KAWAII☆HAZARD3

――Nico――

 前哨帯の二人に送ってもらい、車を止めた路地へ帰ってきた。


 全く、考えることが多いな。カイのことはもちろん、あの呪いというガジェットのことも。あれは、ボディガジェットでまず間違いない。起動は埋め込みマージされた者の認知に依存しているのだ。そしてそれがどういう形状であれ、誰かにマージするなら手術をしなければならない。だが、いちいち誘拐してそんな手間をかけるか? そう車の中で思い付いていた。


 例えば寄生虫による感染のように、自発的にターゲットに潜り込んでくれれば大助かりだろう。そしてクロウディアは、その理想としか呼べないものを叶える可能性があった。


 ……万が一に備えておくか。ある番号にコールする。


「……やぁヌコマタ君。……うんその説はどうも。そうだね、いやはや済まなかったよ。え? いや、まぁどれのことでもね。――あ~、いいかね? 実は新種の寄生虫かもしれん奴がな……そう、それで……ずいぶん判断が早いな。じゃあ待ってるよ」


 あっという間に通話を切り、車に乗り込んだ。そして盗聴機を起動すると同時に声が響く。


[……れは……優しいのか……?]


[なんならこのまま遊園地まで行く!]


[あっはっは! いけー!]


 聞こえてきた声に思わず顔を拭うように覆った。知っている声だ。


「…………嘘だろう? まさか……」


 ニコは落ち着きなく周囲を見回したと思えば、腕組をして、ため息をついた。


 ――まさか、ミィを寄越すとは。


 まだ生きていたとは思いにもよらなかった。『あの子』と一緒に、死んだのではなかったのか。


「……やれやれ」


 ニコは腕を首の後ろに当て、天井を仰いだ。ミィとは少し交流があった。ズボラなニコが最低限におめかしをするようになったのも、彼の影響だった。


 ニコはボトルを取りだし、口から少し浮かせてPpを飲む。こうすると少しばかり蒸発し、熱が出て湯のようになる。熱が流動する口当たりを、ガムのように遊ばせ、ゴクリと飲んだ。ニコは目を伏せた。


 ――あるいはミィの方がカイに、『あの子』の影を見たのだろうか。


 ドンドンと、乱暴に窓を叩く音。ふと見ればリィラがいた。


 ――まずい。


 とっさに鍵を掛けようとして、間に合わずドアが開いた。


「おいコラ! 暇すぎ! 早く開発しろよぉ~っ!」


「り、リィラ君、プレゼントは……」


「その話も! 反発化のバグあんだよ。ちゃんとフォール対策しとけよなー」


 フォールと聞いて、一瞬どの話かと迷ったが、すぐにピンと来た。場の変化率がプロトへ影響を及ぼす場合、一定の変化を常にもたらすため三角波的に場を変動させ続ける必要がある。そのとき、三角波の頂点でシステムを切ると場が〝落下〟し、プロトに大きな影響を及ぼしてしまうのだ。


「それはすまなかったが……。どうしてここが」


「アンタの部屋に追跡番号トラッキング・ナンバーがあったよ。最新型ホバーには標準搭載だからあるかなって思ったら……ビンゴってわけ」


 おいおい、子どもだっていうのに消費者サポートセンターを活用するやつがあるか。頭が回るのは素晴らしいが、回りすぎるのも考えものだ。


 ニコは咄嗟に盗聴機を切ろうとした。だがその前に、リィラが手に取った。


「あれ盗聴機? もしかして潜入ってやつ?」


「そうだよ。邪魔をしなければすぐ終わる。先に帰っていたまえ」


「? 何を慌てて……」


 スピーカーからの会話を聞き、リィラの言葉が尻すぼみになっていく。


[……あ! やべ、一回降りて! ほらその……スカートっていうか、それでおんぶしたら見え……ちゃうじゃん?]


[見えても良いように中までカワイくしてるぞ? 見るか?]


