撒かれた時限爆弾

――Okhra――

 走る軍用トラック車両の荷台に三人。クレイとマッドは家族を迎えに、オークラーは上司として同伴していた。


 オークラーは少し新鮮な気分でいた。ただの護衛任務にいつも以上の重装備で、浮遊車ホバーでなく、接地車ホイールに揺られている。こういう装備の任務は、大抵二通りのパターンに分かれる。短期決戦のために戦力を大量投入するとき――戦争であったり、危険と判断された大型組織の制圧の場合。そして、兵器の運送に使われる場合。


 いつあのテロリストが再び襲撃してくるか分かったものではないのだから、警戒して損はない。それに、フル装備となればいつでも気が引き締まるものだ。油断大敵におあつらえ向きである。


「……不安か」


 オークラーが斜め前のクレイに言う。彼は落ち着きもなく貧乏ゆすりをしていた。


「すみません。でも、家族にどう言い訳をしていいのか」


「誤魔化そうとするな。今が危険で、これから安全なところへ連れていくと言えばいい。私も説明するから安心しろ」


 オークラーは身を屈め、膝に肘を置いて両手の指を組んだ。


「いつ連中が襲撃してくるか分かったものではない。お前がそう不安だと、私の背を安心して預けられないじゃないか」


「……そうっすよね。すみません」


 クレイがこわばった笑顔を作ったところでトラックが止まった。


「さぁ行こう。マッドはバックアップを」


「わ、分かってますよぉ」


 三人で素早く出て、周辺の安全確認クリアリングを済ませる。マッドを荷台の出入り口に残し、運転席からPpスコープでトラック前方を見張る運転手に前に出る合図をしながらトラックから離れ、クレイ宅の玄関に着いた。


 ベルを鳴らすと、覚えのある女性が出てきた。クレイの妻だ。


「クレイ? どうしたの……あらぁ。隊長さんの」


「オークラーです。覚えていてくださったのですね」


「ええ。入隊するときにわざわざ挨拶に来てくださったので」


 挨拶している場合じゃないんだと、クレイが割って入った。


「その、ワケあって家族が危ない。みんなを避難させてるんだ」


「避難って……。でも、どうして?」


「実は、正規軍が敵になって……」


「て、敵に!?」


 落ち着いてくださいと、オークラーが割り込み返した。


「まずは出発の準備を。室内に入れさせていただければ、その横で説明させていただきます」


 凛としたもの言いに不安げな顔が頷いて、慌てて二階へ駆け上がって子どもを呼びに行った。


 オークラーは追うように中へ入り、入っていい領域までの案内をクレイに任せると、二階へ上がったその位置で目配せをしてきた。


「オレは子どもの手伝いをしてきます」


「ああ。行ってこい」


 オークラーはその場でクレイの妻へ語りかける。


「突然の訪問で申し訳ありません。避難はどれくらいの期間になるかは分かりませんので、なるべく長居できるように準備願います。食糧や毛布などはこちらから提供する用意があります」


「ええ、分かりました。えぇと……ああもうどうしてこんなことに?」


「正規軍と敵対した原因は、我々が彼らの不正を糾弾したためです。政府ぐるみになって、テロリストへの支援を行っていました。それがT.A.S.への攻撃を開始したため、隊員たちの家族が巻き込まれないよう保護して回っているのです」


「そんなことが? ごめんなさい私、息子を迎えに行っていてテレビを見ていなくて……」


 半開きの扉から、クレイの妻が顔を覗かせた。


「それって……。じゃあ、あなたたちの基地に行く方が危ないんじゃ……」


「専用の避難シェルターがあります。あれなら、この国のどこよりも安全です」


「……そう。でも……」


「いまや、テロリストたちがどういった手段に出るか予想もつきません。ですからT.A.S.としても、家族が人質に取られるといった最悪の状況に備えたいのです。準備をお願いします」


