Claudia

――Lila――

 整備がひととおり終わり、一階へ向かった。本当は奥で埃を被っているのもやりたかったが、クレイが眠すぎて具合悪くなってきたと言うので今のところはこれくらいにしておくことにした。


 リィラは再び手持ち無沙汰になったが、エントランスへ戻ってみると、カイとニコが外出から帰ってきたところだった。


 ニコはものすごい勢いで自室へ戻っていき、カイはなんだか眠そうにリィラの前に来た。


「お帰り。どっか行ってたの?」


「ただいま。なんか……いつの間にかドライブ行ってたわ」


「なんだそれ。大丈夫? あのヘンタイになんかやられてない?」


 カイは上半身を捻って、売店を見た。


「大丈夫……だと思うっ。お腹減ったから売店行くわ」


「はーい」


 なんかあいつは忙しそうだし、他なんかないかなぁ。


 退屈すぎてちょっと外に出て、基地の建物の合間をぐるりと回って、中へ戻った。ちょうどカイが博士とおいかけっこをして出てきたところだった。


 何やってんだこいつら。そんなことを思って見ていると、背後から誰かが入ってくる。


 振り返ると、大佐。不機嫌極まる表情だった。


「うわっ」


 リィラも駆け出し、カイを追う。


「ええい走るな貴様らッ! ここは遊び場ではないッ!」


 怒号一撃がその場の混乱を沈静化し、「中央に集合しておけ」とだけ捨て吐き、そのまま怒り足でずかずかとどこかへ向かっていった。


「また集まんの?」


 少しうんざりしていた。またわざわざ全員集めて、中身のないことやんの? そんなことを思っていた。


「中央ってことは全員召集だね。これは集まった方が良さそうだ。キミたちは隊長とともに行くといい。わたしは一足お先に向かうとしよう。隊長の私室はわたしの部屋の隣だよ」


 ニコはそれだけ言って、さっさとどこかへ向かってしまう。


 なんかヤバイのかな。もしかして、やっぱアタシのせいで……とか。


「よーし、行こっか」


「……ん」


 軽く言うカイと一緒に、オークラーの部屋に向かう。こういうテンションでいてくれるから、なんだかアタシの気も少し軽くなれた。


 部屋に着き、カイが声を掛けると、中から返事がして、扉が開いた。


 オークラーは、スポーツウェア姿だった。


「……すっげぇ……」


 リィラが思わず呟く。広い肩幅。見るだけで熱を感じさせる腕。スタン・バーストの反動をまともに受け止める両足。そして、短い上下のウェアの間でしっかりと割れた腹筋。


 オークラーは美しい身体でもあった。


 ウチに来たときは華奢に見えたけど、めっちゃムキムキじゃん。そんなことを思う。


「ん? ……ああ、筋肉か。今もやっていたから、余計に浮いて出ているんだ」


「……え。じゃあ、あのアーマーとか装備とか、マッスル無しで? めっちゃ重いでしょあれ」


「ああ、重い。だが、ウチの部隊は禁止にしているんだ。力が変われば、動きやすさも変わる。咄嗟に角に隠れようとして飛び出すなどあってはならないからな」


 実際のところ、マッスルが原因となる事故もいくつか起こっていた。グレネードのピンが思ったよりも抜けて取り落としたり、投げるときにしっかりと握ってしまい投げられなかったり。オークラーが言ったことも実際にあったことだった。