[見な~……いや見ぃ~……]


 リィラが、目を剥いた。


「ウソ……でしょ」


「リィラ君、落ち着いて。今は安全なんだよ」


「カイはどこ!? アイツはどこにいんの!」


「冷静に考えたまえ、いま行くのはむしろ危険だ」


「今さらなにが危険だっての! 頭おかしいからって、なに考えてんだよバカッ! 車だして!」


「出さない。いいから聞け」


「あーもうっ!」


 一方的にニコを責め立て、盗聴機を持ったままものすごい勢いで車を飛び出していった。止める間さえなかった。


「やれやれ全く、もう」


 ニコはホバーのエンジンを掛けた。



――Kai――

 欲に打ち克って、見なかった。


 そうして着いたのは、やはり遊園地だった。見たこともない動物のメリーゴーランドや、宙を縦横無尽に駆けるジェットコースターなんかがあって、その姿はカイの世界のものとそう変わらない。


 こっちの世界も似たようなものなんだな。そう思い、それから自分の世界が『そうなるように仕組まれていた』ということも思い出して、カイは遊園地に着くなりむなしい表情をしていた。


 そっか。おれのいた世界って、地獄が食糧源にするために作った『ウソの世界』なんだよな。じゃあ現世の支配者は神さまファーザーじゃなくて農民ファーマーか。なんてバカみたいだけどちょっと上手いことを思いついたのに、英語が通じる者はここにいない。


「どうしたんだ」


「……なんでもないよ」


「スナオじゃない。悲しいんだろ。どうしてだ」


「その……。急に、悲しくなるときがあるんだ」


 嘘だ。自分でも原因はハッキリと分かっている。だが、悩みはなんでも聞く癖に、どうしようもない悩みに誰かを巻き込みたくないというカイの性分が邪魔をしていた。


「悲しいときは悲しいって言え。カイが悲しいなら、嬉しくするから」


「そっか。ありがとう。ミィも、言ってね」


「もちろん。ボクはスナオだぞ。言われなくても言う。ん? 言われ……ん~?」


「……可愛いなぁ」


「ふふん。そのスナオが一番好きっ!」


 どうしようもなく可愛くて、悩みが一挙に吹き飛んだような気がした。


「あ、カイ、メリーゴーランド乗ろう」


「え、う、うん。好きなの?」


「んーん。乗ったことない」


「えぇ?」


 ミィに連れられて、アトラクションのゲートに向かう。特に順番とかはないらしく、ゆっくりと回り続けているものに、みんな自由に乗ったり降りたりしていた。


 カイたちもそれに乗る。図らずもカップル御用達のペア席で、カイは妙な声を漏らしそうになった。


 一緒に乗ると、狭くて距離が滅茶苦茶に近い。近いどころか、ピッタリと触れ合っていた。カイは背が高くてガタイがよく、ミィはどちらかと言えばカッチリとしたプロポーションで、肩幅は人並より少し広い。上半身が狭かった。


 気を遣い手を上げて隙間を確保し、それから上げた手をどうするか考えてなかったことに気づき、勢い余ってミィを抱き寄せる選択をした。ミィはミィで、抱き寄せられた。カイは緊張で吐くかと思った。


「なぁカイ」


「ん?」


「どうしてT.A.S.に入ったんだ?」


 日常会話の延長線上のように、戦禍の兵としての話が始まった。敵同士でありながら恋に落ちた二人が、夜景を眺めながら……という状況が思い浮かび、カイは勝手にロマンスの香りにいぶされた。


 ……どうだろう。言うべきかな、異世界転生って。というか、言っても良いやつなのかな。


 うぅん……でも……。と悩んで、悩んで、話の最初の部分は切り捨てることにした。


「……おれの意思で入ったっていうか、入らなきゃいけなかった感じだったんだ」


「じゃあカイは、T.A.S.に入りたかったり、φ計画を潰そうとしたりみたいなことって考えてなかったのか?」


「うん。けど、今は入って良かったって思ってる。みんなスゴい人たちでさ、人を助けるために、命をかけて戦ってるんだ」


「そうなのか? …………でも、だったらどうして戦うんだ?」


「え?」


「ボクのところの人たちはみんな、世界を変えるとか救うとか言ってるぞ。ヒンコンからのカイホーとか、ヤミ側の支配からのダッキャクとか、最後にはシャカイシュギだ~、とか? みんな人を助けたい人ばっかりだ。クロウディアだけは違うけど……」


「……それは……」


 違う。そう言おうと思ったが、本当に違うのだろうか? 確かに犯罪組織というくくりだが、その意思は本気で『救い』のために注がれているはずだ。思想や信条のために戦うのであれば、いったいT.A.S.と前哨帯の何が違うんだろう。