「…………そう、ですね」


 強引に捲し立ててしまったので、彼女はあまり腑に落ちないまま合意した。それはオークラーにも分かっていた。しかし今は時間がない。クレイに免じて来てもらい、後で納得してもらう方が早いだろう。


 オークラーが一息つくと、クレイが大荷物で部屋から飛び出す。彼の息子がそれを追い越した。


「ほーら。パパの秘密基地に行く準備はいいか?」


「早くいこっ! ほらお母さんも早く!」


「玄関からまだ出ちゃ駄目だからな~?」


 リィラくらいの男の子が、期待に胸を膨らませて、焦るみたいに階段を駆け下りていく。どうやら秘密基地という言葉に惹かれたようだ。


 クレイに言わせればあの年頃の子は気難しいのだと言う。だがあの小さな背中は想像通りの子どもで、ガジェットを目前にしたリィラと同じだ。きっと気難しいのではなく、意識できる間だけでも大人びようとしているのではないか。オークラーにはそう思えた。


「いやぁ、済みません。挨拶もなくて」


 大荷物のまま、クレイが子どもの無礼を詫びた。それにはただ微笑みを返した。


「元気でいいじゃないか。気になったのだが、あの子はどんなことに興味を持つんだ?」


「ん? そうですねぇ……。もっぱらゲームとか、コミックとか。身体動かす程度ですけどスポーツなんかも。面白そうって思ったら、なんでも。でしょうね」


「そうか」


 オークラーは、早く行こうよと階段下で足踏みしている子どもを一瞥した。その横顔を見て、クレイは微笑んだ。


「リィラちゃん、ですか?」


「ああ。あの子は、どうしてガジェットだけなんだろうな」


「そう不安にならなくても大丈夫ですって。うちのみたいに面白いこと全部に夢中になる子もいれば、一個に本気で夢中になる子もいる。学校の話とか、他の親の話とか聞いてたりすると、なんとなくそんな感じがしますよ」


「そういう、ものか」


「そういうもんです。まあ、リィラちゃんレベルまでいくと、物凄い熱中ぶりですけど」


「……ああ。すまんな。私としたことが柄にもないことを」


 オークラーは自嘲気味に笑った。


「そこまで気になるんなら、いっそお母さんになったらどうです?」


 思ってもない言葉に、目を見張ってクレイを見返した。


「なにも結婚しろってことじゃあないっすよ。ただ、今はカイ君が保護者でしょ? だから、その手伝いじゃあないですけど」


「い、いや。流石にそれは。やったこともないことだ。でしゃばるのも……」


 らしくないオークラーの様子に、今度はクレイが目を見張った。


「ほほーう。あのなんだってできる隊長にも、弱点が?」


「よ、よさないか。私にだって分からないことはある。この分野に関してはお前の方が詳しいのだろう」


「ええ。先輩ですね」


「親になるというのは、どうだった」


 クレイは少し考え、階下でソファに横たわって退屈を足でパタパタと払う息子を見た。


「人生で二人目の、何を犠牲にしたって守りたい奴ができたって感じっすかね。自分が親になったってことは、実はまだしっくり来てないんです」


「もっと家に居たら、しっくり来るかもね?」


 クレイの妻が寝室の入り口に立っていた。ちょうど準備が終わったようだ。クレイは苦笑いをして、頭の後ろを掻いた。


「いやぁ……。そう言われちゃうと……」


「いいのよ。だってその分、命がけのお仕事でお金を稼いでくれているんですもの」


 そう言ってクレイの頬にキスをした。


 そのとき不意に、オークラーの脳裏に浮かんだのはニコの顔だった。それを振り払うように身を翻し、階段を下りる。


「行きましょう。先導しますので、我々の後ろから着いてきてください」


「よろしくお願いします。隊長さん」


 オークラーとクレイが玄関口に立ち、トラック運転手にハンドサインを送る。そして、オールクリアのハンドサインが帰って来たのを確認して、クレイの家族を引き連れて家を出た。