「へぇ~、すっげぇ。……ちょっと触ってもいい?」


「構わないぞ」


 少し誇らしげに彼女は力をこめた。遠慮なく腹筋に触れると、熱くて、硬くて、ボコボコとしていた。


「すっげ~。ずっと触ってられるわこれ」


「ふふふっ。そうか。鍛えた甲斐があるな」


 カイも触ってみ、そう言おうと思ったらカイが固まっていた。見上げると、なぜかオークラーの顔ばかりをじっと見ていた。


 なんで緊張した顔してんのコイツ。そんなことをリィラは思っている。


「どうした。なにか、ついてるか?」


「……い……いえ……な、なんでもないっす」


「なんでもないって目ではないだろう。そうもじっと見られては、恥ずかしいじゃないか」


 オークラーが苦笑いをしたところで、カイが露骨に目線をそらした。


 リィラはオークラーの格好を改めて見て、どういうことか気付き、ため息をついた。


「そういうとこがキモいんだって。ヘンタイ」


「い、いや、だって……」


 そのやり取りでオークラーも察して、背を向けた。


「ああ、すまない。客人の前に出る格好ではなかった。すっかり身内気分だったな。着替えるから、少し待ってくれ」


 扉が閉まる少しの間に部屋を覗いてみると、博士の部屋とは大違いで、よく整理されて纏まった部屋だった。筋肉トレーニング器具なんかが置いてあった。


 少し待つと、ロックがやってきた。その身長差では見上げるのがしんどいので、リィラは『すかした』フリで廊下の壁に寄りかかり、うつ向いた。会話はカイに任せとこう。


「よお、お前ら。なんだ? 隊長はまだ筋トレしてるのか」


「いや、お着替え中っす。いつもそんなハードにやってんすか?」


「……部下を喪ったときは、特にな。すまんが俺の用から済まさせてくれ。すぐ済む」


「いいっすけど、なんの用っすか?」


「あの作戦で死んだやつらの、遺言の報告だ」


「遺言?」


「一応、みんな書いてるんだ。今回みたいな事態に備えてな。あの4人分が集まったから、渡しに来た」


 その手には4枚の封筒。リィラがじっと見てるのに気づいたのか、ロックは苦笑いした。


「アナログだろうが、遺言はまあ、重大な個人情報ってやつだ。ハッキングされない記録で、各自で保存。そう入ったときに教えられたよ」


「いいね」


「ん? ガジェットじゃないのに、良いのか?」


「まーね。ガジェットをちゃんと学べば分かるよ。便利なもんほど、致命的な弱さを持ってる。……ところでさ、さっき大佐が帰ってきて、中心だかに集合しろって」


「中心……中央に?」


「そ。めっちゃキレてた」


 リィラがそう言った所で、『総員、中央に集合しろ。緊急だ』と放送がかかった。


「キレてた上に、総員か……。嫌な予感がするな」


 扉が開き、アーミーの制服に着替えたオークラーが出てきた。


「集合か」


「隊長、遺言です。渡しておきます」


「む……済まんな。それと、お前たちは?」


 リィラは上を指差した。


「これを伝えに来たの。中央への案内は隊長にって、ヘンタイ博士が言ってた」


 隊長がヘンタイ博士という言葉に失笑し、咳払いをした。


「わかった。では一緒に行こう」


 カイと揃ってオークラーとロックの背に着いていく。売店横の階段は無視して廊下を曲がり、少し行った先にある開いた大扉を抜ける。すると地下への階段があって、下ると広い演説ホールに出た。


 どこにいたのか、数百人規模のアーミーが列になり、4角形を成していた。オークラーたちはその、最前の欠けた部分に収まった。リィラとカイは長方形からはみ出て並んだ。


 少しして、大佐が出てきた。ニコもいる。


「全員集まったな。召集をかけたのは他でもない、我々T.A.S.がどのような状況にあるかを報告するためである」


 報告することなんかあるのかな。もしかして正規軍のジジイ殴ったとか? なんでもいいけど長話は嫌だな。


 リィラは既に、片ひざを曲げて立っていた。


「まず、我々は正規軍と敵対した」


 その言葉に、リィラの気だるそうな顔が驚きに変わった。周囲も口は閉じているものの、尋常ではない雰囲気であった。


 もしかしてマジで殴ったの?


