アーミー:負け犬

――Kai――

 リィラに連れられて村へ戻ったカイだった。出会う村人たちひとりひとりへ挨拶をし、それをリィラに咎められて、リィラにも男ができたかと村人が言い、リィラが不機嫌になり、と繰り返してやっと家にたどり着く。


 家の前の畑には大きな機械がひとつドンと置いてあった。改めて見るとすごい。この世界はサイバーパンクだし、放っておいても種まきとか収穫とか全部やるんだろうなぁ。そうカイは想像するが、そこまで高性能ではない。文明が進んでも、機能とメンテナンスの比例関係は打ち消せず、一般にそんな便利なものは普及できなかった。


 家の中ではちょうど、マーカスがソファでぐうたらしている時だった。リィラを見て、カイを見て、またリィラへ視線を戻した。


「やっとか。おい、また壊れた」


「は? さっき直したばっかじゃん。また無理に使いやがったなジジイ!」


「修理」


 リィラはうんざりして、玄関のリペアキットを持って家を飛び出した。


 いきなり目の前で喧嘩された上、ショットガンをぶっ放なしてきた男と二人きりにされて、カイはいやに緊張した。


「あ、あの。初めまして! さっきは言葉通じなかったから色々とあっちゃいましたけど、おれは敵じゃないっす」


「その台詞。さっきそこで、何度も聞かされた。それより……」


 マーカスが立ち上がり、カイへと身体を向けた。


「……てめえ。リィラに何の用だ。何を企んでやがる?」


「いや、用っていうか…………」


「翻訳機が買えたぐらいで金持ち気取りだな、舐めやがって。田舎者は皆馬鹿で誤魔化せると思ってんのか」


「そんなつもりはないっすよ! 色々とこう、事情が複雑で……」


 胸ぐらを掴み上げられ、つま先立ちになるほど持ち上げられた。シワがあって厳つく骨の張った赤鬼の顔は、ただの無表情だろうが凄まじい迫力があった。


「ひぃ……」


「マーカス。この家でお前より上の男だ。覚えておけ」


「は……はい。お、おれはカイです……。あの、こ、これおか……お返し……」


 借りていた上着を差し出すと、踵がやっと床に着いた。


 マーカスは上着を引ったくって、タンスへ仕舞う。


「リィラがまだ連れているぐらいだから、敵じゃねえのは信じてやる。だが、味方でもねえ」


「はいっ。それで全然大丈夫っす!」


「言っておくが、勝手に俺の部屋には入るんじゃねえぞ」


 マーカスがクローゼット横の扉を顎で指す。

「……いいや。どこの部屋にも、だ。リィラに少しでも疚しいことしてみな。今度こそ頭吹っ飛ばしてやる」


「は……はい……」


 リィラのお父さんだから仲良くしたいけど、いくら何でも怖すぎるだろ。カイは少し泣きそうだった。


 マーカスがどっかりと、ソファに座った。それを見てなお、一歩も動けないでいた。


 どうしよう。気むずかしそうだし、これ以上あれこれ言ってもな。でもちょっとは味方だって思ってもらいたいし……。そう悩んでいるとリィラが戻ってきて、マーカスを睨み付けた。 