 周囲の警戒を怠らずに進んだが、近所の人がそれぞれの玄関や窓や敷地内から覗き込んで、遠距離の野次馬をしてきていること以外に何もない。


 トラックの前に差し掛かったとき、すみませんと運転手のサドが声をかけてきた。


「隊長、ひとり、気になる奴がいまして。向こうの真っ黒な人影なんですが……」


 手渡されたPpスコープが双眼鏡モードになっていることを確認し、サドの目線の先を見ると、すぐに見つけた。オークラーが堂々と見ているにも関わらず、彼女は全く動かない。


 真っ黒な姿だ。黒髪に黒いコート。ボトムスも靴も全て黒で揃えている。確かに気になる存在だ。丸く不気味な目で、じっとこちらを見ている。その顔は不思議とニコに似ている気がした。


 ……いかんな。さっきからあいつの顔ばかりがちらついて。そう少し嫌気がさしていた。


「マッドの家まではルートBにしましょうか」


「いいや。Aで構わない。偵察にしては目立ちすぎるし、ただの野次馬だろう」


「分かりました」


 荷台に戻り、運転席の裏から拳でドンドンと叩くと、トラックが出発した。



――Kai――

「おぇえ……」


 カイは嗚咽しながら、右耳の裏にあるガジェットのスイッチを切った。


 その背後では、空間投影で作られた街並みと倒された敵が、現実拡張の終了と共に消えていくところだった。


 観測室からリィラが小走りで出てきた。


「バッファ、慣れない?」


「これヤバイわ……」


 バッファガジェットは、認識能力を上げて、自分を含めた全てをスローモーションに見られるという効果だ。ファイマンのとてつもない反応速度に対抗できる手段であり、相手の動きを見て、たっぷりと考えてから動けるという強力なガジェットである。


 が、これがとにかく酔う。


 スローモーションになっても、感覚は変わらないのだ。落ちるときでは、いつも通りの重力を感じているのに落下速度は五分の一になっていて、そのズレにものすごい違和感がある。走るときでは、いつものリズムで動くと転倒しそうになり、バランスを取ろうとする動きでも更に力の入れ具合を間違え……と、結果的に信じられないダイナミックさで跳ねて転ぶ。


 それに、ずっと動きが鈍いというのはかなりもどかしい。それは水中にいるようとも、全身を針金でしばられたようとも言える。もっとも近いのは、夢の中で走る感覚だ。どうして製品化されてるのにも関わらずT.A.S.隊員たちの標準装備じゃないのかが使ってみてよく分かった。しかしこれを避けては通れない。ということで、まだこのひとつ目を訓練し続けているのだった。


