予想通りの質問に対する用意された返事を言おうとした瞬間に、ニコは、末端の研究者など気にも留めていない老人を視界の中心にとらえた。


「ゴルグ。キミに言っているのだ」


「……む」


 中年が慌てて間に入ろうとするのを腕でどかし、身体ごと真っすぐに向いた。周囲の兵は、力を抜いて立っている。いまニコができることなど、確かにたかが知れていた。


「……それはそちらで適当に処理しておいておけ。実務は下の仕事だ」


「正規軍での現場経験が長いとは思えないセリフだねぇ」


 彼は眉を潜め、ニコへと向いた。


「なにを勘違いしているのだ。こちらで処理せず、あの……あの女の死体は残しておいてやっただろう。そのおかげで、お前の方で……なんだ? お別れだのをすることができた。全部は奪わないでやったんだから、後片付けはそっちでやっておけ。ガキの遊びのあと片付けまでさせるのか?」


 熱くなった頭でチカチカと、視界がぼやけては弾けた。


 だがニコは、大きく深呼吸して、兵士たち三人を、そして老人を、順番に指さした。


「キミたち、顔色が悪いね。〝お化粧セット〟でもあげようか」


 ファイマンには、上層部に対するちょっとしたウソと、ちょっとした合言葉を教えていた。


「なにを――――」


 そこからは、一瞬だった。


 指示したニコでさえ見えないほど一瞬で、老人の背後で死体が三つ。


 残像だけを捉えられるファイマンの姿は、背を曲げ、獣としか認識できなかった。


 何かが背後に回ったのを振り返って見ようとした老人の顔に拳がめり込み、その勢いのまま後ろへと倒れ、地面に叩きつけられるのと同時に、ファイマンの全体重が乗った拳が頭部を貫通した。


「え……え?」


 中年が後ずさりし、ファイマンをじっと見つめていた。


 引き金を引かれる直前の銃口から、目が離せなくなるように。


「せ……先生……」


「感謝、しなかったのかね」


 懐から旧式の火薬銃を取り出し、セミオートのスライドを引けば、今度はニコへと視線が移った。


「このわたしをここまで怒らせてから、いまのいままで生きてこられた幸運に、感謝したのかと聞いているのだよ」


「ま……待て。だって、指示で……」


「そうか。どうしてアマベ君を殺すなんて決定になったのか、説明を願おうか」


「さ、さっきの説明通りだ。φ計画のためだ! みんなが人生を、いままでの名誉を天秤にかけるプロジェクトだぞ! くだらない趣味でぶち壊されてたまるかあんなコスプレ女に……」


 言ってから彼は口をつぐんだ。それから、向けられた銃に手と首を振ってまた下がり、今度は転んで尻もちをついた。


「撃つな! 撃つな撃つな……!」


「キミはもうひとつ、感謝すべき幸運を持っている。メッセンジャーが必要だってね。だが同時に、不運もある」


「……不運……?」


 彼女は男の前にしゃがんで、腹に銃口を突き付けた。


「人間は痛み感覚によるストレスを、記憶に結びつけるということだ」


 そして引き金を引いた。彼の顔が痛みに歪み、苦痛にあえぎ始める。


「おかげさまで、もうこの極秘計画はダメだよ。だからもう終わりだ。わたしはT.A.S.に戻って次のχ計画を開始しようと思うが、べつに構わないね?」


「が……ぁ……」


「不満が、あるのかね?」


 彼の顔に銃口を向けると、彼は必死に、頭を横へ振った。


 これでいい。まだ満足などできないが、いまは、これで。


 無力化した彼を差し置いて、銃をしまいながらニコは立ち上がり、背後で待機していたファイマンの前に立った。


 そして、彼の手を取った。


「訓練完了だよ。最高だった」


「そうか」


 彼はただ、満足げだ。


「ファイマン。わたしはこの任務から外れる。死ぬわけじゃないが、会いには来なくなる。きっと、次の科学者が来る」


「そう……なのか」


 彼は本当に寂しそうな顔をした。それを抱きしめて、ニコはそっと、彼の頭を撫でた。


「待っててくれ、その……」


 助けに来る。そう言おうとして、だが本当に解放できるかなど分からなくなった。


 ファイマンと敵対すれば、お互いに生きたままですべてを解決できる確率は低くなる。


 少なくとも、これ以上の兵器を出すアイデアはない。いまのところは。


「……アマベ君にすぐ会えるように、頑張るから」


 そう言えば、彼は目を丸くした。


「本当か!? そうか。ふふふ。うれしいぞ」


 ファイマンは、ミィの顔で笑った。


 それ見て、ニコはひどく、切なくなっていた。

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