「お疲れ」


「……壊れてなかったけど。ぜんぜん温まってもないし。パワー入ってないだけじゃないの?」


「ああ。そうかもな。忘れていた」


 それだけ言って、立ち上がった。リィラは黙って入り口から退いたが、マーカスはカイを見る。


「で、こっちのポンコツはどうすんだ」


「まあ……、様子見」


「だから、飯とかどうすんだよ」


「いいんだよそれは。こいつは……あれ、銀行バンク、持ってたっぽくて」


 何故かまたマーカスに睨み付けられた。よっぽどお金持ちが嫌いなんだろう。


「で、寝床は。そこの辺の道で寝かせるしかねえだろ」


「あーグチグチうっさ。とっとと仕事しろよジジイ。ほら行こ」


 リィラに手を引っ張られた。連れられたまま二階へ行く。階段で振り返るとマーカスが信じられないという顔でカイを見ていて、舌打ちをしながら畑へ出ていった。


「あれ、いいの?」


「どれが?」


「あんな言い方で」


「良いに決まってるじゃん。あんなヤツなんだから」


「……仲はあんまり良くなさそうだね」


「悪い。見て分かれよ」


 リィラが部屋へと入って机に本を置くが、カイは入り口で立っていた。


「なにしてんの」


「いや……、入って良いかな。妹よ?」


「どーぞご勝手に。お兄ちゃん?」


 少し嬉しそうなリィラに招かれ、メーターの箱を渡し、部屋へ入る。


 こうして改めて見ると、なんとも凄い部屋だった。


 左側には開きっぱなしのクローゼットがあり、パーカーがずらりと並んでいるのと、大きな洗濯カゴや床にその他の服が入っている。床には生活を感じるような雑多なものや、捨てられなかったゴミや、食後のまま放置されたような食器もあった。その散らかりようには掃除をサボり気味なカイも少し驚くほどだった。


 右側には本が詰まった本棚、買ってきた本とメスが置かれた机、カイが寝かされていた簡素な手術台、壁には工具類が掛けられているのと、いくつかのガジェットが大切にディスプレイされたガラス箱なんかもある。その全てが整然と整頓されていて、その凄まじい几帳面さにカイはまた驚く。


 部屋の左右で違う人が住んでいるんじゃないか。そう思わせるほどだった。


 そして部屋の奥にはベッドと、窓が――。


「あ」


「ん?」


「ごめん。ぶち破っちゃったままだわ」


 カイが指差した窓は割れ、ほんのりと風が舞い込んできている。


「あー、ね」


「直せ……ないけど、新しいの買うよ」


「んー。まあいいんじゃね」


 ベッドの前まで行くと、ベッドにもガラス片が飛び散っていた。


「……とりあえずさ、散らかしちゃった分は片付けるね」


「ご勝手にー」


 さっきから気の抜けた返事だ。見ると、リィラは机に買った本を二つとガジェットの箱を並べ、どっちから読もうかな、いやまずはお宝の整備かな、と悩んでいるようだった。


 ……よし、始めよう。そうして掃除を開始したカイだった。


 ベッドにガラス片が残らないようにシーツごと内側に丸めて外へ持ち出し、ガラスを払う。窓に残ったガラスも手を切らないよう外へ割り落とし、外に落ちた大きなガラスは回収してひとまとめにした。


 ひとまず窓は両側のカーテンを閉め、開かないよう床に散らばっているクリップで中央を留めて閉じておいた。


 ここまでやって、整理され過ぎたガジェット側の対極にある汚部屋カオスも気になり始める。


「……こっちも掃除して良い?」


「んー。よろー」


 結局雑誌の方に手を出してから姿勢が微動だにしないリィラの許可を得て、カイは掃除を開始した。


 これがとにかく、捗る。


 なんで他人の部屋だとこんなできるんだろ。不思議だわ。自分の部屋でもこれくらいできればなぁ。そんなことを思っている内に、食器は片付けられて服は畳まれて収納され、雑多なゴミが分けられて床が現れた。


 その床がすっかり綺麗になるころ、一区切りついたリィラが伸びをして立った。一気に読みきったら勿体ない。ここまでの余韻を楽しもう。そうして振り返った彼女が絶句した。


「は……。え?」


「お。ほら、良い感じになったぜ」


 ガジェット側の秩序に負けないほど整頓された場所で、カイが胸を張った。


「…………こ……」


「ん? どした」


 ぽかんとするカイに、リィラはニヒルな笑みを浮かべた。


「…………これからも、よろしく……」


「おう。お兄ちゃんに任せとけ!」


 カイはこのしばらく後、鋭い蹴りという罰を食らうことになる。罪状は、彼女の下着に触れたことだった。




――Lila――

 結局。雑誌は読み終えてしまった。堪らなかったし、どうせこの後も何度も読み返す。


 だが、最初の一回をこんなにすぐ消費してしまったという背徳感があった。悪い悪いと言われているようなことより、よっぽど悪いことをした気分だった。


「うぅ~ん……」


 大きく伸びをして、リィラはいつも通りベッドへ飛び込んだ。こうして余韻に浸り、ぼうっとして、『あ。あれってこういう意味かな』と思いついて雑誌に飛び付くまでがいつもの儀式だった。