「厳密には、敵対していた、だね。先に手を出したのはあっちだったんだから」


「博士の言う通り、これは事実が表層化しただけにすぎん。正規軍は我々のχ計画を潰すため、秘密裏に雇っていた者が結成したテロリスト集団、『前哨帯』に、我々を攻撃するよう仕向けていた。貴様らも知っているだろう、47部隊が受けた襲撃を」


 大佐は列の前をじっくりと歩き、芯の通った声を更に張った。


「あれが開戦の合図だ。断じて許してはおけん。無謀だと思うだろうが安心しろ。我々には、χがある」


 カイの目の前まで来たとき、彼の肩を掴んで振り返らせた。


「我々が握るのは、全てを破壊できる兵器だ。必ず勝利し、あの頭の硬い老人連中に教えてやる。負け犬と見下すと手を噛まれるとな!」


 自分勝手に過ぎる。リィラの中に生まれたもやもやした気持ちだった。


 心がぶっ壊れたままのジェイクならまだしも、今はカイなんだ。コイツのことを無視して勝手に決めやがって。


 噛みつきたかったが、またカイを困らせるかもしれないと思って、どうにか我慢した。


「あ、あの」


 カイが恐る恐るという具合に右手を上げた。


「正規軍と敵対って、それって国と敵対ってことでもあるんじゃ……」


「国とは中立だ。今のところはな」


「ちょいと補足すると、お国は正規軍とも中立だよ。正規軍は外国との戦争やその他の特殊任務を専門にしていて、国内の特殊任務を請け負うT.A.S.とは丸っと管轄が違う。国からしてみればどっちも必要だから、中立にならざるを得ないんだね。まあ流石に、ちょっと向こう寄りだけどね」


「なるほど……。すみません。ありがとうございます」


 よく分からないけど、納得したらしい。あとでカイに聞こっと。リィラは出そうになった生あくびを抑える。


「お前が何を不安にしている。本来ならお前ひとりで正規軍を壊滅できるのだ。心配することなど、なにもありはせん」


「いや、みんなの家族とか、大丈夫かなって。アーミー……じゃなくて、タスが国の敵になったって噂になったらヤバくないっすか?」


 カイの発言で、背後がどよめき始めた。


 確かにそうじゃん。ただでさえアーミーってヤバいって思われてるのに。


 ……でも、ヤバいって思ってるからってその家族にまで手出しすんのかな。いくらアーミーがろくでなしだからって、冷静に考えればあんま関係ないって分かると思うけど。


「静まれ! その話はここからだ。貴様らの中にはまだ家族に未練のある者も居るだろう。だから家族を我々の施設へ避難させてもいい。スペースなら気にするな。我々の下には、公に存在しないシェルターがある。好きなだけ連れてこい。だが必ず人数は報告しろ。いいな!」


「えー、うーん、はい解散っ!」


 なにかを言おうとしたニコが、迷ったあげくなぜか解散の音頭をとり、その場は解散された。


「カイ君キミは残りたまえ! リィラ君もだ!」


「え、うっす」


「なんか用?」


 背後の隊員たちがぞろぞろと――特にクレイが早足で――戻っていく中で、両手をポケットに突っ込んだままのリィラとカイが集まる。


「後で文句を言われても面倒なだけなので、キミたちにだけ先んじて言っておこう。じき、戦争が始まる」


「……内戦ってやつっすよね」


「いーや。別国の侵略が始まる」


「えっ! しん……」


 カイが腰を引いて驚くが、危うく大声で言いそうになったのをこらえ、声を落とした。


 リィラは彼ほどまでは動じなかった。彼女は戦争が具体的にどんなものかは知らない。授業は基本的に寝ていたし、興味もなかった。


「現状もT.A.S.と正規軍との内戦状態だけどね。それとは別に、外国とのドンパチも起こる」


「そ、そんな立て続けに……」


「この国は立地も悪く、どこの国からも攻めやすい。普通はそんな国取ろうとなんかしないけど、大工場というとてつもない収入源マネーメーカーだけで狙う価値はあるのだ。今までは溢れる資産で軍備の強化をしどうにか生き残ってきたわけだが、T.A.S.と正規軍が衝突するというのは、外国からしてみれば内部で戦力が削れているという絶好の機会。前回の戦争のダメージが残っている上、国際的に決まっている戦争禁止の時期はもう過ぎている。まさに略奪の狙い時というわけだ」