「でも頑張って慣れて」


「きついっす……」


「えー、じゃあ頑張ってお兄ちゃん!」


「ん。じゃあお兄ちゃん頑張る!」


 久しぶりのお兄ちゃん呼びにやる気を出し、もう一度バッファを起動した。マッスルガジェットも起動する。


 ぐっと構えて直上へ――飛ぶ。ぐんっという加速が、いつもの五倍長く感じる。もうヤバい。しかしそこを抜けてしまえば、自然に上へ上へと登っていく。


 さて一番ヤバいポイント。頂点。落ちる瞬間の、中身がふわっとする感じが、ゆっくり、延々と、あ、あっ……。


 あダメだ吐く。吐くけど……おっそ……。口へ上がってくんの遅い。吐けない。もうむしろ吐かせて。


 拷問のような酔いの苦痛の中で、身体が三分の一だけ落ちたところでやっと願いが叶う。


 落ちながら吐く様に、リィラが悲鳴を上げて逃走した。カイにはそれがの太く聞こえる。


 やっと地上に到着したが、今度は止まらない。いつ止まるのこれ。息が苦しい。ヤバいこれ死ぬ? 死ぬ……。


 ………………死ぬまでもおっそ…………。


 全然死なん。あ、切れば良いんだ。遅くなった世界で、そう判断するだけの時間はたっぷりとあった。


 カイはバッファを切る。急に戻った世界で吐ききって、やっと息を吸えた。


 やべぇ……。生きてるって感じ……。


 ドン引きしているリィラを目前に、カイは達観した。


 ふと、ニコが戻ってきているのに気付いた。死ぬほど笑っている。倒れ込んで、身をよじりながら。抱腹絶倒とはこのことだった。


「おち……落ちながら……アハハ……ひぃっ……!」


「うぇえ……」


 笑い転げるニコと滅茶苦茶に距離をとるリィラの前で、カイはトイレへ掃除用具を取りに行った。兄は辛い。


 一通り掃除が終わったところで、ニコがにやにやしながら観測室前に立った。


「はい、しゅうご~う!」


 カイとリィラが並び立つ。リィラにやたらと距離を取られる。……兄は辛い。


「で、成果は?」


「今やってた、バッファの途中っす」


「ほうほう。で、他は?」


「……いや~……」


 カイは苦々しげに目をそらした。しかしニコは叱りもせず、うんと頷いた。


「バッファをマスターしようと集中していたわけだね。結果的に英断だ」


「え。でも二個ずつって……」


「言った。だが、まあ状況が変わってね。わたしとしてもバッファを最優先にしてほしい。それはそうと、ふーむ、酔うか。興味深い」


「……そうなんすね~。これで酔うって珍いんすか?」


 やけにカイの声色が明るくなる。叱られずに済んだと心でガッツポーズをしていた。


「いや。ジェイクが酔わなかったのだよ。実験後のバイタルは正常だったし、君のように空中でゲロを吐くこともなかった」


「同じ身体なのに?」


「そう。きっと、ものの認識の仕方が違うのだろうね。認識と感覚の不協和を、『そういうものである』と割り切れたのだろう。ジェイクがどれだけ特殊な壊れ方をしたか……。こんなところで知見が深まるなんてねぇ」


 さておいで、とニコはカイの手を取って観測室へ向かう。連れていかれた先は、その更に奥の部屋だった。


 どうやらガジェットのメカニック作業部屋のようだ。中央に背の高い――マッチョの店のものとよく似た――手術台があって、様々な道具やラックがその回りに置いてある。だが例の認定書は無かった。


「ちょいと調整するよ」


「い、痛くないっすよね?」


「まあね。知らないかもしれないけど、基本的にボディ手術は痛くないよ」


 カイは目を見張ってリィラを見た。リィラは驚いたように見返し、気まずそうにゆっくり目をそらした。


「っと、いうか手術しない。カイ君はそこに寝っ転がりたまえ。リィラ君はおいで。レアなもの見せてあげよう」


 言われるまま、手術台で横になった。すぐ隣で、ニコがこっちへアンテナを向けている妙な装置を弄って、リィラがそれをしげしげと見つめている。


「これ、ガジェットのソフト弄れるの?」


「そういうこと」


「へぇ~。すっげぇ。パラメータのレイアウトは本社の方の工場のといっしょ?」


「いっしょいっしょ。そりゃね?」


「あ、あの、弄れるんすかガジェットって」


 思わず口を挟んだ。それはつまり、なんかハッキングとかできたりするってことなんじゃないのか。もしかしたら自爆させたりできるのか。そんな不安がカイを襲う。


「まあね。出回ってるガジェットなんかに不具合が出たらリコールするわけだけど、いちいち作り直しては手間だ。厳密な仕様で販売するのではなく、ある程度性能に幅をつけて、制御で仕様通りにして売る。で、不具合があったら回収してこいつで性能を調整し直す。だから、本来無い機能は追加できないのだよ。安心したまえ」


「そうなんすね」


「体内Ppを一気に気化させて自爆ってのは考えたんだけど、それをしようとするとハード作る時点でバレちゃうんだよねぇ。はぁーあ」


「…………」


 残念そうなため息を聞いてこれほど安心したことはなかった。制御盤を覗き込むリィラは不思議そうな顔をする。


「あれ。でも、バッファにそういう別の機能ってないじゃん」


「実はある。でも機能をロックしてプロテクトを掛けているんだ。PG社の奴らは――作ってから考えることじゃないけど――悪用リスクが高すぎるってことであえて無調整にして使いづらくしている。つまり、起動してないだけさ」