 ふと、床に座ったカイが見えた。


 そういえば、こいつの問題があったわ。あのジジイが口うるさいけれど、どうしよっかなぁ。あー、めんど……。


 そんなことを思っていると、その視線にカイが少し驚いたような、居心地の悪いような顔をした。


「どした?」


「いや……あのジジイが何て言うかなって」


「ま、マーカスさんね。それは、えーっと。うん。……うん……」


 答えに窮していた。それもそうだった。突然やって来た男が、娘の兄を自称しているのだ。異常も異常だ。


 アタシが似てるからって理由で妹って呼んでくるあたり本当にヘンなヤツだし、それに悪い気しないアタシもヘンなんだろうな。そんなことを思う。


「…………ねえ、妹ってどんな人だったの」


「え?」


「アンタの妹だよ。アタシにそっくりって」


「あー。あのね、すっげえ似てるんだよホントに。口調っていうかさ」


「ふーん」


「それで、何かする度にキモいキモいって言われちゃってさ。どうしよって思ったけど、どうにもできなかったんだよなぁ」


 カイは困ったみたいに言った。だけどどこか、楽しそうでもあった。というよりは嬉しそう、かな。


「だってキモいじゃん。いきなり抱きついてくるし。最初なんか裸じゃんか、ヘンタイ野郎」


「あれはゴメンて。ショットガンだったから、リィラが巻き込まれたらヤバイって咄嗟にさ」


「そりゃ、ナイスだったけどさ。でも裸はキモい」


「ゴメンてぇ」


 申し訳なさそうに苦笑いしていた。


 ……こんなに言われて、なんで楽しそうなんだろ。ジジイだったら面倒くさそうに舌打ちしてる頃だ。


「妹にも抱きついたからじゃないの?」


「いやいや。ないない。抱きついたことなんて」


「じゃあ、何で」


「……うーん……なんだろ。話は普通にできてたんだけどね。――逆に、どんなときキモいって思う?」


「え? えー……」


 そう言われて、考えたこともなかったことに気付いた。


 キモいと思うとき……。そう考えて、思い浮かぶものは色情に関することばかりだった。


 つまり、発情してる奴の気持ち悪さだ。


「……なんだろ。ほら、エロいこと考えてるようなヤツとか、恋とかほざいてるヤツとか」


「恋も? シビアだね」


「だってバカじゃん」


「そうかなぁ。まあ、見た感じそうかな」


「そうだよ。そう、なんだけどさ――」


 色々と自分で言いながら、妙なことに気付いた。


 気持ち悪いことと考えれば、さっきみたいなことが浮かんでくる。


 だけど、これじゃない。


「――言わないわ」


「言わない?」


「思うときって、逆に言わない・・・・・・


 言いはしたんだ。カイにそういうことをされたときに。だけどそうじゃない。普段、そういう連中を目にしたときにどうするか。


 キモいと言わず、ただ、離れる。


 本当に気持ち悪いから、主張することもなく距離を取る。だから多分、気持ち悪いからキモいと言うんじゃない。だから他の言葉でも良いんだ。ウザいでも、バカでも。そしてその言葉が出るときは大抵マーカスへ向かってで、されたくもない世話をされたときだ。