「じゃあ試合にすればいいんじゃないっすか? 人も死なないし、金ならおれが払えるし……」


「莫大な金をキミから出せばそれこそ国際問題だ。経済破壊の一手だよ。あらゆる国を敵に回すことになる」


「でも……だからって戦争なんて。……避けられないんすか」


「そりゃ、みんな回避したいさ。戦争で喜ぶのは勝者と投資家くらいなんだし。それでもやるのは、損得勘定じゃあない。ただ火種が・・・あったから・・・・・だ。それ以上のことはない」


「いつ始まんの」


 リィラが呟くように言った。するとニコは「素晴らしい」と微笑んだ。


「冷静だねぇ。恐らくだが、ファイマンの戦いに決着がついた時点だ。諸国は内戦の噂を聞いて密偵でも用意するだろう。情報を集め、もっとも疲弊したタイミングである決着と同時に開戦だ」


「ズルじゃん。そんなの」


「アハハハハっ。ズルだよ。でもね、この国だってχ計画なんてズルをしようとしたからね。欲が出すぎた因果応報さ」


「少々、口が過ぎるようですな」


 突然口を挟んできた大佐に驚き、リィラはカイにぴったりと寄った。同時にカイもリィラに寄ったので、人知れず小さな衝突が起こった。


「どうせ始まれば、なんで言わなかった云々と言われるだろうからね。戦力の要に不満を持たせちゃたまらないよ」


「言わなければよろしい。χならまだしも一般人の子どもが居る。パニックを無用に起こす意味など、見当たりませんな」


「リィラ君なら口が固い。ねえ?」


 ニコが同意を求めてきたので、リィラは両目を逸らしてニヒルに微笑み、「まあね」と肩を竦めた。


「そうだろうそうだろう。キミが馬鹿なガキだったら、とっくに始末してたさ。アハハ!」


 嘘だろコイツ。マジで人間終わってる。大佐のジジイまでドン引きしてるじゃん。


 ……え。じゃあ、あのときのテストに失敗してたら殺されてたの? 驚愕するリィラだった。カイに至っては口をあんぐりと開けていた。


「さて、ちょいと話は変わるが、カイ君には戦闘訓練をしてもらうよ」


「戦闘訓練……。あの、まずガジェットの使い方ってか、おれの身体に付いてる奴の機能もよく知らないんすけど」


「教えるとも、リィラ君も手伝ってくれたまえ。施設も気になるところだろう」


「え。いいの入って」


「もちろんだとも。さあ行くぞ。あ、大佐はもう帰っていいよ」


「フン。では失礼する」


 不機嫌な男が不機嫌相応の足音で地上階へ向かった。


 ニコの先導で、入ってきた入り口とは違う出口へ向かう。


「……ところで、χ計画ってあんな、普通にバラしちゃっていいヤツなの?」


 リィラがそう聞くと、ニコは「いーや」と肩をすくめた。


「だからこそ詳細は話していない。Pp無限ってことだけ。もしもメカニズムが分かっても他言無用だよ。細かいことまで知ってるのは上層とわたしとオークラーくらいさ」


「オークラー? なんで?」


「ベッドで話した。ぜんぶ」


「は~。あのさぁ……」


 リィラは呆れてものも言えない。露骨に話題を逸らすことにした。


「ねえ、気になってたんだけどさ。なんであのジジイあんたに敬語なの?」


「わたしがティア家の末裔だからだ。何代だか前が、T.A.S.の創始者なんだ。形式だけで言えば、T.A.S.はわたしの持ち物だよ」


「偉い奴の子孫ってやつ? それだけで偉くなって、みんなぺこぺこしてんの?」


「そう。それだけでぺこぺこしているのだ」


「ふーん。バカじゃん」