「あー。バッファの設計図が出回っていないのはそういう理由だったんだ。ハードでバレちゃうもんね」


 安全装置を作る暇があるなら機能を消したハードを設計し直せばいいのにね。そうニコは肩を竦めた。


「ま、ハッキングするなら。本社ソフトエンジニア級の腕か、ウチみたいに特別な権限が必要だけどね」


「格闘家とかが着けちゃったらマジでヤバそうだしね」


 バッファは要ライセンスガジェットとして流通しており、免許を取った者及びその者の監督下でしか使えない。そして本来は寄生ボディ型ガジェットではなく、体外エクス型ガジェットを装備する形で使うものだ。カイのものは寄生ボディ型の特殊仕様なのだ。


 一般的な使用用途は、レースの走者やジェット機のパイロットといった、持続した重力負荷がかかる職の、試験や訓練用であった。事件としては、まれにゲーム大会なんかの不正にも使われる程度。


 一方で格闘技などの身体を動かす場面では、メーカーの狙い通り不便すぎて使われないのだった。


「そうそう。で、実験ではジェイクの様子を見つつパラメータを変化させていこうと思ってたけど、加速度感度係数にゼロ代入で一発オーケー出ちゃったからまあいっかと思って、機能はオフのままだった」


 カイは専門的そうな会話を、かなりぼうっと聞いている。ちょっと退屈なので質問してみようかな。


「あの、このバッファてやつ、どう動いてるんすか?」


「ん? 認知領域を拡張して分解能を増加させてる。感覚チャンネルのいくつかを麻痺させて信号を微弱化し、心の認知領域を一時的に拡張するってこと。で、受け取り手はリソースが多くなった分、時間認知に多くの領域を割ける。要は高い分解能に対する読み込み速度が増加したと考えれば差し支えない。で、最大感覚容量が一定の値に決まっている中でそれを一定レベルで使うとなると、単位時間の感覚処理量は信号量と時間当たりの分解能にそれぞれ比例するという簡単なモデルになる。ここまで単純化されれば流石に気付いたと思うが、信号の種類が減ればより分解能を高くできるようになって、多くの知覚時間を得られる。即ち時間が遅くなったように感じるのだよ。ね、当然と言えば当然なのだ」


「なんて?」


 全く分からず、妙な声で聞き返してしまう。


「あの……あ、リィラ? もうちょっと分かりやすく説明してくれる? 専門用語なしで……」


「は? うっそでしょ。こんなに分かりやすいのに」


「はーっ! これだから! 記者連中みたいだな、キミは!」


 リィラに見下げられ、ニコは仰け反った。どうやら「分かりやすく」は禁句だったらしい。


「はー。あのさ、理解できてるヤツは分かりやすく説明できるとかいう、風潮? あるけどさ。結局ああいうのって正しいものをねじ曲げて、バカに理解した気にさせるだけだかんな? 曲がってんだから間違ってんの」


「全くその通りだなリィラ君。そうして決まって、その例え話が間違ってると指摘してくる頭の良さをアピールしたいタイプのバカが出てくる」


「あーいるいる! 前ダイナーのテレビに出てたわそんなの。揚げ足取りってやつ? コクゴできないアタシですら分かるのにさぁ」


「わたしが、えー、ナントカ賞を取ったときは酷かった。情報を世に発信するとかいう大義を抱えながらろくに予習もできない、アホの言い訳に文系を持ち出す記者ども。あれの厚顔無恥っぷりと来たらもう……。いや例外はいくらか居たな。あのメカニックマガジンの記者なんかはちゃんと調べて来ていたよ」