 そう言うと、カイは「あー」と声をあげた。


「確かにめっちゃお世話しようとしてたかも。ホントにキモいわけじゃないんだ。めっちゃ納得した」


「だから、マジで嫌われてるわけじゃないと思う。話もできないくらいじゃなかったでしょ」


「うんそう、できはしてたんだよ。でもキモいって言われるから、マジで分かんなかった」


「だろ? 何ていうか。本当に嫌いだったら、口も利かないんじゃない。視界にも入れたくないし、同じ空気吸いたくない。アタシだったらそうするかな」


 そう言いながら、不意に自分の姿が見えた。


 ……いやいや。あのジジイは嫌いだ。アタシの気持ちを少しも分かろうとしないし。


「そっか……。そう……だったんだなぁ」


 今まで楽しそうに話していた声に、悲しみが混ざった。彼はしょんぼりとして、うつ向いてしまった。


「なんだよ。元気出せって。良かったじゃん勘違いって分かって」


 声を掛けたが、全く元気が出るような様子はない。


「……ごめんおれ……ちょっと……」


 それどころかうつ向いた目から、涙が溢れて頬を伝った。


 何が起きたのか、よく分からなかった。


「……え。な、なんで泣いてんの」


「……家族に本当に嫌われてるって思って……。就活も全部失敗してて……勉強もできなくってさ……。全部ダメだって思って……」


 そう呟いて、いよいよ泣き出した。


「で、でも。じゃあ帰ればいいじゃんか。帰って、ちゃんと話せばさ」


「無理なんだよぉ……。もう、取り返しがつかないんだ……」


「取り返しが? どうして」


「おれは…………死んだんだ」


「……え?」


 死んだ? カイは、死んだのか。


 ……あ。そうだ、さっき。家まで引きずってきたとき。


 ――――確かに、死んでいた。やっぱり気のせいじゃなかったんだ。


 でもじゃあ、どうして生きてるんだ。どうして生き返ったんだ。


「迷惑……かけたくなかったんだ。……でも、きっと……帰る場所あったんだよな…………。トラックの運転手さんとかも、きっと人生がメチャクチャに――」


 自分を責め続けるカイの声はリィラに届かない。


 コイツは、球の外側から来たと言う。無いはずの場所から来るのだから、普通じゃありえない方法じゃなきゃいけなかったのか。


 コイツは、死んだのだと言う。だけど、じゃあどうして生きているのか。レストランでは、全然違う場所で死んで、全然違う場所で違う人に生まれると言っていた。でも――。


 リィラの中に次々と疑問が浮かぶ。


 なんで違う場所で生まれるの?


 違う人に生まれるってことが可能なの?


 なんでそんなことする必要があるの?


 目の前に居るのは――。


 ――いったい『何』なんだ。


 ……エンジン音。


 窓が割れている部屋だ。遠くからでも、かなり響いて聞こえる。


「……あれ」


 ガジェットの廃棄車じゃない。よく似ているが、いつも聞き慣れた、待ちわびている音とは違う。ベッドに膝立ちになり、クリップ留めになったカーテンの隙間から外を見る。


 街の方角から、大型四輪車ビークルが2台来る。こんな村にあんな車がやってくることはない。あれは――。


「どうしたんだ」


 いつの間にか涙を拭いて、カイは立ち上がっていた。


「あ、アーミーだ!」


「えっ! なんで……って、つけられてたのか!」


 二人で急いで一階へ降りる。


 どうすればいい。いや、とにかく逃げなきゃ。捕まったら絶対殺される。


 一階の玄関まで来て、カイが振り向いた。


「――リィラは残れ。おれが引き付けて逃げる!」


「はぁ!? 勝手に決めんな!」


「可愛い妹を巻き込めねえじゃんか」


「とっくに巻き込まれてんの! 一人で逃げ切れるわけねえじゃん、なんにも知らないくせ――」


 言葉の真っ最中に扉が開いて、カイが背中から突き飛ばされて飛んだ。


「どわぁあああっ!?」


 飛び込んできたのはマーカスだった。


「クソっ! ありゃなんだ!」


「アーミーだよ。どけそこ!」


 リィラの言葉も聞かず、床で伸びてるカイへ真っすぐ向かって行って胸ぐらを掴み上げた。


「アーミーだと? やっぱりテメエ……!」


「止めろジジイ! コイツは――カイはそんなんじゃねえよ!」


 エンジン音がリィラの家の目の前まで来て、タイヤを土で引きずらせる音を立てた。


 カイを手放し、マーカスは舌打ちしながら自分の部屋を指す。


「……俺の部屋に隠れてろ」


「で、でもさ」


「いいから行けッ!」


 聞いたこともない怒号だった。何も答えることもできず、カイと部屋へ逃げ込む。


 扉をほんの僅かに開けた隙間から覗くと、ちょうどアーミーが家に入ってきたところだった。


 ぞろぞろと、重装備が家に侵入してくる。マシンガン。グレネード。ハンドソーにパイル・アクス。武器だけ取っても錚々そうそうたるガジェットだ。


 防具の面で見ても、防刃・防弾のベストの上に、動きを阻害しない程度の合成強化樹脂のアーマーで急所を守っている。それらの装備はアーミー仕様で黒く統一され、胸と背中のアーマープレートには『T.A.S.』の文字が入っていた。


 その中にひとり、装備のグレードが高い者がいた。大型機械加工用ガジェットを調べる時に知ったあのアーマーは合金仕様で硬い代わりにかなり重く、普通ならまともに動くことすら出来ないはず。あいつが隊長に違いないと直感した。