 こらこらとカイが嗜めて来るのを無視した。


「お爺さんたちが馬鹿なお陰で、好き勝手に研究できるのだから儲けものだよねぇ。アハハ」


 ある扉に入ると中はエレベーターで、パネルのボタンは地下1階と地下3階しかない。ニコは当然、地下3階を押した。


「地下2階は?」


「避難民用のシェルターだよ。χ計画用の訓練施設はその下さ」


 シェルターならば、大勢の避難者を見越した専用の大きなエレベーターでもあるのだろうな。リィラはそんなことを思う。


 かなり待って、扉が開いた。演説ホール以上の広々とした空間は縦にも横にもかなり広い。中にいくつもの建物を建てられそうだった。


 そしてエレベーターの隣にはガラス張りの長い部屋があった。これは訓練を観察する研究者用の部屋だろう。


「すっげ~」


「めっちゃ広いっすね~」


 リィラとカイがふたりして、やたらと広い空間を眺めていた。


「さて、カイ君に悪いニュースと、リィラ君にもっと悪いニュースだ」


 辺りを見回していたふたりが一斉に振り返る。それを認め、ニコは「まずカイ君のからね」と指差した。


「訓練は相当ハードなものになる」


「……やっぱ、使い方忘れてるからっすかね」


「そういうことだ。ま、予想は付いていただろうがね。ふたつ覚えて実戦。これを繰り返して、どういう動き方ができるかをひたすら頭に叩き込んでくれたまえ。組み合わせもあるのだから、動き方の数は膨大だよ」


「ひええ。ういっす……」


 カイはしょんぼりとしたが、リィラは目を見開いた。


「え、じゃあもっと悪いニュースは?」


「その作業をちょーっと……、キミに任せる」


「はぁっ!?」


 怒りより、驚きすぎてものすごい声が出てしまった。


 面倒くさいだけでなく、カイの勝ち負け、ひいては生き死にに関わるようなことを全部押し付けると言うのだ。


「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなさ……」


「いやいや、このあとどうしても外せない用事があって、本当は休憩の時間にしようと思ったが……。ただぼーっとしているよりはいいだろう?」


「でもさ……」


「ま、ま。これでもキミを信用していてね。タッチレスチャージャーVer.6を除き、カイの装備ガジェットで知らないものはいくつある?」


「…………いっこも無いけどさ……」


「そうだろうそうだろう。用が終わり次第、戻って来る。だからそれまで頼むよぅ」


「なーんでアタシがヘンタイのケツ拭かなきゃなんないのさぁ」


「まあまあリィラ。教えてくれる?」


 カイが柔らかに聞いてきたので、リィラはため息をついて、「わかった教えるよ」と嫌々に言った。


 コイツ、誰にでも優しいんだもんな。


「いやぁ助かる! 設備はこっちだ。さ、おいで」


 両手を頭の後ろで組んで、リィラはいかにも気だるげにニコの後ろをついていく。


 エレベーター横のスライドドアを抜けると、壁という壁に様々な設備がみっちりと詰まっていた。その質量に対し、操作できそうなボタンの類いは少ない。冷却設備がかなりの割合を占めているようだ。


 となると、それだけ熱を出す低性能型を使っているんだなと、直感で分かった。


「ふーん、空間投影で敵を作ったりできそうだね。あとは、内部の実物の動きをどこでも、正確に取得できるようにセンサーをひたすら増やして……。ねえ、これカメラを何個か設置して比較した方が楽じゃない?」