「あー! いいよねメカマジ! あそこホント聞きたいこと聞いてくれるんだよ。あ、そっか思い出した。メカマジだったわヘンタイ博士のインタビューあったの」


 ものすごく見下された上に、ふたりは勝手に盛り上がってしまった。この、蚊帳の外感。


 ……さみしい。


「ところで、今の会話の間に終わったけど試してくれるかな」


「あ、え、もう終わったんすか? ……うす」


 ベッドから降りてバッファを起動してみる。恐る恐る普通に跳び跳ねてみると、風景の動き方に合った感覚になっていた。まるで重力が弱くなったようだ。よし、これなら酔わない。


 バッファを切ってから、「おっけーっす」と頷いてみせた。


「なに弄ったんすか?」


「キミ自身の加速度に対する感度を低くした。キミからして遅くなった時間に合わせたのだ。感覚を鋭くして上で感度を下げるとどうなるか分からなかったが、単純に感覚五〇〇パーセントに対する感度二〇パーセントで辻褄が合うのだね」


 要するに酔わない設定ということだろう。


「さて、このバッファを使って、かなり無茶な速度で飛び回ってくれたまえ。何はともあれ、これをマスターするのだ」


「うっす。じゃリィラ、よろしく」


「ん。どんくらい?」


「最低八ロークは欲しいね。あと加速度は最低六四ロークパーメイラで、希望を言えば切り返しの加速度で一五〇は欲しい」


「すっげぇ無茶じゃん。気絶するよ」


 やべぇ知らねえ単語出てきた。ひょっとして単位か? どれが何時速キロだ?


 リィラに『な?』という目で見られたので、カイは意気込んで「無茶っすよぉ」と合わせた。


「たぶん大丈夫だ。ジェイクのデータでは一瞬だけの到達だったが、余裕で耐えたのだ」


「ホントに大丈夫ぅ? ってかアンタは?」


「やることができた。新しいガジェットの開発だ」


 一瞬食って掛かろうとしたリィラの顔がパッと明るくなった。


「ガジェットの開発ぅ!? それって、コンパチとか。マイナーモデルチェンジとかじゃなくて?」


「まるっと新開発だ。とはいえ、カイにしか装備できないものになっちゃうがね。なりふり構わず超特急で開発するからしばらく相手ができない。引き続き頼むよリィラ君」


「すっげぇ~。あのっ、早めに終わったらさ……」


「お、手伝ってくれるのかな?」


「しょーがねーなー! 行くぞカイ!」


 かなり素直に従って、部屋から出ていく。


 ……気絶するレベルの加速…………。


 カイが躊躇っていると、リィラが扉からひょっこり顔を出した。


「なにしてんの。早く早くっ」


 …………兄は辛い。


 だが妹は可愛い。


 だから、頑張ろう。


「そうだもうひとつ、カイ君と話すことがあった。準備しておいてくれたまえ。すまないねぇ」


「まーたぁ? 早くしろよなー」


 わざとらしすぎる申し訳なさのニコに、リィラは呆れた顔をして出ていった。


「話っすか?」


「うん」


 ニコは振り向き様にカイの右腕を取り、肘と手首の丁度間辺りに何かを突き刺す。カイはその激痛に声が出そうになったが、口を抑えつけられ、その叫びがリィラに届くことはなかった。


 腕から引き抜かれたのは、どうやら筒状の器具だ。


「いや、すまん。よく耐えたよ。ほら、いいこいいこ」


「……ってぇ……酷すぎっすよ! なんすか今の!」


 頭を撫でてくる腕を弾き、珍しく怒りを露にしたカイだったが、博士は全く調子を崩さない。


「ガジェットをひとつ埋め込んだのだ。それで、体外エクスガジェットをハッキングして、Ppを供給できるようになる」


「……つまり?」


「拾ったマシンガンが撃ち放題というわけだ。ハックしたいガジェットに右腕を引っ付けて少し待てばペアリング完了。タッチレスチャージャーを採用しているものならなんでもハックできるよ。非常用供給源を持ってるものとかも」