「リィラ、逃げよう」


「静かにしろバカ」


 小声で囁いてきたカイの腹を肘で打った。


 来たのは大型の兵員輸送車で、装甲まで着いたものが二台。たしか一台で十人乗れるから最大で二十人だ。それなのに、入ってきたのが五人なんて少なすぎる。残りはきっと家の周囲だ。ここで逃げ出したって捕まるに決まってる。


 四人の部下が周囲を警戒する中で、隊長が堂々とマーカスの前に立ってヘルメットを外す。華奢な女だった。


 あれであの装備を扱えるとはリィラには思えなかった。多分、マッスルガジェットも仕組んでるな。


「騒がしくしてしまって申し訳ありません。私はオークラー・ポルピュラー。ティア・A《アーミー》・ソーシングの第47部隊隊長です。もっとも、アーミーの名の方が馴染みがあるようですがね」


「いいや。負け犬・・・ってのが馴染んでるしお似合いだぜ」


 ジジイは笑った。そういえば、アーミーは昔、負け犬って呼ばれてたとかジジイ言ってたけど……。それを本人に言うなんて、意外と肝っ玉据わってんなアイツ。


「で、何の用だ」


「この村に、パーカーを着た少女が在住していますね。彼女が連れるフード付きコートの男を探しているのです」


「情報か? それだけのために無断で上がってきやがった挙げ句、俺の畑を荒らしやがったのか」


「これは失礼いたしました。我々に協力して頂けるなら、その弁償も兼ねてお礼をさせていただきたい」


 オークラーが部下のひとりに指示を出すと、外へ出ていき、それなりに大きな圧縮ボトルを運んできた。あの型のボトルでフルだとすると、畑のガジェットを最新型に買い換えてもお釣りが出る。


 ――金?