 唯一、違うとすれば。


「……その、ハッキリ言っちゃうとさ、……やり方が悪い」


「やり方?」


 メリーゴーランドが止まった。回っている状態で乗り降りできない人のために、定期的に止まるのだろう。


 そこでふたりで降りて、宛もなく歩き出す。親子やカップルや有象無象の中で往来し、平日や休日のような区分はあるのだろうかとふと思う。


 図らずも少し間が開き、まだ同じ話題を続けるのか迷い、気まずさを押して続きを口にする。


「さ、さっきの話なんだけど、知らない誰かを救うために、知らない誰かを犠牲にしようとするのは違うと思うんだよ」


「…………よく分からないな」


 ミィは首をかしげた。


「敵を殺すのが、正義じゃないのか? 違うならT.A.S.は、どうして殺すんだ」


「でも、駅で何の関係もない人を撃ったヤツがいただろ?」


「あれはアイツが勝手にやったんだ。アイツ、頭おかしいからキライだった。いつも叫んでてうるさいし」


「それは……まぁよかったけど……」


 少なくともあれが前哨帯の総意じゃないというなら、まだ安心できた。


「敵じゃない人を……殺すのだけは違うんだ。それだけは、絶対に正義じゃない。……と思う」


「ん~……。それはそうかな……」


 どういうわけか、ピンと来ていないようだった。


 ……テロリストに入るくらいだから、やっぱりそこはちょっとズレてる、か。いや、理解できてなかっただけなのかな。考えながら唇を尖らせている愛らしい顔を眺めながら、思う。


「じゃあ、その……ミィちゃんは?」


「ボク?」


 敵だったら殺すのか。T.A.S.と前哨帯は敵同士だ。なにより、前哨帯の最大の敵はカイなのだ。だったら――。


「その、さ。どうなんだ? もし敵だったら、殺し……」


「――あ! カイ!」


 急に声を上げ、指を差す。その先にはカフェと、その壁に貼られた大きなポスターが一枚。


「あれ! あれが限定のやつ!」


 ミィに腕を引かれて、疑問を置き去りにした。だがそれでよかったとも思う。思っていた答えじゃなかったら、と思うと怖かったし、そんな暗い話は、いまだに頭の片隅に残る疑念は、今だけは忘れたかった。


 店は混んでいたがちょうど席が開いたところで、ふたりで座ってメニューを開く。


「えっと、どうしよっか。ミィの言ってたやつと他は……」


「他はいらないぞ?」


「おっけ。え~……」


 カイが呼び出しボタンを探すと、ミィがさっと机の端のガジェットを起動する。


 Ppをプレートの疑似物質ソリッドとして出力し、それをタブレットとして文字が浮かばせた。オシャレなアニメーションのグラフィカルユーザーインターフェースが表示され切るより早く、ほとんど残像の状態で商品を選んで決定した。そのあまりにも素早い動作は目まぐるしく、目で見て追い付かなかった。まるでどこに何があるかを把握しているようだ。


 メチャメチャ慣れてらっしゃる……。限定の場所まで知っているなんてすごいな。


「あ、ありがとう。実はあんまり外食しないから慣れてなくて……」


「そーなのか。じゃあ全部が全部、リードしてあげるからなっ」


「いいね。ありがとうね」


 なんだろうか。まるで積極的な彼女のようでいて、張り切った幼い彼氏のようでもある。なんでもありで、全部かわいいなんてことを思う。


 そのとき、別のテーブルの女性ふたりが、こっちをチラチラと見てクスリと笑ったのが見えた。


 ……ああ、おれか。うぅん確かに、こんなに可愛い子と一緒におっさんな男がいたら、笑いたくもなる。これがミィに向いたものだったらぶっ飛ばすところだった。


 いや、まあ、ぶっ飛ばすのもいけないんだけど。ミィに相応しい人間は、暴力なんかに頼らない好い人だ。


「男なのに……」


「ヤッバ……」


 言葉を聞き取った瞬間にカイは立ち上がった。胸に刻む言葉は、『暴言まではセーフ』だ。


「カイ。座って」


 ミィはただ、一言で制した。


「で、でも……」


「ボクをカワイイって思うヤツも、そうじゃないヤツも、どーでもいい。ボクはボクのカワイイでいるだけだ」


 メンタルつっよ……。


 ミィの芯の強さに畏怖し、カイは余計なお世話だったと萎縮しながら座った。


 すると何を思ったか、さっきのテーブルの人たちがやって来た。


「すみません」


「ん~?」


「ヤッバ! 近いともっと可愛い!」


 ……あれ?