「…………そうなんすね。でも、手術は痛くないって。ってかしないって」


「隠しガジェットとして直に埋めた。これが手っ取り早いのだよ。というのも――翻訳機という例外があるものの――通常のボディガジェットは体表から体内へコードを伸ばすわけだが、伸ばしたコードからニューロンスタブを形成……あー、つまり、手術から使えるようになるまでは若干の誤差があるから緊急処置ということだ。プラス、奥の手だ。知っているのはキミとわたしだけだ」


 なにやらまたバカにされたようだが、必要な処置だったと言うならどうにか怒りを飲み込もう。そうカイは深呼吸した。


「いくつか条件がある。一度にハックできるタッチレスチャージャーはひとつかつ、ハッキング後に……この程度の距離を離れたらペアリングが解除される。分かったかね」


 言いながらニコは距離を取り、実際の長さを見せた。カイの目測では2メートルといったところだ。


「……なんかこれ、物凄いものなんじゃ……」


「物凄いもの、だね。一個人に与えていい力を完全に越えている。こんな物まであったら、いよいよキミは世界を支配するも破壊するも自由自在ってわけだ」


「そ、そんなものをどうして……」


「今までの様子から、キミは腰ぬ……へなちょこだって分かったからね」


「いや、なんでおんなじ意味で言い直したんすか?」


 ニコは近付いて来て、カイを見上げ、口を突き上げた。


「だってへなちょこだもの。ほら。キスとか……してもいいよ? ん~……」


「…………そ、そういうんじゃないんで~~~」


 カイはニコを押し退けた。少ししてみたかったのが悔しい。そういう、意識させるようなことをしないで欲しい。意識してしまう。でもニコ博士で意識するのは負けた気がする。


 ニコの異常性に慣れ始めてしまったのか、普通に可愛い系のお姉さんとして見られるようになってきてしまった自分が少し嫌になる。そう、かつてハーレムを求めた男は考えていた。


「アハハハハ。やっぱりジェイクともジョンとも違うねぇ。さて……」


 いきなりジョンとかいう新キャラ出てきたんだけど誰? と首を捻るカイを横目に、ニコは携帯電話のような機械をさっと見て確認する。


「うん。みんなの家族が到着したって連絡だ。奇妙に聞こえるかもしれないがカイ君、キミは避難フロアの出入り禁止ね」


「はぁ……。それはなんでっすかね?」


「強者は弱者を守らなければならないとかいう、弱者側のワガママにキミを付き合わせるわけにはいかない。というわけで計画は予定通りに」


「んー? うす。……ってかこれ、なんでリィラのいないところで?」


 カイがハッキングガジェットを埋め込まれた腕を見せる。


「…………じゃっ」


 しかしニコは答えず、小走りで部屋を出て、エレベーターに飛び乗っていった。


 彼女はいったい、何を隠しているのだろうか。訝しんでみるも、答えは出ない。絶対に怪しい。だが……。


「……はぁ」


 どう怪しいまでは分からない。仕方ないので、そのままリィラと合流することにした。



――Nico――

 エレベーターから飛ぶ勢いで降り、つかつかと早足で急いだ先は、隊員の家族などが集められた駐車場だった。しかし彼女はそこに姿を表そうとせず、影からそっと覗いていた。


 最後の一台であるオークラー率いるトラックが到着し、隊員、クレイとマッドの家族、そしてひとりの少女が降りたとき、オークラーへ通信を入れた。


「オークラー……隊長。こっちだ。ロビーを見たまえ。というか来たまえ」


 呼び掛けると、訝しげな表情が走ってきた。


「そんなところに隠れて何をしているんですか」


「いや。まぁ……訳あってあの子には見つかりたくない」


 そう言うと、オークラーは振り替えって暗い顔の少女を一瞥し、ニコへと顔を戻した。


「……言われた通り連れてきましたが、あの子は何者なんですか? お陰さまで理由の説明もできず、孤児院の方を困惑させる羽目になりました。まさかとは思いますが、あなたの子どもじゃありませんよね」