 ニコはリィラに、ガラスの前の席に座るように促してから、答える。


「楽だけど遅いのだ。画素すべてに走査をかけるわけだからね。だから光線を透過させて実験体の座標と動きをセンサーの変化として最小限に取得し、そのまま演算に組み込めるようにした。これくらい早さがないと、拡張現実との同期が遅れてしまう。あと、死ぬほどセンサーの数を増やしたのは流れ弾で多少は故障する前提だからだ」


「あー。それなら仕方ないか。だからロースペなんだね」


 少女には大きすぎる椅子の背もたれに身を埋め、目の前に並ぶ操作盤を眺める。ニコは右隣に来て、操作盤のすぐ横に尻で寄りかかった。


 窓の外では、カイが腕をぷらぷらさせながら、いかにも暇そうに歩き回っていた。


「なーに。厳密な解析までは求めてないとも。仮想の敵と戦わせるだけで良い」


 ニコが窓の外を指差すとき、見えない位置でさりげなく何かを取ってポケットに忍ばせた。


 それが何かは分からなかったが、何かを隠したのは分かった。


「……なんか引っ掛かってんだけどさ。どんな裏があるわけ?」


「裏? 用事があるだけと言ったろう」


「アーミーが勝つか負けるか。そんな大事な訓練を、アタシに任せるほどアンタもバカじゃない。信用だ仲間だなんてキレーゴトで何でも騙せると思わない方がいいよ」


 リィラはニコがなにかを隠したポケットを指差した。


「どうしてそれ、盗もうとしてんの?」


「盗む……。あ、これ?」


 ニコはポケットから手に収まる、長方形のカードリッジを取り出した。何かしらのデータを入れるのに使えるものだ。


「入れっぱなしだったから取り出しただけだよ」


「だったら堂々と取りゃいいじゃん」


「うーん。堂々と取ってれば疑われなかったのかい?」


「……ん? そーゆーことじゃないじゃん」


「いーや。そーゆーことだね。盗むんだったらわざわざ君たちを連れてこなかったとも。ひとりで盗んでから連れてきた」


「…………」


 あまりにその通りで、リィラは閉口した。しかし疑念は消えない。どうして、あんな疑われるような方法で?