「あのっ、メイクとか可愛いですねっ」


「カワイイだろ。だって頑張ってるからなっ」


「ヤッバすぎ可愛い~っ。教えてくれませんかっ?」


 ……あ。おれの勘違いだった……?


 カイは椅子に深く沈んだ。


 ウソじゃん…………。


「今はダメ。デートなんだ」


「へっ!? お父さんじゃないんですか?」


 お父さんて……。いっそアンチでもいいから、テレビでやってたカイって気付いて……。


 カイの方がもう限界だ。店を飛び出して逃げたかった。


「でも、じゅうぶんカワイイぞ?」


「もっと可愛くなりたいじゃないですかっ」


「今もカワイイだし、メイクを変えれば別のカワイイだぞっ。ボクのを真似するより、やるなら思いきれ!」


「わぁ~っ。名言すぎでしょっ」


「ちょっと……気になってたメイク試してみますっ!」


 ふたりはきゃっきゃっと騒ぎながら出ていった。


「…………」


「どうした? なんだか……具合が悪そうだ」


「い、いや……なんでも……って、それが素直じゃないのか。ミィのこと笑ってるって思って、早とちりしそうになっちゃって……」


「でも、嬉しかったぞ?」


 ミィは、カイの手を両手でぎゅっと握った。


「きっと止めるけど、また立ち上がってくれる?」


「……止められなくても立ち上がると思う」


「いいね。カイのそういうところ好きだぞっ!」


「く……」


 ストレートな「好き」に、カイはついに落ちた。もうミィのことが好きだと認めてしまった。敗北である。


「じゃあ逆でも立ち上がるから、きっと止めてねっ」


「ゼッタイ止めるから大丈夫。お、おれもミィのそういうところ……ってかミィのこと――」


「――お待たせしましたぁ~」


 絶妙なタイミングで到着してしまった。ひっこめた言葉が、『もどかしい系の恋愛ドラマじゃあるまいし』という言葉とすれ違った。


 ふたりでしか頼めないスイーツ。それは、ふたりで切り分けるフルーツパンケーキと、ふたりで飲むサイダーだった。


「わぁ~っ。ほらこれっ。思ってたより大きいぞ!」


 無邪気なミィに、店員が微笑んで去っていく。


「食べるぞっ」


「う、うん。そうだね」


 色々なフルーツが偶数個ずつある。どれがチェムリでレッキされているんだろう。分からないが、とりあえずパンケーキを切り分けて一口食べる。


 甘くてうまい、と思う。正直、ミィを目前にして味が分からなくなっていた。食事に全く集中できない。


「ん~っ……。おいしぃ……」


「うん。甘いね。……甘い……味が濃くて……うん」


 ふたりのソーダを飲むタイミングが偶然に合った。二本刺さったストローはあまりグラスからはみ出さず、ものすごく顔が近くなった。


 その近距離で目が合う。ミィは目で微笑む。カイは照れ笑いを押さえながら飲んだ。


 そうして、皿とグラスが空いた頃。


「ふー。おいしかった」


 ミィがニコニコと、顎の下で頬杖をついた。


「いっぱいあったな!」


「ね。結構ボリュームあった」


「でもおいしいから食べきれるぞ」


「本当に? ペロリ?」


「うぅん。モグモグ」


「ぶふっ」


 おかしくなって吹き出す。


 ヤバいな。こんなに良いものなんだ、デートって。知らなかった。いやきっと、ミィが素敵すぎたのかもしれない。


「……ねえミィ?」


「うん?」


 カイはキリリと凛々しい顔をしてみせた。


「どうして急に、デートしたくなったんだ?」


「あー。えっとな、デートはほら、カワイイ人たちがよくやってるだろ? だからだ」


「そー……なんだ?」


 デートするのがどういうことなのか分かってないのか。なんだか不思議な子だ。


「デートって楽しいなっ。ずっとしてたい。でもさ、カイ。どうしてカワイイとデートするんだろうな」


「き、気付いてないかもしれないけど――」


 カイは前髪をぎこちなくかき上げた。


「――デートしてるミィ、めっちゃ可愛いぜ」


 さらに、キメ顔にキメ声。


「あれ? でもそれ、デートしてないときと比べないと分からなくないか?」


 全く効いていなかった。


「あ、まあ、うん……」


 一瞬で論破され、張った虚勢が萎れた。しかしまたまた、格好いい自分を鼓舞する。


「……そ、それで」


 カイは緊張した面持ちで、両腕をテーブルに置いてやや身を乗り出した。


 勢いで核心に迫ることにしたのだった。


「ど、どうしておれに会いたかったんだ?」


 一目惚れ。その一言に多いに期待していた。だが出てきたのは、思ってもない言葉だった。


「質問があったからだ」


「ん? 質問……? いくらでも答えるぜ?」


「……死んでもまた会えるって、本当か?」


 思わず彼の目をじっと見つめた。ファイマンに言ったことが、前哨帯中に広まっていたとは思わなかった。不思議だけど、地獄の赤鬼にはそこまでの衝撃を与える考えだったようだ。


「……きっと、会えるよ。運が良ければ、だけど」


「運が?」


「死んだらきっとまた、どこかで生まれるんだ。違う世界に生まれるかもしれないし、同じ世界に生まれるかもしれない。たぶん選べないんだけど、いつかいっしょの世界に生まれたら、きっとまた会える」


「また……? そうなのか。……だからなんだ」


 ミィが納得したように頷いた。


「だからって?」


「ボクは……また、会いたい人がいるんだ。その友だちが言ってたんだよ。海に投げた二枚のコインは、たとえずっと未来でもまた会えるんだって。そう確率が証明しているから大丈夫だって」