「わたしの子ではなく、ジェイクの子だ」


「ジェイクの……。ああ。言ってしまえば、T.A.S.が父親を殺したようなものですからね」


「んー、まぁね」


 普通に認めたニコに、オークラーが見下げたような、呆れたような顔をした。するとニコは、ニヒルな笑いを浮かべた。


「……キミにだけ告白するけれど、わたしはこれでもあの子に罪悪感を感じているのだ。いや……あるいは、ジェイクにかもしれんが」


「罪悪感? 博士が?」


「ひ、酷いな! たまにしか出さない本心だったのに。人を信じてみようとは思わないのか隊長」


 今のは嘘ではなかった。それでも普段の行いのせいでオークラーには信じられず「あなた以外は信じていますよ、博士」と受け流した。


「しかし我々の提供者になったことは秘密のはずです。そこまで心配しなくてもいいのでは?」


「世間一般にはね。だが我々の中に内通者スパイがいる場合は別だ」


 そう言うと、オークラーは見たこともない顔で睨み付けてきた。


「このT.A.S.に裏切り者がいると?」


「考えてもみたまえ。そもそも四七部隊を襲撃したテロリストは、二台のホバーを隔離し個別に襲撃するという手法を用いた。最初カイを回収するためのホバーは四台であったのにだよ? それは事前情報ありきのものではないかね」


「……テロリストの偵察員あたりが、この基地から出発するのを見てから判断した可能性もあります」


「あるだろうね。しかしそれは可能性があるというだけで、わたしの考えを否定する根拠にはなりえない。常に最悪に備えたまえ。裏切り者がいないと断定して、もしも居たならば?」


「……」


「それに、だ。そもそも――」


「――カイを逃走させた存在、ですか」


 ニコは微笑んだ。自分がそうだとは、気付かれていないようだ。


「流石に分かっているようだね。やはりスパイが、何かしらの理由でカイを逃したと考えると話の筋が通る。まぁ、どっかの偽善者が『可哀想だから』で逃した可能性もあるがね」


「…………」


 オークラーは押し黙り、しばらくして背を向けた。


「……忠告には感謝します」


「待って。まだ、本題に入ってないのだ」


 ニコの本当に参ったような、困った声と仕草に、オークラーの足が止まった。


「どうした――のですか」


「あの子、レインなのだが、わたしも会えない。ジェイクは消失してしまったし、ジェイクと居るところを見られてしまったからね。しかし世話役は必要だ」


「因果応報ですよ。まさか、この私に母親役をしろと?」


「なに、母親? いや、クレイの家族あたりに頼んでほしいと言おうと思ったのだが……。まさか子供が欲しいのかね?」


「………………くっ」


 つんとしていた彼女は見る見るうちに顔を染め、背けた。


「ふぅむ。そうかそうか。全て決着したら、養子を貰って二人で育てるのも悪くないね」


「よりによって貴方との子を持つ気はありませんっ。し、失礼しますっ!」


 言うなり隊長はズカズカと地を抉るようにして戻っていった。その背を眺めながら博士はニヤニヤとする。少し気持ちが軽くなった。


 しばらく角から覗いていると、駐車場中央に人が集められる。人数にして二百人程度。隊員を抜けば百五十といったところ。用意してある物資だけで数年単位の居住ができるだろう。


 少ないようだが、国内の批判が原因で大半の隊員が家族と離反しているという現状を考えると、これでもむしろ多い方だった。


 ビーッ、ビーッ、と警報音が鳴り響き、駐車場の地面ごと地中へと降りていく。子どもが大はしゃぎで駆け回ろうとしているのをクレイが止めている。


 みんなが地下へ降りていき、蓋をするように防護扉が閉まったところでニコは引き返す。


 さて、戻らなければ。予定は想像よりずっとタイトなのだ。


 みんなに仕込んだ疑念が爆発する、その前に。

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