 いや、でも……あのジジイ。


 もしかしたら……。


「もちろん、協力して頂けるなら……のお話ですが」


「……へえ」


 マーカスはしゃがみこんで、圧縮されたPpの鈍い輝きを見ている。


 おい、止めろ。


 なんでそんなにじっと見てるんだ。


 どうして即答してくれないんだ。


「…………へへへ。いいぜ」


 嘘……だろ……。


「お話が早くて助かります」


 ふざけんな。


 ふざけんじゃねえクソジジイ。


 大嫌いだし、くたばれって何度も思った。


 だけど。


 ――――信用してたんだぞ。


 娘として接してくれた。どんなに酷いこと言っても言い返さなかった。ずっと世話してくれた。何だかんだで受け入れてくれてたじゃん。


 なのに、たかが金でこんなにあっさり売るのかよ。


 やっぱり、金か。


 握った指が痺れた。涙が止まらなくなった。それでも、声を出せずにいた。


「では早速」


「おい待てよ。こんなご馳走を目の前にお預けされちゃ堪らねぇ。先に頂くぜ? すぐ済むからよ」


 マーカスは嬉々として自分のボトルを出してPpで満たした。


 いつものソファにどっかり座り、足置きに足を乗せ、一気に飲み干す。


「プッハァーッ! ああ堪らん。堪らんなぁ。この為に生きてるってんだよなぁ……」


「……よろしいですか?」


 オークラーが少し呆れた顔でソファの前に立つ。


 彼女は経験から貧乏人が金に弱いと知っていたが、流石にここまであっさり落ちることはなかった。買収しておきながら、マーカスのクズっぷりに呆れているのだった。


「そろそろ情報を――」


「あ? 言うわけねえだろうが。バカがよ。ウハハハッ!」


 上機嫌な声がその場を凍りつかせ、リィラの涙を止めた。


「クソガキだがな、俺の可愛い娘だ」


 マーカスはまるで悪びれる様子もなく、マイボトルに二杯目を注いで二杯目に口を着けた。


「……プハァッ。おいおい本当に売ると思ったのか? 素直なお嬢ちゃんだぜ」


 ……アイツ。やっぱり信じられねえ。


 肝っ玉、据わり過ぎだろ。


 さっきまでの怒りが嘘のように消え、よく分からない感情が押し寄せる。


「……約束と、違うようですが」


「約束だぁ? ああ、都会生まれはみんな約束を守ってお利口にしてやがるわけだ。もしかして、良い子良い子でもしてほしいってのか」


「…………」


「おいどうした。してやるぞ? ほらおいで、お嬢ちゃん」


 マーカスが両手を広げた。


 オークラーは黙ったまま、ハンドソーを取り出す。


 だがマーカスは少しも臆せず、いつものようにソファにどっかりと座り、オットマンの上で足を組んだ。


 そして、両腕をソファの背もたれのふちに乗せてみせた。


「……やれよ。久しぶりにこんな腹一杯になって大満足だ。もう未練はねえぜ?」


「――――出発の準備を!」


 オークラーが指示すると、部下が一斉に部屋を飛び出す。


「時間稼ぎか」


「なんのこったよ」


「嫌でも吐いて貰う。私とてこんなことはしたくなかったが……世界のためだ」


 ハンドソーを起動すると、棒状になった二枚のプレートの間から回転するPpの疑似ブレードが生まれた。


 どうすればいい。


 このままじゃアイツ、殺される。


 ふと、扉のすぐ横にショットガンが立て掛けられているのを見つけて手に取った。


 ……やってやる。


 引き金を引けば良い。ジジイが巻き込まないよう場所を気にして。相手が反応する前に一気に決める。


 腰を浮かせた。


 無謀だって分かっている。


 でも、助けなくちゃいけないんだ。あんなジジイで、マジのクソ野郎でも。


 ――――アタシの父さんだ。


 扉へ体当たりして開けようとした瞬間、勝手に扉が開いた。


「――え?」


 振り返るより早く、アンカーブレードがオークラーのハンドソーを弾き飛ばしながら向こうの壁に刺さった。


 カイが、背後から一気に飛び出した。


「おりゃああああッ!」


 凄まじい勢いをつけて腹に拳を叩き込んだ。ゴゥンと鈍い音が響く。


 オークラーが背後へ吹っ飛んで壁に叩き付けられ、カイは床と平行なままドサっと落ちた。


「――いっでぇええええっ!」


 左こぶしを抱えて悶絶している。


 オークラーは呼吸ができないのか、打たれた腹を抱えて喘いでいた。硬くとも、全体重で圧迫されるとああなるのか。


 慌てて部屋を飛び出す。


「あったりまえだバカ! アーマーを素手で殴るバカがいるか!」


「ここ蹴りだったわ……マジいってぇ死ぬ……」


「テメエら、部屋を出やがるバカがあるか!」


 マーカスまで立ち上がる。


「うるさい! 頼んでもないのに助けてきやがって。今度はアタシの番だクソ親父!」


 リィラの真っ直ぐで青い叫びに、マーカスは舌打ちをしてニヤけた面になった。


「一丁前になりやがって。やっぱり俺のクソ娘じゃねえか」


「うっせえクソジジイ」


「ちょっと良いかなっ!?」


 親子の会話に、重装備と絡み合うカイが叫ぶ。


 オークラーはもがいて脱出しようとしていた。


「く……この……だ、誰か――むぐっ」


 カイは両足で組み付いて彼女の両腕を拘束しつつ、頭を胸に抱き締めて顔を押さえ込みどうにか黙らせた。


「そういうの後で! どうすれば良いか早く考えよう!?」


「部下が四人。そいつで五人か。弾数は足りるが……」


 マーカスがリィラからショットガンを受け取り、クローゼット奥の弾倉からシェルを取り出してリロードした。


 リィラはオークラーの装備からマシンガンとアクスを掠め盗った。


 マシンガンはストックに圧縮Ppボトルを採用したアサルトライフル型で、ロッドは切れ込みのある腕一本分の長さだ。どちらもリィラには大きすぎる装備だった。


「いや、装甲車が2台来てた。だから――」


「なんだと!? なら20は居るってことか。なんだってこんな村にそんな来やがるんだ。てめぇなに仕出かした!」


 マーカスに吠えられ、カイは情けない声を出す。


「ぶっちゃけ分かんないっすぅ!」


「だから話してる場合じゃないんだってジジイ!」


 混乱の最中、扉が乱暴に開いた。


 異常に気付いた隊員が飛び込んできたのだ。


「な――隊長!」


 男が銃を構えるのと同時にカイがオークラーに抱き付いたまま身を起こし、そこへ二丁の銃が向く。


「「こいつがどうなってもいいのか!」」


 リィラとマーカスが全く同じ台詞を言い放つ。


 思わずジジイと顔を合わせた。


 ――――やっぱこいつの娘だわアタシ。

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