 死別した人だろう。そんな友だちがいたんだな、この子にも。


「この話で、どうしても、ボクには理解できないことがある」


「そうなの? どこの辺が?」


「もし本当にそうだとしたら、どうしてボクには〝生きてほしい〟なんて言ったんだろうな」


 机がガタンと揺れる。ミィが足をブラブラさせようとして机の足を蹴ったようだ。思い出すだけで、居たたまれないほどの痛みなのだろう。


「どこに行くにもさ、いっしょなら離ればなれにならずに済むし、お互いにどこにいるかも分からないのに探し続けるなんてことしなくていいのに」


 そうしてミィは、真っ直ぐな目でカイを見た。


「だからボクは、一緒に死にたかったんだ」


 カイは絶句した。とんでもないことを、どうしてほんの少しも闇を感じさせずに言えるのだろう。


「……選べないんだったら、きっと同じことだよ。どこへ行くかも分からないなら、その大切な人と一緒に死んじゃったってバラバラになる」


「そっか……。でも、死んじゃダメってことではないだろ?」


「それは……」


 思えば、そうかもしれない。生を全うせずとも、速攻で死んで異世界転生してを繰り返していけば、最速でその人と再会できるだろう。まるで、転生ガチャとでも言うべきか。


「……でもさ、そのとき死ななかったお陰で、おれはミィと出会えたんだ」


 カイはミィの手を取る。柔らかくて、暖かかった。


「生きて欲しいっていうのはさ、きっと生きていることが、別の大切な人と出会うための条件だからだ」


「……ボクはカイにとって、大切なのか?」


 そう言われてから、告白していたと気付き、ええい自棄だと突っ走った。


「そ、そうだぜ。ミィちゃん。だからさ、その人とはいつかきっと会えると思うから、今のおれと一緒に過ごすために、まだ死なないでくれ」


「……ボクはまだ死なないから安心しろっ」


「よかった」


 なんだか告白って感じじゃなかったな。芽生えたのは、もしかしたら友情かもしれない。


「なぁ、カイのこと、ずっとイヤな奴だって思ってたんだけど、なんだかデートしたら全然そんなことなくってビックリしちゃったんだ」


「そう? そう思ってくれたら嬉しいぜ」


「うん。優しくって好きだ」


 ミィは前のめりになって、照れて染まったカイの顔を見つめた。これは、どっちだ。友情なのか? 恋愛なのか? 初めて見る宝石が本物かどうかなんて分かるわけがない。


「だからボク、カイともまた出会いたいんだ」


「……おれも、ミィとまた会いたい」


 今しかない。そう直感が囁いて、顔を寄せキスをしようとした――が、ミィは立ち上がった。


「そろそろ行くかっ」


「う、うん……」


 内心がっかりしながらも、少しほっとした。


 もし思い違いだったら……ミィが自分に持っている感情が恋愛でないならば、また早とちりでとんでもない間違いを犯すところだったのだ。


 店の外に出ると、ミィは時計を見て「あっ」と声を上げた。


「そろそろ帰らなきゃ……」


「そっか。じゃあ、他の乗り物は次回のお楽しみにしよう?」


「……ん。なあ、その次はどうする?」