 なんとなく居心地が悪くなって、話を逸らすことにした。


「テロリストとか正規軍とかと戦うより重要な用ってなに?」


「お偉いさんと食事だよ」


「はぁああっ!?」


 ものすごい声量で立ち上がる。その様子に、ニコは大笑いした。


「バカってレベルじゃない! あんた正気!?」


「バカと付き合うにはバカなことをしなきゃね。それで内争が有利に進むなら、致し方ないさ」


「内争を有利に……? じゃーそれ先に言ってよ。叫んじゃったじゃんか、もー……」


「アハハハハ。悪く思うなよキミ。はいじゃ、これマニュアル。ちょっと目を通してみてよ」


 ニコから渡された冊子をざっくり読む。なんのことはなく、本当にこの設備のマニュアルでしかない。


「理解できる?」


「ふつーに。それが?」


「いやだって酷いんだ、うちの連中。わたしが丹精込めて作ったマニュアルが難しすぎるってさ」


「ふーん」


 確かに専門用語多めで、前提とする知識は多いようだったが、そこまで難しいとは思えなかった。そう言うと、ニコはリィラの肩をぽんぽんと叩く。


「うんうん。やはりわたしの見込んだ通りだ。というわけで、行ってくる。繰り返すが、戻り次第わたしも加わるから安心してくれたまえ」


「はいはい……。はー、めんどくさ」


 肩を回しながら、ニコと一緒に部屋を出る。


 カイが待ってましたと言わんばかりにリィラの元へ小走りしてくる。


「じゃ、始めてくよ」


「おっけ。――あ、行ってらっしゃいっす!」


 カイがエレベーターに向かって手を振った。


「……あ」


 リィラはあることに気付き、背後のエレベーターを見た。閉まる瞬間で、ニコの表情は見えなかった。


「ん? どうかした?」


「……なんでもない。始めよ」


 カイへ説明を始めたリィラだったが、やはり気になってしまう。


 ――あいつ、カードリッジ持ってったな。




――Nico――

 ホバーがとある駐車場に到着する。そこは大工場のすぐ近く、テロリストが占拠する開業前のレストランだった。


 32部隊の隊員がわざわざ、運転席の扉を開けてくる。


「どうも。気を遣わなくても構わないよ」


「クロウディア様の大切なお人ですので」


「親切の矢印はボスに向いてたかい。さぞ隊長にも忠誠を誓っているのだろうね」


「当然のことです。まあ、T.A.S.にと言われれば……ご存じでしょうがね」


 ふたりで中へと入る。隊員はボディチェックされた上に入り口で待たされるのにも関わらず、ニコは見張りを素通りして入り口をくぐった。


 一見すると、地下レストランに見える部屋。ここから外は見えず、窓の無い部屋だった。


 洒落た内装に、ふたり用のテーブルがいくつか並んでいる。その内のひとつに相手が座っていた。その正面には3人の男が立っていた。


「どうも」


 ニコは彼女の正面に座った。


 黒い長丈の上着と、インナーは濃い灰色のニット。腰まで届く黒いストレートの髪を身体の前へまとめて持ってきて、意味もなくいじり続けている。白いニコと対照的な彼女は、冷たい無表情と、丸く瞳孔の小さな目でニコを見つめていた。


「……約束のものは」


「持ってきたとも」


 ニコは、全くの無表情を保っていた。彼女が差し出したものは、カードリッジ。


「χー4ー9の戦闘データ。間違いないね」


「……では、こちらも」


 彼女が差し出してきたのもカードリッジ。ファイマンの戦闘データだった。


 互いに受け取って懐へ仕舞うと、無表情のふたりが何かを確め合うようにじっと見つめあった。


「会話のネタくらい、用意しておいて欲しかったね。おしゃべりもできないじゃないか」


 先に口を開いたのはニコだった。


「……そういうものが嫌いって、知っているでしょう」


「会話かなぁ? もちろん知っているとも。しかしそれなら、どうしてわざわざ会うのか不思議なものでねぇ」


 ニコはわざとらしく、言葉に尾を着けたような喋り方をしていた。


 そもそも、戦闘データなんてものは互いに価値が低い。ニコからすればファイマンがどう戦うかなど、φ計画に参加していたのだから知っているのだし、クロウディアからすれば一連の騒動でカイの中身が変わっていると知っているはずだから、それより以前のデータが無価値だと分かる。


 そんなものをやり取りするだけ時間の無駄だ。


「……可愛いあなたと、会うために」


「そうかね」


 クロウディアは無表情すぎて、嫌味という手口が効いているのかすら分からない。


 ニコはつまらなそうに、頬杖をついた。


「聞けばなんでも答えるのだね。なら、どうしてこんな交換を持ちかけたのか、お答えいただけるかな」


 今回はχの戦闘データとファイマンの戦闘データ。その前は、T.A.S.の装備品搬入記録とテロリストの装備供給品目。さらにその前は、第47部隊とテロリストが遭遇するよう、互いに予定を合わせたりもした。もちろん、オークラーが死なないよう口裏を合わせて。


 お互いに同じデータを差し出し合う。だが、資源が多くあるのは正規軍側だ。動きの早さから考えても、法に縛られないテロリストたちの方が有利。フェアではない。それでもクロウディアの誘いに乗ったのは、情報戦だろうと彼女が決して嘘をつかないと知っていたからだった。