 まだ終わっていないのに、もう次の次まで考えているらしい。そんなに楽しんでいいのだろうか。カイは少し罪悪感につつかれていた。


「えっと……だ、大工場とか?」


 何か言わねばと咄嗟に出たのが、この世界で僅かに知っているロケーションのひとつであった。ただ、カイにとって最悪の場所でもあった。現世の人間の魂を、食品に加工する場だ。


 しまったなと思うより早く、ミィがふにゃりと笑った。


「いいぞっ。なにするか分かんないけど、一緒ならどこだって楽しいよなっ」


「そ、そうだね」


 あるいは、ミィとのデートで大工場に対する嫌悪感を中和できるかもしれない。そんなことを思った。


 ミィと一緒に、出口へ歩き出す。そしてゲートの手前で、熱烈なキスをしているカップルを目撃してしまう。


 うわぁ気まずくなりそう、目をそらしとこ、とカイは顔を背けた。


「カイ、あれはなんだ?」


「え? どれ?」


「あのキスだ。口を合わせてるだろ。たまに見るんだよな」


「…………えぇ?」


 それを知らないなんてことが、あり得るのか。そう思うと同時に、ある考えが頭をよぎった。いや、ずっと頭の片隅に存在していた疑念だった。


 ナンパが自分を嫌う理由が分からない。敵を殺すことだけが正義。デートが分からない。キスも分からない。そして、ミィの呟き声。


 もしかしたらデートもキスも無い世界から異世界転生してきたのか。自分がパープルガジェットの無い世界から来たように、ミィも恋愛が無い世界から。


 ……なんてな。


 おれも分からないんだ、ミィ。これが分かっているのに理解できないってことなのか、理解できているのに分からないってことなのか。


 ドライなおれが、さっきからずっとミィがミィじゃないって言ってるんだ。


「どういうときにするんだ」


「それはなんていうか、好きなとき……というか、好きすぎるとき?」


「好きすぎるとき?」


「好きすぎて、どうしていいか分からなくなったときにする……いや、でもそんな単純じゃないかな。好きすぎてもしないときもあるし、というか、できないっていうか? ……うーん、ごめんうまく言えないんだけど」


「単純にすればいいだろ。好きならキスをするって」


「え、いやいや、だからさ……」


 唐突にミィの腕が、首に絡み付いた。


 それからそっと、唇同士が触れ合った。ドライな自分もそうじゃない自分も、一挙に吹っ飛ばされた。


 ただ、ミィの匂いを感じていた。


 キスをやめて、ミィはにこりと笑った。それから頬を染めてもじもじとする。


「キスって、いいな。戦いでもないのにドキドキする。けど、ぜんぜんイヤじゃないんだ」


「…………はひ……」


「あははっ。驚いてる。でも好きになっちゃったからしょうがないよな」


 ミィは何かにハッと気付く。


「そうだ。キスのこと知ってたなら、カイもしたかったよな。んっ」


「へ?」


「カイからしていいぞっ」


「……い、いや、ミィ。その……」


 少し、考えるべきだ。ミィは見るからに可愛い。ここまで可愛くなるのに物凄い努力があったのだろう。だけどおれはどうだろう。そんな努力はロクにしてこなかった。がんばり屋さんのミィに、こんなおれが釣り合うのか。