 一方でクロウディアは、ニコが嘘をつくと知っていた。それでフェアになると、互いに知った上でこうして会っているのだった。


 クロウディアは独特な間をとってから、口を開く。


「……ニコという式と、クロウディアという式。……優れた結果を算出できるのは」


「ま、そんなところだろうとは思っていたけど、ずいぶんと挑戦的じゃあないか」


 ニコがなんとなしにテーブルへ手を放り出すと、クロウディアはすかさずそこへ自分の手を重ねた。


 愛撫のように、そっと、優しく撫でている。


「……かわいい手」


 そうして持ち上げ、手の甲へそっとキスをして、静かにその香を嗅いだ。


 やはり不気味だ。敵として振る舞いながら、わたしを真っ直ぐに愛している。勝負を仕掛けてくるところも、おおよそはライバルという立ち位置でもいいから長く深く関り合いたいというところだろう。


 この『あるべき歪みがない』という歪みが、その気味悪さの正体なのだろうか。


 少しそのままでいると、料理がひとつ運ばれてきた。クロウディアはニコの手から自分の髪へ指を戻す。


 料理はニコの前に置かれた。


「……食べて」


「わたしの分だけかな」


「……そう。食べているところ、見たいの」


 ニコは観念して、フォークを持った。クロウディアを拒絶してはならないという経験からだった。


「大工場が目と鼻の先にあって、アップルが出ないとはね」


「……次は、用意する」


「どうも」


 料理をやたら多く口に頬張って、もごもごと言った。クロウディアはその口許をじっと見ていた。


「……かわいい」


「んぐ。どうも。で、次はどう出る」


「……小型ロケットエンジン。移動装置の開発をするの」


「ふぅん」


 これが開戦の合図だった。互いにどう出るかの情報交換をし、その上で互いに開発を始める。


「ということは、グレートライフルの拡張機能として搭載するのだろう。それを予定に組み込んであれを作ったのかね」


「……そう。カスタム可能な兵器という理念は一緒。グレートライフルについては、射出モードの切り替えも検討してるの」


「こちらのχも、カスタム可能な兵器といえばそうかな。わたしは……そうだなぁ。妥当なところで、ジェットパックでも作るか」


「……かわいい嘘」


 気にせず、料理を食い続けた。そうして、あっという間に完食した。


「ふ~。いやはや、シェフを誉めておいてくれたまえ」


「……わたし」


「そ。なら聞いての通りだ」


 その言葉を最後に沈黙した。見つめ合い、用心棒が軸足を変える頃、やっとニコが口を開いた。


「以上、かな。ならば帰らさせていただくが」


「…………ええ」


 寂しいのか、悲しげな表情をした。ニコは思わず顔をそらす。


 彼女はどうしてか、悲しみの表情があまりにも美しい。普通なら醜くなるはずの泣き顔さえ、歪みどころか芸術品のような魅力を湛えていた。それに見惚れたくなかったのだ。


 ニコが立つと、用心棒が一斉に動く。ひとりはクロウディアの側につき、もうふたりが監視するように前後の位置につく。


 ニコのゆったりとした動作に痺れが切れたのか、やや乱暴に腕を掴まれた。


「お出口は、こちらですよ」


「む……結構だ。掴まないで頂けるかね」


「これでも敵なのでね。ちょっとしたことでクロウディア様の身に何かあったら――」


 バンッ。狭い部屋に、耳をつんざくような音が響いた。その主はクロウディアの手にある拳銃だった。それを認めると同時に、後ろで人が倒れる音がした。腕を掴んできた男ではない方だった。


「ど、どうして撃った?」


 驚いた表情のニコがそう呟くと、クロウディアは銃口を下ろしてまた髪を弄り始めた。


「……あなたの、身体を見ていたから」


「それくらいは歓迎だ。いやね、撃つならこっちだと思ったんだが……」


 ニコが言うと彼は慌てて手を離し、クロウディアの顔色を伺った。


「……乱暴はしないであげて」


「わ、分かりました。指1本触れません。それでは……こ、こちらへ」


 今度は丁寧に、手で先を指して出口へと向かった。よほどクロウディアが怖いのだろう。


 やれやれとニコは、見つめてくる暗い目を見返した。


「それでは。可愛い妹は先に失礼するよ、姉さん」

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