 それに――皆が殺し合ってるような中で、おれだけこんなことをしていいのか。


 優しさが臆病になって、気遣いが罪悪になって、躊躇ためらってしまうカイにミィは表情を無くし、切なそうにうつ向いた。それでも決断ができなかった。


 ミィはハッとして顔を上げ、また微笑んだ。


「……そういうやつじゃ、なかった?」


 そういうヤツなんだ。それで合ってるんだ。でも、おれは……。


 やっぱり、しよう。そうだやろう。


 決断したものの、今度は行動のタイミングで踏ん切りがつけられなかった。


「みたいだなっ。そっか」


「い、いや……」


「それじゃあ――」


 カイの優柔不断にも気付かず、ミィは出口へ一歩。ピョンと飛んで振り返った。


 行かないでくれ。いま、ミィと離ればなれになりたくないんだ。


 だって、次があるかどうかなんて……。


「――またねっ!」


「あ……ま、またね。すぐにでも!」


 ミィは歩いていってしまった。その背さえ可愛らしくて、カイはぽうっと眺める。


 …………筋肉とか結構しっかりしてるのに、唇やわらかかったなぁ……。唇にまだ、ミィの履歴がペタペタと残っている。ただそうやって、現実逃避をしていた。


 ミィとのキスを噛み締めるように、ただただ立ち尽くす。遊園地のスタッフが銅像のようなカイをどう退かすか悩み始める頃。


 リィラにこんなところ見られたら……。そう思うのと同時に、視線の先へ走る少女が飛び込んできた。誰かを探すようにキョロキョロとしている。


 ……あ、リィラだ。やっべ。気付かれたらガチで殺される。カイは唇を拭って口紅の痕跡を消す。そしてなに食わぬ顔でリィラへ向かった。


「――カイッ!」


 尋常ではない勢いでリィラが迫ってくる。必死の表情で息を切らし、また周囲をキョロキョロと見回していた。


「リィラ。どうしたんだ?」


「どーしたんだじゃ……ねえよ! ケホッ……」


 息も整いきらずに喋って咳き込んだ。


[じゃ……ねえよ! ケホッ……]


 少し遅れて、全く同じ台詞がリィラの手元から飛び出す。どうやらニコが持っているはずの盗聴機のようだった。


「ひゅ……」


 カイの喉から、息を吸おうとして吸いきれず、絞められたような音が鳴った。


 え? ニコさんの盗聴機? 聞かれてた? 全部?


 終わった……。


「大丈夫だった!? 何もされてない!?」


「り、リィラ、大丈夫だ聞いてくれ。今のは任務。任務なんだ。な? そういう、惚気てた訳じゃないっていうか、な?」


「え? ……あぁ……クソ……」


 彼女は本当に勘違いしていたようで、息を整えながら肩の力を抜いていった。


 どうやら、怒りより心配の方が勝ったらしい。どうにかなりそうだとカイは、心でガッツポーズを決める。


「……あーもー……バカみたいに走っちゃったじゃん」


「全然バカじゃないよ。心配してくれてありがとうな」


「そりゃ心配だってするでしょ。だってファイマン・・・・・だよ?」


「え?」


「……ん?」


 今、なんでファイマンの名前が出た? 頭ではもう分かり切った答えを、心が受け付けなかった。


 無意識が、最後のひと押しを拒絶していた。


「……何の話なのか全然わからないんだけど、ちょっと落ち着いて、説明してくれる? 何があったの?」


 分かっている。本当にそうかどうかを決めるという、大きすぎる決断から逃げいていただけだ。結果の方から来てくれるのを、待っていただけだ。


 リィラは訳も分からないという様子で、カイをじっと見つめた。


「いや、え? だってアンタ、さっきまで――ファイマンと一緒にいたじゃんか」


 ああ、やっぱりか。と思った。


 ああ、決まってしまった。とも思った。


 あの質問ではミィは嘘をついていなかった。だが、ファイマンが嘘をつく訓練を受けていたならどうだろう。ファイマン自身が、嘘だとは思っていなかったならどうだろう。


「……ミィだよ。あの子の名前はミィだ」


 ……おれ、何でまだ抵抗してんだろ。


「ハァ!? ウソだろ、今までアイツと普通に話してたじゃん! 声で気付かなかったの!?」


 ファイマンの声なんて知らない。あのときだって……落ちた先で話したときだって呟き声だったし。


 分からない。でも、でも本当にファイマンだったのか。やっぱり勘違いじゃないか。そもそも声なんて知って……。


 …………そうだ。リィラだけはちゃんと声を聞いていたんだ。T.A.S.にたどり着く前、ニコと出会う前に。


 それにさっき、呟くミィの声に違和感があった。あれが、列車から落ちた先で聞いたファイマンの声と同じだった。


 あのときか、ミィがファイマンだって気づけたのは。


「……声、知らなかったの?」


 リィラが、カイの様子に気付いた。ただ一点を見詰めて、ただただ息だけをしている男。


「………………ワケ分かんねえよ……」


 それが、カイがやっと絞り出した最後の抵抗だった。

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